2012年1月14日土曜日


『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(18)(20120114)

“陰陽は「相対」であり「相待」である。

 ”易はこの宇宙・人生を先ず全体的に捉えて、それが陰陽相対性の理法によって存立し、活動している。もちろん陰陽というものは後になって用いられた言葉で、戦国時代以前には剛・柔といった。それが戦国以後になってだんだん陰陽五行の説を生じ、これと合致して陰陽という言葉で専ら説かれるようになった。

 そこでもう少し陰陽の相対的関係を、相対は相対であると同時に相待であるということをお話しておきます。対が待であるということが、マルクス等の唯物弁証法・唯物史観と違うところであります。即ち階級闘争理論ではなくして、階級闘争と同時に階級協調で、すすんでは中(ちゅう)の理論である。矛盾的なるものを包含し、これを超越・発展せしめる働きを中という。易論は換言すれば中論であります。

 然(しか)らば、陰陽の性質・働きとはいかなるものか。非常に含蓄的・潜在的である極、あるいは中に即して活動し、分化し、発展していくものが陽である。これに即して、統一し含蓄する働きが陰である。陰なくして陽はない、陽なくして陰はない。陰と陽とはまったく相対的なものであって、その相対に即して対立している。

 もしこれが陽に過ぎれば、活動であるから疲労がある。発現であるから浮薄(ふはく)である。分化であるから分裂する。ますなす生命から遊離して、生命力が稀薄(きはく)になる。稀薄になって分散・破滅する。そしてまた、元の含蓄状態に帰入してしまう。それを統一することによって全体性というものが成り立ち、同時に永続性が維持される。この陰の働きによって、陽が相待って、初めて創造・進化が行われる。

 これがもし陰に偏すると統一性・含蓄性であるから、どうしても委縮(いしゅく)し、固定する。その結果は死滅することになる。

 陰でも陽でも偏すれば結論は同じこと。そこで陰陽の調和が大事なんで、本当に調和すれば中の力が強くなる。本当の意味の作用が健康に営まれる。

 我々の健康は生理における陰陽の調和である。人格の円満というのは、知性と感情の陰陽、あるいは才と徳の陰陽の調和である。立派な人間社会、幸福な家庭社会は、男女の陰陽の関係の調和である。”

 “唯物史観 マルクス主義の歴史観で経済活動や科学技術の発展と変化が人間の歴史を発展・前進させる原動力になるとする考え方。史的唯物論ともいう。”(以上、『安岡正篤 易経講座』より引用。)

 日本という国は、まさに陰陽調和した中(ちゅう)の国である。その中心に万世一系の天皇がいる。聖徳太子の十七条憲法の第一条の「和をもって貴しと為す」は、これを象徴している。

 国内にこの中をもたらすため戦国時代があった。東洋に中をもたらすため大東亜解放戦争があった。

 中をもたらす「折衷」のため、いま為さなければならぬことが起きつつある。第一列島線・奄美沖縄八重山に核心的利益をおいて行動する中国にどう対処するか、女系天皇を推進しようとする動きにどう対処するのか、いま「陽」の働きをもって「折衷」を目指し行動を起こさなければならぬ時が近づきつつある。  (続く)

2012年1月13日金曜日


『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(17)(20120113)

 “易は万物の変化を捉える

 人生の真理・法則を探求する易学

 前回は、易というものは非常に誤解が多い、あるいは全然無理解さえ少なくない。しかもこれほど日中両国に亘(わた)って民族的普遍的学問・思想もまた他に例をみない、ということを申しておきました。

 実際、儒教をやっても、仏教をやっても、道教をやっても、神道をやっても、東洋の教学を少し本格的にやろうと思えば、そうしても易をやらなければ奥へ入れない。そしてまた少し東洋的精神の人が人生の体験を積んで、物を考えられるようになると必ず易を学びたくなる。

 しかも通俗的には誤解や無理解があって、甚(はなは)だ入り難く達しがたい。そこで易・算木・筮竹(ぜいちく)をいじって人の運命等を軽々しく判断する大道場・売ト易等の考えがとれない。易を学ぼうと思うものは先(ま)ずこの無理解を綺麗(きれい)に払拭(ふっしょく)せねばならない。

 易というものは、宇宙・人生の真髄・本質を把握したものであって、即ち万物は変わるのであります。これは宇宙・人生の本質であるが、その変わる中に自ずから変わらざる法則がある。その法則を把握して、これに従って耐えていく。このゆえに易というのであります。

 その意味においては、精神的な学問よりもむしろ物質的な学問、自然科学のほうが一歩先んじて易の妙旨(みょうし)をだんだん闡明にしている。・・(中略)・・易でいうならば太極であります。ミクロコスミック、即ち極微の世界において太極が発見されようとしている。マクロコスミック、即ち天文学的研究では未だ太極までには至らないようであります。・・(中略)・・易学は有史以来の大発達をしているといえる。

 しかし、精神の世界は遅々として進んではいない。易学はそういう量(はか)るべからざる理法を含んでいる。非常に意味の深い学問である。”(以上、『安岡正篤 易経講座』より引用。)

 今の時代は、学問が非常に多くの専門に分かれており、しかもそれぞれにおいて余りも奥が深い。今の時代の学問はそのようであるから、一般常識程度の学問を身につけようと思えば、広く浅く学ぶしかない。しかも広く浅く学んでも日常の会話に役立つ程度である。

