2013年7月22日月曜日

参議院選挙が終わって思う(20130722)

参議院選挙結果今後日本の政治は安定するに違いない。シナ(中国)や韓国は自分たちが日本に脅かされると感じている。それでよい。これまで彼らはあまりにも日本に対して非礼かつ非常識な言動をしてきた。しかしこれからもその言動がますます高じることだろう。

今後数十年の間は徹底的に反日教育を受けた世代の人たちがそれらの諸国の指導的地位に在る。今後日本は明治時代の人たちが経験したような外交・防衛上の危機に直面することだろう。しかし日本はきっとそれを乗り越えることができるに違いない。しかしもし仮に日本がそのように危機を乗り越えることができないような状況になったとしてもそれに対して何を為すことができようか、男は思う。男は自分の子や孫たちのことを心配するだけで何一つ彼らの役に立つようなことはできないのでいると思っている。

男はすでにブログ上では憂国的・愛国的・啓蒙的・啓発的な発言をすることを止めている。男は今後はフェイスブック上でもそのような発言をすることを一切止めることにした。しかし一部の「フェイスブックの友達」に対して個人的にメッセージを送ることはあると思っている。

今後男は余生を「意識」と「仏教」と「科学」の関係について研究と思索のためより多くの時間を割きたいと思っている。そしてその研究と思索のことを記述し記録し保存し、ブログで一般に公開してゆきたいと思っている。


男は自分がたまに心が通い合う友だちと会って酒を酌み交わしながら語り合うことは楽しいと感じるだろうが、社会的諸関係により生じる緊張や諸々の感情の中で自分の貴重な時間を費やすことは馬鹿らしいと思っている。今、男は盛唐の詩人・「詩仙」李白の『山中問答』のような心境にある。男は自分がそういう心境で居られることを大変幸せに思っている。

2013年7月8日月曜日

真実の愛――『八重の桜』――会津藩士の妻女たちの最期に思う(20130708)


  男は今日の明け方つぎのような夢を見た。断片的でありよく覚えていないが、ある場所に皆が集まる夢である。男と男の妻ほか数人の人たちは誰だか定かではないがある誰かが運転する車に乗ってその場所に行った。其処で男の妻は他の人の妻たちとともに何か接待の役をするため其処に向かった。本来その接待役は主催者側の責任ある立場の人たちの妻たちが受け持つものであった。それなのに何故男の妻たちが接待の主役を務めることになったのかその理由は分からない。主催者側で本来接待役をする立場にあった女性たちは皆浮かぬ顔をしていた。その後場面が変わり、どういうわけか男の妻ほか幾人かの女性たちは処刑されるため何処かに向かっていた。先頭に男の妻がいた。男の妻は自分がこれから処刑されるというのに従容として其処に向かっていた。最後尾の二人の女性たちの表情は悲しみの表情をしていた。
 

 男の妻は純粋無垢の気持ちで男に尽くしてきた。自分が処刑される場所に向かっているのにまるで普通の表情である。男は呆然としてその列を見ている。男は目が覚めて思った。これは男の妻が男に深い愛情を示すとともに彼女がかねがね言っているように「私はいつ死んでも良い。長生きしたいとは思わない。これまで誰にも真剣に尽くしてきたので何も思い残すことはない」という心情をそのまま表しているものである。
 

 ここに男の妻が小学校5年生のときの学級の集合写真から切り取った写真がある。その集合写真に小学校5年生のときの男の妻が前列中央に学童服を着て写っている。その写真を見ると男の妻は小学校5年生の時、将来男の妻になることが定められているかのような表情を漂わせている。彼女は男の家のため尽くし、男の家を本来あるべき正しい有り様に変えてくれた。男の家は名門旧家であると伝えられているが其処には何か深い業のようなものがあった。それを男の妻は断ち切ってくれた。それは他のどのような女性も絶対できないものであった。男の妻はそれを行う役目を担って男の家の嫁となったように見える。
 

 昨夜NHK大河ドラマ『八重の桜』を見た。会津の女性たちは会津に侵攻してくる薩長軍主力の新政府軍と戦い散っていった。その中には、会津藩江戸詰勘定役中野平内の長女・中野竹子らにより組織された20名ほどの女性のみの部隊(娘子軍)の一員であったが捕縛され自刃したとも言われる神保修理(諱は長輝)の妻・雪子や会津藩家老西郷頼母の母や妻子らの自刃がある。また会津藩娘子軍の中心的存在であったが被弾し母・こう子の介錯により果てた竹子がいる。竹子は薙刀の名手でありその薙刀には「もののふの猛きこころにくらぶれば 数にも入らぬわが身ながらも」と辞世を記した短冊が結ばれていたという。ウィキペディアによれば彼女たちは頼母が登城後自分たちが足手まといになってはならぬと頼母邸で自刃したという。それぞれ下記のとおり辞世の歌を遺している。

 母 律子(58歳)  「秋霜飛兮金風冷 白雲去兮月輪高」

  妻 千重子(34歳) 「なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節はありとこそきけ」

  妹 眉寿子(26歳) 「死にかへり幾度世には生きるとも ますら武雄となりなんものを」

   由布子(23歳) 「武士の道と聞きしをたよりにて 思いたちぬる黄泉の旅かな」

  長女 細布子(16歳) 下の句、 次女 瀑布子(13歳) 上の句

                   「手をとりてともに行なばまよはじよ いざたどらまし死出の山みち」
 

 女性たちは最も価値あると確信するものに自分の命を捧げた。男の妻もそのようにしてきた。だから何も思い残すことはないのである。これ以上の無私・真実の愛は他にあろうか?男も男の妻のためならば従容として死に就くだろう。もしそういう場面に直面したならば・・。

2013年7月4日木曜日

臨死体験の実話に思う(20130704)


 男は自分が一世紀前か何世紀前か分からぬが過去の世の誰かの生まれ変わりだろうと思っている。自分が死ぬと自分の意識は未来に新たに生まれる誰かに宿るのだろうと思っている。男は意識は魂であると考えている。男はホーキング博士がニュートンの生まれ変わりだという話を聞いたことがあった。

