2016年4月21日木曜日

20160421「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(21)―― 「この世」も「あの世」も「浄土」 ――


 「浄土」とは「五濁(ごじょく)・悪道のない仏・菩薩の住する国」、「五濁」とは「この世が堕落するときに起きる五つの悪い現象」、「菩薩」とは「さとりを求めて修業する人」(いずれも『広辞苑』より引用)である。

五つの悪い現象として『広辞苑』には、①劫濁(飢餓・悪疫・戦争などの災害)、②衆生濁(人々が悪事をはたらくこと)、③煩悩濁(愛欲が盛んで争いが多いこと)、④見濁(正しい教えが衰え不正が栄えること)、⑤命濁(寿命が短いこと)の五つが書かれている。

浄土宗・浄土真宗では、菩薩にならなくても報身仏である阿弥陀如来が人々に救いの手を差し延べて下さっているのであるから、さとりを求めて修業しなくても、即ち「菩薩」になろうと難行苦行をしなくても、阿弥陀如来を信じるならば「この世」が即ち「浄土」であり、阿弥陀如来を信じ切っている人が「あの世」に生まれかわれば、その生まれ変わり先もまた「浄土」であると教えている。

このたびの熊本大地震で被災し、各地の避難所などで生活している約10万人の被災者や、被災者の支援活動を行っている人々や、土砂に埋もれた人々を救出する作業を行っている様子がテレビに映し出されている。人々は困難に耐えながら助け合い、譲り合って頑張っている。そこには飢餓・悪疫・悪事・争い・不正はない。阿弥陀如来を信じる者から見れば、そこは正に「浄土」である。

 一方で、この大地震を一つの機会と捉え、原子力発電所の廃止を求めて盛んに運動を展開しているグループがいる。ある元教師は高校生たちのメールアドレスを入手して安全保障関連法案を「戦争法案」と呼び、これに反対するように呼び掛けるメールを送りつけて問題となった。あるテレビにレギュラー出演しているあるジャーナリストは、「政府を信用できない」と言った。

 日ごろ権力に強く反発している人たちは、将来、自分たちが権力者の側に立ったときは、最も権力的になる人たちであろう。何故なら、その人たちは現実を無視している理想主義者であるからである。もし仮に、権力側に立つことができた場合の彼らは、自分たちが理想とすることを実現する妨げになる者を徹底的に排除するため、血の暴力も辞さないだろう。

 「浄土」は、日ごろ「中庸」を大事に思い、柔和な心を持っている人だけが感じることができる所である。阿弥陀如来を心から信じ、悪事や争いをせず、正しいことをする人は現世も来世も浄土で暮らし、神通力を自覚することが出来るに違いない。ただし、それはその人だけにしか分らないことであろう。

 日本人は願い事の成就を神社で祈願し、結婚式をキリスト教会で行い、葬式を仏教で行い、お正月には神社や仏寺院に詣でる。仏事といい、神事といい、仏教と神道は日本人の日々の暮らしの中に深く根付いている。反権力者の多くも、多分同様であろう。

 しかし、科学的社会主義と言い、天皇も仏像も宗教も否定する独善的な思想家の集団は、既存の秩序をすべて破壊した上で自分たちが理想とする社会を建設したいと願望している。そのような思想の持主に扇動され、反基地・反原発運動などの反権力運動に与する人々は、自分たちが結局「五濁」「悪道」に満ちた社会に住むことになるかもしれないことを考えるべきである。


2016年4月18日月曜日

20160418「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(20)―― 原子力発電所反対運動に思う ――


 人は煩悩・無知のゆえに、権力に対して反発心を持つ。私もその例外ではない。ただ、私は、マスコミやいわゆる「有識者」を利用して、権力に対する反発心を隠しながら、表向きもっともな理由を挙げて、権力側が推進する事業に反対するような連中には与しない。

 熊本地方や別府地方で起きた大地震の原因が活断層のずれにあることを心配して、「媛県西宇和郡伊方町にある四国電力の原子力発電所は危険である」と主張する人たちがいる。

 私も日本の国土はその生い立ちから見ても活断層が国土のいたるところに存在しているので、日本は原子力発電所を持たない方が安心だとは思う。原子力発電所に反対する人々の殆どはそのような漠然とした不安感に駆り立てられて反対運動をしているのであろう。

 自由民主党は、将来原子力発電所を無くする方向で、再生可能エネルギーの開発と展開に力を入れる意向である。自由民主党は「自助」「公助」「共助」のそれぞれに最も適切なウエイトを置いて、最も現実的な選択により資源を配分しようと考えている。

 一方の野党は「公助」に最もウエイトをおいて、「弱者」に有利になるように資源配分をしようと考えている。「自助」「共助」は二の次である。共産党は彼らの理想の実現のためには、機会あれば暴力的な革命も辞さないことを視野に入れていると思われる。もし共産党が政権を取ったならば、自衛隊は共産党の理想を達成する目的のため改造されるだろう。更に「天皇は廃止」されるだろう。そこには「自助」も「公助」も「共助」もない。

 理想主義者は「現実」よりも「理想」に目を向ける。現実主義者は「理想」よりも「現実」に目を向ける。両方とも正しくない。最も正しいことは「中庸」にある。理想主義者も現実主義者も、それぞれ自分の欲求を満たすことにエネルギーを費やす。両者は「自己実現」のため自分のエネルギーを注ぐので快感があるのであろう。然り、「煩悩を満たすことは快感を伴う」ものである。

 反権力的に声高に「原子力発電所に反対」と叫ぶ前に、自分たちが「不便な暮らしをしても良いから電力の消費量を減らす」、と公に「宣言」し、「誓約」するならば、彼らの主張は理解されるであろう。「良いこと取り」をしながら反対を叫ぶのは間違っていないか?