 一日24時間はだれにも同じであるから、平均的人間が一日で学びとるものはほんの僅かでしかない。書店にはいろいろな本が並んでおり、情報が氾濫している。そういう状況の中で自分に必要な情報を一定の時間内に得るには相当の知恵と工夫が必要である。それも経験を重ね、よく訓練されないと他人よりも多く学びとることはできない。

 易はあらゆる学問の中で最も本質的な学問ではないかと思う。その学問はある程度年を重ね、経験を積んでいないと興味も湧かない学問であると思う。

しかし江戸時代の儒者・詩人・歴史家だった頼山陽は13歳の時『述懐』と題して「十有三春秋 逝く者は已(すで)に水の如し 天地始終無く 人生生死有り 安(いずくん)ぞ古人に類して 千載青史に列するを得ん」と詠っている。13歳の少年の時に人生を達観しているようである。

易学は政治・経済・防衛全般に関わる根本の学問ではないかと思う。教育環境が良ければ少年時代に易学に取り組むことができるのではないだろうか。       (続く)

2012年1月12日木曜日


『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(16)(20120112)

 “陰陽で見る男女の区別

 男女なんかは誰にも分かる陰陽のよい例であります。体格堂々、筋骨隆々、活動力があり、頭が良くて理知的で、才能があり、アンビションもある。これは陽性で誠に男らしい感じを与える。・・(中略)・・

 女は筋骨やさしく、内面的、静止的で理知的よりは理性的、情緒的、才能的よりは道徳的、徳性的である。これがいわゆる女らしいというのであります。・・(中略)・・

 ところが陰陽というものは相互転換性を持っていることは近頃の科学でも分かっていまして、亭主がニギリヤだと女は苦労して遣わねばならぬ。これは陰陽倒錯現象で、双方が不幸であります。やはり男はよく散じ、女はよく貯蓄する

 異性に対しても男は本能的に浮気であるが、それを反省してその精力を他に使う。反対に女は本能的に貞節であるが、反省して浮気をする。・・(中略)・・

 昔の人が女に教育は要らないと言ったのは、下手に教育すれば理性的批判が出て来て、馬鹿亭主を蔑(ないが)しろにしていかん。教育のない方が男は愚劣(ぐれつ)に安んじることができるというわけであります。

 だから男女というものは決して一律に論ずることは出来ぬので、陰陽の法則がよく現れております。・・(中略)・・

 太極・天・易・中・陰陽相対性の理法というものはだいたいこういう内容をもっているもので、理論的にも具体的にもよくこれを把握理解することが先決問題で、天・命・数・運とか陰陽とかが分からんようでは、易をやってもなんにもならないわけであります。”
(以上、『安岡正篤 易経講座』より引用。)

 同じ一生を送るのによい配偶者に恵まれ、基本的には夫が「陽」、妻が「陰」であるが、時に物の考え方・見かた・感じ方など精神面で互いに陰陽入れ替わり、その夫婦を取巻く外部の状況に対処する。そのようにして互いに相手を尊重しあい、理解しあい、助けあう。そのようにすれば夫婦円満、家庭が平和で万福の幸せがもたらされるであろう。

 しかしそのような理想・願望のような、生涯波風一つ立たず、安寧に幸せに過ごす夫婦もあれば、伴侶を病死・事故死等で失うという夫婦(であった)人もある。3.11大災害では夫や妻や親や子供を津波で失った家族もある。今このとき生きていても明日は白骨となるかもしれない。この世は誠に不条理である。物事を一面的、一方向だけから見ない人は「なぜ自分だけが」と悲嘆にくれ、心も折れてしまうだろう。

 もし、ものごとを多面的にあらゆる方向から見るならば、そしてさらに過去から未来へという時間の流れも一緒に見るならば、また別の、それまで気づかなかったことが見えてくるに違いない。易経は、天・命・数・運・陰陽で物事を見よと教えているのだと思う。
                                  (続く)

2012年1月11日水曜日


『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(15)(20120111)

“才と徳

学校を優等で出ても、社会ではさっぱり振るわない人がよくあります。人生の成功者には案外学校の成績が悪いのが多いようです。才も必要ですが、徳がなければ成功しない。
才徳は実に東洋的思考律であります。才は陽性で徳は陰性であります。我々の人格は才と徳とで出来ているということは確かに言えることで、才が徳より勝れているとこれを小人型、徳が才より勝れていると君子型という。

明治維新の西郷南洲は、徳が才に勝った君子型の人物、勝海舟はどっちかというと、小人型の英雄であります。

もちろん小人といっても文字が悪いんで、偉大な小人もあればつまらない君子もある。しかし東洋道徳学からいうと、偉大と貧弱とにかかわらず大体君子型の人間が、人間としての本筋だということになっている。

しかし政治は種々の知識や、技術を要するから、大いに小人も要するのであります。
しかし東洋の政治学の書物には「小人は物や人を育てる包容力がないから、利己的、私欲的になりやすい。ゆえに賞を与えても、支配的地位につけるのは宜(よろ)しくない。偉大であるほど悪い」としている。これは陰陽の良い例であります。

一切はこの陰陽相対の理法によって解決されるのであるが、それを見分けることが非常に難しいのであります。”

