2012年4月15日日曜日


精神的貴族の暮らし(20120414)

 この時期「花冷え」という言葉があるが寒暖の差が大きい。男は冬用の衣服を着用して夕方近くに外出した。男は月二回、東京都内のある住区センターで詩吟のサークルを主宰し同好者に詩吟を教えている。メンバーは10人ほどで実年・高齢の女性たちが主である。皆その会を楽しみにしてくれているので、講師である男も皆が楽しいようにいろいろ気配りをしている。普通詩吟教室と「教室」という名前が付くと硬い感じになるが、ここは「楽しむ会」の名称どおり「詩吟を楽しむ」ことが主目的である。会費は担当の女性が1500円と決めている。メンバーの中には都内に息子さんが住んでいて、ときどき伊東から出て来て参加する人もいる。男はその会を10年以上続けている。初めの頃は「教室」としてメンバーを増やし、本格的に詩吟を学びたいという人を伝統的な詩吟の会に送り込むことも念頭にあった。その区の広報に案内したとき23名加わったがその人たちは徐々に抜けて、今いるメンバーは当初からの人に加えて地元の70歳以上の女性たちが何名かそのセンターでこの会のことを知って参加している。
 
男は毎年その会のための詩吟テキストを作成して無料で配っている。今年はこれまで勉強した吟題の中から各自がもう一度勉強したいというものをそれぞれ選んで貰って、毎月2題づつ勉強している。今月は『短歌・源実朝「箱根路を」』と『駱賓王「易水送別」』である。勉強の要領は、先ず詩文について若干の説明を行い、次に男が模範吟を示し、その次に一節づつ男が詠い、その後に続いて皆が声をそろえて男が詠ったとおりに詠う。次に2、3名づつのグループで詠ってもらう。その詠い方について良かったところを褒め、節の難しそうな部分について分解して理解させる。2週間後、一人一人個別に詠って良い点を褒め、改善すべき個所について指摘する。一人一人詠うことを独吟というが、その独吟は時間の許す限り2度以上行って貰う。上手く詠えると意欲が湧いてきて実力が上がる。
 
男と女房は母の介護のため明日10時半発の飛行機で九州の田舎に帰る。そのため今日はその準備で忙しかった。田舎の家では以前ADSLを引いてインターネットができるようにしてあったが、母が施設に入ったので廃止した。そのため別の方法で田舎でインターネットを出来るようにしなければならない。その方法とはスマートフォンを無線ルーターとして使うことである。女房のiPadと男のLifebookノートパソコンがそのスマートフォンと無線でつながるように設定しておけば、携帯電話が使えるところであれば何処でもそれらの情報端末をインターネットにつなぐことが出来る。それが出来るように設定を終えた。
 
かくして今日も一日中多忙であった。男が詩吟で外出中女房は「立つ鳥跡を濁さず」の如く家の中をきちんとした。もし万一飛行機事故などで二人とも「あの世」に行ってしまった後、「この世」の人から笑われないようにするためである。現役ならば会社でバリバリ仕事をしているところであるが、年金暮らしで時間があるからこのようなことができる。有り難いことである。男と女房は決して金持ちではなく、物持ちでもなく、車も持たず、海外旅行もせず、またしたいとも思わず、贅沢もせず日々質素に暮らしているが、傍から見れば優雅に見えることだろう。「箱根路を」の実朝のような貴族ではないが、男と女房は精神的には貴族のような余生を送っていると自身で思っている。

2012年4月13日金曜日


小沢氏の「PAC3展開はナンセンス」発言(20120413)

 北朝鮮が人工衛星と主張するミサイル発射は失敗した。発射約80秒後120130キロ飛んだところで爆発し、黄海に10個ぐらいの破片が落下した。アメリカと韓国がその破片の回収にあたっている。ミサイルは発射直後から衛星及び艦艇及び陸上のレーダーで監視されていた。はたして北朝鮮のミサイルは失敗したのかアメリカ軍によって撃墜されたのか。北朝鮮は過去に似たような失敗をやっているというから撃墜ではないと思われるが・・。

 民主党の小沢氏が自ら主宰する勉強会で、北朝鮮のミサイル発射に備えた自衛隊のPAC3部隊の展開について「ナンセンス」だと言った。男は、小沢氏のこの発言は自衛隊に対して大変失礼な発言だと思う。また、国民を馬鹿にした発言だと思う。もともとPAC3の展開は北朝鮮のミサイルが発表通りではなく我が領土・領海に向かってくるような場合とか破片が落下するような場合に備えたものである。

 その小沢氏の勉強会に出席した小沢氏の‘子分’たちは小沢氏に飼いならされた犬のようなのか。小沢氏自身「天下国家のことを考えている」と口先では言うが、小沢氏の上記発言に異議を唱えない‘子分’たちには国を思う気持ちは一かけらもないのだと男は思う。

男は小沢氏及びその一派が大嫌いである。自身のことしか考えていないように感じるからである。男が小沢氏を徹底的に嫌いになった原因は三つある。一つは彼がシナ(男は「中華」の人民共和国という漢族が周辺の国々を見下げたような表現が気に入らない)の国家元首である胡錦濤氏に、彼が引き連れて行った民主党国会議員140名を一人一人‘拝謁’させ、自分自身はあたかも日本の国家元首のように振る舞い、自分自身は用意されたデラックスなリムジンで送迎されたこと、二つ目はそのシナの次期国家主席候補者である習近平氏を天皇陛下に会わせるため慣例を無視し、「宮内庁は日本の行政組織の一つである。政府が決めたことを従え」というような趣旨の恫喝をしたこと。その政府は小沢氏の言いなりになるような政府であったこと。三つ目は小沢氏が韓国訪問時「天皇の祖先は韓国人である」という趣旨の発言をしたことである。

天智天皇が皇太子の頃、第34代舒明天皇崩御後、第30代敏達天皇の血を引く皇后が即位して皇極天皇として国を治めていたとき、蘇我宗本家一族、とりわけ入鹿には天皇を軽んじるようなところがあった。小沢氏には入鹿のようなところがあると男は思っている。男が小沢氏を嫌うのは血のせいかもしれない。

天智天皇の御代、百済は唐と新羅の連合軍によって滅ぼされた。当時日本は41千人の兵を送り百済を救うため戦ったが敗れ、百済から何千人という百済の人々が日本に引き揚げてきた。彼らの子孫は皆日本人と同化し、血も混じり合ってしまっている。

男は小沢氏や彼の‘子分’たちが真に日本のため活躍してくれるならば文句は言わない。自民党にも居たが半島に出自をもつ人が日本に帰化し、日本人以上に日本を愛する人たちはいる。日本に帰化した人たちが自分自身の利益や自分の‘祖国’のためではなくこの日本国のため貢献してくれるならば、誰も文句は言わないだろう。

韓国の一部(と思いたい)人々は歴史を捏造し、竹島を韓国領独島と言い、従軍慰安婦を強要されたものだと嘘を言い張り、日本海を「東海」と主張し、茶道・華道・剣道など日本固有の文化をパクって「起源は韓国にある」など言い、国連事務総長潘 基文(パン・ギムン)氏までもがそのプロパガンダに加わり、アメリカ各州で韓国系アメリカ人らがロビー活動して州指定教科書にその嘘を記述させようとしている。

 韓国の李明博大統領は在日韓国出身だという。北朝鮮の金正恩第一書記の母親は在日北朝鮮人だったという。国会議員の特に民主党には在日韓国・北朝鮮人出身者が多い。国会議員だけではなく財界・芸能界にも半島出身者が多い。一部の人たちの上記のような反日的行動は、良心的な半島出身帰化人までもが白い目で見られることになっている。これは日韓両国民の未来にとって決して良いことではない。出自がどうであろうと日本の国会議員ならば、一部(と思いたい)韓国人らによる反日プロパガンダを終わらせるように行動するべきである。

