2016年3月9日水曜日

20160309「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(11)―― 志ある政治家・官僚・学者・一般市井の人たちよ、目覚めよ! ――


 今朝の讀賣新聞一面中央に、「皇室典範見直し当初要求 国連女子差別委 政府が反論、記述削除」という見出しで重要な記事があった。その要旨は、日本国政府が当初案にあった「皇室典範が女性天皇を認めていないことに懸念を表明し、見直すように」ということに反論し、削除を求めた、というものであった。関連記事には、「国連女子差別撤廃委員会の報告書のまとめ役は中国人」であるとある。

 いわゆる従軍慰安婦問題について、従来彼女らが「性奴隷」として表現されていたが、それは「従軍慰安婦」という言葉に改められた。このことについて、韓国の連合ニュースが「日本政府は慰安婦問題の合意後も責任回避と否定を続けている」と批判的に論評した、と報道されている。

 朝日新聞・毎日新聞など他のメディアはどういう報道をしているであろうか?新聞の購読者の殆ど多くは、それぞれ個人の思想信条は別として、新聞店とのつながり等により継続的に購読しているはずである。だから新聞の報道姿勢によりそれぞれ個人の主義や主張は左右されやすいだろう。新聞が特定の思想信条のもとに報道すると、多くの国民は「そうだったのか」と納得し、政府に対して批判的になる。勿論、批判精神は絶対必要である。特に権力に対する批判精神を失ったら民主主義は滅びる。しかし特定の思想信条を持つ者たちによって、「ペンの力」(マスコミ)によって、決して扇動されてはならないのである。

 日本と中国・韓国・北朝鮮の関係は千年前と同じような緊張関係にある。この状態は今後千年経っても変わることは無いだろう。日本人はそのことを「何故なのか」と考えてみる必要がある。勿論、日本はそれらの国々に軍隊を派遣して大変迷惑をかけたことは事実である。しかし、その背景には16世紀以降西欧人による侵略という脅威があったのである。ただ、そのことだけが日本と中国・韓国・北朝鮮の間の緊張関係の根本原因ではない。

その根本には、5000年も前から7世紀ごろ、さらに戦後現在に至るまでの間の日本民族の生い立ちにある。日本民族は、縄文人を基層集団として長江中流域から稲作・漁労文明をもった渡来系弥生人たちとの混血、その後大陸の政情不安により朝鮮半島から渡って来た漢族・朝鮮族の技能集団との混血、戦後は在日韓国・北朝鮮人との混血、さらには欧米系・アフリカ系などとの混血により成り立っている。日本の歴史書『日本書記』には、7世紀ごろまでに日本にわたって来て帰化した人たちのことが数多く書かれている。

因みに縄文人の遺伝子は大陸・朝鮮半島に殆ど残っていない。しかもY染色体遺伝子・ミトコンドリア遺伝子のあるタイプのものは世界中に例が見つかっておらず、日本人独自のものである。朝鮮半島に僅かに残っている日本人特有の遺伝子は、古代に倭人が朝鮮半島に進出していた名残であろう。また豊臣秀吉軍の兵士の一部は朝鮮半島に残り、その子孫たちが居る。逆に豊臣秀吉軍の引き揚げとともに、日本に渡って来た朝鮮半島の陶工たちの子孫もいる。その中には外務大臣になった人も居る。江戸末期の漢学者・歴史家であった頼山陽は『日本楽府』で白村江(はくすきのえ)の戦いのことを書いている。その終わりの部分に「忠義の孫子海を踏みて来たり。長く王臣と為りて王室を護る」と書いている。

天皇陛下はそういう日本人・日本民族の統合の象徴として、皇后陛下とともに世界の平和と人々の幸せを常に祈って下さっているのである。

 豊臣秀吉が政権を執っていた時代には当時のスペイン・ポルトガルによる侵略や日本人が奴隷にとして海外に連れて行かれたという事実があった。日本が近代化された後、ロシアや西欧列強による侵略という脅威があった。日本は大東亜戦争に敗れたが、東南アジア諸国やインド・ミャンマー・ヴェトナムなどは独立することができた。

 中国・韓国・北朝鮮の国民の深層心理は、千年前と同じように日本を中華の下に置かれるべき国であるというものであろう。その心理は今後千年経っても変わることはないだろう。ただ、日本はそういう状況にあってもそれらの国々とできるだけ仲良くし、共に富を生み、共に分かち合うことが重要である。欲望があれば摩擦を生む。人間でも人間の集合である国家でも、煩悩を断つことはできないが、理性と武力的力関係で調和を作り出すことは出来る。

 戦後、アメリカの政策によって日本人の魂は抜かれ、日本人は平和を愛好するが武力は忌み嫌うようになった。そのように日本を導いたのは、アメリカ大統領の側近であったソ連のスパイであった。戦後、日本は共産化される危険があった。東条英機元首相は遺言に「現在の日本の事実上の統治者である米国人に対して一言するが、どうか日本の米人に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。また、日本人が赤化しないように頼む」と書いている。

 日本人は海外からどのような圧力があろうとも、2千年以上も続いた男系の皇統を絶対に守り抜かなければならない。女性の天皇について「女系」と「女性」の二通りがある。女性天皇はこれまで何度もあった。それは男系の皇統を繋ぐための一時的なものであった。遺伝学的にみれば、ピンチヒッターとしての女性天皇の次の天皇は必ずY染色体遺伝子を受け継ぐ男性であった。

 女系である場合は、その女性の子孫である女性だけがルーツの女性のミトコンドリア遺伝子を受け継ぐ。しかもY染色体遺伝子を受け継ぐ男性は居なくなる。つまり皇統はそこで途絶えるのである。日本がもしそのような状態になったら、世界に類例のない2千年以上も続いてきた皇統が途絶えてしまうことになる。

 唐王朝時代の中国にあった薫り高い文化は日本に伝わり、現在に生きている。儒教・道教が重んじられた一方で仏教が弾圧を受けて廃れ、マルクス思想の中国共産党が支配している現在の中国にはどういう文化が根付いているのだろうか?