 男は意識は時空を超越していて無限であると考えている。意識は融通無碍であり多様の様態のまま同時に進行するものであると考えている。このような意識は生物の中でヒトにしか存在していない。2500年前インドのシャーキャ族のゴータマ・ブッダは、人間には「過去の世」と「今の世(現世)」と「未来の世」の三世があってそれが連続しているというようなことを説いておられる。ブッダは現世の人の有り様はその人の過去世の行いの善悪次第であり、現世の人の行いの善悪次第によって来世の有り様が定まるというようなことを説いておられる。一方でブッダは現世の人の行いはその人の前世(=過去世)の業に左右されるものではないとも説いておられる。またさらにブッダは人の「過去世」や「来世」が存在するとか存在しないとかいうようなことを議論してはならないとも説いておられる。

 男は自分の身近な人が死の3日前に、その人がいわゆる幻覚・幻視をしたのだろうと思えるようなえも言われぬような非常に美しい光景のことを語ったことを記録した。それは彼の妻が彼から直接聞いて驚き彼に何度も「馬鹿なことは言わないで」と言ったという光景である。彼はその光景のことを彼の妻に話したあと「わしは25日に死ぬ、25日に死ななければ26日か27日には死ぬ」と言った。彼は26日の朝4時「のどが渇いた」と言った。彼の家族は彼に冷えたお茶を与えた。彼は冷えたお茶を沢山飲んだ。そして数時間後息を引き取った。彼は死ぬ4日前に男に「わしは為すべきことは全部為した、もう思い残すことは何もない」と言っていた。その時は彼の起居動作も左程困難そうには見えず元気そうに見えた。

 彼が見た光景というのは赤色系の大きな光のかたまりと白色の光のかたまりであった。彼は「お宮の方に赤い大きな日と白い日が見える。そりゃァとても美しい日だぞ、綺麗だぞ」と彼の妻に言った。彼はそのような光景を見た翌日の24日の午後、「お宮の方に菊の花が一杯広がっていてそれが等間隔に並んでいてわしの所で一本だけになった」と言った。「お宮」というのは彼が深く関わった地区の小さな神社のことである。その神社は彼の家から50メートルほど離れたところにある。彼の妻が「そんな馬鹿なことは言わないで」と言ったら、彼はいつものとおり元気な声で「実際に見たのだから仕方がないではないか」と言ったという。このような臨死体験の話はよく聞く。ある医者は「それは死の恐怖から逃れるため人間の脳に組み込まれ自己防御機能である」と説明する。しかしそれが科学的に証明されているわけでない。

 男は人の意識はその人が死んだ後も存在し、新たにこの世に生を受ける人の中に入ると信じている。その新たにこの世に生を受ける人はその人の身内とは限らない。男はその意識が宿る先はその人の生前の意識次第であると思っている。生前自分の意識を高みに近づけるように努力した人は、その意識をより高みに近づけることが可能な資質を持っている人の肉体に宿る。その逆に生前自分の意識を高みに近づけるような努力をしなかった人は、その意識をより高みに近づけるように一層の努力をしけかればならないような資質・形質を持っている人の肉体に宿る。その「来世」の人が「前世」のとき交通した人と意識の世界で交通するときはその意識のレベルは「前世」の人と交通しているときと同じようなレベルである。一方でその「来世」の人を供養し、回向している「現世」の身近な人や僧侶のお蔭や、その「来世」の人の精進努力次第で、その人はその「来世」において意識を高みに近づけるようになる。つまり「来世」にいるその人の意識は時空を超越し、融通無碍であり、多様の様態のまま「現世」と「来世」の間で同時進行しているのである。男はそのように考え意識というものは輪廻転生するものであると信じている。

 彼は6月26日朝死んだ。その日は正に男の父親の命日であった。男は自分の家・A家と彼の家・Y家のそれぞれの先祖は深い関係にあり、多分Y家はA家が先祖の時代の時のように再び興隆するように支援してくれているのだと思っている。男をこれまで支えてくれて、よい子孫を遺してくれている男の女房はY家から来ている。男は何か深い因縁を感じている。

 仏教は人間の正しい生き方を教えている。仏教に帰依し、死んだ人のため供養し、回向する人は「現世」において幸せであると同時に「来世」においても更に幸せになることが出来るのである。このようにして人間は生まれて一生を終えて死んでゆくことをくり返しながら今日まで営々として良い社会を作って来たのである。先祖を敬い、死者の供養をし、回向することは非常に大事なことである。日本人は靖国神社に祀られている英霊たちを供養し、回向しなければならない。そうすることが日本国の繁栄・平和・安全のため極めて重要である。

2013年6月11日火曜日


社会的諸関係を極力絶つ(20130611)


 ブログを毎日書かなくなり、フェイスブックのページも開かず、国のことを憂えることもない日が続いている。76歳になったので社会的諸関係はできるだけ断ち切るようにしている。例えば「創立何十周年○○会」とか「○○会」とかいったお付き合いも自分本位に考え、寸志を送るだけで義理を欠いている。そうすると「ああしなければならない・こうしなければならない」といった何かに追われているような気持ちもなく、かといって「これから何をしようか・どのようにして時間をつぶそうか」というようなこともない。それでいて結構忙しく充実した日々を送っている。李白の『山中問答』のような境地である。


人はこの様子を見て「悠々自適な暮らしぶりですね」という。ある60歳代の近所の女性は私に「何歳ですか?」と尋ねる。「76になりました」と答えると「へーッ、本当ですか?随分若く見えますね」と驚き、「元気なのだから働いて貰わなくっちゃ」と言う。その人のご主人は何処かに勤めていてその人自身もパートで働いている。

郵便受け中に近くの地区センターで人材募集のちらしが入っていた。パソコンができてコミュニティ関係の仕事ができてパートタイムで働くことができる人を求めている。条件はそれだけで年齢の制限はない。もし自分が上述のように毎日何も為すことなくぶらぶらしている人ならばパソコンも若い人以上にこなせるし適任であるので早速申し込んでみるところであるが、そのようにしてまで貴重な自分の時間を費やそうとは全く思わない。