 このような文を書いて夜遅くなってしまった。今日男は田舎に帰る準備であれこれ忙しかった。その上昨日「かたくりの里」で撮った写真の整理と印刷に時間を喰われた。家の中の5、6枚の大小写真パネルは全部「かたくりの里」の写真になった。女房は大喜びであった。かくして一日があっという間に過ぎてゆく。


2012年4月12日木曜日


再び「かたくりの里」へ(20120412)

 今日も良い天気なのでまた「かたくりの里」に行って、一週間前見ることができなかった「黄色いかたくりの花」を見ようということになった。前回観た薄紫色のカタクリの花は殆どなくなっていたが、黄色のかたくりの花(キバナカタクリ)が咲き始めていた。

この「かたくりの里」にはピンク色のみつばつつじがあちこちで咲き誇っており、その傍に黄色のやまぶきの花が咲いておりコントラストがよい。その他紅色や白色や桃色などいろいろな木々の花(ホウキモモなど)が咲いており、地面にはキクザキイチゲ・ヒトリシズカ・センブツソウなど山野草が咲き乱れ、あちこちで鶯やその他の野鳥の鳴き声も聞こえる。其処は非常にのどかな里山である。今日は平日ということもあってその里山を訪れる観光客は多くなく、男と女房は其処では花や景色の写真を撮ったりして至福の一日を過ごすことができた。ベンチに腰掛け弁当を広げ、花を観、鶯の鳴き声を聞きながら非常にリラックスした時を過ごした。これが「極楽」でなくて何だろうと思うほどである。

仏教経典に「極楽世界には、種々(いろいろ)の芳(かおり)満ち、種々(いろいろ)の香樹(たからのき)あり、種々(いろいろ)の妙(たえ)なる鳥が歌うている。微風(そよかぜ)吹き来れば、樹々(きぎ)の枝葉は互いに触れ合(お)うて、妙(たえ)なる法(みのり)の声を演(の)べ」と書かれている。近くに居るに違いないが姿が見えない鶯は「ホーホケキョ」と鳴いたり、いろいろな鳴き方をする。その間に他の鳥たちの声もする。今日の「かたくりの里」は男と女房にとって正に「極楽」の世界であった。

「お二人の写真を撮ってあげましょうか」と親切に声をかけてくださった老夫婦や実年の女性に出会った。デジカメを渡して花の下でツーショットを撮ってもらい、お返しに「撮ってあげましょうか・」と言うと「いや、いいんです。私たちはもう十分ですから」と白いひげを生やした品の良い老紳士は答えた。実年女性は友達の女性とグループで来ていたが、デジカメを渡してツーショットを撮って貰ったあと「再生して見て下さい」という。「あ、良く撮れています。有難うございます」と礼を言ったら「二人で写っているのが一番いいんです」と笑っていた。「この世の極楽世界」は其処までである。

帰路横浜のタカシマヤに寄り、田舎に持って帰る土産の菓子などを買った。近所や母が世話になっている関係先に母が世話になったお礼の挨拶に持ってゆくためである。田舎に帰るときはいつもそうしている。家の近くのスーパーで段ボールの空き箱を一つ貰って帰り、その土産や着替えの衣類などを詰めて宅急便の集配所に持って行った。

北朝鮮のミサイル発射は、今日は行われなかった。あの国は朝鮮半島統一の意思を決して捨てない国である。なだめすかし、脅しても北朝鮮の国家意思は変わらないだろう。そのような国に対してはこちらもそれ以上に強い武力で抑えつけるしか道はない。日本は北朝鮮という国が崩壊し、国が滅んで非常に多数の難民があふれ出ることもやむを得ないという覚悟で北朝鮮に対峙し、北朝鮮が崩壊したあとの朝鮮半島の経営については韓国との間で戦略的な協約を結び、かつて日本が朝鮮半島を統治していた形に近い形を、直接的ではなく韓国を中心に据えた間接的な形で実現させることが一番良いのではないかと思う。

2012年4月11日水曜日


うろいよこい(20120411)

 子供の頃、雨が降って農作業を休むとき「うろいよこい」と言っていた。「「うろい」は「潤い」、「よこい」は「ま、ようこうちくり」という「よこう」で「休む」ことである。「よこうちくり」は「休んで下さい」である。男は終戦後の8月、母、弟、妹の四人で朝鮮から引き揚げてきて、親父の実家に帰っていた。親父は9月末に引き揚げてきた。まだ9歳だった男は皆から「きれいな言葉を話す」と皆から褒められていたのを覚えているが、だんだんに言葉が悪くなり方言丸出しのしゃべり方をするようになっていた。そのころの記憶で「うろいよこい」という言葉がある。同じ大分で育った男の女房に「今日は雨だ、うろいよこいだね」と言っても女房は分かるが、子供たちには怪訝な顔をされるだろう。子供たちのまえで「うろいよこい」と言ったことはないが・・。
 
久しぶりパソコンのメールを開いたら、先日の管制施設見学会の写真が送られてきていた。男も自分がスマートフォンで撮った写真を写っている方々に送ってやった。男のスマートフォンもパソコンも富士通製である。スマートフォンからパソコンに写真を送りときF-LINKという機能を使う。これはスマートフォンとパソコンとの間でデータのやりとりや共有が出来るシステムである。伝送速度は結構速い。

 パソコンに取り込んだスマートフォンで撮った写真は、PhotoStudioという写真処理用のソフトウエアを使って自動補正と自動ノイズ調整をかければ結構良い写真に修整される。男はこういう作業に手馴れている。「習うよりは慣れろ」で、とにかく「おたく」のようにパソコンに接していないとなかなかこのレベルには達し得ないものである。
 
NTT西日本に申し込んで、今度母が入所する老人施設の母の部屋に電話を引くように手配した。この4月にオープンしたばかりのその施設は母の終の棲家となる。NTT西日本から新しい電話番号の候補が五つ示された。その中の気に入った一つを母が終生使う電話番号にした。NTT西日本の窓口の担当者曰く「いい番号ばかりです。あまりいい番号だと間違い電話がかかってくる可能性があります。〇○○や×××などはもと何処かの会社が使っていた番号だと思います」という。だったら最初からそのような番号を外して提示してくれればよいのに、と思う。しかし廃止された電話番号リストの中から無作為に出てくる仕組みだから仕方がないらしい。男は女房と相談して気に入った番号を一つ選らんで決定した。その番号は以前やくざの組織で使われていない番号だろうと思うが、母のところに怪しい間違い電話がかかって来ないように願うしかない。NTT西日本によると、一度決定した番号に不具合がある場合は、一度だけ無料で新しい番号と取り換えることができるという。

 物事がよく転がるか、うまくゆかないかは運次第である。運には強運の人も悪運の人もいる。いつも運がよく転がる人もいれば、いつも悪運がついてまわる人もいる。同じ人間なのに何故そのような差がでてくるのか? 男は、それはその人の前世からの定めだと確信している。「そんな馬鹿な、不合理なことがあるものか」と反発する人もいるだろう。しかし、「地獄・極楽はこの世」にあると言う人もいる。良い心がけ、良い行い、素直な心、正しい心の人には、常に「良い巡り合わせ」があるようである。一方で、「悪いめぐり合わせ」も見方を変えれば、それは「良いめぐり合わせ」と取ることが出来る。物は考ええようである。取り方次第である。素直にそう考える事が出来る人は常に幸せである。