 私も含め、皆、煩悩・無知の輩であるから、お互いそれぞれ「最も正しいこと」は理解できない。それが人間である。マスメディアは一方に偏した報道をするのではなく、両者が互いに理解し合えるような「議論の場」を提供することにエネルギーを注ぐべきである。



2016年4月17日日曜日

20160417「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(19)―― 活断層に沿った大地震の発生 ――


 太古の昔、巨大地震により生じた地底の活断層に沿って、このたび熊本の益城町と別府の由布にマグニチュード7を超える大地震が発生した。この活断層の下には南北方向に引っ張られる大地溝帯があるそうである。そこでは今後も大地震が続く可能性がある。

 九州は元々火山の島で、阿蘇盆地、日田盆地、玖珠盆地、由布盆地等は、太古の昔起きた大火山の爆発の後にできたカルデラ湖の跡である。カルデラ湖の淵が決壊し、湖水が下方に流れ出た後に川が流れている。阿蘇山や櫻島は現在も噴煙を上げているし、他に突然爆発して災害をもたらす活火山が沢山ある。それゆえ九州には風光明媚な景勝地が多い。

 普段何一つ不自由のない豊かな暮らしをしていても、今回のように活断層に沿った直下型大地震が起きると、突然不自由を強いられる。各自治体が発する避難勧告に沿って避難所に集まっても、炊き出しのおにぎりの配給を受けるため一時間以上も並んで待たなければならないような事態が起きる。

 全国の自衛隊・警察・消防・海上保安庁・日本赤十字社などの組織から緊急支援の部隊が直ちに現地に派遣され、活動が行われている。東京に近い宇都宮の陸上自衛隊の部隊からも災害派遣部隊が現地に向けて出発した。その部隊の車両のドライバーの中には女性隊員もいる。女性の隊員と言えば、輸送機のパイロットや護衛艦の艦長や海上保安庁の船長として活躍している人もいる。

 テレビを見ていると気象状況の説明を行っている人は、各家庭の災害対策や緊急避難のことについても、不特定多数の視聴者に向けて事細かく注意を促している。避難所で取材を受けた人々の顔を見ていると皆何処かに縄文人の特徴を現している。日本人は皆兄弟姉妹である。戦後日本人になった人たちも、数世紀もしないうちに皆混血・同化してしまう。

 ユーラシア大陸の何処かで、ヨーロッパ人・パプアニューギニア人の先祖と分れた人々、即ち縄文人がこの日本列島だけに住みついた。その後、縄文人はシナ(中国)大陸の呉・越地方に住んでいた人々と混血した。我々日本人はそういう種族である。日本人は天皇を宗家とする兄弟姉妹のような者であるから、大災害が起きたとき皆互いに譲り合い、助け合う。其処には1000年以上の歴史の中で培われた仏教の精神風土が見受けられる。

 官僚・自治体職員・自衛官・警察官・消防官・海上保安官・税関職員・政治家などは公に奉仕することが義務付けられているので、今様の‘武士’である。政治家で職務上公務員の立場にある人も今様の‘武士’である。医師・看護師・薬剤師・教師など公に奉仕する立場にある人々も‘武士身分’に相当する。地震・津波・土砂災害などが起きたとき、今様の‘武士’たちや‘武士身分’に相当する人たちは、人々の安心・安全を確保するため全力で奉仕する。かくして日本人はこの日本列島で、皆家族のようにして、繁栄を続けることができるのである。



2016年4月13日水曜日

20160413「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(18)―― 何故日本人は他の国の人たちと違っているのか? ――


 下の画像はNHKのEテレの番組『サイエンスZERO』の画面を撮ったものである。
 20万年前にアフリカで誕生し、アフリカから出て6万年前にユーラシア大陸に到達した人類の集団のうち、北に向かった人たちはヨーロッパ人の祖先になり、東に向かった人たちは縄文人の祖先になったのであろう。縄文人の祖先になった人々から、後に分かれた人々の一部は東アジア人や東南アジア人の祖先になったのであろう。(下図参照)

 縄文人はアフリカ人やヨーロッパ人と同じような身体的特徴をもっていた。それは、①縮れ髪、②湿った耳垢、③二重瞼、④彫りの深い顔かたち、⑤ウインクができること、⑥お酒を飲んでも顔が赤くならないこと、などである。

 縄文人は日本列島に辿りつき、其処で住みついた。核DNAから1万個の遺伝子を取り出し調べた結果では、日本人の遺伝子には縄文人の遺伝子が20%ほど含まれていることが分ったそうである。日本で何世代も続いてきた日本人の体の何処かに、縄文人の特徴となるものが20%必ず含まれているのである。1万個の遺伝子の比較では、日本人は東アジア人や東南アジア人とはかけ離れた特徴があることが分ったそうである。(下図参照)

 縄文人の遺伝子が20%しかないのは、縄文人の数が渡来系弥生人の数よりも少なかったためではなく、両者の食料源の差や生存率の差によるものであったと推測される。長江中流域からやってきた渡来系弥生人は稲作(ジャポニカ種)・漁労の技術をもっていた。彼らの男性たちは縄文人の女性たちを魅力的に感じた筈である。現在でも縄文系と思われる女性たちは美人である。逆に縄文人の男性は渡来系弥生人の女性に魅力を感じたかもしれない。

  長江中流域で黄河流域よりも1000年古い文明を持っていた稲作・漁労の民は、北方からやって来た畑作・狩猟の民に圧迫され、一部は雲南省に逃れ其処で滇王国を築き、一部は長江河口から海を渡り、山東半島から朝鮮半島南部を経て北九州に渡り、一部は直接、沖縄・九州南部に渡って来た。滇王国の遺跡からは日本の古代遺跡から発掘されたものと似たものが出土している(羽飾りを付けた人びとが乗ってオールを漕いでいる舟が描かれている)。

 仏教はインドで起こり、シナ(中国)に伝わり、朝鮮に伝わり、日本にも伝わった。しかし仏教はインド・シナ(中国)・朝鮮では圧迫を受けて廃れてしまったが、日本では興隆し、今日に至っている。何故だろうか?