“小人は物や人を~

『西郷南洲遺訓」第一条には、尚書に「徳盛んなるは官を盛んにし、功盛んなるには賞を盛んにする」とあることを記している。”(以上、『安岡正篤 易経講座』より引用。)

フェイスブックで投稿されているが、古川貞二郎前官房副長官は羽毛田宮内庁長官とは厚生省時代上司と部下の関係にあり、羽毛下氏を宮内庁長官に据えたのは古川氏であったという。 

さて女性宮家創設について口火を切ったのは羽毛田宮内庁長官自身であったことは新聞等で報道されている。その女性宮家推進派の中心は古川座長と園部逸夫氏であるという。その園部氏は外国人参政権に関する最高裁判決で傍論を書いた人物であるという。彼は共産党系のオンブズマン運動や住民訴訟を拡大合法化する法制度づくりで原告適格性の拡大に努め、自衛隊・米軍基地反対闘争等に尽力し、変更教科書を象徴する家永教科書裁判では家永三郎氏に与刷る発言をしていたこともあるという。

その園部氏こそは女系天皇・女性天皇の実現を画策している人物であるという。彼は女性宮家創設案が今秋皇室典範の改正をもって実現しようとするとき、野田内閣官房参与にすると報じられている。

正に小人どもが日本の国体を危うくする行動に出ている。一般国民が知らないところで、日本弱体化の工作が密かに進行しているようである。

SNSを通じて(偉大なる?)小人どもが、正に「才」走ってこの日本国を危険にさらす行動をしている状況を監視し、その行動を絶対阻止しなければならないと思う。(続く)

2012年1月10日火曜日


『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(14)(20120110)

“とにかく人生の現実は限りなき矛盾の統一である。それに辟易(へきえき)するようでは中道がない。本当の中はこの矛盾性を真理に随って闡明(せんめい)し、悪を打破救済してはじめて進歩がある。左様(さよう)に人間に与えられている価値判断によって、物の是非善悪を正し、一見矛盾するが如きものを解消して中へもっていく。これを折衷というのであります。

 折とはサダメルという字である。是非善悪を分別して、悪を折り、不正を折って、はじめて定まり進歩する。だから折衷という。単に歩み寄りなんていうものは居中であって折衷ではない。

 易は中庸である。中庸は複雑な現実に処して勇敢に折衷していくことである。これくらい難しいことはないので、孔子も中庸の中で「爵禄(しゃくりく)を辞するよりも、白刃(はくじん)を履(ふ)むよりも、天下国家を均(ひとし)しうするよりも中庸は難しい」と説いている。

 安価な穏健中正等は一番下らない誤魔化(ごまか)しである。ダンテの『神曲』に「道徳的危機にあたってどっちつかずの態度をとるもの」を地獄の一番熱い処へ当嵌(あては)めている。両極端も悪いが謬れる中はさら卑劣である。

 これで陰陽というものの根本的理法がお分かりになったはずであります。”

 “闡明 はっきりしていなかった道理や意義を明らかにすること。”

 “ダンテ(Dante Alighieri) イタリア・フィレンツェ生まれ(一二六五~一三二一)。詩人・哲学者・政治家。叙事詩『神曲』、詩文集『新生』の著者として知られる。”(以上、『安岡正篤 易経講座』より引用。)

 この講座で、「折衷」の意味は、「矛盾性を真理に随って闡明(せんめい)し、悪を打破する」「人間に与えられている価値判断によって、物の是非善悪を正し、一見矛盾するが如きものを解消する」「是非善悪を分別して、悪を折り、不正を折って、はじめて定まり進歩する」「易は中庸である。中庸は複雑な現実に処して勇敢に折衷していくことである」「単に歩み寄りなんていうものは居中であって折衷ではない」と説明されている。

 私は「折衷」は「政道」にあり、「居中」は「商道」にあると考える。かつて日本はアジア人が白人国家の支配下に置かれている状況を変え、アジア人を解放するため大東亜戦争を戦った。これは正しく「折衷」を求めた戦争であった。

 中国は「居中」を求めて尖閣・沖縄を第一列島線内核心的利益の対象とし、行動している。日本はこれに対して「折衷」を求めて行動を起こさなければならぬ。これは「政道」である。政治家・中央官庁官僚が「政道」を踏み外し、目先の損得勘定で「商道」を突き進むならば、それこそ中国の思うつぼである。    (続く)
 

2012年1月9日月曜日


『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(13)(20120109)

 “陰の特徴と弱点

 そこでこれに相俟(あいま)って、分化するを統一し、顕現するを含蓄し、全体性と永続性を保つハタラキがある。それが陰のハタラキであります。

 統一・含蓄・全体性・永続性の持続これが陰の特徴であります。

 しかし陰にも弱点があります。統一・結合・含蓄というハタラキは謬(あやま)ると委縮(いしゅく)し、固定し、しまいには死滅して、結果は同じになってしまう。

 易とは無限の「中(ちゅう)

 それを何方(どちら)にも片寄らさんように、これは相待である。陰陽が相互転換性を持っているのであります。これが陰陽の理法であり、かくしてドンドン発展し、さらに進化していくのであります。この延びていくことを中(ちゅう)というのであります。弁証法でいうアウフヘーベンは「中す」と訳すれば一番よいわけであります。

 前にも申しましたように、この意味で心中という言葉はよく出来た言葉である。この世で結ばれて、新しい価値を創造することの出来ない一組の男女が、あの世へ行って結ばれ、一段と進歩するというので心で中する、誠に学問的であります。