日本では奈良・平安の天皇親政の時代以降、政治は武家が行ってきたが、その武家は天皇に位階を授けてもらっていた。明治憲法下では天皇は日本国の統治者と定められていたが、国政への関与は殆ど形式的なものであった。現憲法下では天皇は日本国の象徴であり、日本国民の統合の象徴であると定められている。

日本では二千年以上皇統が続いており、そのお蔭で薫り高い文化が持続してきたのである。武家が政治を行っていた時代でも武家は古来の文化を大事にしていた。日本は本当に素晴らしい国である。深層心理において日本を何とか見下げたい国々の為政者にとって、日本に男系皇統の天皇が居なくなり、夫婦別称が行われるようにうなることが望ましいに違いない。日本人は、断固、男系の皇統がある国体を守り抜かなければならないのである。


志ある政治家・官僚・学者・一般市井の人たちよ、目覚めよ!

2016年2月21日日曜日

20160221「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(10)―― エピジェネティクスに関する本 ――


 横浜市立図書館でエピジェネティクスのことが書かれている科学関係雑誌を読み漁り、仲野徹著『エピジェネティクス』と太田邦史著『エピゲノムと生命』の2冊の本を借りて帰った。エピゲノムのことは今のところマスコミには難しい話と受け止められているらしい。しかしこれは医療の面のみならず社会や民族の面でもこれに焦点を当てて研究されるべきことであるように私は直感している。

 今日は天気が良かったので運動も兼ねて野見山公園近くの横浜市立図書館に行くことにした。途中おにぎり専門の店「権米衛」で一番安いがボリュームがあって栄養価も高そうなものを三個選んで買った。一つは生姜味噌を付けたもの、一つは玄米入りでゴマをまぶしたもの、もう一つは鰹節を中に入れたものである。飲料は自宅から冷ました湯を持参した。交通機関は敬老パスを利用するのでその都度切符を買う必要はない。昼食は野見山公園のベンチに座って取る。最も安がありで最も健康的で最も知的である。

 公園のベンチに座っておにぎりを食べる様子をスマートフォンで撮ってLINEで家内に伝える。スマートフォンでの撮影は‘自撮り’モードである。このような時間を過ごすことができるのはとても幸せである。80に近い年寄りとは言え、現役の人たちに支えて貰っていることを思い、私は「有難し」とつぶやく。

 しかし、このような幸せを感じることができない心の貧しい人たちは大勢いる。町を歩くときすれ違う高齢者は皆が皆穏やかな顔をしているわけではない。私は阿弥陀仏に完全に帰依し、阿弥陀仏にすべてを任せ切っている感じでいるので、今のところ穏やかな気分である。しかし、何時私に不幸が降りかかるか分からない。そのとき私は穏やかな気持ちでいることができるだろうか?私はそのような時でも穏やかな気持ちでありたいと願っている。

 エピゲノムは日常の精神活動の持続によって現れる。ストレスがたまり続け、それを消化できない状態が何年も続けば、ある遺伝子が発現してエピゲノムとなる。それはその人の精神を不安定にし、病気の原因を作り、その人がそのような状態で持った子供にエピゲノムとして‘遺伝’するのだろう。その逆の場合もあるであろう。


 社会は人の集合である。民族の精神文化的な面はその民族の精神的な集合である。社会や民族にエピジェネティクスが作用していることは間違いないと思う。私はそう思いながら上記2冊の本を徹底的に読み、何か哲学的な思索のきっかけをつかみたいと思っている。

2016年2月18日木曜日

20160218「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(9)―― エピジェネティクスの面から考える子供の養育 ――


 エピジェネティクスの面から見た‘遺伝’は因果応報・輪廻転生を説いている仏教と何か関係がありそうであり、また社会・国家の在り方にも影響がありそうである。私は、前者は仏教の指導者が考えるべきことであり、後者は政治家や社会学者などが考えるべきことであると思っている。

私は、女性の晩婚化は社会や国家の大問題であると思っている。私は女性が適齢期に結婚し、子供を産むことが出来ない社会は決して良い社会ではないし、そういう国は決して良い国ではないと思っている。このことに着目し、活動してくれる優れた政治家や学者や活動家が現れることが期待される。

近年、離婚や貧困や男女関係の乱れなどにより、幼児や赤ちゃんが児童養護施設や病院で保護されていて、その児童や赤ちゃんの実の親でない夫婦に引き取られ、養育される状況がある。かつて旧満州に残された児童が中国人の夫婦に養育され、成長後日本に帰国した中国残留孤児がいた。

このように血縁関係がない子供はエピジェネティクスの面から見た場合にどのような‘遺伝’をその育ての親から受けるのであろうか?下記括弧(“”)で括るように、エピジェネティクスは麻薬により精神疾患が生じた場合について研究されている。しかし、私は、エピジェネティクスは社会や国家の在り方や仏教の布教活動の在り方を考える場合についても研究されるべきテーマではないかと考えている。

環境要因がどのようなメカニズムで精神疾患につながるのかという疑問が浮かび上がってくる。簡単にいってしまえば答えは明白で、「生まれ」と「育ち」の両方が脳の精神細胞に作用するということだ・・・(中略)・・・経験を通じて染色体上に化学標識が付いたり取れたりすることが精神疾患症の一因となっているようだ。こうした「エピジェネティック」な標識は、遺伝子の配列ではなく遺伝子の活性を変える・・・(中略)・・・DNAは細胞核にでたらめに詰め込まれているのではなく、糸巻きに巻かれた糸のように、「ヒストン」と呼ばれるタンパク質複合体の周りに巻き付いている。このヒストンとDNAの複合体を「クロマチン」といい、そのクロマチンが折りたたまれて染色体を構成している・・・(中略)・・・クロマチンが折りたたまれていると、遺伝子を活性化する装置が近づけず、遺伝子は不活性のままだ。・・・(中略)・・・個々の遺伝子が活性化するかしないかは、クロマチンの化学修飾によってきまるのだ。このようなエピジェネティックな変化は、化学標識を付けたり取り除いたりする様々な酵素によって生じる・・・エピジェネティックな修飾がほかの多くの遺伝子にも生じており、それが養育のような行動における反応プログラムに関与し、ゆえに行動様式の親から子への‘遺伝’をもたらしていることが、今後明らかになっていくだろう。こうした状況においては、ある世代のある遺伝子に生じたエピジェネティックな変化が、生殖細胞を介さずに事実上次の世代に伝わっていくような現象が起きる”(『日経サイエンス誌20123月号』より引用、本稿においてアンダーライン・赤字表示により強調)。