 日本と東アジア諸国との関係は千年の昔から良好ではなく、現在でも緊張関係にあり、千年の後もその緊張関係は続くであろうと思われる。何故だろうか?

 その一方で、日本は欧米諸国と一時期戦争をしたが、その戦争をする前も戦争後も、欧米諸国とは価値観を共有することができている。日本人はヨーロッパ系の人びと・アフリカ系の人びと・東南アジア系の人びと・インド系の人びと等と気が合う。何故だろうか?


 そのことについてはいろいろな学説があるであろうが、私は根源的には遺伝子の特徴の差異があるためではないかと考える。日本人の遺伝子の80%は東アジア人の遺伝子と同じであり、日本人は混血雑種である。この混血の範囲は近年世界中に広まってきている。日本人は2000年以上も続いている男系皇統の天皇を戴いていて、同一の言語・文化を持つ単一民族である。日本人は「和」を大切にし、戦前の国際連盟の場で世界に先駆けて人種差別の撤廃を訴え、世界の国々と共存共栄に力を注いできている。戦前、日本はドイツと同盟関係にあったが、迫害を受けていたユダヤ人たちを救ったのも日本人であった。これらのことは日本人の遺伝子の多様性によるものではないだろうか?





 注:渡来系弥生人については、現在の中国のタイ族(雲南省)・ベトナムのキン族・中国の漢民族(南方)・中国の漢民族(北京)を、渡来系弥生人と同じ人種であると仮定している。



     


2016年4月12日火曜日

20160412「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(17)―― 沖縄の基地問題 


 先ず、副標題について「iRONNA」から“”で引用しつつコメントする。
 “翁長雄志沖縄県知事は、921日午後5時すぎ(日本時間922日午前0時すぎ)、ついにジュネーブで開催されている国連人権理事会において演説を行った。
翁長知事の主張を更に要約すると次の3点になる。
(1)沖縄県民は日米両政府から米軍基地を押し付けられて差別を受けている
(2)その差別は(日本の先住民族である)沖縄県民の自決権(自己決定権)を侵害している
(3)日本政府は沖縄に対しては民主主義も人権も平等も与えていない”

この要約のかっこ( )内の「日本の先住民族である」という言葉は、翁長知事国連人権理事会演の全文の中には、一言もない。これは、「iRONNA」筆者が下記のことを念頭に、強調したものであろう。

2008年時点には既に国連は沖縄県民を日本人ではなく日本の先住民だと認識し、日本政府に勧告を出していたということである。20081030日の自由権規約委員会 94回会期では、次のように日本政府に公式見解を提出した。
 32.委員会は、締約国が正式にアイヌの人々及び琉球・沖縄の人々を特別な権利と保護を付与される先住民族と公式に認めていないことに懸念を持って留意する。(27)

 国際社会においては、日本国内に「先住民族」問題があると認識されているようである。しかしこれは間違っている。日本には「先住民族」問題はない。南北アメリカ大陸の原住民は、その大陸に後から渡って来て彼らを武力で征服したヨーロッパ人とは明らかに違う人種である。それもアフリカから旅立った人類がヨーロッパ人よりも早い段階に分岐し、アメリカ大陸まで移動していった人々の子孫である。そこでは明らかに「先住民族」問題はある。「日本の先住民族」問題は、日本を貶めたい勢力の陰謀により惹起されていることである。

 アイヌの人々及び琉球・沖縄の人々の先祖は我々日本人に共通の縄文人である。縄文人は東アジア人よりも早い段階で、北アジアの何処かで分岐し、日本列島に渡って来た。彼らは日本列島だけにしか存在していない。福島県の三貫地貝塚で収集された、今から3000年前の縄文遺跡から採集された100体以上の縄文人の人骨の中で、核DNAを採集しやすいと見込まれた男女成人各一体の奥歯の歯根から核DNAの塩基配列が明らかにされた。その結果、日本人は東アジ人ア・東南アジ人とは全くかけ離れていることが明らかになった。

 ミトコンドリアDNAのハプログループで見るとアイヌの人々及び琉球・沖縄の人々の先祖は共通であることがわかっている。アメリカ大陸のインディアンやインディオと同じような感覚で、アイヌの人々及び琉球・沖縄の人々の先祖を「先住民」とするのは正しくない。

 問題は文化的なものである。九州以南の諸島には推古天皇のころから朝廷に服属するように働きかけがあり、天皇から位階が授けられている。元明天皇の御世、西暦715年の旧暦125日には、朝廷の役人(少初位下・太朝臣遠建治ら)が奄美・石垣・久米などの島民52人を率いて南島から帰っている。これらの史実は日本の歴史書『続日本紀』に書かれている。

沖縄の人々の先祖は薩摩藩による支配の下、琉球王国としてシナ(清王朝)に朝貢していた。これは徳川幕府により容認されているものであった。明治政府になって廃藩置県政策により琉球王国は琉球藩となり、沖縄県となった。

これらの事実から、沖縄の人々の先祖は「国連自由権規約人権委員会」が決めつけているような「先住民族」では絶対ない。この問題の根底には、沖縄の人々がアメリカ軍の基地問題について本土の人びと以上に過重な負担を一方的に強いられている、という不満があることにある。本土の人びとは、沖縄の人々の気持ちの10分の1も共有していないであろう。沖縄の人びとは、日本の安全と平和と繁栄のため、自分たちだけが過重な負担を強いられていると感じている。本土の人たちは沖縄の歴史をよく知らない。このような文化的な背景が沖縄の基地問題を複雑にしているのである。