 このように中すということは、相対的なものを相和して一段と延ばすことで、その意味では易は中の学問であります。宇宙は太極の無限の発展であり、考え方により無限の統一・含蓄、見方により無限の統一発展であるが、換言すれば、限りなき中である。天は無限の中、造化は無限の中、したがって易は無限の中であります。

 だから天・道を説く東洋の教学は、全部中庸に含まれるのである。そしてそれは永久不変のみちであるから中庸(ちゅうよう)という。庸とはツネという字で普遍性を表す。それによって初めて種々の行為が営まれ、種々の効果がある。庸はツネという字であり、モチイル、イサホシという字である。”

 “弁証法 世界や事物の変化や発展の過程を本質的に理解するための方法・法則。一般にヘーゲルやマルクスの弁証法を指す。ヘーゲルの弁証法は正(テーゼ)・反(アンチテーゼ)・合(ジンテーゼ)の三段階で説明される。すべてのものは自己のうちに矛盾を含むため、必然的に己と対立するものを生みだすが、その二つは最後にアウフヘーベン(aufheben=止揚)されるという考え方をする。”(以上、『安岡正篤 易経講座』より引用。)

 易においてこの部分が最も重要であると思う。人生を生きる上で陽も陰も必要である。男女二人が同じ屋根の下で、お互い陰陽を交互に、その役割を演じるならば、その家庭は幸せであると思う。国家においても国際関係においても同様である。

 国際関係で言えば、「陽」のみ前面に出す中国や韓国や北朝鮮は、「陰」「陽」「中庸」をわきまえている我が国とはどうしても折り合うことはできない。政治家も官僚もこのことを十分理解した上で、「それなりに」良好な外交関係を結ぶように考えて欲しい。国家としての性格が異なる国同士が政治・経済・防衛の統合を目指す東アジア共同体構想は非常に馬鹿げた構想である。

 わが国に不法入国してくる中国人らがテレビの討論会で「日本も中国もEUのようになるべきだ」と叫んだり、鳩山元首相が「この国は日本人だけのものではない」と発言したりして、日中韓を主軸とする東アジア共同体という考え方に同調する自民党の谷垣総裁や加藤氏らの思想は、この日本国の存続を危うくする非常に危険な思想である。 (続く)

2012年1月8日日曜日

『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(12)(20120108)  

  “そこで本来の生命力と表現された肉体的生命力はだいぶ違うのであります。外見は堂々として頑強に見えるのに弱いという人は、潜在的生命力を余り持っていないということになる。反対に、弱そうに見えて強いというのは、潜在的生命力が旺盛だということになります。

  我々は絶えず潜在的生命力を養成しなければならない。これは普段の養生と陰得であります。その意味で体重が二十何貫(かん)もあるというのは決してめでたい現象ではないので、駿馬のように引き締まっていなければならない。

  その意味から社会的活動等というものも同じことであります。前にも申し上げましたように持っているエネルギーのごく一部分が社会活動になる。そして、その残りの全部が、我々の内面生活に向けられて、はじめてめでたい人格であります。不相応に出世するよりは、それより少し低めに運が悪いという位が本当の生活で、かくして子孫に出世をする者が出てくるわけであります。

  表現とは氷山の如きもので、隠された偉大な部分を持っている。潜在力を持っているほどよいのであります。そして表現は分化になります。分化するほど先鋭化、末梢化するんで、分かれる果(はて)は行き詰まり、分からなくなってしまう。そして簡単に破滅する。没落する。そしてまた、元の潜在にかえる。斯様にして循環していくわけであります。 

 知性のハタラキ等も分化のハタラキですから陽性であります。あまり理屈っぽくなると真実を失って分からなくなってしまう。  表現・分化、・発展は陽の特徴であるが、それだけに披露し易く、失い易く、分裂し易く、破滅しやすい。”(以上、『安岡正篤 易経講座』より引用。)

  ここでは「生命」の永遠の流れ・循環というものについて説明されている。ここでは易経のエッセンスが説明されている。人生を生きる上で誰にも悩みがあるが、自らを易経で説く天(てん)に委ねればその悩みは解消するのではないだろうか?その「天」に委ねるにあたり、「求めよさらば与えられん」ではないが、求める人に対しては最新の素粒子理論など最新の科学がそのように自らを「天」に委ねる手助けをしてくれると思う。

  「『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(5)(20120101)」に“そしてこの命(めい)とは絶対的のハタラキであるが、人間に与えられたところの知性という機能を以てこれを研究すると、その中の種々の素質や種々の関係、原因、結果というような関係、そういう複雑なものが含まれている。天の中、命(めい)の中に含まれているその内容、その内容の関係、成立関係、こういうものを数(すう)と申します。”とある。

  この数(すう)の中において次の循環があるということが説明されている。 ① 「絶えず潜在的生命力を養成」→「持っているエネルギーのごく一部分が社会活動」→「不相応に出世するよりは、それより少し低めに運が悪いという位が本当の生活」→「かくして子孫に出世をする者が出てくるわけ」 ② 「分化するほど先鋭化、末梢化」→「簡単に破滅する。没落する。」→「元の潜在にかえる。」→「斯様にして循環」        (続く)

2012年1月7日土曜日

『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(11)(20120107)