もし自分がこのような新興都会地の住民ではなく地縁・血縁が入り組む古い地域社会の住民であったらそんなことは言っておれないだろう。自分の齢にもなると何かと役を押し付けられ、それなりの金も出させられ、義理人情のお付き合いもさせられるだろう。幸いこの地域は昔からこの地域に暮らしてきた人たちが、ある意味で閉鎖的なコミュニティを形成していて集合住宅に住む新参者をそれとなく排斥する雰囲気がある。こちらは町内会費をきちんと払い、町内会の会合には委任状を出しておけば何も文句は言われない。この小さな集合住宅の管理組合は組合員が実質24名で、毎年3人づつ交替で役員を務めている。

管理組合は法律に基づく組織であるが実質自治会も兼ね役員交代時には町内会の役員宅に挨拶にゆき、市や県の広報などの配布先を変更して貰うだけである。市や県から広報配布の費用の一部が町内会には分配されているがこちらは入居者全戸分の広報誌をまとめて受け、輪番で理事長になった役員がそれを分け、各戸の郵便受けに投入するだけである。


毎年行われる社会福祉大会では地域社会で活動した団体や個人が表彰されている。せめてそういった表彰でもない限り、地域社会で何か役を引き受けた人は報われない。もっとも自ら好んでそのような役を引き受ける人がいるから地域社会は成り立つのである。この集合住宅に26年間住んで来たgが幸いそういう役を引き受けるような機会はなかった。あるNPOの理事長をしていた時は社会福祉協議会の評議員になったことがあった。それは自動的にそういう役目になっていた。これは社会福祉協議会という組織活動を維持するため必要なことであった。社会的諸関係に関わらない限り表彰も叙勲もない。それで十分。

2013年5月4日土曜日


合氣道佐久道場「永遠の‘いのち’」(20130504

 男は朝8時半に私の家を出て11時半には長野県にある新幹線佐久平の駅に降り立っている。新幹線の中で「ご自由にお持ち帰りください」と書かれている雑誌『トランヴェール』に目が止まった。「特集 感性に響く縄文の旅」という記事が48ページある紙面の半分を占めている。縄文時代は今から約15千年前から2950年前まで続いた。縄文土器は世界最古の土器でありそれがこの日本列島で発展したという。そのころ生きた人々の暮らしの様子を考古学的に復元したものが新潟県歴史博物館に展示されている。

 男はその写真を見て想像した。今を生きる自分はその頃生きた人々の遺伝子を間違いなく受け継いでいる。もし縄文時代の人々が自分の家から佐久平まで旅するとしたらどのくらいの時間がかかるだろうか?今を生きる自分が私の子孫の為少しでもよいものを遺そうとしているように、何万年という遠い昔から人々はその一代を生きている間僅かでも文化・文明を発展させ、次の代に受け継がせたのである。男の遠い先祖たちは代々そのようにしてきたから今を生きる男は自分の家から僅か3時間半で佐久平に着くことができたのである。
 
 男が佐久平にやってきたのは合氣道佐久道場創設20周年記念行事に参加する為である。この記事は佐久市にある一萬里ホテルの部屋で書いている。今日は午後佐久市総合体育館に隣接している武道館で合氣道の記念演武会が行われた。合氣道佐久道場では毎年5月の連休期間中「国際合氣道研修会」が行われていて世界中から遠藤征四郎師範の弟子たちが沢山集まって来る。今年は20周年記念ということで外国人合氣道愛好者の数が特に多く、16か国120人を超える外国人合氣道愛好の男女が集まった。

 20年前男はこの道場の建設に深く関わった。その頃男も外国人合氣道愛好者たちと一緒に数日間その道場で寝泊まりし合氣道の稽古に汗を流していたものである。夜は道場内に作られている台所兼居間で外国人合氣道愛好者たちと車座になりお互い酒を酌み交わしながら歓談したものである。夜も更けて皆三々五々と去り広い道場内一杯に敷きつめられている布団の上に雑魚寝した。男の右隣はドイツ人で左隣はフィンランド人といった具合であった。佐久平の駅からタクシーで道場まで行く道すがらタクシーのドライバーと会話した。彼は「毎年この時期になると外国の方が非常に多いです。昨日はトルコから来た方を道場まで送りました」という。

 今日の記念演武会でも遠藤征四郎師範を慕う外国人指導者たちの演武があった。合氣道は文字どおり「気を合わせる」武道である。合氣道開祖植芝盛平翁は「合氣道は愛の道であり和の実現である」という理念を弟子たちに教え込まれた。遠藤征四郎師範はその開祖が80歳代のときの弟子である。合氣道は試合がない武道であるが力任せにやると必ず怪我をする。遠藤師範の演武をみているとその動きは全く自然で「宇宙と一体となった」ような融通無碍の動きである。ヨーロッパ系の大の男も遠藤師範の手にかかるとまるで魔法にかかったようにねじ伏せられたり投げ飛ばされたりする。どう逆らっても負けてしまう。それが合氣道である。

 この日本列島に住みついた縄文人は今から2950年前以前長江の河口から直接または北上して遼東半島と朝鮮半島南部を経由してこの日本列島に稲作文化をもって渡来して来た人々(渡来系弥生人)と混血した。それが古墳時代人である。その子孫、つまり日本人が「合氣道」という武道を開いた。そしてその弟子たちが合氣道を日本中は元より世界中に広める活動を続けている。聖徳太子の「和を以て尊しと為す」の精神が受け継がれている。

 一萬里ホテル4階大広間は「人類は皆兄弟」「世界は一家」のような雰囲気であった。120名余りの主としてヨーロッパ系の人々もローマ字で書かれた『花の合気道』という歌を声高らかに合掌した。最後の締めの三々十拍子「・・・ ・・・ ・・・ ・」も日本人と全く変わらないぴったり合った拍子の取り方で行われた。下記URL『COSMOS』で合気道佐久道場の活動の様子を知ることができる。