 脳細胞の中のエピジェネティックな変化の状況は精神疾患のみならず、そのほかのことについても起きるのではないだろうか?海外に移住した日本人たちの子孫は容貌や形質が日本人であっても思考や性格や行動はその土地の人たちと同じ様になっているようである。それは正しく「DNA塩基配列の変化を伴わない細胞分裂後も継承される遺伝子発現あるいは細胞表現型の変化」(『ウイキペディア』より引用)である。

 ここに私は次の通りエピジェネティクスの三つの側面に着目して思索を進めたいと思う。その一つは、女性が適齢期に子供を産める社会の実現の方策、その二つは子供を授かったが離婚した女性のその子供の養育が最も良く行われる社会の実現、その三つはエピジェネティクスの面から見た国家の特性と進化、である。


 私が最も関心があるので上記の三つ目のことについて一言触れる。国家は国民一人一人の集合体である。国民の意識は国家の意識となって顕れる。その国の伝統や文化はその国家の品格となって顕れる。個々の国民の資質や能力はその国家の資質や能力となって顕れる。為政者が対外的にどのように取り繕うと、その国の本質を覆い隠すことは出来ない。その国の有り様は、その国の民の個々のエピジェネティクスによる変化の集合である。己の欠点に気付かず、気づこうとせず、他を見下す国家は、その内包する矛盾のため進化が遅れ、崩壊の危機に見舞われる。謙虚で賢い国民が大多数を占める国家はますます進化してゆくことになるだろう。日本国は永遠にそういう国家であって欲しい!

2016年2月15日月曜日

20160215「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(8)――エピジェネティクス――


 “エピジェネティクス(英語: epigenetics)とは、一般的には「DNA塩基配列の変化を伴わない細胞分裂後も継承される遺伝子発現あるいは細胞表現型の変化を研究する学問領域」である”(『ウイキペディア』より引用)。

“遺伝子と環境の間。氏と育ちの隙間。そこにエピジェネティックスが作用する。そして環境からの情報を取り込むことで生じた一部のエピジェネティクスは、なんと次世代へと遺伝することが明らかになってきた”(『WIRED』より引用)らしい。

 私という個人は、私の先祖の遺伝子の一部を受け継ぎ、私の父母からそれぞれ半分ずつ、遺伝子を受け継ぎ、私の子孫には私と私の妻の遺伝子の一部がそれぞれ受け継がれてゆく。一方で私や妻の先祖のそれぞれの家庭環境やそれぞれの育てられ方も、エピジェネティックに私たちの子供たちに遺伝している。

 私や私の妻のDNA塩基配列やエピジェネティックな遺伝要素は私たちの子供たちの子孫にも一部が確実に伝えられるに違いない。そのとき私も私の妻も私たちが生きている間に見ることがないその子孫に生まれかわることになるかもしれない。

 仏教では「天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄」という六つの道への「転生」を説いている。それは仏教で説いている「因縁」という概念につながるものであろう。この世において悪い行いをした者は、あの世においてその報いに応じて生まれかわるに違いない。

 誰でも煩悩の身であれば数々の過ちをしてしまうことがあるだろう。その過ちの中には法律に触れることであったり、道義上許されないことであったりするものがある。それが公に明らかになったとき、公人や有名人であれば、そのことがマスコミの話題になる。


 やがて草木が枯れて朽ちて土に還ってゆくように、私もこの世を去ることになる。後世に生きる私の子孫のために、私は自分が経験し学んできたこと、身に着けてきた善いことが、確実に伝わるようにしなければならない。それが私の余生の大事な仕事である。

2016年1月30日土曜日

20160129「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(7) ―― 天皇・皇后両陛下のフィリピンご訪問 ――


 天皇・皇后両陛下は、太平洋戦争の激戦地であったフィリッピンに戦死・戦没者の慰霊の旅に行かれた。フィリッピンにおける日本軍とアメリカ軍との間の戦いで命を落とされた人の数は、フィリピン人約120万人・日本人約52万人・アメリカ人約17万人であった。両陛下はフィリピンの「無名戦士」の墓にお参りされ、ルソン島中部のカリラヤにある日本人戦没者を悼む「比島戦没者の碑」にお参りされ、それぞれの御霊を追悼・慰霊された。

 両陛下がカリラヤの「比島戦没者の碑」を訪れられとき、不思議なことに朝から降っていた雨は止み、日差しが現れるようになっていた。両陛下が「比島戦没者の碑」のある場所にご到着になられたちょうどその時、一陣の風が吹き木々が揺れていた。その風は数秒間吹いていただけであった。両陛下は日本から持って行かれた白い菊の花を供えられた。両陛下は碑の前で深々と頭を垂れられ、深々と礼拝された。私もその間テレビの前で合掌し、「南無阿弥陀仏」と小声で唱えた。

 両陛下は「比島戦没者の碑」にご参拝後、その碑の前に参列していたご遺族の方々の前に歩み寄り、一人一人にお声を掛けられ、ご遺族の方々との会話にかなり長い時間を割いておられた。約100名の参列者は非常に感激していた。

 私は何故テレビの前で「南無阿弥陀仏」と唱えたのか。その理由をここに書いておきたい。その前に幾つかの仏教の用語の意味を確認しておきたい。

「南無」はサンスクリット語のナマス(namas)およびナモー(namo)の音写で、「敬意・尊敬・崇敬」をあらわす感嘆詞である(Wikipedia』による)。「阿弥陀仏」は(Amitāyus)の音写で、「その説法は時間的には三世にわたって無限(無量寿)であり、空間的には十方にわたって無際限(無量光)であり、その誓願に従ってあらゆる衆生を救済するとされる(『仏教要語の基礎知識』(春秋社)による)」ものである。「三世」とは「過去・現在・未来、また前世・現世・来世(『広辞苑』による)」である。「誓願」とは「誓いを立てて神仏に祈願すること(『広辞苑』による)」である。