  “易の考え方は陰陽相対性理論

  その間種々の思考律が出来、範疇(はんちゅう)を生んでさらに普遍的な陰陽五行思想が発達し易の体裁をなすようになりました。だからその関係からは、易の考え方は陰陽相対(待)性理論ということが出来るのであります。

  最初に申しましたように、創造的概念というか極限的概念ということか、物質的理論からいえば、丁度(ちょうど)ハイゼンンベルグが考えているウルマテリーというようなもの、即ち太極というものを考える。これはつまり無限の創造的変化であり、天・造化というものを全体として把握したものであります。  この太極は陰陽という二つのハタラキの相互転換性を持った性質・機能から出来ている。

  陽の特徴と弱点  しからば陽のハタラキはいかなるものであるか。これは無限の含蓄的・潜在的なるもの、そういうものの活動発展性を表す活動であり、顕現(けんげん)であります。内に含蓄潜在しているものが活動し、表現し顕現する。表現とともにそれは分化である。分化することにより発展する。

  顕現・分化・発展、要約すれば分化・発展のハタラキであります。これらによって宇宙に万物が表現、繁栄していく。草木を例にとれば根から幹、幹から大枝、大枝から小枝が分かれ鬱然(うつぜん)たる樹木になる。これは陽のハタラキであります。

  だから活動・表現・分化・発展は陽の特徴であるが、そこにまた弱点があります。それは活動すれば疲労というものがある。表現されるとそれだけ潜在的、含蓄的全(まった)き実体から遊離することになる。多少自己を限定することになる。表現なるものは無限なるものの自己限定である。

  我々の肉体を例にとれば、我々の親はたった二人、二代遡(さかのぼ)ってもたった四人、三代遡っても八人に過ぎないが、二十代遡るとその数は百万を超える。斯様に無数の生命が潜在含蓄し、そのごく一部が我々の肉体となり、精神活動となっている。我々の肉体を形成するということは、つまりこの潜在的生命の中から自己をこれだけに限定することである。” (以上、『安岡正篤 易経講義』より引用。) 

 この陰陽相対性理論は素粒子理論に相通じるものがある。万物は有機的構造物である。人間も有機的構造物、人間の集団も有機的構造物、同盟的国家群も有機的構造物、世界も有機的構造物、太陽系も有機的構造物、銀河も有機的構造物、宇宙も有機的構造物である。有機的構造物を構成する個々の物には無機的なものもあり無機的な物もある。

  一個の人間は宇宙の一要素に過ぎない。人間の集団も同じ、国家も同じ、この地球も同じである。すべて宇宙という無限の創造的変化の中の一要素に過ぎない。  宇宙という無限の創造的変化の中で人は生れ、生き、そして死ぬ。人生は過去から未来に続く途切れない流れの中の一事象に過ぎない。人生を目的的に生きる活動は易経で言うところの「陽」の働きであろう。まだ勉強中でよく理解できていないが、その「陽」の働きを把握する方法として陰陽五行というものがあるのだと思う。 (続く)

2012年1月6日金曜日


『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(10)(20120106)

“易の由来

易はその昔、夏・殷から周の初め頃迄は非常に直感的なもので、当時の識者賢者が自分の理知をもっては容易に解決することの出来ない現象を超知性的に探求した。
最初は亀甲(きっこう)を焼き、それに現れる色・罅(ひび)・線等種々なるものによって種々の複雑な体験から次第にこれに解釈を与え、これを亀卜(きぼく)と申しました。

その亀卜の体験から直観を積んでいくうちに次第に思索が発達し、その例を集めていって卜経(ぼくきょう)というものが出来上がりました。

そして周代以降段々に進歩いたし、周代末期、春秋・戦国時代になって今日伝わるような周易になり、戦国末、秦・漢の初め頃に今日の易経が次第に出来上がりました。”
“夏 中国最古の王朝。紀元前二〇七〇年頃から紀元前一六〇〇年頃まで続いたとされるが、実在を示す証拠はまだ見つかっていない。”

“殷 夏のあとに建てられた王朝。紀元前一六〇〇年頃から紀元前一〇四六年まで続き、周によって滅ぼされた。河南省安陽で発見された殷墟からは多数の甲骨が見つかっている。

“秦 紀元前二二一年に中国を統一するが、紀元前二〇六年に滅亡した。始皇帝による万里の長城の建設や焚書坑儒で知られる。”

“漢 秦を滅ぼした劉邦の打ち建てた統一王朝。紀元前二〇六年から八年までの前漢と二五年から二二〇年までの後漢に分かれる。”(以上、『安岡正篤 易経講座』より引用。)

 易の判断について考える。例えばある90歳の老婆は自ら望んで、永年住み慣れた土地で介護サービスを受けながら独り暮らしをしているとする。その老婆の認知症の状態が急に進み、真夜中に家を出て普段運動のため散歩で歩く歩道に面したある警察署を訪れ、「泥棒が入ったので怖い、淋しい」と訴えたとする。

年末に介護帰省しているその老婆の家族が休んでいる部屋に警察官二人が入ってきた。事情を聞くとその老婆は「私の許可なく男女二人が勝手に部屋に入り込んで寝ている」と警察官に訴えたと言う。翌朝その話を老婆に話すと、老婆は真夜中に警察暑に行ったことは覚えているが警察で話した内容は全く覚えていない。