日本の左翼の人びとは、このような考古学的・遺伝学的・歴史的真実に目を背け、自分たちの自己満足・利益だけのため日本の国益を損なう活動に情熱を燃やしている。日本の政府も、もっと積極的に国民への啓発活動を行うべきである。特に、本土に住む人々に、沖縄の人々の気持ちを確かに共有できるような啓発活動が必要である。本土の人びとが、「沖縄の基地負担の軽減のため、沖縄にはわれわれの血税から莫大な資金が投入されている。沖縄の人びとにはそれで我慢してもらいたい」というのでは、あまりにも身勝手すぎる。

日本政府は国連においてもさらに積極的に、「日本に先住民問題がある」という誤解を解くように努力すべきである。そのためには、政府内に特別な組織を立ち上げて、そのようなことを含む、日本に対する思想戦・宣伝戦に圧倒的に勝つようにすべきである。

仏教では「因縁」が説かれている。「因縁」の根底には無知から生じる「煩悩」がある。沖縄の人びとの煩悩を増幅しているのは本土の人びとの煩悩である。お互い仏教の「知恵」を出し合って、基地問題に関わる煩悩を無くすようにできないものだろうか?



2016年4月4日月曜日

20160404「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(16)―― 日本人のルーツ ――


 NHKのEテレ番組の「サイエンスZERO」で、「縄文人の核DNAから日本人のルーツに迫る」という題の放送があった。福島県の三貫地貝塚で、今から3000年前の縄文遺跡から100体以上の縄文人の人骨が収集された。その中で核DNAを採集しやすいと見込まれた男女成人各一体の奥歯の歯根から核DNAの塩基配列が明らかにされた。この地道な作業には、斎藤成也教授・諏訪元教授・神澤秀明研究員らが直接関わっている。

 その番組で篠田謙一国立科学博物館人類研究部長は、「核DNAで比較すると、日本人は東アジ人ア・東南アジ人とは全くかけ離れている。日本人は縄文人と渡来系弥生人の混血である。その日本人の遺伝子の20%は縄文人のものである。縄文人は東アジア人・東南アジア人より早い時期にアジアの何処かで分岐し、日本列島に渡って来たと考えられる。核DNAで比較すると縄文人は日本人ともかけ離れている」といった趣旨のことを語っていた。

 容貌は東アジア人に似ていても目は二重瞼である人、耳垢は乾いているがウインクができる人、容貌は東アジア人に似ているが顔にシミがある人などというように、我々日本人は混血雑種である。この番組でも話されていたが、日本人の多様性は、日本人が多くの人種の混血であるからそのようになっているのである。

 その番組でポーラ化成工業の本川智紀博士は、DNAの第16番染色体のMC1Rと呼ばれる塩基配列にシミの原因となる塩基の違いを発見したことが紹介されていた。彼は「日本人の多くはその塩基配列の一か所がAであるが、そこがGである人の顔にはシミがある。しかも縄文人のDNAではその部分がGである。この事実から日本人の一部の人の顔のシミは縄文人由来のものである」といった趣旨のことを語った。

 その番組で、縄文人を特徴づけるものは「①シミ、②湿った耳垢、③くせ毛、④二重瞼、⑤ウインクができること」であるということが示されていた。日本人の形質・性格・知能・気質などを発現する遺伝子の何処かに縄文人の遺伝子がある。それは全体の20%である。80%は渡来系弥生人によるものである。戦後日本に帰化した元在日の人も、欧米・ブラジル・ペルー・アフリカ・東南アジアなどの地域から日本にやってきて日本人になった人たちも、今後数百年もしない間に混血が進み、元々混血雑種である日本人の中に溶け込んでしまうことだろう。

なお、渡来系弥生人の要素の割合が多いのは、元々人数の割合がそうであったからではないと考えられる。渡来系弥生人は5000数百年前ごろ起きた気候変動により、北方から南下してきた狩猟・畑作文化を持つ人々に圧迫され、山東半島・朝鮮半島南部経由で北九州に、或いは舟で直接、沖縄・鹿児島に渡って来たが、彼らは長江中流域で稲作(ジャポニカ種)・漁労文化を持っていた。その稲作・漁労文化による食料の確保が、縄文人の狩猟・採集文化によるものよりも優れていたので、渡来系弥生人の種が増えることに寄与したと考えられる。(※これは安田喜憲著『古代日本のルーツ 長江文明の謎』青春出版社を参考にして私見を記述したものである。)

 インドや東アジアで廃れた仏教がこの日本で花開き、日本人の精神要素の一つになった理由は、日本人が混血雑種であるからであるに違いない。この混血は、紀元後700年ごろまでの間に次々日本に渡って来た東アジアの人びととの間でも続いた。初めは北方からやって来た人々に圧迫された長江中流域の人びとが、後にその人々が雲南省に逃れて山岳地の滇(てん)池の辺に築いた滇王国が滅亡後その末裔が、紀元後200数十年ごろには後漢滅亡後朝鮮半島に居た後漢の王族・貴族・技能集団の人びとが、紀元後600数十年ごろには日本が42千人の援軍を百済に送って戦った白村江の敗戦後、百済の王族・貴族・学者・技術者たちが、その後、高麗や新羅や宋や明から能力の高い人たちが次々と日本に渡って来て、日本に帰化している。江戸時代初期(西暦1600年)には侍になったイングランド人(William Adams 三浦按針)もいる。日本に来て日本に住みついた外国人たちの子孫は皆完全に混血し、今の日本人になっている。今後数百年もすれば戦後加わった新しい血(遺伝子)は広域に拡散し、すべての日本人の遺伝子の一部になって行くことだろう。

古代において、それら渡来人たちには姓(かばね)が、その一部の人びとには官職と位階が、それぞれ天皇から授けられた。西暦1192年にそれまで400年間続いた平安王朝時代が終わり、武家が日本国を統治するようになって以降は非常に数多くの家名が生まれ、その家名の下、皆、今の日本人になっている。日本民族は天皇を戴く単一民族であるが、完全な混血雑種の民族である。それも東アジアの他、諸外国の優れた人々の血も混じっている民族である。

