2012年1月7日土曜日

『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(11)(20120107)

  “易の考え方は陰陽相対性理論

  その間種々の思考律が出来、範疇(はんちゅう)を生んでさらに普遍的な陰陽五行思想が発達し易の体裁をなすようになりました。だからその関係からは、易の考え方は陰陽相対(待)性理論ということが出来るのであります。

  最初に申しましたように、創造的概念というか極限的概念ということか、物質的理論からいえば、丁度(ちょうど)ハイゼンンベルグが考えているウルマテリーというようなもの、即ち太極というものを考える。これはつまり無限の創造的変化であり、天・造化というものを全体として把握したものであります。  この太極は陰陽という二つのハタラキの相互転換性を持った性質・機能から出来ている。

  陽の特徴と弱点  しからば陽のハタラキはいかなるものであるか。これは無限の含蓄的・潜在的なるもの、そういうものの活動発展性を表す活動であり、顕現(けんげん)であります。内に含蓄潜在しているものが活動し、表現し顕現する。表現とともにそれは分化である。分化することにより発展する。

  顕現・分化・発展、要約すれば分化・発展のハタラキであります。これらによって宇宙に万物が表現、繁栄していく。草木を例にとれば根から幹、幹から大枝、大枝から小枝が分かれ鬱然(うつぜん)たる樹木になる。これは陽のハタラキであります。

  だから活動・表現・分化・発展は陽の特徴であるが、そこにまた弱点があります。それは活動すれば疲労というものがある。表現されるとそれだけ潜在的、含蓄的全(まった)き実体から遊離することになる。多少自己を限定することになる。表現なるものは無限なるものの自己限定である。

  我々の肉体を例にとれば、我々の親はたった二人、二代遡(さかのぼ)ってもたった四人、三代遡っても八人に過ぎないが、二十代遡るとその数は百万を超える。斯様に無数の生命が潜在含蓄し、そのごく一部が我々の肉体となり、精神活動となっている。我々の肉体を形成するということは、つまりこの潜在的生命の中から自己をこれだけに限定することである。” (以上、『安岡正篤 易経講義』より引用。) 

 この陰陽相対性理論は素粒子理論に相通じるものがある。万物は有機的構造物である。人間も有機的構造物、人間の集団も有機的構造物、同盟的国家群も有機的構造物、世界も有機的構造物、太陽系も有機的構造物、銀河も有機的構造物、宇宙も有機的構造物である。有機的構造物を構成する個々の物には無機的なものもあり無機的な物もある。

  一個の人間は宇宙の一要素に過ぎない。人間の集団も同じ、国家も同じ、この地球も同じである。すべて宇宙という無限の創造的変化の中の一要素に過ぎない。  宇宙という無限の創造的変化の中で人は生れ、生き、そして死ぬ。人生は過去から未来に続く途切れない流れの中の一事象に過ぎない。人生を目的的に生きる活動は易経で言うところの「陽」の働きであろう。まだ勉強中でよく理解できていないが、その「陽」の働きを把握する方法として陰陽五行というものがあるのだと思う。 (続く)