老婆は「ひと月前にくらべ物忘れが多くなった」と不安になり、介護施設に入ることを自ら希望した。つい5日前は、訪問してきたもう10年ほども顔見知りのヘルパーに「自分の家があるのだからそんなところには入らない」と言っていたばかりであった。

家族はその老婆の申し出を喜んだ。老婆の弟妹たち親戚の手前、老婆を介護施設に入れると言えないでいた家族は、老婆が自分から介護老人施設に入りたいと申し出てきたのをきっかけに親戚に老婆が深夜徘徊し警察に訴えた事件を説明し、老婆を施設に入れることについて親戚の了解を得ることができた。

このような事が偶然に起きたのだろうか?もしくはその老婆の30年ほど前に他界した老婆の夫や実父母らがあの世から老婆を引導したのだろうか?起きた事象は偶然なのか必然なのだろうか?

これは哲学的課題である。易についてまだ理解ができていないので何とも言えないが、易はこのような事象に対して何千年も蓄積された情報・資料に基づきある判断を下すものなのだと思う。出た卦による判断はその判断を仰ぐ人に新たな行動の指標となるものだと思う。こうして人生に創造と変化をもたらすことを易経は示しているのだと思う。要は偶然だと思われる事象をどう解釈するかにかかっている。天命ととるか運命ととるかである。運命ととれば起きた事象は悲劇となるし、天命ととればそれは恩恵となるだろう。(続く)

2012年1月5日木曜日


『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(9)(20120105)

 “道を学ぶということは

 そしてこの無限の創造文化を、我々の感覚するところの天というものをもって象徴したように、造化の行動性、実践性を象徴して道というのであります。

 何人も道によらずんば進むことはできない。そこで天の造化は即ち道であります。天は天命、天道であります。我々が道を学ぶということは、天に随って実践するということであります。

 天はその数というものを含んでいて、人間が、人間の知性がこの数を研究することによって発展するのが理(ことわり)であります。種々の因果の関係、その法則である。

 だから天は数であるから、その内に理を含んでいる。即ち天は天の理であると同時に、それは行動性実践性のものであるから天道であります。実践することのできる真理、これを道理というのであります。数からいえば数理であります。

 易学の目的

 このように展開していくのが易であるから、世間一般のいわゆる宿命なんかを研究するものでは決してないので、無限の造化の理法に棹(さお)さして無限に自己を創造変化してゆく。これを深く我々の理知を以て諦観(ていかん)し、これを勇敢に我々の実践行動にうつして伯玉のように幾歳になってもその非を知ってそれだけ化していく。これが易の本体、易学・易理の本体で、そのために易を学ぶのであります。

 易を学ばんとするものは先ずこれだけのことはよく知っておかなければならない。知るというのは自分の頭だけで知るのではなくて、自分の生命で、自分の身体で、覚悟しなければ易を学んでも一片の知的興味、知的遊戯にすぎない。”(以上、『安岡正篤 易経講座』より引用。)

 日本には剣道、柔道、合気道、居合道、弓道、茶道、華道、香道、書道等「道」が付く修行の道がある。そこでは礼節や形や心や立ち振る舞いや言葉遣いなどに注意が払われている。修行する場として道場がある。そこには師匠がいて弟子がいる。師匠が弟子に教えるための教本や参考本がある。

弟子が師匠になるまでの過程には幾つかの関門がある。弟子は修行を積み重ね、初めは通過することが比較的容易な関門から入る。関門は徐々に通過が難しい状況に変わる。
弟子は人間的にも技術的にもより高い完成を目指して修行を積み重ねなければ、関門を通過することができない。そのようにして関門を通過した弟子に対して、師匠から「免状」または「許証」というもの与えられる。そのような仕組みで日本の精神文化・伝統文化が維持されて来ている。

人もまた加齢とともに齢相応に「化」してゆかなければならない。「知るというのは自分の頭だけで知るのではなくて、自分の生命で、自分の身体で、覚悟しなければ易を学んでも一片の知的興味、知的遊戯にすぎない」のだ。 人生にも「道」がある。は人生道が天から指示されているのだ。西郷南洲翁が説いているように、人は自ら進んで天の意(こころ)を識(し)り実践行動をすることが求められているのだ。その実践行動は豈(あに)敢(あ)えて自ら安きを謀るものであってはならないのだ。      (続く)

2012年1月4日水曜日


『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(8)(20120104)

 “人間自惚(うぬぼれ)と瘡(かさ(くさ))けとのない者はないと言いますが、これは人の非情な恵みであります。

 どんな馬鹿でも徹底的に自分を馬鹿だとは思っていない。俺も世間からいうとくだらん人間かも知らんが、こう見えてもこれでなかなか良いところがあるんだ、くらいの自惚は皆持っているんで、それを失ったら本当に耐えられないことであります。

 真実に自己を否定して転ずるということは非常に難しいことであります。伯玉の「行年五十にして四十九年の非を知る」というのは一度否定して改めて前進するということでありまして、真実に自己を否定して転ずるということは非常に難しいことであります。

 准南子(えなんじ)はさらにそれを発展させて「六十にして六十化す」と申して居ります。五十年にして四十九年の非を知りますます勉強する。六十になっただけの変化をする。それでこそ天であり命を知る者である。