日本では持統天皇の四年(西暦689年)の春と夏に詔が発せられ、奴婢制度が廃止されている。日本人の宗家のような存在であらせられる天皇は、世界の平和と人々の幸せを常に祈願して下さっている。我々日本人は、今一度「自分自身を知る」必要がある。今から150年前、日本人は丁髷(ちょんまげ)を無くし、洋服を着、欧米の真似をした。日本はロシアや中国やアメリカと戦争もし、今や世界で一、二を争うほどに工業・商業・科学・技術が優れた国になった。しかし日本人は日本人の魂を失ってはならない。日本人は日本の伝統や文化を大切にし、戦後失った日本人の精神を取り戻し、自分たちが何故日本人であるのか、という意味を知る必要がある。古代ギリシャのアポロ神殿の壁に書かれていて、プラトンが伝えた「汝自身を知れ(Know thyself)」という言葉に、われわれ日本人は意識を向ける必要がある。


2016年4月2日土曜日

20160402「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(15)―― 「妬み」と「怨み」・「恨み」 ――


 世の中には「妬み」や「怨み」・「恨み」の感情を全く抱いていない人や、一度もそのような気持ちを抱いたことがないという人が居るであろう。そのような人は生まれつき純真な性格を持っていると思われる。一方、他人が持っている物や他人がしている事を見て、それを「羨ましい!」と言う人は、生まれつき「妬み」や「怨み」・「恨み」の感情を持ちやすい人ではないだろうか?

 これまで「妬み」や「怨み」・「恨み」の感情を抱いたことが全くない人は、多分、自分に接する人は誰でも自分と同じであろうと思うだろうから、自分に接する人とっては自慢話のように聞こえるようなことをごく自然に話すことだろう。ところがそのような話を聞いている人の中には、自分が劣等に思えて不愉快になる人もいるかもしれない。その不愉快な気持ちが「妬み」の気持ちになり、何かのきっかけで「怨み」・「恨み」の気持ちに発展してしまうこともあるだろう。「恨み」はついに「憎しみ」に発展するだろう。

 人は自分を他の人といろいろなことを比べ、自分が他の人よりも優位に立とうとする。人は他の人を差別したいのである。人は自分が他の人よりも優位にあることを、いろいろな面で誇示したがるものである。たとえば、人は自分が高級な腕時計を持っているとか、外国の有名な観光地を旅したとか、テレビに出て何か話したことなどを他人に話したがる。

 世の中の大多数の人びとはお互い自分と同じような者であると思っていたり、そのように思いたがっていたりしているであろう。従い、上述のような話については「お互いさま」という気持ちがある。その一方で、そのような話をした人を不愉快に思う人もいるであろう。その不愉快の気持ちの根底には、「自分はそのような話はしない」という、他者への差別の気持ちがある。これも自分が他の人と比べて優位に立とうとする気持ちに他ならない。

 広辞苑によれば、「煩悩」は「衆生の心身を煩わし悩ませる一切の妄念」とある。『仏教要語の基礎知識』『仏教の基礎知識』(いずれも水野弘元著・春秋社)によれば、「煩悩」にはいろいろあるが、「無明」が「有情の心身を悩乱し、仏教の理想を障碍するもの」の一つであると書かれている。また「無明」は「無知であって、四諦や縁起の道理を知らないこと」と書かれている。仏教の教えるところによれば、無知が煩悩の元なのである。

 煩悩には罪を犯し、不幸を招くような煩悩と、不幸の結果を招くような悪いことをしないが仏道への精進の妨げとなるような煩悩がある。善男善女は後者の煩悩に苦しむ人である。自分が無知であることを知れば、人生の真理を知るために学ぶ必要がある。親から子へ、子から孫へ、先輩から後輩へ、年長者から若い人へ、読書により時空を超えた先師から今を生きる自分へ、教えられていることを学ぶことが重要である。

 上述の本には、「無知」の人でも法身(=真理を人格化した真理仏)・報身(=完全円満な理想的な仏陀である阿弥陀仏・薬師如来・盧遮那仏)・応身(=釈迦仏・六仏・弥勒仏)に帰依し、仏道に励めば心の平安を得ることができると書かれている。親鸞聖人が七言絶句の長詩で心の平安を得る道を説いておられる『正信偈』には、阿弥陀仏を信仰するならば煩悩の身のまま神通を現わし、現世においても来世においても浄土に生きることができるのであるということが、「遊煩悩林現神通(煩悩の林に遊びて神通を現ずる)」という七つの言葉で示されている。しかし、何が「神通」であるのかは、実体験でしか理解できないだろう。

 ところで、善人も悪人もいる人の集合体である国家の中には、悪を表面に出す国家がある。国家も煩悩を持っている。動物的にただ生き残ることだけの目的のために、国際的な規範を無視して行動する国家は、必ず不幸な結果を招くことであろう。日本は、聖徳太子によってその基礎作りが成され聖武天皇によって日本国民の中に広く定着した仏教を大切にしつつ、天皇を守り続けるならば、必ず世界で一番幸せな国家として進化し続けるに違いない。


2016年3月26日土曜日

20160326「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(14)―― 『田中角栄100の言葉』 ――


 石原慎太郎氏著『天才』には、ロッキード事件で罪に落とされた田中角栄は、自分が信頼する秘書の元妻による偽証によるものであると書かれている。その事件の背後に、アメリカの陰謀があったとされている。当時アメリカは、日本が中国と国交を回復することを非常に不愉快に思っていたようである。

 アメリカの次期大統領候補の一人として有名になっているトランプ氏は、「アメリカは昔と違って貧しい国となっている。アメリカは日本を守るが日本はアメリカを守らない。日本に駐留しているアメリカ軍の経費は、日本が全額負担するべきである」というような趣旨のことを主張している。

 国家とはそもそも何か? ISのようなテロリスト組織体はそもそも何か? 国家を「地球上のあらゆる生物の頂点にある」と己惚れている人間中心の視点で把握することは間違っていないか? そもそも人間は生まれつき「善人」なのか?

