2012年1月6日金曜日


『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(10)(20120106)

“易の由来

易はその昔、夏・殷から周の初め頃迄は非常に直感的なもので、当時の識者賢者が自分の理知をもっては容易に解決することの出来ない現象を超知性的に探求した。
最初は亀甲(きっこう)を焼き、それに現れる色・罅(ひび)・線等種々なるものによって種々の複雑な体験から次第にこれに解釈を与え、これを亀卜(きぼく)と申しました。

その亀卜の体験から直観を積んでいくうちに次第に思索が発達し、その例を集めていって卜経(ぼくきょう)というものが出来上がりました。

そして周代以降段々に進歩いたし、周代末期、春秋・戦国時代になって今日伝わるような周易になり、戦国末、秦・漢の初め頃に今日の易経が次第に出来上がりました。”
“夏 中国最古の王朝。紀元前二〇七〇年頃から紀元前一六〇〇年頃まで続いたとされるが、実在を示す証拠はまだ見つかっていない。”

“殷 夏のあとに建てられた王朝。紀元前一六〇〇年頃から紀元前一〇四六年まで続き、周によって滅ぼされた。河南省安陽で発見された殷墟からは多数の甲骨が見つかっている。

“秦 紀元前二二一年に中国を統一するが、紀元前二〇六年に滅亡した。始皇帝による万里の長城の建設や焚書坑儒で知られる。”

“漢 秦を滅ぼした劉邦の打ち建てた統一王朝。紀元前二〇六年から八年までの前漢と二五年から二二〇年までの後漢に分かれる。”(以上、『安岡正篤 易経講座』より引用。)

 易の判断について考える。例えばある90歳の老婆は自ら望んで、永年住み慣れた土地で介護サービスを受けながら独り暮らしをしているとする。その老婆の認知症の状態が急に進み、真夜中に家を出て普段運動のため散歩で歩く歩道に面したある警察署を訪れ、「泥棒が入ったので怖い、淋しい」と訴えたとする。

年末に介護帰省しているその老婆の家族が休んでいる部屋に警察官二人が入ってきた。事情を聞くとその老婆は「私の許可なく男女二人が勝手に部屋に入り込んで寝ている」と警察官に訴えたと言う。翌朝その話を老婆に話すと、老婆は真夜中に警察暑に行ったことは覚えているが警察で話した内容は全く覚えていない。

老婆は「ひと月前にくらべ物忘れが多くなった」と不安になり、介護施設に入ることを自ら希望した。つい5日前は、訪問してきたもう10年ほども顔見知りのヘルパーに「自分の家があるのだからそんなところには入らない」と言っていたばかりであった。

家族はその老婆の申し出を喜んだ。老婆の弟妹たち親戚の手前、老婆を介護施設に入れると言えないでいた家族は、老婆が自分から介護老人施設に入りたいと申し出てきたのをきっかけに親戚に老婆が深夜徘徊し警察に訴えた事件を説明し、老婆を施設に入れることについて親戚の了解を得ることができた。

このような事が偶然に起きたのだろうか?もしくはその老婆の30年ほど前に他界した老婆の夫や実父母らがあの世から老婆を引導したのだろうか?起きた事象は偶然なのか必然なのだろうか?

これは哲学的課題である。易についてまだ理解ができていないので何とも言えないが、易はこのような事象に対して何千年も蓄積された情報・資料に基づきある判断を下すものなのだと思う。出た卦による判断はその判断を仰ぐ人に新たな行動の指標となるものだと思う。こうして人生に創造と変化をもたらすことを易経は示しているのだと思う。要は偶然だと思われる事象をどう解釈するかにかかっている。天命ととるか運命ととるかである。運命ととれば起きた事象は悲劇となるし、天命ととればそれは恩恵となるだろう。(続く)