 七十になっても七十になっただけの変化をする。生きている限りは変化をして已まない。唯変化するだけではなく延びる、進歩である。これが本当の易学・易道であります。
 宇宙というものは斯様(かよう)に本質が無限の創造であり、変化であり行動であり、行いであるから、したがって我々の心理の会得である知というものも、その本質においては行(こう)でなければならぬ、認識は行動性、実践性を持たなければならぬ。”

 “淮南子 前漢の武帝の時代に南(わいなん)の地を治めていた淮南王劉安(前一七九~前一二二)が多数の学者を集めて編纂させた哲学書。十部十二篇からなる。道家思想を中心として、儒家・法家・陰陽家など諸家の思想を交えて書かれている。” (以上、『安岡正篤 易経講座』より引用。)

 水前寺清子の「人生は ワン・ツー・パンチ汗かき べそかき 歩こうよ あなたのつけた 足あとにゃきれいな花が 咲くでしょう 腕を振って 足をあげてワン・ツー ワン・ツー休まないで 歩け」という歌がある。これは正しく易道である。途中で投げ出してはいけないのだ。もし途中で投げ出すようであれば、その人は易学でいう「行」を捨てたことになり最早死んでいる状態と変わらない。
学問をするというのは「知」の探究であり、それは行動性・実践性を伴うものである。そういうことを安岡正篤先生はここで教えて下さっている。「知は力・継続は力」という諺には真理がある。その真理はこの安岡先生の『易経講座』で具体的に示されている。
                                   (続く)

2012年1月3日火曜日


『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(7)(20120103)
 
 “而して厳たる普遍性に基づいて変化極まりなく展開していうのが天であり、命であり、運命である。その中に太陽があるが如く、花があるが如く、我があるのであります。
 だから自分、我というものは一つの天であり、命であり、一つの数である。だから我自体はその本源にたてば、寸時も固定することのない変化已まざるもので、我をよく徹見(てっけん)すれば、所に応じ時に随(したが)っていくらでも自分を易(か)えていくことが出来る。

 だから自ら限定し自ら停滞するくらい、非易的、非自然的、非虚無的なことはない。俺はこれくらいの人間であるなどと考えるのは自ら限定するもの、自ら知らざるものであって、かりにも天を知り、易を学べば自分というものは無限の造化である。創造変化である。如何様(いかよう)にでもなるものであるということを、単なる頭ではなくて身体で、生命で全精神でこれを把握する必要がある。それでなければ易を学ぶ資格はない。

 ところが大抵の人間は、非常に早く俺はこういう人間だろ自ら限定してしまう。それではいけないんで、生ける限りは自己を修め、自己を延ばし、自己を変化していかねばならぬ。

 その意味から敬慕(けいぼ)されている人に、『論語』に出てくる伯玉(きょはくぎょく)という人がある。孔子は彼を賛美して「行年五十にして四十九年の非を知る」と言っていると言っている。

 四十にして惑わずといいますが、人間四十位になると生理的にも精神的にも、賢は賢なり、愚は愚なりにだいたい固まってしまう。つぶしがきかなくなってしまう。そして俺は先ずこんなものだとアキラメテしまう。・・(後略)・・”

 “伯玉 中国・春秋時代の衛の大夫。孔子と同時代の人で、論語の憲問篇からは親しい交流があったことがうかがえる。また衛霊公篇においては「君子なるかな伯玉。邦に道あれば則ち巻きて之を懐にすべし」と言って尊敬の念を表している。”(以上、『安岡正篤 易経講座』より引用。)

 自分がもう齢だからと消極的になるとその年齢がさほど齢でもないのにその人は若年にして既に年寄りである。逆に年寄りが若い人のような気持ちでいるとその人は老年であっても若年のようである。サムエルウルマンという人がそういう詩を作って有名になった。

 幾ら齢をとってもその考え方において若者のように柔軟であり、素直であり、謙虚であることは重要である。

  しかし齢をとれば齢相応に学問ができていなければならないと思う。生涯学問をし続ければ人生幾らでも新たな展開があるのだということを易経は教えているのだと思う。街角の書店にはノウハウ本が氾濫しているがそんな本を読むよりは先人の教えのエッセンスである仏教や易経関係の本を読むほうが人生の時間の無駄がないのではないだろうか?
                                   (続く)

2012年1月2日月曜日


『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(6)(20120102)

 “而(しか)して今申したような天・天命・命運等は固定的・静止的でなく、変化極まりないものである。この変化極まりないという意味が即ち易であります。

 その出処については略しますが、易とは「変わる」という字であります。だから易は変わらざる、予定された関係を意味する宿命(宿はとどまる)等を研究するものでは決してないのであります。易は運命を研究する。だからそれは変化を探るもの、創造変化、限りなきその実体を研究するものである。決して宿命を尋ねるものでなく、むしろ宿命を運命にする。固定的なものを動的なものにする。これが易であります。だから易(カワル)という文字を当嵌(あては)める。

 しかし易(か)わると意識することはその作用の中のどこかに、易わらざるものがあるからである。だから易は変化を表すと同時に変化の中にあるところの不変、因果の関係、その法則即ち数を表す。その意味で易は変易(へんえき)であると同時に不易(ふえき)を探るものである。

 而して我々にとってこの万物、世界ほど、無限の創造であり変化であるという直接自明のことはない。その意味ではこの造化のハタラキは最も簡単・明瞭・簡易である。だからヤスシという意味もある。

