2012年1月10日火曜日


『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(14)(20120110)

“とにかく人生の現実は限りなき矛盾の統一である。それに辟易(へきえき)するようでは中道がない。本当の中はこの矛盾性を真理に随って闡明(せんめい)し、悪を打破救済してはじめて進歩がある。左様(さよう)に人間に与えられている価値判断によって、物の是非善悪を正し、一見矛盾するが如きものを解消して中へもっていく。これを折衷というのであります。

 折とはサダメルという字である。是非善悪を分別して、悪を折り、不正を折って、はじめて定まり進歩する。だから折衷という。単に歩み寄りなんていうものは居中であって折衷ではない。

 易は中庸である。中庸は複雑な現実に処して勇敢に折衷していくことである。これくらい難しいことはないので、孔子も中庸の中で「爵禄(しゃくりく)を辞するよりも、白刃(はくじん)を履(ふ)むよりも、天下国家を均(ひとし)しうするよりも中庸は難しい」と説いている。

 安価な穏健中正等は一番下らない誤魔化(ごまか)しである。ダンテの『神曲』に「道徳的危機にあたってどっちつかずの態度をとるもの」を地獄の一番熱い処へ当嵌(あては)めている。両極端も悪いが謬れる中はさら卑劣である。

 これで陰陽というものの根本的理法がお分かりになったはずであります。”

 “闡明 はっきりしていなかった道理や意義を明らかにすること。”

 “ダンテ(Dante Alighieri) イタリア・フィレンツェ生まれ(一二六五~一三二一)。詩人・哲学者・政治家。叙事詩『神曲』、詩文集『新生』の著者として知られる。”(以上、『安岡正篤 易経講座』より引用。)

 この講座で、「折衷」の意味は、「矛盾性を真理に随って闡明(せんめい)し、悪を打破する」「人間に与えられている価値判断によって、物の是非善悪を正し、一見矛盾するが如きものを解消する」「是非善悪を分別して、悪を折り、不正を折って、はじめて定まり進歩する」「易は中庸である。中庸は複雑な現実に処して勇敢に折衷していくことである」「単に歩み寄りなんていうものは居中であって折衷ではない」と説明されている。

 私は「折衷」は「政道」にあり、「居中」は「商道」にあると考える。かつて日本はアジア人が白人国家の支配下に置かれている状況を変え、アジア人を解放するため大東亜戦争を戦った。これは正しく「折衷」を求めた戦争であった。

 中国は「居中」を求めて尖閣・沖縄を第一列島線内核心的利益の対象とし、行動している。日本はこれに対して「折衷」を求めて行動を起こさなければならぬ。これは「政道」である。政治家・中央官庁官僚が「政道」を踏み外し、目先の損得勘定で「商道」を突き進むならば、それこそ中国の思うつぼである。    (続く)