阿弥陀仏のお姿に向かって合掌し、阿弥陀仏に誓願して「ナムアミダブツ」と唱えることは「念仏」である。「念仏」とは「心に仏の姿や功徳を観じ、口に仏名を唱えること(『広辞苑』による)」である。そのようにすれば誰でも浄土に行くことができるとされる。「浄土」とは「五濁・悪道のない仏・菩薩の住する国(『広辞苑』による)」である。

これは、現世においても自分の周り・自分の家族など身近なところでは修羅も憎しみも恨みもない穏やかな平和な状態として現れる、と考えることができるであろう。もし、自分の現世が自分の身内の誰かの来世であるとし、自分の現世が自分がこの世を去った後、身内の誰かの新しい命として生まれかわるとすれば、「浄土」は阿弥陀仏・阿弥陀如来への信仰心次第であると言えるであろう。

両陛下は太平洋戦争で多くの命が失われた激戦地を回り慰霊の旅を続けておられる。私は、両陛下が日本国民を代表して国の別なく戦死・戦没者を慰霊して下さっていることは非常に大きな供養である、と思っている。釈尊は供養が足りないとその人の来世は良くないし、供養が十分であるとその人の来世は素晴らしいという趣旨のことを説いておられる(『新訳仏教聖典』六法輪閣版、386ページ、「増一阿含経」より)。

日本国民は天皇・皇后両陛下がそのような形で供養をして下さっているお蔭で、良い状況の中にあるのである。厩戸皇子・厩戸王(=後世の諡である聖徳太子)と聖武天皇の御事績により、仏教が日本に定着した。太平洋戦争に敗れて日本は大きなダメージを受けたが、仏教のお蔭で日本は平和と繁栄を享受している。私はそのように思っているので、両陛下がフィリッピンで慰霊碑の前で深く頭を垂れられたとき、私はそのご様子がテレビに映っているのを見て、テレビの前で合掌し、「ナムアミダブツ」と唱えたのである。

2016年1月7日木曜日

20160107「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(6) ―― ギリシャの古代円形劇場で能を舞う/「修羅」を語り継ぐ ――


 ABSの番組を録画しておいた『世界遺産で神話を舞う』を再生して視聴した。アテネの南西約65㎞のところに今から約2400年前のエピダウロス遺跡というものがあり、そこで古代の円形劇場が発掘され往時の姿のまま保存されている。その円形劇場でギリシャ人演出家マルマリノスと人間国宝・能楽師梅若玄祥とのコラボレーションにより、ギリシャ最古の大英雄叙事詩『オデュセイアー』第11書「冥府行ネキア」を新作の能として演じるまでの経緯と、その劇場で行われた能の様子がその番組で紹介されていた。ネキアを題材とする能の脚本を書いたのは笹井賢一であり、舞台監督はギリシャ人ヴァ・マニダギである。プロデューサーは日本側が西尾知子、ギリシャ側がヨレブスであった。

ギリシャ神話の叙事詩が能で演じられたが、装束も所作も舞台も音響も全く古来の能と変わらない。上演は夜9時から行われたが、文化大臣も含め殆どアテネからやって来た1万人以上の、ほとんどがギリシャ人である観客のために、左右両側のギリシャ語による字幕が表示されている。能が始まるとそれまでざわついていた会場は静まり返り、観客は息を凝らして舞台に見入っていた。

口上は「オリンポスの神々よ 見そなわせ 我らは東の果て 日の出る国 日の本の能の一座」であった。能の終盤にオデュッセウスが冥界にいるアイアースに「アイアスよ 我に敗れたこと 未だ許さぬか アイアスよ (アイアスからは返事が無く亡霊をかき分け死者の国を去る) 鎮魂の芸能者 語り舞え 命たぎらす修羅の戦いを 敗れ去りし者の修羅を 勝ちし者の修羅の道 我らは鎮魂の芸能者によりて 永久(とわ)に語り継がれるであろう」と語る場面がある。能は舞なのであるが、演劇的な見せ場になっている。これは演出家マルマリノスが最もこだわった部分であった。

120分間の舞台が終わると観客は総立ちで大拍手を送り、拍手がなかなか鳴りやまなかった。主演者梅若は能面を外し、観客に応えた。観客の中には感激のあまり、「鳥肌が立った」と言った人も居た。これはギリシャ人の心の深奥に日本人と同じ八百万の神々への信仰心があるからであろう。演出家マルマリノスは「日本に来ると、まるで過去にここで暮らしていたような感覚になる」と言っていた。そのとおりであろう。今を生きる人の意識が、過去に生きた人の意識と共鳴・共振する。意識(無意識を含む)は、時空を超越し広大無得に融通無碍に、自由自在に延伸するものである。私は蔵書の『オデュッセイアー』(呉 茂一 訳)を読もうと思う。

多神教の国々は平和である。ギリシャは5世紀ごろキリスト教により多神教の偶像崇拝が禁じられた。修羅は一神教の国々の間や儒教の国々で起きている。あらゆる物に神を見、仏教行事を行い、キリスト教の風習も広がっている国、わがニッポンはなんいうと幸せな国であろうか!その中心に天皇様がいらっしゃる。日本人の意識(無意識を含む)は、天皇様に収斂して、縄文時代・弥生時代・古墳時代に生きた人々と交流する。『古事記』がそれを媒介する。有難いことである。共産党は批判するが、国会の開会式において天皇様の御座が高いところあってもいいではないか!


天皇はヨーロッパや中東や東アジアにおけるような支配者としての‘王’ではないのだ。皇太子が天皇になるとき「天下る」のであり、天皇が崩御されたときは「かむあがる」のである。科学的には霊界から「天下り」、霊界に「かむあがる」ものではないのだが、神話に先祖がいるのは天皇であるのだから、国会での議場という‘舞台’の開会式という‘儀式’においては、天皇が座す椅子は高いところにあってもいい。共産党がそれを目くじらを立てて批判するのは大人げないことである。

2016年1月5日火曜日

20160105「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(5) ―― 義理と人情、理想主義と合理主義、朱子学と陽明学、原理主義と実用主義 ――


 上記副題は、それぞれ一部重なる部分もあるが対立する概念である。いずれも一方がその正当性を強く主張すれば、他方はそれに対して反発する。仏教で説く天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つの世界のうち、「修羅」の状況になる。「修羅」は争い・闘争の状態をいう。

