2013年3月6日水曜日


シナ(中国)の国防費が前年度比で10.7%増加(20130306

日本は戦後ずっとシナを「中国」と呼称してきた。シナ自身も自らを「中国」と呼んでいる。「中華」とは漢族が世界の文化・文明の中心にある民族であるという意味である。「中華人民共和国=中国」は自らの自尊心をあからさまに表す国号であると言わざるを得ない。日本はシナを「中国」と言ってやる必要はない。英語名Chinaのとおり「シナ」でよい。

ところで「日本」という国号は天智天皇のころから使われてきた。しかしシナの歴代の王朝は「日本」といわず「東の野蛮な国」と言う意味の「東夷」と言ってきた。そもそも国号「日本」は「日(=太陽)が上ってくる本」すなわち「日の本」という意味がある。日本人は自分の国を「にっぽん」と言ったり「にほん」と言ったりしている。旧軍歌の歌詞に「ひのもと」という言葉がある。聖徳太子が古代シナの「隋」の皇帝に「日出る処の天子から日没する処の天子に書簡を送ります。お元気ですか?」という国書を送った。古代の日本は当時の大国シナ(隋)に臆することなく対等の意識をもって朝に日(=太陽)」が上るところの国(=日本)の天皇から(日本での)夕に日(=太陽)が沈む方角の国の皇帝に対して国書を届けたのである。天皇は小野妹子に国書を持たせてシナ(隋)に派遣した。シナ(隋)の皇帝はその国書を読んで不快感を示したが当時の朝鮮半島の情勢がシナ(隋)にとって緊迫した状況にあったので日本を敵に回すことができなかった。

今シナ(中国)は日本を漢語で「日本(Rìběn)」と言っている。シナ(中国)がその意味を聖徳太子が意図した「日出る処」と理解を示し、更に遠い過去にシナが日本のことを「東夷」と言ってきたことが誤りであったと公式に認めるならば日本はシナを正式に「中国」と呼ぶことに抵抗感はなくなる。今尖閣を巡って日本とシナ(中国)の間に緊張感があるがその緊張を和らげるため先ず為すべきことはお互いの自尊心を尊重し合うことである。武力で相手を屈服させるやり方は決して利口なやり方ではない。お互い傷つくだけでなく得ることは何一つない愚かなやり方である。

シナ(中国)は国防費を前年度比で10.7%増加させた。その数字にはシナ(中国)の海洋監視・漁業行政に関わる準海軍の費用は含まれていない。シナ(中国)は「海洋権益を守る」と公言しているがその本心はそういう純海軍を隠れ蓑にして「日本の海洋権益を奪う」ことである。自らの海洋権益を拡大するため日本の領海に公然と侵入し日本の漁船を公然と拿捕しようとするような行動に出ている。シナ(中国)の頭にあるものはアメリカが出てくるから「戦争は仕掛けない」しかし「シナ(中国)の漁船団を日本の領海に進出させてその漁船団を保護しまた指導するという行政目的遂行のため日本の行政の船に発砲する」。そして「その漁船の乗組員を他国の領土に上陸させる」。こうして「紛争」を起こし「外交問題」を起こす。日本はシナ(中国)のこのような手口に絶対乗ってはならない。