2016年6月28日火曜日

20160628ポピュリズムという悪夢


2016年(平成28年)628日(火曜日)讀賣新聞朝刊「想う2016」に、「ポピュリズムという悪夢」と題してフランスの歴史人口学者エマニエル・トッド氏(65歳)の投稿記事が載っていた。その記事から以下に括弧(“”)で括る部分を引用する。

“・・・ポピュリズムの台頭は新自由主義の帰結ではなかろうか。<新自由主義は市場原理を重視し、小さな政府を目指す。主要政策は規制緩和・民営化・金融改革など>

新自由主義は突き詰めれば「国はない。あるのは個人だけ」という考え方だ。超個人主義と言える。英米はそれに耐えられるからこそ、新自由主義を採用し、他国にも押しつけた、と私は考えていた。文化人類学的にもアングロサクソンは個人主義の傾向が見られる。

だが、英米では社会の分断・解体が進行し、低所得者層にしわ寄せが来て、中流層にも及び、社会は不安定になった。英米でさえ「あるのは個人だけ」という考えに耐えられなくなっている。・・(中略)・・「移動の自由」を柱とするグローバル化を妄信し、生活圏の安寧に配慮しない支配層の無責任が人々の不安を招いている。

ところが支配層には「国民のために尽くしている」との信仰に似た思い込みがある。その「善意」が人々を不安に陥れるとしても、現実を見ようとしない。ポピュリストがその代弁者を任じ、支配層を糾弾する。支配層は自分たちの「正しい主張」を聞き入れない大衆にいら立つ。文化の危機だ。・・(中略)・・

確かにドイツもサウジアラビアも米国に従わなくなった。日本も中国問題がなければ、米国に従わないのではないか。(後略)”

私は、今、世界はエマニエル・トッド氏の言うとおりであると思う。日本は古来ずっと東アジア大陸の諸国の問題に対峙してきた。幕末、その日本をアメリカは手助けしてくれた。しかし満州事変以降、アメリカは日本が自国の利益を害すると思い、日本を敵にした。アメリカは戦後、日本の国家の解体を試みた。しかし朝鮮戦争の勃発によりアメリカは再び日本を味方につけた。今、日本は再び東アジア大陸の諸国の問題に対峙している。日本はアメリカの武力を必要としている。日本とアメリカの間で、「生命体としての国家」同士、生物の「共生」のような関係が生まれている。

政治は「社会の分断・解体の進行」を止め、「低所得者層にしわ寄せ」を防ぐように機能しなければならない。一方で、政治は「支配者層の‘善意’が人々を不安にしているかもしれない」という空気を察知して行われなければならない。

この点に関し与野党のしっかりした政治家たちは共感し、政党の枠を超えて個人的に連帯することができるはずである。但し、「社会の分断・解体の進行」は、日本共産党が期待していることであると考えられる。日本共産党が理論的基礎としている科学的社会主義について、民進党などの政治家たちは理解していないから、「打倒安倍政権・憲法改正反対・安全保障関連法廃止」と言う目的の達成のために日本共産党と連帯を組んだのである。

ポピュリズムは人体のアレルギー反応のようなものである。与野党のしっかりした政治家たちが超党派で連携して、「生命体としての国家」にポピュリズムというアレルギー反応が起きにくくなるようなシステムを構築することが出来ないものだろうか?