 人は一切の我欲を無くすれば、「修羅」の状態で無くなるだろう。相対立する両者がそれぞれ我欲を全く無くした上で、お互いに中道・中庸を願うならば、争いは収まり、最終的に争いが無くなり、お互いに平安な状態になるだろう。一方に我欲がある場合、安易な妥協は後世に禍根を残す。これは真の中道・中庸ではない。

 ここにABが居てAは我欲がありBは我欲が無いとする。そのAが自覚できない、或いは自らは絶対知り得ない深層の心理(=無意識)にある我欲・怨念・妄信のためBを屈服させようとするならば、Bは自らの存続のためにAと戦わざるを得なくなるだろう。仏教が国民の間に根付いている国は一般的に平和な国である。これをBとする。「善」について独断的な観念をもっている国は一般的に国内的にも対外的にも「修羅」の状況にある国である。これをAとする。ABに対して心理戦・思想戦・サイバー戦・或いは武力挑発を仕掛けてきたときは、Bは自存・自衛のために武力を用いてAに対峙し、あらゆる手段を用いてAによる攻撃を防がなければならない。このとき仏教が国民の間に根付いている国であるBもやむを得ず「修羅」の状況に置かれる。

「煩悩」は人間のみならず人間の集団である国家にもある。これが平和を乱す原因である。平和を維持するために、仏教が国民の間に根付いている国Bは我欲・怨念・妄信の「修羅」の国Aに勝る強い力を保有していなければならない。安倍総理が掲げる「強い国・日本」を目指す諸政策の実行は、決して野党の政治家たちが非難している「暴走」ではない。安保関連法案は安倍総理が口酸っぱく何度も言っているように、日本国民を守るための法案である。

父が用明天皇の第二皇子であり、母が欽明天皇の皇女・穴穂部皇女である厩戸皇子(=聖徳太子)は仏教を厚く信仰し、日本国内に仏教を興隆させることに努めた。聖徳太子が推古天皇の御世に制定した『十七条憲法』は、日本の「和」の精神の真髄である。その後、聖武天皇の御世、日本では各地に国分寺・国分尼寺が置かれ、東大寺が建てられ、その東大寺には今でいう土木工学部も含めた総合大学とも言える教育機関が置かれて国中に仏教が広められ、人々の教育水準が高められた。

私は『十七条憲法』の中で特に、「一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ること無きを宗とせよ。(後略)」「十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。(後略)」などの条文が好きである。今から1410年ほど前に制定されたこのような憲法を持っている国は日本だけである。

日本を取り巻く東アジアの情勢は厳しいものがある。私は、日本は聖徳太子の時代・聖武天皇の時代に築かれた精神を大事にすることにより、東アジアの中で生き残ってゆくことができると確信している。日本は、自らは望まなくても、やむを得ず「修羅」の状況の中に置かれることもあり得るだろう。先の大戦で自らの命を投げ出して戦って死んで逝った先人たちの思いに、今を生きる日本人は意識を向ける必要がある。

『易経講座』(安岡正篤著、致知出版社)には次(“”で示す)のことが書かれている。この本には、物事を判断し実行に移す場合の知恵について書かれている。「無我無私」の重要性について説かれている。そして安易な妥協を戒めている。

 “(前略)・・単に歩み寄りなんていうものは居中であって折中ではない。易は中庸である。中庸は複雑な現実に処して勇敢に折中していくことである。・・(中略)・・安価な穏健中正等は一番くだらない誤魔化しである。・・(後略)”

 日本は安倍総理が掲げるように「積極的平和主義」を推し進めなければならない。日本は自らの領土・領海・領空・排他的水域を守り、平和と繁栄を維持するために必要な力を備え、これを常に高めてゆかなければならない。憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するだけでは、日本を守り抜くことは絶対出来ないのである。「平和!平和!」と叫ぶだけでは平和は保たれないのである。私は、一部の人々が安保関連法案を「戦争法案」と信じ込んでいるのは、人情・理想主義・朱子学・原理主義の表れとして理解できるが、日本を危うい状態に置きかねない心情であると思っている。

2015年12月31日木曜日

20151231「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(4) ―― 日本 国家として懸念を払拭するための精神文化 ――


 日本の仏教は、6世紀の半ば、欽明天皇(在位:西暦539571年)の御世、百済から伝えられた。その韓国では西暦1393年に李氏による王朝時代(期間:西暦13921910年)に入ると、儒教の一派である朱子学のみが統治・支配のため崇拝され、仏教が弾圧された。近代に入ってキリスト教(カトリック)も弾圧された。

 日本においても仏教は、過去に時の政権によって弾圧された歴史がある。但し、それは時の政権による国家運営に大きな障害となっていた過激な武装集団としての仏教集団に対するものであった。信長による延暦寺焼き討ち、秀吉による寺院の武装解除、江戸幕府による日蓮の教義を信じない日蓮宗の一派の不受不施派に対する厳しい弾圧、明治新政府による神道重視の政策の結果行われた全国規模の廃仏毀釈や虚無僧が在籍する普化宗を廃止などがそれである。日本においても朱子学が統治・支配のため必要な学問として、各藩の学校で教育されていたが、一方で実用主義的な学問である陽明学の教育も私塾で行われていた。

 韓国における仏教は、儒教を国家運営の中心に据えていたため仏教は弾圧されたが、日本では過激派や異端の仏教団体のみが弾圧されただけである。日本では聖徳太子や聖武天皇が日本国内における仏教の普及に大きな影響を与えた。日本では仏教が国家運営の中心に置かれ続けた。江戸時代に入ると一般市民は皆、檀家制度により寺門に組み込まれ、仏教の寺院は行政の一端を担うようになった。国家の運営に関わる仏教の扱われ方が、日本と韓国におけるそれぞれの国民性の相違に大きな影響を与えたことは確かである。

 このたび、いわゆる従軍慰安婦問題が完全に解決する方向に向かった。しかし、日本人の間ではこの問題が再び蒸し返されるかもしれない、という懸念を払拭することができないでいる。この問題が再び蒸し返されないようにするためには何が必要か?もし万一、この問題が蒸し返されたとき日本人はどういう態度で臨むべきか、日本人はしっかりした心構えを持っておく必要がある。