 20年前道場建設に関わったOld Boys が千曲川の「あゆ」の解禁の時期に再会することを約束した。男はそのOld Boysの最年長者である。日本人の平均寿命で見れば男はプラスマイナス5年ほどで「この世」と別れる。男がそう言うと彼の仲間たちは「まだまだ」と言う。誰も未来のことは分からない。人々は皆そのように思いながら日々を送っている。縄文人たちは土器や黒曜石の矢じりなどを今の世に伝えたが、今の我々は文字や写真や映像などで「合氣道佐久道場」の様子を記録し保存する媒体を後世に残すことができる。

 未来の世において「男」である自分は今の自分の子孫であるかもしれないし、今の自分の子孫ではないかもしれないが、その媒体により「合氣道佐久道場」という建物と運営組織があったことを知ることになるだろう。かくして「いのち」は連綿として永遠に続いている。「この世」だけが「いのち」ではないのである。「いのち」は縄文時代の昔から今なお「生き続けて」いるのである。
 

2013年4月10日水曜日


「道」(20130410

 「生者必滅会者定離」。生きている者は必ず死ぬ。会うことは別れの始まりである。人生は定まりなく時の流れに身を委ねるしかない。

合気道という武道がある。大相撲を見ていて思ったことがある。白鵬の相撲を見ていると「これは合気道だ!」と思うことがしばしばある。白鵬は強い相手の力を一瞬のうちに利用して勝っているように思う。勿論そのような動きが無意識に出来るようになるまでには相当な修練が必要であろう。頭で理解して「会得」していても体が無意識のうちに動くようになっていなければ決して「体得」したことにならない。白鵬は意識しなくても相手の力の向く方に自分の力を向けて相手を制しているように見える。白鵬は敵対する相手の力の向く方向、つまり相手の「気」の流れに逆らわず、その方向に自分の力の向きを合わせている。それも無意識のうちに行なっている。これは白鵬が意識していなくても自然に合気道の技を「体得」しているからであろう。白鵬は広大なモンゴルの平原に生まれ育っているから、幼少のころから宇宙と一体になるような感覚が自然に身に付いているに違いない。そのような生来の特質をもって相撲道に励んだからあのような大横綱になることができたのであろう。

仏道・剣道・柔道・華道・茶道など日本古来の「道」の修行においては何よりも「精神」が大事である。武士道も同じである。日本人はその「精神」を取り戻さなければならない。

「道」ということにおいては「人生道」も同じである。その「人生道」において「精神」は何であるか?それは「合気」のように大宇宙の時間の流れに逆らわず、自分が大宇宙に漂っているとても大きな船に乗っているような気持をもって、一日を一生のように思ってその一生を懸命に生きることではないだろうか?

自分の人生をそのように考えると冒頭の「生者必滅会者定離」の意味を深く理解できるのではないだろうか?現に生きている自分がある日突然死ぬことになったとき、その死を恐れおののくのか、或いは従容自若として頬笑んで死を受け容れるのか、それはその人の「人生道」の修行の仕方如何によるのだと思う。また趣味の会などで深い縁ができた仲間たちと別れるとき後ろ髪を引かれるような気持になったとしても、「会うは別れの始まりである」という人生の真実に思いを致して「また何処かでお会いしましょう」と言って別れることができるだろう。「生者必滅」「会者定離」「一日一生」「一期一会」などそれぞれ四字の短い句の中に「人生道」の「精神」が凝縮してこめられている。

それにしても漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字の「文字」を自由自在に駆使し、天皇を頂き、「道」の「精神」を知る日本国民は何と幸せな国民であることよ!

2013年3月14日木曜日


もうこのあたりでよかろう(20130314

また花粉症に悩まされている。昨日はよかったが今朝は5時ごろからしきりに鼻をかんでいる。どうにもならないので起きてパソコンに向かっている。持参して来た眼科医から昨年処方してもらっていた鼻炎を和らげる漢方薬「小青竜湯」を一服服用した。これは食前または食間飲む薬である。目の周りもかゆい。

かつて花粉症など気にもならなかった。加齢とともに体調に変化が起きたため花粉症を患うようになったと考えられる。テレビでニホンザルも花粉症に罹っている様子が放映されていた。但しそのニホンザルも小サル・若サルではなくかなり年寄りのサルであった。

このブログは20096月から書き続けてきた。しかしこの記事を最後に公開することを止める。これまでたびたび憂国・愛国の気持ちが高じて書いてきた。しかしそれは名もない市井の一老人の独言・自己満足に過ぎない。NHKテレビで衆議院予算委員会の質疑の様子を視聴した。日本維新の会やみんなの党などの若い国会議員たちが皆高い志をもってこの国のため身命を賭して頑張ろうという気持ちがこちらに伝わってきた。この国の行く末に心配はない。

世の中のことは結局なるようになるものである。存在している矛盾はいずれ何らかの形で解消されるものである。年寄りが目立たたないところでぶつぶつ独言を吐いても何の役にも立たない。表に出て活動するのなら多少影響力もあるであろうがそれで何が得られ何を失うのだろうか?良寛ではないが「欲無ければ一切足り求むるあれば万事窮す」である。

誰でも自分が持っている時間は一日24時間で同じある。それをどのように割り振るかということが各自の人生の豊かさを決めるだろう。余生は自ずと限られている。人の来世の有り様はその人の過去世・現生の有り様で概ね決まるであろう。そう確信している。

このブログは当面このまま放置する。しかし毎日書き続けるということは自分の最期まで続ける。今後はハードディスクに保存するが公開はしないプライベートの日記を主に書く。書くことによって自分の脳は鍛えられる。今後は公開したいと思うようなエッセイが書けたときだけそのエッセイを公開することにする。

2013年3月13日水曜日


脳の発達過程と国家の発達過程は似ている(20130313)