 ひさしぶりの「うろいよこい」なので、男は自分の部屋にとじこもりきりでさっきいった写真の処理などに集中していた。女房から「回転焼きをチンしたよ」と声がかかる。この回転焼きはそごう地下食品フロアの人気商品である。女房は時々10個買ってきては、冷凍庫に保存している。女房は男に出来るだけ多く水分補給をするように勧めてくれている。年寄り二人暮らしの質素なティータイムである。緑茶を飲みながら女房は「パソコンの前に座りっきりで疲れない?」心配顔である。「テレビを見ていたら、良く居眠りをする人やあくびをする人は疲れているんだと。疲れたからと栄養ドリンクを飲む人がいるが、あれは健康に良くないんだって。お父さんは電車の中でもすぐ居眠りするし、私テレビ見ていて独りで笑っちゃった」という。「うろいよこい」でパソコンの前に座っているが、お蔭で今日は多くの事が出来た。

 この「うろいよこい」の日、女房は昨日スーパーで値段が安くなっていたから買ってきたという孟宗竹の筍を米ぬかで煮込みあくを抜き、今日それを料理している。今夜の夕飯のおかずは筍の煮物である。20年も前男が勤めていた衛星管制施設に隣接する竹林の持ち主のI氏のご厚意で女房と一緒に其処で筍狩りをしたことがあった。あれは面白かった。




2012年4月10日火曜日


衣替え(20120410)

 今日も天気が良い。二人暮らしなのに毎日洗濯ものが多い。というのは男の家では衣類も寝具も頻繁に洗濯するからである。このところ気温が上がり就寝中汗をかくようになった。男はいわゆる「加齢臭」を気にしていて毎朝シャワーを浴び胸や背中の皮脂を洗い流し、下着も取り替えるのであるが、今朝からはこれまで二晩着たら洗っていたパジャマも毎日取り換えることにした。今日は天気も良く、強い風に乗ってくる花粉の量もひと頃より減り、二人とも遠くには出かける予定はない。午後遅い時間にちょっと遠出のウオーキングに出かけるだけなので洗濯ものの取り込みのことについて心配する必要はない。そこでシーツ・枕カバー・布団カバー、クリーニングに出さずに自宅で洗濯できる冬ものの化繊衣料などを一挙に洗濯する。こういう次第で家での洗濯物が特別多いのである。

 純毛製品や高価、といっても庶民が着る物は高が知れているが男や女房にとっては高価なブランド品を沢山クリーニングに出した。女房のものも含めてコート3着、ベスト3着、セーター2着、カジュアル背広上下1着、シャツ2枚、マフラー2本など出して、クリーニング店会員特典20%割引があって1万円ほど支払った。クリーニングに出したものの中にはこの年に2度しか着なかったコートや背広などが含まれている。現役でない男はそれらを普段着ることはないが、現役の頃の勤め先のOB・OG会のときなどに取り出して着る。二度しか着ないのでクリーニングに出すのは勿体ないという気はしないでもないが、それらを綺麗に洗濯しておけば夏の蒸し暑いときに雑菌が繁殖する心配もないし、害虫の被害に遭うことはないだろう。第一不潔な臭いを元から断ち切ることもできる。それは費用の問題ではないのである。毎年こういうことを繰り返しながら時は過ぎてゆく。

 今日は男と女房が大分のある料亭で祝言を挙げて50年目になる。いわゆる金婚式という行事を行うべき日である。男と女房はそのことを二人の息子たちには伝えてなかった。第一これまで毎年結婚記念日など意識してこなかったから、息子たちも全く関心をもっていなかった。ところがふとした話の端々からその話が嫁たちに伝わってしまった。息子たちから何か言ってくるだろうと思うが、男と女房は50周年を祝うため、今週末九州の田舎に母の介護のことで帰ったついでに長崎・平戸辺りの旅行をしてくることにしている。

 午後一段落ついて男は女房と一緒にウオーキングに出かけた。目的地は県立三ッ池公園である。其処は毎年桜の時期なると多くの人々がやって来る。今日は観光バスが3台来ていた。男と女房はその公園に四季折々の花を観、運動も兼ねて度々その公園を訪れている。「三ッ池」とは文字通り光3つの池があるからそう呼ばれる。江戸時代其処は農業用水の溜池が3つあったところである。其処からやや離れた場所に「2つ池」がある。其処も同様に農業用の溜池が2つ連なっているところである。

 3つ池公園ではソメイヨシノやオオノザクラや緋桜などが咲き誇っていた。桜の花びらも散り始めて時に雪が舞い降りるようである。柳の枝に緑の小葉が付いていて風に揺られている。その柳の下の池には「花筏」が出来始めている。丁度180度いっぱいの視界で満開の枝垂桜やその他の桜を眺めることができるベンチが一つ空いていたので男と女房は其処に座り、花を愛でながら持参した菓子やみかんを食べた。女房が枝垂桜の写真を撮りに行っている間、男は10メートルばかり先の小道を行き交う人びとや56人の高齢の男たちが脇でたむろして談笑している様子を眺めながら、「こういう風景や人々の身なり・容貌などこそ違うが江戸時代の花見客もこのようなものであっただろう」などと想像した。

 公園内をゆっくりした足取りで一周しているとき、すぐ近くの桜の木の花の陰から鶯の鳴き声がした。その鳴き声は数回聞こえた。満開の花びらの陰にその鶯が居ないかどうか目を凝らして探してみたが、遂にその鳥を見つけ出すことはできなかった。もともと鶯は見つけにくい小鳥である。花が散り、葉が茂ると見つけ出すことは一層困難になるだろう。

 新聞に徳川将軍家の代々の正室の頭蓋骨の特徴について報じられていた。男は人の限りある一生のことを思い、歴代徳川将軍の正室たちが生きている間の様子をあれこれ想像した。想像力を働かせると意識は遠い過去に遡ることができるし、ずっと先の未来にまで伸ばすこともできる。「想像力」はヒトという生物にだけ備わっている能力である。チンパンジーの「アイ」ちゃんは学習成果として相当な知的能力を備えているが、「想像力」はないようである。遺伝子が僅か1%しか違わなくても、チンパンジーとヒトとはそこが違う。

 男と女房は結婚50周年という特別な日を確かめ合うため、夕食は「トレッサ横浜」のレストラン街にある中華料理屋で取った。静かな店内で男と女房はテーブルを挟んで向き合って、連れ添って50年経過したお互いの顔を眺め合った。男は心の中で「俺は無明のうちに良い伴侶を得、ここまで生かされてきたのだ」とつくづく思った。男も女房もいずれそう遠くない未来には白骨となる。その前に為すべきことを成し遂げておかなければならない。男は結婚50周年という節目にその思いを一層強くした。プライオリティを第一に考え、残されている限られた時間内に、自分が為すべきことを集中的に為さねばならぬ。その思いを新たにした。

2012年4月9日月曜日


家事の分担(20120409)

 男は大いに家事を手伝っているつもりである。食事の後片付け・食器洗いは男の分担と決めている。それ以外あれこれ恒常的でない作業がある。例えば部屋の掃除とか、女房が外出して男が在宅のとき洗濯物を干すとか取り入れるとか、金魚や熱帯魚の水槽の清掃・水の入れ替えとか、また母が施設に入ったので誰も住んでいない田舎の家の管理のこととか男がしなければならない仕事もある。食事つくりは女房が行っている。洗濯は洗濯機が自動でやってくれるが、洗濯機に洗濯物を入れたり洗濯が終わった洗濯物を干したりするのは女房の仕事である。男は家事を相当分担していると思っていても、女房から見れば女房は男以上に家事に時間を割いていると思っているようである。しかし、もし男が料理作りが好きで、たまには腕を振るって格別美味しいものを作ってやるならば、女房は大満足であるに違いない。