 後者について、心構えの一つは仏教の精神文化を維持・増強させることである。仏教では、「死後の世界に目を向ければ、人生はより豊かになる」ことを教えている(『人間(ひと)は死んでも、また生き続ける』大谷暢順著・幻冬舎)。

 死後の世界を現世の者は誰も経験していないので、それがあることを信じるほかない。しかし、死後の世界は現世の生き様次第であると信じ、憤怒・激情を抑えきれずに他人の尊厳を平気で傷つけるような人たちの死後は、必ず修羅・餓鬼以下の存在となることを信じて、現世を正しく生きるならば、その人は現世できっと幸せになれるだろう。

 国家は人々の集合体である。個々の人々のそれぞれの心の持ち方次第で、国家の品格が定まる。日本人は、昔に帰って孟子の教えや「知行合一」を説く陽明学の教えを学び、仏教の教えを学び、和服を愛して畳の上の生活を大事にし、礼儀作法を学び、茶道の一期一会の精神を学ぶなど、いわゆる「和」の精神文化の世界に日本人の精神を再発見する必要がある。

 そうすれば、日本の周辺の国々が日本に対してどのように振る舞おうと、何も気にすることはなくなるであろう。欧米・東南アジア・大洋州諸国・印度・中央アジア・モンゴルなどの国々は、そういう日本を大切に思い、陰に陽に日本を助けてくれるであろう。

 ただ、日本の周辺の国々が日本を親しく感じない原因が過去の日本にあることを、日本人は深く自覚し、その因縁を解消させるため最善の努力を未来においても継続してゆく必要がある。『反日・愛国の由来』(呉 善花 著、PHP新書)に「日本人を倭人と呼んで蔑視した朝鮮通信使」という項がある。そこには “・・(前略)・・(朝鮮通信使の)申維翰の主張は「豊臣秀吉が朝鮮を侵略したから日本人を蔑称してよい」というものだ・・(中略)・・韓国・北朝鮮人はいまでも、同国人どうしで日本人の悪口をいうときには「日本奴」「倭奴」「猪足」・・(中略)・・などの蔑称を用いることが珍しくない・・(中略)・・現代韓国・北朝鮮人もまた、「日本人はわが国を侵略したから」という理由で、日本人に対する侮辱的な言葉や行為を正当化している・・(後略)”とある。私もかつて韓国を旅行したとき、バスガイドの韓国人女性から「豊臣秀吉と伊藤博文は韓国で最も嫌われている」と聞いたことがある。韓国人の間で「自分たちの国が日本に侵略された」という怨念は、世代が変わっても遺伝や教育によって決して変わることはないであろう。

 日本人は上記のことを深く自覚しつつ、上述のように「和」の精神文化の世界に日本人の精神を再発見する必要があるのである。


2015年12月21日月曜日

20151221「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(3) ―― 「煩悩」と「輪廻転生」。それは国家でも同じである。 ――


 ここに、昭和36年(1961年)初版発行の『正信聖典』(浄土真宗 親鸞会)という小冊子がある。これは、昭和54年(1979年)に他界した父が所持していたものである。この本には上段に親鸞聖人が作った七言絶句の長詩『正信偈』、下段にその訓読が書かれている。今までこの小冊子のことをすっかり忘れていたが、『正信偈』を持ち帰った筈だと書棚を探していたらそれが見つかった。私は、このお経は大変素晴らしいお経であると思っている。

 僧侶はお経を上げ、葬儀や法要の参列者はただ手を合わせて黙って聞いていて、そのお経の意味は分からずに、その厳粛な雰囲気の中でただ有難がっている。その儀式が終われば、人々は再び煩悩に満ちた日常に戻る。

 「煩悩」とは広辞苑によれば、「衆生の心身を煩わし悩ませる一切の妄念。貧・瞋・慢・疑・見を根本とし、その種類は多い」とある。因みに「瞋」とは「いかる・いからす」「目をわくいっぱいに開く・かっと目をむく」ことである。『仏教要語の基礎知識』(水野弘元著、春秋社)によれば、「煩悩」には根本煩悩として六種または十種あり、“中でも貪欲・瞋恚・愚痴(貧・瞋・痴)の三つはもっとも基本であり、この中でも愚痴すなわち無明が最も根本とされる。”この「無明」とは“無知であって、四諦や縁起の道理を知らないこと”である。“四諦は人々の苦しみや悩みをいやすための原理を説いたもの”である。“縁起とは「種々の条件によって現象が起こる起こり方の原理」である。なお、「瞋恚」とは『学研 漢和大辞典』によれば「①自分の心に反するものを怒り怨む。②目をむいて怒る」ことである。

 私自身も「瞋恚」であり、なかなか改まらない、但し「怨む」ことは全くないのであるが、人々は如何に「貪欲・瞋恚・愚痴」の日常を送っていることか!これが時に言葉による暴力・切傷・殺人の基になっている。良寛は「欲無ければ一切足り、求むる有れば万事窮す」と詠っている(『意に可なり』)。欲が無ければ怒ることも少なくなるだろう。

 煩悩は遺伝・教育・内省によりその顕れ方が異なるであろう。私は、煩悩の顕れ方は遺伝によるものが一番大きいと思っている。人の性格は生まれつきのものであるから絶対変わらないが、人の行動は教育や内省により変わり、一見その人の性格は変わったように見える。しかし、何かの折に突然その人の地が顕れて周囲の人を驚かすことがある。

 人は生きている限り煩悩を捨て去ることは絶対にできない。しかし、家庭や学校や社会による教育と、その結果身につく自己内省に基づく努力により、煩悩の顕れ方が変わってくる筈である。

 『人間(ひと)は死んでもまた生き続ける』(大谷暢順著、幻冬舎)に、“仏教には「輪廻転生(りんねてんしょう)」という思想があります。・・(中略)・・この輪廻思想は、仏教が開かれる前からインド人のなかにしみ込んだ教えです。・・(中略)・・キリスト教の場合は、人生は一度きりで、死者は最後の審判の日に復活して神の裁きを受け、神の国に受け入れられるか、地獄に落ちるかのどちらかとされています。イスラム教もほぼ同じで、ユダヤ教のほとんどの宗派は、死者は土にかえると考えられているそうです”とある。