一つの国と一人の人間を対比させながら考えてみる。生まれたばかり赤ちゃんの脳の中ではまだ神経回路が発達していない。ところが成長するにつれ脳の中の神経回路が複雑に絡み合うように発達して行く。国でも同じである。自由と民主主義の成熟した国では例えば国民は誰でも一個や二個の情報端末を所有していて情報の行き来が自由で非常に活発である。そのような国では人々は携帯電話やスマートフォンやタブレット端末やノート型パーソナルコンピューター(パソコン)や通信機能が付属している音楽プレーヤーなどを持ち歩き、何時でも何処でも情報にアクセスすることができるようになっている。

社会の中でこのように情報の行き来が非常に活発になると社会の中で潜在している問題の発見や既に顕在している問題の解決や、新たな発想やネットワークを通じた創作などが非常に活発に行われるようになる。これは生まれたばかりの赤ちゃんが生後の学習の積み重ねによって立派に成長して行くまでの間の脳の成長過程と似ている。

2年前起きた東日本大震災の教訓を活かすため日本では様々な研究や今後数十年以内にまた必ず起きるに違いない大津波・大地震に備えて被害を局限するための計画や対策が講じられつつある。日本国民全員はその情報や新たな知識を共有することができる。識者・専門家がメディアに登場し放映中視聴者からメールで意見を集め識者・専門家と意見を交換し合う。このようにして情報が新たなアイデアを生み問題の発見と問題の解決のツールとなる。日本にはこういう高度な情報のやりとりが自由に行われるシステムができており、そのシステムが常に最良なものになるように自然に動いている。この状況は人間の脳の中で神経細胞が軸索を延ばし他の神経細胞と結合しながら複雑な回路網を構成している状況と似ている。日本には自由と民主主義が完全に根付いているからこそそのようなことが自然にできているのである。自由民主主義の国である韓国や台湾でも日本ほどではないが日本に似たようなシステムがある。

日本の若い世代の人たちや子供たちは自分たちの祖国がこのような素晴らしい国であることを改めて自覚する必要がある。学校教育の現場で子供たちにその素晴らしさを教えこむべきである。今はそれほどでもないと思われるがつい最近まで若い人たちの中には日本人でありながら日本に誇りを持てないという人たちがいた。また外国に旅して旅先で日本の文化や伝統について聞かれたとき答えることが出来ず赤恥をかいたという人たちがいた。彼らは家庭や学校で日本の正しい歴史や伝統や文化について良く教えられていなかった。教える側が戦前日本は外国に対して悪いことをしたと教え込まれ自虐史観に捉われていた。親がその様であれば子供に正しいことを教えることが出来るはずがない。時が経ち政権が代わり日本人は今ようやく本来あるべき姿に戻りつつある。

2013年3月12日火曜日


放射能汚染物質の処理方法(20130312

福島第一原子力発電所爆発事故により汚染された冷却水や落葉や土壌などの放射能汚染物質の保管方法を巡って問題が起きている。どこの自治体も自分の区域内にそういう物質の中間保管施設ができることを拒んでいる。住民の率直な不安感情に対して行政側も「安全だから大丈夫」と説得することが困難な状況である。半減期が30.1年というセシウム137を含む放射能汚染物質の中間保管と最終処理は非常に大きな問題である。巨大津波による被災者を含め未だ15万人の人々が故郷に帰れず避難所暮らしを余儀なくされている。故郷に帰ることを諦めた人や諦めかけている人が出始めている。

そういうなか稲や野菜などが地中からセシウム137を吸収する比率が詳細に研究され具体的な数値でその吸収率が判って来た。米や野菜が地中からセシウム137を吸収する率は極めて低く場所によっては実用上全く問題ないようである。さらに土中にカリウムを適度に増やすことによって稲や野菜がそのカリウムを吸収するとセシウム137の吸収が非常に抑えられることも分ってきている。いずれも風評被害で苦しむ農業県・福島県が全国から知恵を集め必死になって研究した成果である。

日本は江戸時代まで「日本国」という国の中に66の国とさらにそれらの国の中に多くの藩があった。それぞれは今の地方自治体のようなものであった。各国や藩は幕府の意向に沿ってそれぞれ自主的に繁栄を目指して切磋琢磨した。シナ(中国)や朝鮮など王朝の下にあった国民はそういう形での切磋琢磨は無かった。シナ(中国)では今でも共産党一党支配のもと政府方の共産党と一般人民の間の階級的・経済的格差が大きい。ウイグル自治区ではウイグル族が漢族に反発して緊迫化している。

放射能汚染物質をどう処理するか。大いに知恵を絞らなければならない。画期的なアイデアとして放射能汚染物質を搭載したまま何十年も沖合に停留させることはどうであろうか?イギリスでは既にそのようなアイデアを実行しているようである。その船と積み荷の放射能汚染物質の管理を最も厳格かつ適切にして、物事には絶対ということはあり得ないが‘’付の‘絶対’に事故を起こさない工夫をして乗組員の健康管理と精神管理も適切にして放射能汚染物質が無害になるまで沖合で保管するのである。その船は武力攻撃などの破壊行為からも完璧に防護される仕組みを構築しておくのである。国内の何処かの土地に保管するよりもコストが安く安全かもしれない。

ともかく何でも良いから政府は国民から広くアイデアを募り最も合理的かつ安全に放射能汚染物質の保管ができる方法を探るべきである。発想豊かな子供たちや日本人と思考パターンが違う外国人からも広くアイデアを求めて問題の解決に当たるべきである。

2013年3月11日月曜日


各地に鳥居があり神社がある国ニッポン(20130311

 在日アメリカ軍の基地の中に日本の神社の鳥居を枠にして部隊名を標示してある看板を見たことがあった。日本には各地に鳥居があり神社がある。明治政府は方針として神社とお寺を分離し更に個人的な神社を廃止させた。日本の神社とは何か?これは一神教の神殿とは根本的に性格が違う。日本の神社には日本の社会に大きな功績があった人が祀られているものが多い。例えば日露戦争のとき203高地攻略の戦いで御子息2人を失い明治天皇崩御後妻静子と共に殉死した乃木稀介陸軍大将は乃木神社に祀られている。山岳信仰の山や岩などを御神体にしている神社もある。