 もしわが家が広く資産家であれば家に使用人など住みこませ、家事の多くをその使用人にやってもらうならば、男も女房も家事に要する時間を他に使うことができるだろう。しかし一方でその使用人が家の中に家族同然でいるだけで人間関係の煩わしさが生じるだろう。また家事に要する時間を減らすことができたからとて、その浮いた時間をどれだけ有意義なことのために費やすことができるかどうかは疑問である。

 一つ確かなことがある。家事というものはやればきりがないということである。例えば家の中をいつも綺麗に清掃し、整頓するということもその作業を行えば行うほど次々と目につくものが出てくるものである。男が家事に時間を割いていると女房はその間更に別の家事に時間を割く。お互い綺麗好きだしやろうとすればやることは沢山ある。しかしそれぞれ自分でやりたいことがあるので、お互いほどほどのところで線を引いている。

 たまたま男がきりきりと集中して自分の作業をしているとき女房から別の注文が出たりすると、男は多少いらいらした状態になり女房と衝突することがある。「今、これこれしかじかのことをやっているのだ。俺のやっていることを理解して欲しい」と言う。一般的に男は社会との関わりの深いことに興味があることに対して、女は家庭的なことや身近なことに興味がある。男は先祖の祭祀や子子孫孫のことに関心があるのに対して、女は友達とか子供のことに関心がある。

 今日は女房と横浜市本牧にある三溪園の桜を観に行った。その後男は週一回の陶芸教室で素焼きが終わっている作品に釉薬をかける作業をした。男が作ったものは黒泥という土を使った中皿2個である。釉薬はS先生のアドバイスで内側をチタン、外側をトルコにした。最初に内側の上部淵のところまでチタンをかけ、乾かしてスペーターを塗り、その後トルコ釉の中にどんぶんと漬けてその釉薬を塗るのである。スペーターを塗ったところにはトルコ釉はくっ付かない。だから「スペーター」という。

 陶芸の帰途、男は新横浜のビックカメラに立ち寄ってキャンノンプリンター純正用のインクを買って帰った。これは消耗品とはいえ1セット4千円以上する。男は帰宅後そのプリンターのインクを好交換した。キャノンプリンターは主として女房がデジカメで撮った花の写真の印刷などを主目的に使っているものである。男の分担事項には女房がすることはないこのような仕事もあるのだ、と男は言いたいと思っている。

 夕食後テレビで最近若い人たちの間で自分の日々の生活の記録を残すことが流行っているらしいことを知った。例えば買い物をしたりレストランで食事をしたりした時、その都度デジタル写真を撮って保存したり、日記帳を持ち歩いてその都度書き込んだりする。そういう人が増えたという。その記録保存のため無料のアプリケーションが利用されているらしい。そのような人生の記録は誰のためでもなく、自分自身の満足のためという。

男はそのようなことには全く興味がないと思っている。しかしものを書いて自分の子子孫孫に読んでもらおうなどと考えるところは、結局は誰のためでもなく自分のためである。それは家事分担外の男の仕事ではなく、女房が言うように男の趣味の範囲のものである。

 独身者は気楽なもののように見える。自分の時間について傍でとやかくいう者はいない。部屋の中がどのように散らかっていようと誰からも文句を言われない。しかしそれで幸せかというと決してそうではないだろう。家庭を作り、子供を授かり、子育てをし、立派に育て上げ、社会に送り出すことはいろいろ苦労も多いが、幸せなことである。
  

2012年4月8日日曜日

時は過ぎて・・(20120408)

 男は人生の一時期、日本の通信衛星事業に関わる仕事に携わり、非常によい経験をしたことは有り難いことであったと思っている。今から26年前、男は日本初の民間通信衛星の事業を行う会社に転職した。それもある日、男は日本にそのような会社が設立されていたことも知らずに上司に退職を申し出た。するとその上司は「俺もお前に話があるのだ。Iさんに会え」という。そのIさんに初対面であったが厚かましくもそのIさんのお宅を訪問した。そしていろいろ話しているうちに、「日本通信衛星株式会社という会社が虎ノ門にある。人事部長のMさんに会って来なさい」という。そこで地下鉄虎ノ門にあるその会社を訪問した。するとそのMさんは男を食事に誘いその席で「すぐ英語と日本語の履歴書を書いて来て下さい」という。

男は英語の履歴書の書き方を知らなかった。本屋でそのハウツー本を見つけ、手書きで履歴書を書いて持って行った。社長室に通され、社長室で社長・副社長・アメリカ人の常務と会った。そしてその会社に採用されることになった。入社日は夏のボーナスなどの関係で52日と決まった。その前日、男は航空幕僚長室で退職の申告をした。申告の内容は「5月2日付をもって退職を承認されました」というものであった。その時航空幕僚長からは「何処に行っても国の為じゃ、頑張れ」との言葉を頂いた。以来、男はその「国の為」という言葉を忘れることはなかった。

 男はある日女房と一緒に、男が入社後働くことになる衛星追跡管制施設の建設予定地に行ってみた。その時はまだただの山林で近くに1、2軒の農家があるだけだった。男は上司がアメリカ人である技術部門に配属され、10人の技術関係社員とアメリカで衛星追跡管制技術に関する研修を受けた。研修期間は職種によってまちまちであるが、赤道上空36千キロメートの軌道上にある通信用衛星の位置や姿勢をコントロールする地上用設備の技術研修は6か月間であった。研修を終え帰国したらその建設予定地には既に建物が建っていた。男たち基幹要員10名がアメリカで研修を受けている間に、日本では日本初の民間通信衛星事業の開始に向け寝食を忘れ頑張っていた社員たちがいた。男の初仕事は合弁事業を行うアメリカの会社が製造し、設置し、使用できるようにした衛星追跡管制システムの領収検査を行うことであった。男が領収検査を行った証として署名し、男のアメリカ人上司が署名することによって領収は完了した。社内の書類はすべて英語、会議も英語であった。衛星は赤道上空の所定位置で使用できる状態になって引き渡された。つまりその時をもって一合弁会社の民間企業が初めて通信衛星を保有することになった。

 アメリカで研修を受けていた男たち10人は、製造中の日本初の通信衛星の組み立て工場を見学したことがあった。その衛星は南米ギアナの打上げ基地からフランスのアリアンロケットでヨーロッパ初の気象衛星と一緒に打ち上げられた。そのとき男らは管制施設内の管制室の中の一画でリアルタイムで衛星打ち上げ時の様子をモニターし、軌道に投入された衛星からの信号を確認した。衛星は地上からの電波と衛星からの電波の信号により、衛星の位置・姿勢・搭載されている電子機器の作動状態が判るようなっている。ガラス越しに関係者らが室内の状況を見ていた。打ち上げ成功・軌道投入成功の瞬間拍手が起きた。

打ち上げまでの状況をまるで本職のアナウンサーのように透き通った低いトーンの声で次解説したN氏は、昨年がんで逝ってしまった。当時の社長も次の社長も、また男が家族つきあいをしていた男の上司も鬼籍に入ってしまっている。男はその奥さんとは同じ年であり今でもお互いホームステイしたこともあったりなどして親しく交流を続けている。