国家を‘ヒトの集合的超個体’としての‘超生物’のようなものであるとし、そのような‘超生物’は大小様々な‘ヒトの集合的超個体’が幾つかのグループごとに群を成しているとして把握するならば、そのような‘超生物’や‘超生物’群たちが、それぞれ生存競争に勝ち抜くため、どのような戦略のもとに、どのような戦術を用いているのか観察することができるであろう。

現状において、日本国という‘超生物’は、アメリカ合衆国という‘超生物’と共生関係を維持しなければ生存競争に勝てないだろう。しかしそのような状況が未来永劫続くとは限らない。日本国という‘超生物’は、遠い未来まで生き残ってゆくためにどうあるべきか?

田中角栄は“世の中は白と黒ばかりではない。敵と味方ばかりではない。その間にある中間地帯、グレーゾーンが一番広い。真理は常に「中間」にある”(宝島社『田中角栄100の言葉』より引用)と言った。その中間地帯には、「集合知」、すなわち「ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用の集合」がある。


本を書いたり、テレビに出て話をしたり、新聞記事を書いて主張したりしないが、日常の暮らしの中で、天皇や日本の伝統・文化・仏事・神事・古典などを大切に思う大多数の一般庶民の心の赴く方向に真理がある。“必要なのは学歴ではなく学問だよ。学歴は過去の栄光。学問は現在に生きている”、と上記『田中角栄100の言葉』にはある。

2016年3月19日土曜日

20160319「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(13)―― 「昨日の敵は今日の友」「今日の友は明日の敵」 ――


 今、NHKドラマ『真田丸』が好評を博しているようである。
 このドラマは日本の戦国時代の歴史に題材を求めて作成されたリアリスティックな演劇である。このドラマは時代考証もよく為されていて、観客をしてその当時の情景の中に引き込ませ、今を生きる者が当時の状況を目の当たりに見ているような気持にさせている。

 歴史ドラマは何でもそうであるが、劇作家の意図によって、断片的な史実を基にいろいろな肉付けが行われ、一言で表現するとすれば“「作られた歴史」の舞台を展開する”ものである。

 観客は、その舞台が「歴史的に真実の場面である」と錯覚する。国民を何とか惹きつけておきたい為政者と為政者に与する人々の集団は、意図的にそのような舞台を創り上げる。件のドラマの中で、共通の敵を欺くため、かつて離反した者同士が共通の敵に立ち向かうため大芝居を演じた。かつて離反した者同士は敵味方に分かれて戦闘の場面を作り、一方(A)が勝ち、一方(B)が負ける芝居を演じる。それを観たAとBの共通の敵(C)は、Aが自分たちに立ち向かって来ると思いこみ、Bを責めていた戦場から去る。これによってAも、「次は自分たちが攻め込まれるに違いない」という危機的状況から逃れることができた。

 真田丸が生きた時代にあった「昨日の敵は今日の友」「今日の友は明日の敵」という状況は、この日本の狭い国の中で行われていた。現代では日本を取り巻く地政学的環境の中で、それに似たような状況が起きている。かつては狭い国の中で、今は世界の中で、互いに‘自存・自衛’のため起きている。植物の世界では光合成が行われる環境をできるだけ多く獲得できた群集優勢種として生き残る。似たような状況は、世界の中で生き残って行くための資源を、できるだけ多く確保できる国・国家群優勢‘種’となる。

 日本国憲法前文に、「(前略)・・日本国民は・・(中略)・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(後略)・・」とある。現代の世界の情勢では、そのような理想を掲げ、国家として崇高な理想と目的を達成することを誓っていても、決してそのようにはならないだろう。その理由は、人間は煩悩を断ち切って生きることは絶対できないし、人間の集合である国家も同様であるからである。この地球が地球外の生物などによって、人類が絶滅させられそうにならない限り、戦争は決して無くならないであろう。

 しかし、理性と武力の調和によって、「昨日の敵は今日の友」「今日の友は明日の敵」という状況の中で、ある国・国家群が優勢‘種’であり続けることができるに違いない。日本は国家の中心、それは2000年以上男系の皇統が続いてきた天皇を守り抜くことによって、国家として益々進化を続けることができ、過去・現在・未来に亘って、平和で安全であり続け、繁栄し続けることができるのである。私は、志ある政治家・官僚・学者・一般市井の人たちはこのことをしっかり自分の心の中心に置き、物事を進めて欲しい、と切に願っている

 仏教は、煩悩の中にある人々が、欲望を抑え、他者を殺さず、他者を傷つけず、騙さず、盗みをせず、阿弥陀仏の慈悲にすがり、心正しく生きるならば、「この世」において浄土に住むことができ、「あの世」においても浄土に住むことができ、必ず幸せになれると説いている。

しかし上述の志を達成する過程で、やむなく争い、敵となる国の人を殺し、傷つけることが起きる。志を達成するために殺されるということも起きる。兵士は国家という組織体の中の、ヒエラルキーの最下位・最少の単位、即ち細胞のような存在であるから、そういうことは避けられない。

 しかし、理性と武力の調和によって、そのような悲劇が起きることを最小限に抑えることができるであろう。「戦争反対!」「平和!平和!」と叫ぶが、武力を忌み嫌う人々は偽善者である。そのような人々は、結局自分たちの祖国を危機に陥れ、自分たち自身が不幸に陥るのである。人間でも国家でも‘自己(self)’を自覚できない場合は、はなはだ不安定である。‘自己(self)’は心に深層にあるのであって、積極的にその存在に気付こうとしない限り、自ら気付くことは絶対できないものである。まして、特定の思想的グループの中にいる者は、他人の話をよく聞こうとする耳を持っていない。