 靖国神社は国難に準じた御霊を祀る神社である。国を護るための絶望的な戦いの中で、独身の兵士たちのみならず妻子ある兵士たちが自ら航空機や潜航艇を操縦して自ら砲弾となり敵艦に体当たり攻撃を行った。激しい銃弾が浴びせられる中に兵士たちは突入して死んでいった。兵士たちは「靖国神社で会おう」と誓い合って突撃していった。勝者の論理による不条理な戦争裁判によって「戦争犯罪人」と決めつけられ刑死した人たちも、等しく国難に準じた方々である。

 日本の神は八百万の神々である。この点一神教の神とは根本的に違う。シナ(中国)や朝鮮には日本のような神社はない。韓国では日本の神社の起源が韓国にあると主張する人もいるようであるが世界中の誰が何と言おうと日本の神社の起源は日本にしかなく神社の鳥居や儀式や参拝の仕方など何もかも日本独自のものである。神社と日本の文化は切っても切り離せないものであり神社イクオール日本人と言ってもよいぐらいである。古代から日本に帰化した人々、そして大東亜解放戦争後日本に永住権を得て日本に住んでいる朝鮮半島出身の人々も今後何世紀以内に皆日本人になり神社を大切に思うようになるであろう。

 古事記に書かれている神代の神々も日本人の祖霊である。日本人にとって神社に関わる神々は日本人の祖霊と深い関係がある。古代日本に帰化した朝鮮半島の人々の祖霊も高麗神社とか鬼室神社などに祀られている。「祖霊ましますこの山河敵に踏ませてなるものか」という歌があるが古来日本人は祖霊を敬い今に生かされていることを先祖に感謝し家族や子孫の幸せを願って神社に詣でている。そして「言霊」を信じ神主の祝詞の声に神を感じる。その神は一神教の神ではない。その神は祖霊及び祖霊に関わる山河の山々岩々に宿ると信じられている「霊魂」である。

 アメリカ流の合理主義・物質至上主義でこの世の現象を判断し結論付けるのは間違っている。過去に日本を襲った大災難、それには蒙古来襲もあるし日清・日露戦争を戦わなければならなかった日本の危機的状況もある。アメリカと戦わなければならなかった日本の自衛のための大苦難もあるし3.11大災害や福島原子力発電所事故もある。そういった大災難は日本にとって大きな苦しみであったとともに「天佑」でもあったのだ。日本人が祖霊を大切に思い神社を訪れ定められた形で参拝を行い、またお寺に詣でて合掌し続ける限り、日本はこれからもあらゆる苦難を乗り越え祖霊に守られ続けることだろう。

 天皇は日本の祖霊に対する祭祀の中心にあらせられる。神社と天皇が存続し大事にされ続ける限り日本は世界一素晴らしい国であり続けることができるだろう。若い人たちには是非このことを認識して貰いたい。女性宮家・夫婦別称などとんでもないことである。

2013年3月10日日曜日


戦災孤児のことに思う(20130310

東京大空襲から68周年ということで戦後の街角に多く見られた戦災孤児のことがNHKテレビで報道されていた。当時の戦災孤児は既に70歳を超えて辛い人生を歩んで既に鬼籍に入られた方々も非常に多い。今の子供たちには想像もできないようなことであるがアメリカ軍の戦略爆撃機B-29から落とされた何十万発と言う焼夷弾により8万人以上の東京都民が火の地獄の中苦しみながら焼け死んだ。そして親を失った非常に多くの子供たちが保護もされずに自己責任で必死に生きようとし、そして多くの子供たちが路上で衰弱して死んで逝った。あのとき幼い女の子であったある老婆は二人の弟妹の親代わりをしなければならなかったと涙ながらに語っていた。たった一個か二個のサツマイモを自分は食べずに空腹を堪え弟妹達に食べさせたという。戦後あちこちの街角で見られたシューシャインボーイは大人たちの靴磨きをしながら日銭を稼ぎ、その稼ぎで日々の糧を得ていた。あちこちの街角で手足の不自由な白衣の元傷痍軍人たちが道行く人々に恵みを乞うていた。ちんちん電車は走っていたが市街地は幾つかの鉄筋コンクリート造りの建物の残骸を残して一面焼け野原であった。当時9歳だった男はその光景が目に焼き付いている。自分も貧しかった。食べ物が無かった。着ている衣服も粗末なつぎはぎだらけのものだった。

広島や長崎ではもっと悲惨であったことは十分想像できる。一発の原子爆弾で一瞬のうちに何十万人と言う人が命を失い、或いは全身に酷い火傷を負った。火傷を負った多くの人々は命を長らえることが出来ず死んで逝った。広島ばかりが強調されるが長崎では多くのキリスト教徒が死んだ。アメリカは長崎についてはいち早くその原爆の傷跡を消した。東京無差別絨毯爆撃もそうであるがそのような虐殺と同じようなことについて日本人はアメリカを恨むことなく自分に降りかかった大災難であると受け止めた。そして従来日本になかったアメリカの文化・文明を貪欲なまでに吸収した。そしてそれを完全消化し新たにした日本の文化・文明が再び世界に大きな影響を与えるようになった。日本は歴史上初めて異国民により征服された。しかしそれは過去から未来に至る時間軸の中で起きたある意味で「天佑」であった。「日出る処の言霊の国」日本は祖霊に守られている「神国」である。

過去の歴史が示すとおりシナ(中国)は韓国・北朝鮮では日本人が信じられないような残虐行為が行われてきた。特にシナ(中国)は自分たちの残虐性を映画や物語の上で日本人に置き換え反日思想を煽っている。日本の愚かな政治家たちは「南京大虐殺記念館(シナ(中国)での正式名称は「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」)を訪れ「日本は悪いことをした」と謝罪している。こ施設はシナ(中国)にとって抗日運動の記念になるものでありシナ(中国)人の愛国心を涵養する施設である。展示されている内容は嘘・でたらめである。広島の「原爆記念館」やハワイの「Remember Pearl Harbor」の記念館とは本質的な違いがある。日本はそういう観点で歴史認識をしなければならない。