 輪廻転生の思想では、人は死んだら地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の何れかの世界に生まれ変わるとされている。この思想では、「前世→現世→来世」の繰り返しは死後も続くものであり、今生きている人は前世の宿業を負って現世を生きているとされている。現世で畜生と同じような生き方をした者は、死後、畜生に生まれ変わることになっている。

人間は死んだら何かに生まれ変わるが、この生まれ変わりは「意識(または自分自身では気付くことが出来ない意識(=無意識)」の継承と前世・現世の意識・無意識の共鳴・共振である、と私は考えている。意識・無意識は時空を超越し、広大無辺に自由自在・融通無碍である。これは霊魂でもあるが、意識・無意識は人間だけが持っているものである。

私は、意識・無意識について前世・現世間の共鳴・共振があるゆえに、畜生以下に堕ちた人も現世の人との間で意識・無意識と共鳴・共振して上位に引き上げられることもあり得ると考えるものである。大本山永平寺が出している『修證義』には「設(たとい)天上人間地獄鬼畜なりと雖(いえど)も、感應(かんのう)道交(どうこう)すれば・・(中略)・・帰依(きえ)し奉(たてまつ)るが如(ごと)きは生生世世處處に増長し、必ず積功累徳し」とある。

 ところで、私は人間の集団である国家も意識・無意識を持っており、それは政府が変わるたびに生まれ変わるものであり、国家にも煩悩と輪廻転生があると考えている。国家としての煩悩ゆえに国家は他の国家を見下したり、他の国家に対して攻撃的になったり、利害を調整して協調的になったりする。


 日本人(但し、日本では人が死んだ場合、仏式の葬儀を営む人が圧倒的に多いと思われるので、集合的に「日本人」と言う。)は古来、輪廻転生の思想をもって後世へと命を繋いできた。日本人は「貪欲・瞋恚・愚痴」の三つの最も基本の煩悩を遠ざけつつ、これまで歩みを進めてきた。日本は明治維新・大東亜戦争の終結・政権の交代のたびに大変化或は小変化で生まれ変わったが、私は、日本人が聖徳太子や聖武天皇について正しい教育を受け、日本が神武天皇以来の皇統を守り続けるかぎり、日本は生まれ変わるたびに「天上界の上位」に上って行くことだろうと固く信じている。

2015年12月18日金曜日

20151218「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(2)   ―― 母の命日 ――


 1218日は、私の生母の命日である。母は昭和21年(西暦1946年)のこの日、享年33歳でこの世を去った。母は大正3年(1914年)110日生まれであったから、享年は殆ど満年齢に近かった。死因は乳がんであった。

 叔父が二度目の出征前の昭和18年(1943年)に実家で祝言を挙げたときの集合写真がある。その叔父の長兄である私の父は当時朝鮮で国民学校(小学校)の訓導(教師)をしていて、青年訓訓練所の指導員もしていた。父は母と私たち兄弟及び乳飲み子だった妹の3人の子供を連れて一時帰郷し、その祝言に参加していた。祝言には近所の方々が手伝いにきてくれていて、仏間とそれに続く座敷で行われた。当時はそのような儀式があるときの会食には一人一人のお膳があり、その料理を作ることやお膳を並べることなどを近所の方々が手伝っていた。

 それから2年後日本は戦争に敗れ、母と私たち子供3人は終戦直後朝鮮から引き揚げてきた。当時国民学校長や青年特別訓練所所長・女子青年錬成所長などをしていた父は朝鮮に残留し、9月末に帆船で引き揚げ、博多に上陸した。そのとき既に母の乳房にはがんが出来ていた。母の乳房には小さいおできのようなものが出来ていた。母は別府の病院で片房ずつ両方の乳房を切除する手術を受けたが既に手遅れで、翌年のこの日(1218日)にこの世を去った。その時私は9歳、弟は7歳、妹は3歳であった。

 母は入院中見舞いに訪れた私と弟にマグロの刺身のお茶漬けを作って与えてくれた。米は入手困難であったに違いないが白米のご飯であった。その米は祖母が父に託したものであった。父は当時38歳であった。私たち兄弟は父に連れられて一面焼け野原になっていた大分市街地を路面電車に乗って別府に向かった。焼け野原は戦時中米軍による無差別爆撃によるものである。当時55歳であった祖母も米軍機による機銃掃射を逃れて橋の下に避難したことがあった、という話を私は祖母から聞いている。

 人はこの世に生を享け、いずれは草木が枯れるように枯れて朽ちてゆく。草木は若い芽を出していずれ土に還るがその期間は一定でないように、人の一生も同様である。戦斗や戦火により短い生涯を終えた人も、生きながらえて天寿を全うした人も同様である。しかし、人は特異な死に方をした人のことを生涯思い続けるものである。人は志をもって短い生涯を駆け抜けた人のことを特別な思いで想うものである。私の母にも志があった。母は死の直前私に死に際の有り様がどうあるべきか示してくれた。侍の子孫であった母は私たちにがんの苦痛のことを全く示さなかった。そのことが私の精神的支柱を形成している。

 病院から見放され私の祖父母の家で死の床についていた母の背中には一面に多数のこぶが出来ていた。母は私に「起こしておくれ」と言い、私が母を床から起こしてあげると「背中をさすっておくれ」と言っていた。しかしこの日(19461218日)には「背中をさすっておくれ」とは言わず、「東を向けておくれ」と言い、「御仏壇からお線香を取ってきておくれ」と言い、私がそのようにしてあげたら、今度は「お父さんを呼んで来ておくれ」と言った。私は裏山で地面に落ちている枯れ松葉をかき集めに行っていた父を呼びに行った。父と共に戻って来たときには母は布団の上に寝かされていて、既に死んでいた。

 先祖が同じである新宅のH叔父さんは私たち小さい子供3人に「真剣にお経を上げるとお母さんに会えるよ」と言っていた。私たちは「帰命無量寿如来」で始まる七言絶句の長詩を暗唱するほど、毎日仏壇の前で熱心にお経を上げていた。

 私は前世・現世・来世にわたる因果応報を確信している。これまでの人生を振り返ると、「あの時は亡き母が守ってくれたに違いない」と思うような危険なことも何度かあった。私は、今享受している幸せは母や先祖の導きによるものであると思っていつも感謝している。