 今日、その当時はまだパラボラアンテナが3基しか建っていなかったが現在は施設が拡張され多数のパラボラアンテナが立ち並び、大変立派になったその衛星管制施設に、当時の関係者が招かれ、施設内に咲き誇る満開の桜を愛で、現在の状況について説明を受け、施設内を見学し、旧交を温める会が催された。

若くして逝ってしまった会社の宝のようなN氏の肉声が流れる1号衛星打ち上げの様子をビデオで見ながら男は感じた事がある。今、今北朝鮮が衛星を打ち上げると称してミサイルを発射しようとしている。打ち上げるものが衛星であろうとミサイルであろうと打ち上げまでには綿密な手順を踏む筈である。日本初の民間の通信衛星は3段ロケットで打ち上げられたが、北朝鮮のロケットは2段である。国が貧しく人々が餓えている国が、何故そうまでして頑張るのか。日本はそのミサイルが何処に飛んでくるのか相手の意図を読みながら、北朝鮮のミサイル迎撃事態のため万全の備えをしている。

2012年4月7日土曜日


「世界はひとつに」なれるか?(20120407)
 
「春のうららの隅田川・・・」という唱歌で歌われる隅田川はのどかな春の風景であるが、この隅田川は関東大震災や東京大空襲で多くの犠牲者の遺体が浮いていた川でもある。その隅田川の土手はホームレスの青いシートで覆われた小さな小屋が群れを成して並んでいる場所でもある。今日は土曜日、少し気温は低いがお天気も良く、地下鉄浅草駅に近い所には水上バスの発着所があり、隅田川両岸の桜は満開で川岸からスカイツリーも良く見えることもあって非常に多くの人出で混雑していた。

男は初め、今日は千鳥ヶ淵の桜を観にゆき靖国参拝をしようと考えていたのであるが、男にスカイツリーを是非見せたいと思っていた女房の勧めに従い急遽行き先を浅草に変更した。女房は以前と千葉に住む友達と落合い出来たばかりのスカイツリーを見ている。

雷門の左側の路地を入った老舗で昼食をすませ、人ごみの中を通り抜けてスカイツリーが見える東側の川岸を歩いた。以前見かけた青いシートに覆われた小屋は殆ど撤去されていた。東京都がホームレスの人たちを一時的に何処かの施設に収容したのだろうと思う。川には水上バスや屋形船が行き交い実に平和な風景である。男も女房もそれぞれのデジカメでスカイツリーや川面の船の風景の写真を沢山撮った。

橋の脇に東京大空襲のとき犠牲になった数多くの無縁仏を弔う碑が建っている。碑には犠牲者たちは近くの公園に仮埋葬され戦後掘り出して荼毘に付したと書かれている。人々は猛火と炎熱の中必死に逃げまどい、熱さにたまらず力尽きて命を落とした。その遺体が沢山浮かんでいる隅田川の水中に飛び込んだ人も多かった。

このような惨事は人間が引き起こしたものである。広島・長崎への原爆投下もそうであるが、命令に従いそのような大量殺戮の爆弾を投下するB-29機上の兵士たちの中には自分たちが行っている結果、地上で惨事が繰り広げられている様子を想像した者も多分いたであろう。もしそれが自分の親や妻や家族であったらどうだろうかと考えた者も居たと思う。

人は群れをつくると他の群れと争うようになる宿命を背負っている。群れの中の個人は自らの道徳的観念により同じ人類である他の人間を殺すことはできないと常日頃思っていても、その個人は群れの集団心理と掟から逃れることはできない。もし逃れたいと思うなら掟を破ってその群れから脱走するか、自ら命を絶つかのいずれかしか道は残っていない。もし脱走して見つかり群れに連れ戻されたら、その群れのルールに従い、処刑されることある。処刑されないまでも酷い仕打ちを受けるだろう。


スカイツリーの傍まで行って空を見上げるようにしてその塔の写真を何枚か撮った。女房が以前行ったとき汚かった水路はきれいに整備されており、地下鉄「押上スカイツリー駅」もできていた。其処から列車に乗って帰った。たまたま乗った列車が急行で、品川の一つ前の駅で京急線の特急に乗り、川崎で乗りかえて非常に短い時間で家に帰りつくことができた。首都圏の交通網はこの数十年の間に非常に便利になったものである。もしここが首都圏直下型大地震に見舞われたらどんなことになるのか。相当な被害は予測され公開されており、被害を局限する努力は続けられているが、皆「その時は運次第」とあきらめているようである。

家に帰ってテレビ番組で石巻を訪れた藤井フミヤのドキュメンタリーを観た。「Life is beautiful」「あの街に生まれて」などなど聴いて胸にこみ上げるものがあり涙が出た。続いてNHKBS再放送番組「震災から1年“明日へ”コンサート IN 須賀川」を観た。花粉症のせいもあるが涙が止まらなかった。この番組の終わりごろ小学生の合唱「世界がひとつになるまで」があった。西田敏行が感動のあまり涙ながらに「大人の愛で子供たちを守りましょう!」と言ったとき、男も全く同感であると思った。
 
しかし男は一方で、「世界がひとつ」になることは理想であるが、それは絶対実現しないと思っている。万世一系の天皇を頂く日本の中では「日本一家」という感じで「ひとつ」になることができていても、日本の外では国の「性格」が違う。「国家」という群れは他の「国家」という群れと必ず争う。これは人間の宿命である。一方で「国家」の中にいる人々は他の「国家」の人々とは心を通じ合わせることができ、人間として是非そうしたいと思うものである。だから日本人は自分たちがごく普通に常識的に思う「世界はひとつ」の観念を、他の国の人々も同じような観念で思うだろうと錯覚している。

文明批評家・メディア理論家マクルーハンは「地球村」の「どんな民族でも一つの屋根の下に置かれたら、同じ都市の何千もの家族以上に多くの相違と少ない調和に悩まされる。村の条件が整えば整うほどに断絶や分裂や多様性が増す。地球村はあらゆる点において最大の不調和をもたらす。均一性や平穏さが地球村の特性だなどと決して思えない」と言っている。民主党鳩山氏や自民党谷垣氏らが考える「東アジア共同体」の行く先に「通貨統合」「政治統合」が考えられているが、これは危険な構想だと男は思う。
 

2012年4月6日金曜日


往年の若さを取り戻すことはできないが・・・ (20120406)

 昨日はよい一日だった。自宅で夕食後、「かたくりの里」で男も女房もそれぞれのデジカメで撮って来た写真をテレビに映し出して鑑賞した。良くない写真は削除し、良いものだけを残した。「かたくりの里」は、おそらくその町の資産家が所有している丘陵地を利用してできたものらしく、中央あたりにその資産家のものらしい墓所がある。折角撮った写真の中にその墓所が写っているものは気持ちが悪いので全部削除した。女房はSDカードの写真を自分のiPadに移し、iPad画面でその写真を鑑賞できるようにした。女房はiPadの操作について男が教えなくても殆ど自分でできるようになっている。

 男が撮った写真にもカメラのアングルが良くて写真パネルにしたら良さそうなものも数枚ある。何十枚中の数枚である。女房が撮った写真にも良いものがある。女房はその中の写真を一枚はがきの用紙にプリントして、施設に入っている母に手紙を書いて送った。母への手紙は1週間から10日おきに殆ど毎回女房が書き、たまに男が書いていて送っている。多少アルツハイマー病になっている母は男の継母であり、女房の生みの親ではあるが育ての親ではない。しかしその母は男の家系に大きな貢献をしてくれた。つまりその母の娘である男の女房は二人の立派な息子たちを生み、育て上げ、社会に送り出してくれた。どの家でも母親が立派であればその子供たちも立派になれる。母親が駄目であればその家系に良い子孫は残らない。