2013年3月9日土曜日


自助・共助・公助重視か分配重視か、最大多数の最大幸福とは(20130309

政府の施政方針演説に対する各党の代表質問が始まった。NHKでは予算委員会での質疑の状況を中継している。自由民主党は自助・共助・公助を重視し民主党は所得の分配を重視している。どちらが良いかということについては国民夫々の思想や境遇等により千差万別であろう。民主党は中間層の所得を増やすべきと言う。自由民主党は中間層の所得を増やすべきであるということは当然のことであるが日本はアメリカのように中間層の所得を増やすと敢えて言わなければならないような状況にはないと言う。

自助・共助・公助のバランスをどのようにするかということについては日本国民全体にある「ふわっと」した空気を読むことが重要である。アメリカの株価が史上最高値を更新した結果日本の株価も一時45か月ぶりに12000円代に回復した。このような状況になると「自助」をもっと促進するようにすべきであるという考え方が出てくる。「最大多数の最大幸福を実現する根本の方策」は何か?それは「富の分配」を重視することではない。それは「自助・共助・公助」を重視するとともに「社会的弱者に仁愛の手を差しのべその自助の精神を高める」とともに「努力したものが報われる」ようにすることである。

アメリカは日本のような国民皆保険制度を実現させようとしている。これは「アメリカンドリーム」を実現させて富豪になった人たちの所得を減らすことにつながる。アメリカで日本のような国民皆保険制度が実現するまでには相当な困難が伴うだろう。

TPP参加することによって世界に冠たる国民皆保険制度が崩れることを恐れる人たちがいる。日本では所得の高い人たちが民間の保険によって高度の治療を受ける場合、国民皆保険制度の医療保険の適用を受けることができない。しかし国民皆保険制度だからこそ誰でも日本中どこでも同じ費用でその制度のもと保険が適用される範囲内での高度の医療を受けることができる。しかし民間と公的の両方の医療保険を混合して利用できるような制度になると所得が低いため民間の医療保険に加入することができない人たちは民間保険でしか適用されないような高度の医療を受けることができなくなる可能性が出てくる。
しかし公的な医療保険のため政府が支出する金額には当然上限が定められるべきである。非常に多額な費用がかかるような高度な医療でもすべて公的な医療保険を適用するとなるとその費用の財源となる税金について多額の納税者もそうでない人との間で不公平が生じる。非常に多額な費用がかかるような高度な医療のため政府が支出しない部分については民間の医療保険が適用される仕組みが合理的である。現行の公的医療保険制度のもと社会的弱者にも出来るだけ高度な医療を受けることができるようにしつつ、それ以上高度な医療は個人で加入する民間の医療保険でその費用を賄うような仕組みが理想的である。「最大多数の最大幸福」は自助・共助・公助の適度なバランスのもとに実現されものである。

2013年3月8日金曜日


花粉症と黄砂/PM2.520130308

3、4年ほど前から毎年花粉症に悩まされるようになった。九州の方ではシナ(中国)から大量の黄砂とPM2.5が偏西風に乗って飛んで来ている。田舎の老人施設に入居している婆さんを見舞うとともに家屋敷の手入れをするため帰省することにしているが花粉症と黄砂とPM2.5の対策をしなければならない。

人間が日常マスクをして生活する光景をおかしいと思わぬ方がおかしい。花粉症は戦後植えた山林の杉が成長して花粉をまき散らすようになったのが大本の原因である。黄砂はWikipediaによれば「特に中国を中心とした東アジア内陸部の砂漠または乾燥地域の砂塵が強風を伴う砂塵嵐(砂嵐)などによって上空に巻き上げられ、春を中心に東アジアなどの広範囲に飛散し、地上に降り注ぐ気象現象。あるいはこの現象で飛散した砂自体のことである」。日本列島に飛来する黄砂とPM2.5の発生源はシナ(中国)である。これらは日本にとって大変迷惑なことである。しかし当のシナ(中国)自身も健康被害などで深刻な状況にある。人間が作った公害のため当の人間自体が防毒マスクのようなものを顔に付けて町を歩いている。この宇宙に浮かぶ美しい惑星上で人々は当たり前のように振る舞っているが良く考えてみればそれは可笑しな光景である。

しかし人間は花粉も黄砂もPM2.5もその発生を防ぐことができる。既に人間は花粉が発生しない杉を開発して植えている。黄砂もPM2.5も発生しないようにすることは可能である。利害関係にある人間同士が話し合い知恵と資金と労力を出し合うように協力し合えば日本人もシナ(中国)人も皆ハッピーになることができるはずである。「PM2.5の発生源は日本の企業である」と勝手なことをいうシナ(中国)人が居り、シナ(中国)政府もそういう民衆の反日感情を黙認するような姿勢では日本は気持ちよく協力することはできない。

シナ(中国)政府も韓国政府も自国民が日本に対する反感を持って発言し行動することを容認している。そうすれば民衆の反感が自分たちに向けられずにすむからである。シナ(中国)では旧日本軍がシナ(中国)人を虐殺しているという物語を作りそれを映画化し興業収入を上げている会社がある。シナ(中国)にも韓国にも「反日無罪」の風潮がある。

こういう状況を解消するにはどうしたらよいだろうか?矢張り相手国に日本の「力」を見せつけることが最善最良ではないだろうか?「こうしたらシナ(中国)に刺激を与えるからやめる」「こうしら韓国の反日感情に火をそそぐことになるからやめる」など相手の立場をおもんばかる行動はこれまで一度も成功したことはなかった。むしろシナ(中国)や韓国から軽く見られてしまっている。「力」を背景にして相手が何と言おうと日本として当然のことを粛々と行うことが最も正しいやり方である。これ以外にないのである。