「耳を洗う」ことをしない限り、自分の心は開かれない。「欲無ければ一切足り、求むる有れば万事窮す」(良寛『意に可なり』)のとおり、欲のために万事窮する状況になっている人は世の中に多い。地獄極楽は現世にもあり、来世にもある。我欲を満たすためのみに行いを為す人たちの子孫は決して幸せになれないだろう。何故ならエピジェネティックな変異が世代を超えて伝わるからである。

国家も同様である。この日本国家に仏教を定着させる礎を築かれた聖徳太子と、現代の総合大学に匹敵するほどの教育機関でもあった東大寺と、各地にその地方の教育機関でもあった国分寺を建設された聖武天皇のご事績により、今日、日本国民はそのご恩をこうむっている。志ある政治家・官僚・学者・一般市井の人たちには日本の歴史を良く学び、このことをしっかり自覚して、未だその恩徳に気付いていない人たちを啓発してもらいたい、と一市井の老人は切に願っているのである。


2016年3月12日土曜日

20160312「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(12)―― 虐待児ら一時保護2万2000件 ――


 仲野徹著『エピジェネティクス』と太田邦史著『エピゲノムと生命』の2冊の本を読み終えた。Newtonムック『現代科学も決してつくれない“超精密機械”細胞のすべて』など図解でわかり易く書かれている雑誌を読んだ人や、高校・大学等で生命科学関係の予備知識を得ている人なら、上記の本に書かれていることは大変理解しやすいと思われる。

 親から虐待を受けた子どもらが施設で一時保護されるケースが増えていて、都市部の保護施設は飽和状態であることが讀賣新聞で報道された。相談・通報を受けて一時保護所が保護した件数は、一昨年度(2014年度)に過去最多の22005件になったそうである。最近、子育てを満足にできず、自分たちの子供を虐待し、故意的に死なせてしまう親が多い。このことは大変憂慮すべき社会的現象である。

一方で託児所があまりにも足りないため、働くこともできず、結婚することも、子供を産むこともためらう若い女性たちがあまりにも多すぎる。女性が適齢期に結婚し、子供を産むことが難しい社会は決して良い社会ではない。官僚も政治家も学者もこのことについて強い問題意識を持つべきである。若い女性たちが子供を産みやすい環境を、国家として是非整えるべきである。その環境としての一つの案は、「子育ての半分は国家・社会が全面的に負う仕組み造り」である。その仕組みの中で、女性は出産適齢期に結婚し、23人子供を産み、その子供を保育園に預けたら、女性は本格的に働き始め、その職場に接近した場所に必ず安心できる託児所があることである。その職場と自宅の間を子供連れで往復する交通手段も、快適なものを国家が提供することである。そういうことが国家としてできているならば、男と女は権利が同じである、と初めて言える。現状は決して男女同権ではない。

上記の本に書かれている学術的な部分は省略するが、上述の問題にかかわる部分を上記の本から一部をランダムに「である調」で下記のとおり引用する。マスコミ関係者には、「生命科学・分子生物学・進化生物学・遺伝学などは専門外である」と敬遠せず、是非、上述の問題の解決のためエピジェネティクスと社会の関係について、積極的に、かつ継続的に取り組んでもらいたいものである。

    最近になって環境によって獲得された形質の一部が、エピゲノムの記憶を介して次世代に引き継がれることが少しずつわかってきた。つまり「環境」と「遺伝」は相互作用する。
    親世代のストレスが、子の人生にも影響を及ぼしている可能性がある。このような状況が、昨今の育児放棄の増加や、児童虐待の連鎖に結びついているとしたら、大変憂慮すべき状況であると考えられる。加えて、社会的遺伝という生物学的現象が、社会の階層化や格差の固定化や拡大に、人知れず貢献している可能性も捨てきれない。
   エピゲノム修飾の大半が生殖細胞で消去されるものの、一部は世代を超えて伝わるという問題点が生まれた。これにより、育児放棄の連鎖、社会階層の固定化などの、負の側面が生じる可能性も出てきたことになる。
    生まれたての赤ちゃんがどう扱われるかによって、この視床下部―下垂体―副腎系の機能が影響を受けるということが、50年以上も前に行われたラットの実験から判っていた。同じ系統のラットであっても、毛繕いをしたり、体をなめたりして子供をよく可愛がる親と、そうでない親がいる。どちらの親に育てられるか。乳児期における育児の仕方が違うだけで、成体になってからのストレスに対する反応が異なる。
    胎児期における環境因子が成人後の疾患発症と関係するという報告は数多くなされており、事実としては確実である。長い年月にわたり、何らかの形で、体の中のどこかの細胞に記憶が残っているはずであるから、そのような現象にエピジェネティクスが関係している可能性はきわめて高い。
   生命科学は進歩すればするほど複雑化して、専門外の人にはわかりにくくなっていく。


仏教は、因縁・因果応報・輪廻転生を説いている。現代は、そのことを科学的に説明できるようになりつつあるのではないだろうか?

2016年3月9日水曜日

20160309「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(11)―― 志ある政治家・官僚・学者・一般市井の人たちよ、目覚めよ! ――


 今朝の讀賣新聞一面中央に、「皇室典範見直し当初要求 国連女子差別委 政府が反論、記述削除」という見出しで重要な記事があった。その要旨は、日本国政府が当初案にあった「皇室典範が女性天皇を認めていないことに懸念を表明し、見直すように」ということに反論し、削除を求めた、というものであった。関連記事には、「国連女子差別撤廃委員会の報告書のまとめ役は中国人」であるとある。

 いわゆる従軍慰安婦問題について、従来彼女らが「性奴隷」として表現されていたが、それは「従軍慰安婦」という言葉に改められた。このことについて、韓国の連合ニュースが「日本政府は慰安婦問題の合意後も責任回避と否定を続けている」と批判的に論評した、と報道されている。