2月に男が帰郷し施設にショートステイで入所している母に会ったとき、母は女房が送った手紙を何度も何度も読み返していると涙ながらに話してくれた。その母は来月同じ経営者が新たに建設した老人ホームに終の棲家として入所することになっている。その手続等のため男と女房は来週早々帰郷する予定である。その施設の母の部屋に電話を引いたりテレビや使い慣れた家具などを持ち込むことになっている。

 男は昨日撮った写真の中から良い写真を2枚をA4用紙に、3枚を2L用紙にプリントした。女房は早速それらを額に入れ居間や廊下や自分の部屋などに飾った。男の家の中の飾りは四季折々の花の写真パネルと山野草の花瓶が主である。購入した高価な絵など一枚もない。二男が芸大生のとき作成した石膏の裸婦の立体的ボードや高校生のとき描いた日光の杉並木の油絵のほか、写真サービス業で成功した男の竹馬の友がプレゼントしてくれた秋山正太郎の大きな写真パネルが目を引くだけである。ついでながら男の家の食器棚の中には高価な食器は殆どない。多くは男の手作りの陶芸作品である。しかしその方が温かみがある。男も女房も質素・清潔・温かみ、それが一番の幸せの素であると思っている。高価なものを買って身に付け、或いは家に飾り人に自慢するのは、その人にとって誇れるものはそれしかないからである。

 午後、法務局に「登記事項証明書」なるものを取りに行った。収入印紙代は700円取られた。この書類は男が住む家の火災保険・地震保険手続き上必要なものである。この建物が建築基準が変わった昭和56年以降に建てられたことを証明すると掛け金が多少安くなるからである。こういう家事雑務で外出すると多少運動にもなる。

オリンピック選選考水泳大会が行われている。注目の北島選手・立石選手が平泳ぎ100m、200mでオリンピック出場が決まった。水泳選手らは皆逞しい。昔でいえば相当な使い手の侍たちである。男は女房と一緒にテレビに映る彼らの姿を見て、年老いたとはいえ彼らの精進ぶりに負けないように頑張らなければと思っている。

ここ半年近く悩まされてきた男の左大腿部の異常は殆ど解消されてきた。今朝は6時に起床したが、起床前足腰の骨・間接・特に鼠蹊部の屈伸などよく行った。痛みがなくなってくると気持ちが晴れ、体中に気力がみなぎってくるようである。股開き・足ねじり・屈伸など呼吸法を行いながら行い、最後に腹筋背筋の運動を行い、腕立て伏せ運動を行う。これをこのところ毎日行っている。この運動は自分で考案した運動で、普段使わない筋肉をよく動かすようにしている。

水泳選手らのような若い時代ははるか遠くに過ぎ去った。しかし余生は最後の最期まで凛とし、生き抜かなければならない。夕刻毎度利用している近所の床屋に行き、延びた髪をカットして貰った。鏡に写る自分の面構えを見て、「俺の顔つきは以前と比べて生気があふれるようになったな」と思った。このところ以前のようにフェイスブックで夜更かしなどせず、生活習慣を改めたとは言え、一日、二日で体調がそう簡単に良くなるわけではないのだが、人の体は心の持ちようでどうにでも変わるものだと思う。女房が男の健康維持についていつも真剣に思って食事内容や運動などいろいろ気遣ってくれていることは有り難く幸せなことである。明日は女房と千鳥ヶ淵や靖国神社の桜を観にゆくことにしている。

2012年4月5日木曜日


男と女房の幸せな日々のひとこま(20120405)

 昨日の朝食時、女房に「今日お天気が良いから千鳥ヶ淵に桜を観に行かないか」と誘ったが、女房は午前中昼前いつものとおり近くの女性専用フィットネスクラブ「カーヴス」に運動をしに行くし、まだ東京の桜は満開ではないと思っているので断られた。

 放送大学から講座の資料が送られてきている。男は去年、『グローバリゼーションの人類学』という専攻とは関係がない科目を執っていたが、通信添削のレポートも出さず放置してあった。今年は気持ちを入れ替え放送大学の勉強をしようと思う。

いい歳をしてこの日本国の再生のためフェイスブックやこのブログで日中・日韓の間の問題解決の為少しでも役立ちたいと考え、入手した情報や自分の考え方などを積極的に発信してきたが、そのため多くの時間とエネルギーを費やしてきた。自分がやっておかなければならぬと思うことはほぼ終えたと思うのでこれからは再入学している放送大学の専攻で卒業するつもりで勉強し、また精神の充電もしようと思う。

 そこで早速、放送大学のインターネット番組配信のページにアクセスし、上記科目の講義を視聴した。その結果をもとにまたもやフェイスブックの自分のノートに記事を書いて投稿した。「人は群れると争う」ということは日中・日韓関係でも言えることである。マクルーハンの「どんな家族でもひとつの屋根の下に置かれたら、同じ都市の何千もの家族以上に多くの相違と少ない講和に悩まされる」という言葉は、鳩山元首相や自民党谷垣総裁・加藤氏ら理想主義者によく知ってほしい言葉である。東アジア共同体なんてとんでもない。

 昨日の午後はお天気がよかったので運動を兼ねて女房と一緒に近くの「市民の森」などを散策し、1万歩ほど歩いた。左大腿部の異常は鼠蹊部の運動不足で血流・リンパ液流が悪かったり、神経を圧迫したりしているせいであることは分かっている。徐々に問題解消・体調の回復を進め、かつての若々しさを取り戻さねばならぬと思う。

 今朝も起床前十分なストレッチ運動を行った。左大腿部の異常は殆ど感じられなくなりつつある。今日もお天気が良い。そこで女房が一人で行くつもりであった横浜線橋本の「かたくりの里」に一緒に出掛けた。女房は以前、10数年も前、友達と一緒に其処に行ったことがあり、そのとき撮ったかたくりの写真は去年の女房の「花ごよみ」に編集して入れてある。男は其処に一度も行ったことが無かったので是非一度其処に行ってみたいと思っていた。男は女房と一緒に行ってやって良かったと思っている。

 橋本駅を出たら町の様子がすっかり変わってしまっている。女房は以前橋本駅から往復あるいて「かたくりの里」まで行っていた。ところが町の様子がすっかりモダンになっているので勝手が違っていた。警備員に道を尋ねたら「歩くと1時間以上かかります。其処まで往復のバスが出ていますのでそれを利用されることをお勧めします」という。女房は「あのとき歩いて行ってもそんなに遠いとは思わなかったのに」と言いながら、警備員のアドバイスに従うことにした。

 バスは定刻00分と30分の1位時間に2回だけ運行されている。15分ほど列に並んでバスに乗って座席に座ることができた。しかし、列の後ろの人たちが余りにも多い。バスはぎゅうぎゅう詰めで出発した。はみだして乗れないひとも2、3人居た。

 「かたくりの里」は入場料が500円であった。其処にはかたくりが沢山花をつけていた。男も女房も出来るだけよい写真を撮ろうと真剣にデジカメを構え、シャッターを切った。其処は鶯の鳴き声もしばしば聞こえ、非常に癒される場所であった。備え付けのベンチに座りしばしのんびりした風景を楽しみ、至福の時間を過ごした。バスに乗る前、その停留所の前のスーパー「イオン」で子供用のビスケットをひと箱買って行ったが、最初に座ったベンチに腰を掛けたとき、その「かたくりの里」のオーナーの奥さんを中心としたたち一行のメンバーと会話をしたことがきっかけで、その菓子を皆に分けてあげて喜ばれた。