2013年3月7日木曜日


ある男の悲痛な願い(20130307

シナ(中国)の公船が尖閣諸島海域を徘徊し、しばしば我が領海侵犯を繰り返し、さらにシナ(中国)政府が「海洋権益を守る」と称して実は「釣魚島は古来シナ(中国)の領土である」と主張し、尖閣諸島を占領することを正当化する宣伝活動を行っている。

シナ(中国)では学校教育において子供たちに「釣魚島」(日本名「尖閣諸島」)を古来自国の領土であり日本が掠め取ったものであると教え込んでいる。韓国では日本の領土「竹島」についても同様に学校教育において子供たちに「独島」(日本名「竹島」)は古来韓国の領土であったが日本が韓国併合時に日本の領土にしてしまったものであると教え込んでいる。シナ(中国)や韓国の子供たちは歴史的事実を知らないまま政府によって教え込まれた嘘の歴史を信じ込み日本を憎むようになっている。シナ(中国)も韓国もそのような教育が正しいことを国際世論に訴える宣伝活動を活発に行っている。彼の国々は日本政府が尖閣や竹島の問題を国際司法裁判所に提訴しようとしてもそれに応じようとしない。

一方日本では子供たちに尖閣や竹島のことを熱心に教えようとはしていない。実際に尖閣や竹島が日本の領土であることを知らない生徒たちが多い。しかも日本政府は国際世論を喚起するための積極的な宣伝活動を行っていない。日本国憲法前文にあるとおり日本は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」して極めて鷹揚な対応をしている。これでは日本の立場は悪くなるばかりである。日本人は「人を騙すことは悪い」と考えているがシナ(中国)人や韓国人は逆に「人から騙される方が悪い」と考えている。

大東亜解放戦争に敗れアメリカに降参するまでは日本に「武士道精神」が旺盛であった。アメリカは日本人の忠誠心・忍耐心・自己犠牲心を恐れたから日本人の精神構造を徹底的に改造しようとした。その一方で「日本の安全はアメリカが守ってやるから安心しろ」と言わんばかりの態度であった。朝鮮戦争が始まるとアメリカは自国の権益を守るため日本を利用した。日本はアメリカの軍事力に依存して余計な金も使わず犠牲も払わずひたすら繁栄を追求した。その結果日本は世界第二の経済大国になった。今は三位に落ちてしまっただが。日本は言うなれば「アメリカを旦那にもつ妾」のような国になってしまっていた。

70歳代前後以降の人たちはそう遠くない未来に全てこの世から姿を消す。今40歳代・50歳代の人たちの子供の時代には日本はどうなってしまっているのだろうか?三島由紀夫はそういう未来を憂えて檄文を残し割腹自殺をした。そのとき彼を批判する言論が多かった。日本人は何か大きな犠牲者が出ないと問題の本質に注意を向けない傾向がある。その時ではもう遅いのである。先ずは学校教育の現場で尖閣や竹島や北方四島について子供たちに徹底的に教え込むことから手を付けて欲しい。76歳になるある男の悲痛な願いである。

2013年3月6日水曜日


シナ(中国)の国防費が前年度比で10.7%増加(20130306

日本は戦後ずっとシナを「中国」と呼称してきた。シナ自身も自らを「中国」と呼んでいる。「中華」とは漢族が世界の文化・文明の中心にある民族であるという意味である。「中華人民共和国=中国」は自らの自尊心をあからさまに表す国号であると言わざるを得ない。日本はシナを「中国」と言ってやる必要はない。英語名Chinaのとおり「シナ」でよい。

ところで「日本」という国号は天智天皇のころから使われてきた。しかしシナの歴代の王朝は「日本」といわず「東の野蛮な国」と言う意味の「東夷」と言ってきた。そもそも国号「日本」は「日(=太陽)が上ってくる本」すなわち「日の本」という意味がある。日本人は自分の国を「にっぽん」と言ったり「にほん」と言ったりしている。旧軍歌の歌詞に「ひのもと」という言葉がある。聖徳太子が古代シナの「隋」の皇帝に「日出る処の天子から日没する処の天子に書簡を送ります。お元気ですか?」という国書を送った。古代の日本は当時の大国シナ(隋)に臆することなく対等の意識をもって朝に日(=太陽)」が上るところの国(=日本)の天皇から(日本での)夕に日(=太陽)が沈む方角の国の皇帝に対して国書を届けたのである。天皇は小野妹子に国書を持たせてシナ(隋)に派遣した。シナ(隋)の皇帝はその国書を読んで不快感を示したが当時の朝鮮半島の情勢がシナ(隋)にとって緊迫した状況にあったので日本を敵に回すことができなかった。

今シナ(中国)は日本を漢語で「日本(Rìběn)」と言っている。シナ(中国)がその意味を聖徳太子が意図した「日出る処」と理解を示し、更に遠い過去にシナが日本のことを「東夷」と言ってきたことが誤りであったと公式に認めるならば日本はシナを正式に「中国」と呼ぶことに抵抗感はなくなる。今尖閣を巡って日本とシナ(中国)の間に緊張感があるがその緊張を和らげるため先ず為すべきことはお互いの自尊心を尊重し合うことである。武力で相手を屈服させるやり方は決して利口なやり方ではない。お互い傷つくだけでなく得ることは何一つない愚かなやり方である。

シナ(中国)は国防費を前年度比で10.7%増加させた。その数字にはシナ(中国)の海洋監視・漁業行政に関わる準海軍の費用は含まれていない。シナ(中国)は「海洋権益を守る」と公言しているがその本心はそういう純海軍を隠れ蓑にして「日本の海洋権益を奪う」ことである。自らの海洋権益を拡大するため日本の領海に公然と侵入し日本の漁船を公然と拿捕しようとするような行動に出ている。シナ(中国)の頭にあるものはアメリカが出てくるから「戦争は仕掛けない」しかし「シナ(中国)の漁船団を日本の領海に進出させてその漁船団を保護しまた指導するという行政目的遂行のため日本の行政の船に発砲する」。そして「その漁船の乗組員を他国の領土に上陸させる」。こうして「紛争」を起こし「外交問題」を起こす。日本はシナ(中国)のこのような手口に絶対乗ってはならない。