 私は、「人は死んでもその意識は無くなることはない。今生きている自分が意識をその死んだ人に向けるとき、過去に生きた人の意識は今生きている自分の意識と共鳴・共振する。意識には自分自身が気づかない深層の無意識もある。やがて自分もこの世を去るが、私の意識は後の世に生きる人の意識と触れ合うに違いない」と固く信じている。

 私は、「阿弥陀(Amitāyus無量寿・Amitābha無量光)」(『仏教要語の基礎知識』水野弘元著、春秋社より引用)は、宇宙そのものであると考えている。現代の科学では宇宙は無数に存在しているとされている。その宇宙は一点から光を発し、無数の星々や無数の星雲が生まれ、その星雲の中の太陽系の惑星の一つであるこの地球上に私は生きている。私は、宇宙は一つの「生命体」のようなものであると考えている。

私は、親鸞は釈尊が説かれた真理を紐解き、仏に帰依する方法の一つとして「阿弥陀仏が人々に救いの手を差し伸べて下さっているので、ひたすら阿弥陀仏を信じ、阿弥陀仏にすがりなさい」と教えられたのだと思っている。


私は、人は阿弥陀に全幅の信頼を置けば、人生における「苦」は無くなると思っている。今、母の命日に当り、報身仏である「阿弥陀如来」すなわち「阿弥陀仏」を信じ、手元に阿弥陀仏の画像が無くても心の中でその画像を思い描き、「南無阿弥陀仏」と何度も唱えれば、私の心は自ずと平安になる。真に有難いことである。

2015年12月5日土曜日

20151205「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(1)


 この二ヵ月半ばかりの期間、非常に多忙であった。7月に96歳の誕生日を超えた母は、9月末、体調に変化が生じ、一週間後他界した。その母は私が13歳のとき父の後妻としてわが家に嫁いできた。その翌年、父母は生後5か月の乳飲み子を連れて実家を去り、山奥の村の小学校の助教諭として赴任した。父は3年後正規の教諭に復帰することができたが、それまでは助教諭の身分で、自分よりずっと後輩の校長の下、親子三人で懸命に生きた。私は今から何十年か前、その母から自分の半生を綴った手紙を貰っていた。それには母の苦労話が書かれていた。

母は60歳の時、30年間連れ添った夫、つまり私の父が他界した。それ以降、母は一人暮らしをしながら家を守っていた。母は84歳の時大腸がんに罹ったが、その時は手術でその腫瘍を取り除いた。その一年後大腸がんが再発したが、そのときは抗がん剤の投与により完治した。しかしその後母は微熱を出すことが多くなり、認知症の症状も出始め年月を経るにつれその症状は進行した。84歳になって大病を患って以降、母は訪問介護・デイサービス・ショートステイなどのサービスを受けていたが、94歳のとき地域密着型の特別養護老人施設に入居した。母は他界する4か月前、携帯トイレ使用時に大腿骨脛部を骨折して4週間ほど入院していた。退院後、母は施設内で車いすを利用する生活になった。

私たちは毎夜8時半過ぎに施設に入居中の母に電話をかけていた。電話口で母は「皆とおしゃべりしていて今(自分の部屋に)戻ったところ。よく歩けるし、よく食べれるし、毎日楽しくて仕様がない。皆元気かえ?」と言うのが口癖であった。施設からの電話で母が「微熱を出した」と連絡を受けて、私はその施設に依頼して、母が父の他界後その施設に入居する前までの間ずっとお世話になっていたK病院に母を入院させた。K病院は母が父他界後35年間ほど独り暮らしをしていた家の近くにある。私たちはその家から毎日K病院に通い母を見舞い、母と会話を交わしていたが、母が急変したのは死亡する前日のことであった。その時母は「入れ歯をしたい」とか「トイレに行きたい」などとぐずっていた。それが最後であった。

その母が死んで仮通夜・本通夜・告別式が終わり、その後「中陰」という七日ごとの法要を檀家になっている寺の住職(「ご院家さん」と呼ぶ)に自宅に来て頂いて行い、七七日(「満中陰」、一般に「四十九日」と呼ばれる)の法要が終わって一先ず忌明となった。その法要の後、近くのホテルで法要に参列した家族・親族・ご近所の方々がご院家さんを囲んで会食し、会食が終わった後に予め用意してあった菓子包みを参列者全員に配り、「香典返し」や弔電へのお礼など済ませてようやく一連の行事が終わった。

都会では主に家族だけで行う仮通夜をしないし、初七日は告別式の直後に行い、その後も七日ごとの法要はしない。しかし私はそれは間違った習慣であると思っている。葬儀・法要を「儀式」の側面のみをとらえて考えるのか、仏教の深い教えに触れることができる機会であると考えるのか、その違いによって人々の意見が分かれる。いわゆる「葬式仏教」という悪い文化を生み出したのは、僧籍にある人たちの堕落と、人々の間違った観念・習慣によるものである。貧しければ貧しいなりにも法要はきちんと行われるべきである。

仏教は古代インドで起こり、中国・朝鮮を経て日本に伝わり、日本で興隆した。報身仏である阿弥陀仏にひたすら帰依し、自らの精神を高めて行く「他力本願」の信仰は戦前までの日本人の精神を形作っていた。一方、厳しい修業により仏の法に近づこうとする「自力本願」の信仰も日本人の精神要素の一部になっている。その他現世ご利益にすがろうとする信仰も根強いものがある。


親鸞も日蓮もそれぞれ釈尊(お釈迦さま)の教えを紐解いて人々に伝えているものであって、決して親鸞や日蓮がそれぞれ自ら新たな宗教を生み出したわけではない。私にとって、親鸞の教えは最高である。私は阿弥陀仏にすべてを預けていて、非常に心やすらかである。お蔭様で私は「これが神通力なのだ」と思うようなことを毎日のように経験している。それは観方によっては「たまたま起きた偶然のこと」かもしれないが、私はそれを「起きるべくして起きた必然のこと」と受け止めている。私は生老病死他「愛別離苦」「求不得苦」などの四苦八苦をそのまま受け入れるつもりである。たとえ自分に、或いは自分の身近な人に、思いもよらぬことが起きたとしても、私はそれを従容として受け入れる心がけでいる。