 帰りは女房の遠い記憶をたよりに、橋本駅までの道を聞きながら橋本駅まで1時間あまり歩いた。「とても遠いです。1時間以上かかります。バスを利用されることをお勧めします」と言ってくれるが、その方々は歩くことに慣れていないのだ。男も女房も歩きなれている。歩きながら目に入るものを楽しんだ。心地よく歩いて駅ビルに着に辿り着き、駅ビル内の和食レストランで遅い昼食を取った。其処は茅ヶ崎に本店がある和食の店で、値段が1200円ほどの刺身とエビ2匹他の天ぷら定食は非常に上等であった。店内は大変落ち着いた雰囲気であり、リラックスできて大満足であった。

 総歩数12千歩余り、家について一息ついてお茶を入れ、橋本駅近くの「名物酒まんじゅう」と看板が出ている店で買った酒まんじゅうを蒸かして食べた。男の左大腿部の異常は殆ど解消している。やはり運動不足であったのだ。

 かくして男と女房の今日のメインイベントは終わった。女房は放送大学の授業を聴いている。男もこの後わが家の火災・地震保険払込みをインターネットで行う作業の準備などした後、昨日に引き続き『グローバリゼーションの人類学』の勉強をしよう。

2012年4月4日水曜日


春の嵐(20120404)

 昨日は日本海を台風並みの低気圧が通過したため、非常に強い南、東南よりの風が吹き荒れ、各地で被害が出た。死亡者も出た。我が家では南側にあるベランダの洗濯物干し竿が風で飛ばないように固定してあったし、事前に強風対策を講じてあったので被害はなかった。瀬戸大橋上では列車が動けなくなり170名の乗客は強風で揺れる車内で10数時間も過ごさなければならなかった。

 4月は人間の体の状態も気象の変化で交感神経と副交感神経とが頻繁に交互に働くため、偏頭痛が起きやすいという。高齢になると体調維持のためにはいろいろ工夫し、ストレッチの仕方を考えて行わなければならない。朝起きる前に布団の中でできる運動の仕方がある。今朝も起床前自己流のストストレッチをした。昨日の朝はストレッチで足の屈伸をしているときポキポキと音がしていたが今朝はそんなことはなかった。しばらくゆっくりと屈伸動作をしていると動きはスムーズになるが、機械でいえば潤滑油が切れているような状態である。

 男は一昨日、毎週一回の陶芸を楽しんだ。半磁という土を練ったあと計量して800グラムの塊にし、それを台の上に置いて手びねりで皿を作って、1週間後削りを入れ、外側に削りの模様を付け、素焼きに出していた。この素焼きができあがったのでこれに釉をかけた。内側に透明釉をかけ、釉がかかっていなかった淵などを同じ釉を筆で塗って補正して乾かした後スペーターを塗って乾かし、次にMIX釉液にドボンと漬けた。

 男は昨日、風が強くならないうちにと近所のスーパーマーケットに肉体の疲労回復用栄養剤アスパラHIを買いに行った。もう4、5か月にもなるが男の左大腿部に異常があり、膝を外側に開くようにしてねじったときなどにときどき痛みがある。神経痛と思われる。左鼠蹊部を走る神経が圧迫を受けるときに痛みが起きるようである。足を高く上げねじったりしてストレッチしすると痛みが和らぐ。しかし大腿部には筋肉疲労がたまっているようである。毎朝、筋肉痛・神経痛・眼精疲労などに効くビタミン錠剤を服用しているが、若い時のように楽々と足の屈伸動作ができなくなっている。不摂生・生活習慣病のようなところがある。これは余程改善の努力をしないとますます状態が悪化するかもしれない。男は徐々にではあるが効果的なストレッチをして、体が柔らかくなるようにしなければならぬと少し危機感を抱いている。なにしろ町の病院で診てもらってMRI診断もしてもらっているが、整形外科の先生は「どこにも異常はみつぃかりません」という。

昨日は北島選手が100mバタフライで日本新記録を出して優勝しロンドンオリンピック出場が決まった。彼は試合に向けて体調を最高度に持って行くような調整ができるという。男は北島康介選手の精進ぶりを見て、「自分はこんなことではいかん。近くの整骨院に行って相談してみようか」とも思う。

 男は昨日久しぶりサンディエゴのエルサに電話した。彼女は男と同じ年の1937年生まれであるが先2875歳になった。「Happy Birthday For Your 75」とカードに書いて送ってあったが、28日電話した時不在であった。留守電を入れていたが、その後孫娘が来たりしていて電話していなかった。今日、スマートフォンのSkypeを設定し、スマートフォンからエルサの固定電話に電話した。これは便利である。そろそろクレジットが無くなってきているので、チャージしておかなければならない。クレジットはユーロで払う。

 男はもういい歳なので、国を憂える記事は書かぬことにした。フェイスブックもツイッター同様情報収集を主にし、これに余り時間を取られぬようにしよう。そして女房との二人暮らしの共通の時間を多く確保し、放送大学の勉強も再開しようと思う。

2012年4月3日火曜日


中国が用意している「沖縄占領憲法」(続き)(20120403)

 仲村氏は、この投稿記事で「日本政府が国連の人権委員会から琉球民族を先住民として公的に認め、文化保護の促進をすべきだとの勧告を受けたことがある。二〇〇八年十一月一日の沖縄タイムスの記事を紹介する」と書き、以下のことを書いている。(原文そのまま引用)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「国連『琉球民族は先住民』/人権委認定 文化保護策を日本に勧告
国連のB規約(市民的および政治的権利)人権委員会は三十日、日本政府に対して「アイヌ民族および琉球民族を国内立法下において先住民と公的に認め、文化遺産や伝統生活様式の保護促進を講ずること」を勧告する審査報告書を発表した。(中略)同勧告をめぐっては、沖縄市民情報センター(喜久里康子代表)なども同委員会に琉球・沖縄に関する報告書を提出していた」
 このように、民間の活動家が国連までをも巻き込み、沖縄を日本から精神的・文化的に分断しようとする運動があることも警戒しなければならない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 仲村氏は、龍谷大学教授松村泰勝教授は沖縄を中国の支配下に置こうとする政治団体「NPO法人ゆいまーる」を主宰していることを問題視している。この政治団体は、URL
の「中国共産党第2期日本解放工作要領」に書かれている中国の国家意思に沿った行動をしている団体であることは明らかである。正に国賊的団体である。
余談であるが、小沢一郎元民主党代表が140名もの国会議員を引率して胡錦濤中国国家主席に「謁見」させたという国辱的行為、その後習近平次期国家主席候補者を、宮内庁を恫喝して無理やり天皇陛下に会わせるようなことをしたことも、政権交代を大義名分に大量の民主党国会議員を誕生させたのも、すべて中国の国家意思に沿った行動である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
琉球独立運動については、あろうことか、日本人が国連をも巻き込んで動いている点も見逃してはならない。二〇一一年六月二十一日、「グアムと沖縄は植民地」と題して、龍谷大学の松島勝教授(四十八歳)が国連本部の植民地化特別委員会で、グアム代表団の一員として異例の演説をした。
 この動きは非常に危険で、政治的な意図を感じざるを得ない。なぜなら、松島教授は「NPO法人ゆいまーる琉球の自治」という政治団体を主宰しており、ネット上で独自の「琉球自治共和国連邦独立宣言」を発表しているからである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 沖縄の人々は中国の工作に決して惑わされてはならない。沖縄や北海道の人たちは九州・本州などの人たちに比べ、遺伝学的には縄文人の形質(タイプM7aN9b)を比較的多く有している。比較的多いというは地理的に遠距離にあるため、後で日本列島にやって来た渡来系弥生人との交雑の程度の差によるものである。

しかもタイプM7aは日本以外では韓国南部や沿海州でわずかに確認されているだけである。沖縄の人たちの祖先が大陸の漢族であるということは絶対にあり得ない。皆同じ日本人である。沖縄の歴史をねじまげ、沖縄を中国の支配下に置きたいという人々は国賊以外の何者でもない。日本の若者よ、政治を年寄りに任せていてはならない。決起せよ!

