2012年4月10日火曜日


衣替え(20120410)

 今日も天気が良い。二人暮らしなのに毎日洗濯ものが多い。というのは男の家では衣類も寝具も頻繁に洗濯するからである。このところ気温が上がり就寝中汗をかくようになった。男はいわゆる「加齢臭」を気にしていて毎朝シャワーを浴び胸や背中の皮脂を洗い流し、下着も取り替えるのであるが、今朝からはこれまで二晩着たら洗っていたパジャマも毎日取り換えることにした。今日は天気も良く、強い風に乗ってくる花粉の量もひと頃より減り、二人とも遠くには出かける予定はない。午後遅い時間にちょっと遠出のウオーキングに出かけるだけなので洗濯ものの取り込みのことについて心配する必要はない。そこでシーツ・枕カバー・布団カバー、クリーニングに出さずに自宅で洗濯できる冬ものの化繊衣料などを一挙に洗濯する。こういう次第で家での洗濯物が特別多いのである。

 純毛製品や高価、といっても庶民が着る物は高が知れているが男や女房にとっては高価なブランド品を沢山クリーニングに出した。女房のものも含めてコート3着、ベスト3着、セーター2着、カジュアル背広上下1着、シャツ2枚、マフラー2本など出して、クリーニング店会員特典20%割引があって1万円ほど支払った。クリーニングに出したものの中にはこの年に2度しか着なかったコートや背広などが含まれている。現役でない男はそれらを普段着ることはないが、現役の頃の勤め先のOB・OG会のときなどに取り出して着る。二度しか着ないのでクリーニングに出すのは勿体ないという気はしないでもないが、それらを綺麗に洗濯しておけば夏の蒸し暑いときに雑菌が繁殖する心配もないし、害虫の被害に遭うことはないだろう。第一不潔な臭いを元から断ち切ることもできる。それは費用の問題ではないのである。毎年こういうことを繰り返しながら時は過ぎてゆく。

 今日は男と女房が大分のある料亭で祝言を挙げて50年目になる。いわゆる金婚式という行事を行うべき日である。男と女房はそのことを二人の息子たちには伝えてなかった。第一これまで毎年結婚記念日など意識してこなかったから、息子たちも全く関心をもっていなかった。ところがふとした話の端々からその話が嫁たちに伝わってしまった。息子たちから何か言ってくるだろうと思うが、男と女房は50周年を祝うため、今週末九州の田舎に母の介護のことで帰ったついでに長崎・平戸辺りの旅行をしてくることにしている。

 午後一段落ついて男は女房と一緒にウオーキングに出かけた。目的地は県立三ッ池公園である。其処は毎年桜の時期なると多くの人々がやって来る。今日は観光バスが3台来ていた。男と女房はその公園に四季折々の花を観、運動も兼ねて度々その公園を訪れている。「三ッ池」とは文字通り光3つの池があるからそう呼ばれる。江戸時代其処は農業用水の溜池が3つあったところである。其処からやや離れた場所に「2つ池」がある。其処も同様に農業用の溜池が2つ連なっているところである。

 3つ池公園ではソメイヨシノやオオノザクラや緋桜などが咲き誇っていた。桜の花びらも散り始めて時に雪が舞い降りるようである。柳の枝に緑の小葉が付いていて風に揺られている。その柳の下の池には「花筏」が出来始めている。丁度180度いっぱいの視界で満開の枝垂桜やその他の桜を眺めることができるベンチが一つ空いていたので男と女房は其処に座り、花を愛でながら持参した菓子やみかんを食べた。女房が枝垂桜の写真を撮りに行っている間、男は10メートルばかり先の小道を行き交う人びとや56人の高齢の男たちが脇でたむろして談笑している様子を眺めながら、「こういう風景や人々の身なり・容貌などこそ違うが江戸時代の花見客もこのようなものであっただろう」などと想像した。

 公園内をゆっくりした足取りで一周しているとき、すぐ近くの桜の木の花の陰から鶯の鳴き声がした。その鳴き声は数回聞こえた。満開の花びらの陰にその鶯が居ないかどうか目を凝らして探してみたが、遂にその鳥を見つけ出すことはできなかった。もともと鶯は見つけにくい小鳥である。花が散り、葉が茂ると見つけ出すことは一層困難になるだろう。

 新聞に徳川将軍家の代々の正室の頭蓋骨の特徴について報じられていた。男は人の限りある一生のことを思い、歴代徳川将軍の正室たちが生きている間の様子をあれこれ想像した。想像力を働かせると意識は遠い過去に遡ることができるし、ずっと先の未来にまで伸ばすこともできる。「想像力」はヒトという生物にだけ備わっている能力である。チンパンジーの「アイ」ちゃんは学習成果として相当な知的能力を備えているが、「想像力」はないようである。遺伝子が僅か1%しか違わなくても、チンパンジーとヒトとはそこが違う。

 男と女房は結婚50周年という特別な日を確かめ合うため、夕食は「トレッサ横浜」のレストラン街にある中華料理屋で取った。静かな店内で男と女房はテーブルを挟んで向き合って、連れ添って50年経過したお互いの顔を眺め合った。男は心の中で「俺は無明のうちに良い伴侶を得、ここまで生かされてきたのだ」とつくづく思った。男も女房もいずれそう遠くない未来には白骨となる。その前に為すべきことを成し遂げておかなければならない。男は結婚50周年という節目にその思いを一層強くした。プライオリティを第一に考え、残されている限られた時間内に、自分が為すべきことを集中的に為さねばならぬ。その思いを新たにした。