 朝日新聞・毎日新聞など他のメディアはどういう報道をしているであろうか?新聞の購読者の殆ど多くは、それぞれ個人の思想信条は別として、新聞店とのつながり等により継続的に購読しているはずである。だから新聞の報道姿勢によりそれぞれ個人の主義や主張は左右されやすいだろう。新聞が特定の思想信条のもとに報道すると、多くの国民は「そうだったのか」と納得し、政府に対して批判的になる。勿論、批判精神は絶対必要である。特に権力に対する批判精神を失ったら民主主義は滅びる。しかし特定の思想信条を持つ者たちによって、「ペンの力」(マスコミ)によって、決して扇動されてはならないのである。

 日本と中国・韓国・北朝鮮の関係は千年前と同じような緊張関係にある。この状態は今後千年経っても変わることは無いだろう。日本人はそのことを「何故なのか」と考えてみる必要がある。勿論、日本はそれらの国々に軍隊を派遣して大変迷惑をかけたことは事実である。しかし、その背景には16世紀以降西欧人による侵略という脅威があったのである。ただ、そのことだけが日本と中国・韓国・北朝鮮の間の緊張関係の根本原因ではない。

その根本には、5000年も前から7世紀ごろ、さらに戦後現在に至るまでの間の日本民族の生い立ちにある。日本民族は、縄文人を基層集団として長江中流域から稲作・漁労文明をもった渡来系弥生人たちとの混血、その後大陸の政情不安により朝鮮半島から渡って来た漢族・朝鮮族の技能集団との混血、戦後は在日韓国・北朝鮮人との混血、さらには欧米系・アフリカ系などとの混血により成り立っている。日本の歴史書『日本書記』には、7世紀ごろまでに日本にわたって来て帰化した人たちのことが数多く書かれている。

因みに縄文人の遺伝子は大陸・朝鮮半島に殆ど残っていない。しかもY染色体遺伝子・ミトコンドリア遺伝子のあるタイプのものは世界中に例が見つかっておらず、日本人独自のものである。朝鮮半島に僅かに残っている日本人特有の遺伝子は、古代に倭人が朝鮮半島に進出していた名残であろう。また豊臣秀吉軍の兵士の一部は朝鮮半島に残り、その子孫たちが居る。逆に豊臣秀吉軍の引き揚げとともに、日本に渡って来た朝鮮半島の陶工たちの子孫もいる。その中には外務大臣になった人も居る。江戸末期の漢学者・歴史家であった頼山陽は『日本楽府』で白村江(はくすきのえ)の戦いのことを書いている。その終わりの部分に「忠義の孫子海を踏みて来たり。長く王臣と為りて王室を護る」と書いている。

天皇陛下はそういう日本人・日本民族の統合の象徴として、皇后陛下とともに世界の平和と人々の幸せを常に祈って下さっているのである。

 豊臣秀吉が政権を執っていた時代には当時のスペイン・ポルトガルによる侵略や日本人が奴隷にとして海外に連れて行かれたという事実があった。日本が近代化された後、ロシアや西欧列強による侵略という脅威があった。日本は大東亜戦争に敗れたが、東南アジア諸国やインド・ミャンマー・ヴェトナムなどは独立することができた。

 中国・韓国・北朝鮮の国民の深層心理は、千年前と同じように日本を中華の下に置かれるべき国であるというものであろう。その心理は今後千年経っても変わることはないだろう。ただ、日本はそういう状況にあってもそれらの国々とできるだけ仲良くし、共に富を生み、共に分かち合うことが重要である。欲望があれば摩擦を生む。人間でも人間の集合である国家でも、煩悩を断つことはできないが、理性と武力的力関係で調和を作り出すことは出来る。

 戦後、アメリカの政策によって日本人の魂は抜かれ、日本人は平和を愛好するが武力は忌み嫌うようになった。そのように日本を導いたのは、アメリカ大統領の側近であったソ連のスパイであった。戦後、日本は共産化される危険があった。東条英機元首相は遺言に「現在の日本の事実上の統治者である米国人に対して一言するが、どうか日本の米人に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。また、日本人が赤化しないように頼む」と書いている。

 日本人は海外からどのような圧力があろうとも、2千年以上も続いた男系の皇統を絶対に守り抜かなければならない。女性の天皇について「女系」と「女性」の二通りがある。女性天皇はこれまで何度もあった。それは男系の皇統を繋ぐための一時的なものであった。遺伝学的にみれば、ピンチヒッターとしての女性天皇の次の天皇は必ずY染色体遺伝子を受け継ぐ男性であった。

 女系である場合は、その女性の子孫である女性だけがルーツの女性のミトコンドリア遺伝子を受け継ぐ。しかもY染色体遺伝子を受け継ぐ男性は居なくなる。つまり皇統はそこで途絶えるのである。日本がもしそのような状態になったら、世界に類例のない2千年以上も続いてきた皇統が途絶えてしまうことになる。

 唐王朝時代の中国にあった薫り高い文化は日本に伝わり、現在に生きている。儒教・道教が重んじられた一方で仏教が弾圧を受けて廃れ、マルクス思想の中国共産党が支配している現在の中国にはどういう文化が根付いているのだろうか?

日本では奈良・平安の天皇親政の時代以降、政治は武家が行ってきたが、その武家は天皇に位階を授けてもらっていた。明治憲法下では天皇は日本国の統治者と定められていたが、国政への関与は殆ど形式的なものであった。現憲法下では天皇は日本国の象徴であり、日本国民の統合の象徴であると定められている。

日本では二千年以上皇統が続いており、そのお蔭で薫り高い文化が持続してきたのである。武家が政治を行っていた時代でも武家は古来の文化を大事にしていた。日本は本当に素晴らしい国である。深層心理において日本を何とか見下げたい国々の為政者にとって、日本に男系皇統の天皇が居なくなり、夫婦別称が行われるようにうなることが望ましいに違いない。日本人は、断固、男系の皇統がある国体を守り抜かなければならないのである。


志ある政治家・官僚・学者・一般市井の人たちよ、目覚めよ!