2012年4月2日月曜日


中国が用意している「沖縄占領憲法」(20120402)

 上記タイトルは月間WILL5月号に出ている仲村 氏の投稿記事のタイトルである。その記事に;

《筆者の手元に、「琉球復国運動基本綱領」と「琉球臨時憲法九条」という中国が謀略を駆使して沖縄を奪い取ろうとしていると推測させる文書がある。尖閣諸島への上陸運動を行っている「中国民間保釣連合会」の公式サイトに書き込まれたものである。》
とある。

 以下その文書をそのまま引用する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<琉球復國運動基本綱領(仲村訳)>
(原文:中国語)http://www.cfdd.org.cn/bbs/thread-69800-1-1.html  2007108
一、琉球は古来より主権を持つ独立国家である。琉球人民は日本の琉球群島に対する植民地統治を承認しません。
二、琉球国の主権と独立と領土を完全に取戻し、琉球共和国を建設します。
三、必要な時期にその他の政治組織或いは団体と“琉球国臨時政府”の建設を協議します。
四、琉球回復後の政治制度は各政党の共通認識と民衆の願望を広く募集する事を求めます。
五、いかなる個人、団体、党派、国家の琉球国の独立に対して疑問を持つことに反対します。琉球復国運動は終始一貫して琉球が独立を回復するために奮闘します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 上記URLで実際に現代中国語で書かれているページが開かれた。其処には「琉球臨時憲法九条(草稿)」も出ている。
 その第四条に「第四條: 琉球共和國由三個主要的州:奄米州, 沖繩州, 八重山州組成,各州包括了三個列島群在的琉球群島的所有島嶼. 所有琉球共和國的公民,只要符合人口、籍管理方面的法律,就可以自由的選擇遷往任何一個州居住,不受任何限制.」とある。

 上記仲村氏のWILL5月号には、訳・坂東忠信氏として、その部分は以下のとおりである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第四条 琉球共和国は三つの主要な州、つまり奄美州、沖縄州、八重山州から構成され、各州は三個の列島群を内包する琉球群島所有の島嶼であり、すべての琉球共和国の公民は、人口と戸籍管理方面の法律に符合すればその州に居住することも自由に選択し、どのような制限も受けない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

長野オリンピックの聖火リレーの時、在日中国人4000人が騒ぎを起こし。日本人多数が負傷した事件が起きていたが、マスコミは政府による情報統制のためかその事実を一切報道しなかった。5月に訪日した胡錦濤国家主席は、そのような暴徒化したデモを主導した徐静波と会見し、「祖国はあなた方の貢献を決して忘れない」とねぎらったという。

 日本国民は政府の情報統制により、中国政府による上記のような行動についての事実を知らないまま今日まで来ている。日本の若者よ、怒れ! 立ち上がれ! 

2012年4月1日日曜日


TPPの入り口で混乱が起きる原因について考える(20120401)

テーマに対する斬り口として、アメリカを現代の「ローマ帝国」というとらえ方をする。その「ローマ帝国」の軍事力は日本の科学・技術・工業力に多くを依存している。その日本が環太平洋地域でアメリカを排除し、過去の戦争の原因と結果について怨みの念をもち、アメリカから離反しようとしていると見たら、その「ローマ帝国」はあらゆる手段を使って日本を弱体化させようと試みるであろう。現にそういう動きが見られる。

日本は「生き残る」ため、まだ暫くはその「ローマ帝国」の権益の版図の中に、居残る必要がある。幕末の武士は「己の力」を知り、アメリカの真意を知り、アメリカに恭順の意を示し、アメリカの協力を取り付けた。勿論不平等条約を押し付けられはしたが・・。

その「ローマ帝国」は何れの日にか衰退し、シナ王朝(現在の中国共産党主導部をシナ歴代の王朝の体質と変わらぬと見てそう名付ける)の国家、またはインド、あるいは「東ローマ」の末裔のようなロシアが世界の支配者になろうとするかもしれぬ。

遠い祖先(日本列島にしか居ない遺伝子を持つ縄文人、そして後に長江中流域で漢族の圧迫を受け、漢族との交雑もあっただろうと思われる民族が東シナ海或いは海岸伝い・シナ大陸伝いで朝鮮半島を経て日本列島にやってきた渡来系弥生人(彼らはジャポニカ種稲作文化をもたらした)がこの日本列島で交雑しわれわれの祖先となった。縄文人の形質の分布は北海道と沖縄に多い。

こういう特殊な民族である日本人は、今国際化の中で白人種・黒人種と交雑も僅かであるが進行している。鹿鳴館は日本が欧米と肩を並べるための涙ぐましい努力の証であったし、それ以前からヨーロッパ白人と結婚した日本女性はちらほらいた。それが戦後特に増え、アフリカ系のアメリカ人と結婚した日本女性も多い。日本女性と結婚し日本に帰化した欧米系の人も多い。何世紀も経れば血は拡散し日本人の容貌もアジアでの特殊性をますます印象付けるものになるだろう。そこが国境の向こうの国々の人々とは違う。

こういう日本であるから、「ローマ帝国」衰退の後は、日本は「東方の光」となって、衰退したアメリカや、「国家」と「国民」が一体化していないゆえに「王朝」が入れ替わるシナ、そしてインドやアセアン諸国、つまり環太平洋地域の国々の盟主・宗主になることができる可能性を秘めている。

日本は右往左往することなく、己の出自と特徴を知り、現実を見つめ、遠い未来を見通し、万世一系の天皇をいただく国体を堅持しながら粛々と進んでゆけばよい。

TPPはそういう視点から捉え、わが国に最大の利益をもたらすように交渉して行けばよい。交渉で不利にならないようにあらゆる方法で譲歩を迫ればよい。モンサント社の横暴を許してはならぬ。アメリカを動かすための署名活動も大いに促進すればよい。TPP反対の運動も大いにやればよい。そういう反対の声は「易学」でいう「折衷」のため必要である。自分が「生き残る」ため、同じように「生き残り」たい相手を封じ込めてしまうのは結局自分の「生き残れ」ないことになる。何事もそうである。対立軸は必要である。

ただ、注意すべきはアメリカが嫌だからシナ(彼らの言う「中華人民共和国」)を取り込もうとか、腰が据わっていない右往左往は「武士」のやることではなく、利害得失・損得勘定で行動する「商人」のやることである。

繁栄のため「商い」は大いに振興させなければならぬ。商いの道「商道」は国境を必要としない。「商道」は、「国家」の下の人民(日本は天皇がいて国家・国民一体のような国であるから「人民」とは言わぬ)とは仲良くなれる道である。しかし「商道」は「国体」には重きを置く必要はない。

それに対して日本国の政治の道「政道」は、国境をしっかり守り、国境を挟む向こうの国の「性格」をよく見ぬき、軽々に気を許さぬ態度が必要である。シナ王朝(中国共産党指導部)に決して気を許してはならぬ。アメリカが押し付けるTPPは嫌だから、シナ(中国)・韓国を取り込んでアセアン域内で大いに貿易をやり、ゆくゆくは経済統合・政治統合を目指そうと言う考えの人達もいるようであるが、とんでもないことである。