これを易の三義という。

そしてそういう易の変化に基づいて不易の数を研究して、我々の認識や自覚の上の誤謬を正す。その意味でオサメルという意味を持つ。これが易の第四義である。

かくの如く、宇宙人生の創造変化のハタラキに即して、その中にある不変の法則、因果の関係をたどって、これをよく認識、把握することにより、我々の誤謬をオサメ、タダシテ、これによって、本当に、我々の生命を延ばして行くことが出来る。だからノビル、ノバスという意味もある。その意味では、易に五義ありということになる。”(以上『安岡正篤 易経講座』より引用。)

物事の構造には表裏、上下、左右、正負、陰陽など二面性がある。物事の動きには静動、緩急、拡大縮小など二面性がある。物事の性質にも幸不幸、運不運、寒暖などの二面性がある。その二面性のいずれの側にも真実がある。易はそういった二面性を把握してその中に存在する法則を総合的に研究しながら真理を見出すものではないだろうか。

今に生きる我々日本人は、先人達が研究し見出してきた真理の恩恵を受けている。その恩恵に気付くことがなく一生を送るというのは大変残念なことであると思う。今に生きる我々日本人は、先人に真似、先人の教えや精神をよく学なければならないと思う。

日本人が2000年かけて吸収消化して来た仏教は、「あの世」や「前世」を認める意味において宗教であるが、それ以外の教義は正しく「人間の学」である。「あの世」や「前世」の存在の有無は別として、「あの世」や「前世」が「現世」と「縁」続きであることは間違いない。「体内遺伝子」であるDNAと「体外遺伝子」である文化などはその「縁」である。

この「縁」は不思議である。起きた「幸運」なことは偶然ではなく必然であったと思い、見えざるものを畏れ、その見えざるものに素直に感謝する人には「幸運」なことが連続して起きる。まるでそれはその人が神通力をもっていて自在に天地を動かしているかのようである。謙虚、素直、誠実であることは幸運をもたらす。

その人に起きた「不幸」でも見方を変えればその人にとって「幸運」に変わる。ただ、その二面性に気付かなければ「不幸」はいつまで経っても「不幸」である。
易はそういったことを教えるものではないだろうか?筮竹の卦も解釈次第だということではないだろうか?                           (続く)

2012年1月1日日曜日

『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(5)(20120101)


“そしてこの命(めい)とは絶対的のハタラキであるが、人間に与えられたところの知性という機能を以てこれを研究すると、その中の種々の素質や種々の関係、原因、結果というような関係、そういう複雑なものが含まれている。

天の中、命(めい)の中に含まれているその内容、その内容の関係、成立関係、こういうものを数(すう)と申します。普通には単なるカズと思いますが、カズは数(すう)の一部分に過ぎないので、数(すう)本来はもっと種々な厳粛な深い意味を持っています。

したがって、我々が幾歳まで生きたかという生命の数(カズ)は極めて他愛のないことであります。命数(めいすう)という時には、我々の絶対的な人生の営みの中にある複雑微妙な内容や因果関係等をさす。また、天命(てんめい)、天数(てんすう)ともいう。

そしてそれを考察すればするほど複雑微妙であります。とんでもない原因から思い掛けない結果を生じたり、貴族富豪に生れて誰もが予測も出来ないような過程を経て、劇的な悲惨な生活に沈淪(ちんりん)(注:沈淪は「おちぶれること」という意))したり、人生は実に多種多様であります。この常識を無視した、どちらかといえば悲劇的な成り行きといったようなものを数奇(すうき)というのであります。

だから因果関係、因果律等は当然数(すう)の中に入るのであります。そういう宇宙人生の作用、営みというものは変化して已まぬもので、決して静止的・固定的ではない。その意味で運(うん)という。

即ち天(てん)は、造化はダイナミックなもの、変化極まりないものであるから運(うん)という。・・(後略)”(以上、『安岡正篤 易経講座』より引用)

天皇は古来神道を護持して来られ今上天皇も宮中で神道の祭祀を行っておられる。天皇は神武天皇以来万世一系男系の血統だけではなく、御霊統でもある。日本が日本であるということはそういうことである。戦後ある進歩的文化人によるGHQへの告げ口によって、衆参両院で教育勅語を廃止する議決を余儀なくされ、日本の精神文化・伝統文化という「対外的遺伝子」は大きく傷ついた。今直ちにこれを修復させないと、日本は日本でなくなってしまうだろう。民主党や公明党などが推進する外国人参政権とか、民主党のように党代表選で外国人の投票を認めるとか、そういった動きは日本の存続にとって大変危険である。 

人間でもDNAのほか生まれてこのかた身についたものがある。生まれてこのかた身に付いたものは、いうなれば「体外遺伝子」のようなものである。結婚して子供ができればDNAとともにその「体外遺伝子」が子供に伝わる。人間の集合の「国」のレベルでもそれは同じである。日本人の生来の情報、それは「体内遺伝子」であるDNAに基づくもののほか、「体外遺伝子」が作用する。

北朝鮮がどうなるかわからない状況、中国が膨張している状況は日本という国にとって危険な状況である。日本の「体外遺伝子」が戦後大きく傷ついてしまっている状況では、日本はもたない。数年後に日本が存続できるのか亡国の道を歩むのか、今その瀬戸際にあるのである。日本人よ目覚めよ!これは自ら余命10年前後と思っている一老人のつぶやきである。                               (続き)