2012年1月12日木曜日


『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(16)(20120112)

 “陰陽で見る男女の区別

 男女なんかは誰にも分かる陰陽のよい例であります。体格堂々、筋骨隆々、活動力があり、頭が良くて理知的で、才能があり、アンビションもある。これは陽性で誠に男らしい感じを与える。・・(中略)・・

 女は筋骨やさしく、内面的、静止的で理知的よりは理性的、情緒的、才能的よりは道徳的、徳性的である。これがいわゆる女らしいというのであります。・・(中略)・・

 ところが陰陽というものは相互転換性を持っていることは近頃の科学でも分かっていまして、亭主がニギリヤだと女は苦労して遣わねばならぬ。これは陰陽倒錯現象で、双方が不幸であります。やはり男はよく散じ、女はよく貯蓄する

 異性に対しても男は本能的に浮気であるが、それを反省してその精力を他に使う。反対に女は本能的に貞節であるが、反省して浮気をする。・・(中略)・・

 昔の人が女に教育は要らないと言ったのは、下手に教育すれば理性的批判が出て来て、馬鹿亭主を蔑(ないが)しろにしていかん。教育のない方が男は愚劣(ぐれつ)に安んじることができるというわけであります。

 だから男女というものは決して一律に論ずることは出来ぬので、陰陽の法則がよく現れております。・・(中略)・・

 太極・天・易・中・陰陽相対性の理法というものはだいたいこういう内容をもっているもので、理論的にも具体的にもよくこれを把握理解することが先決問題で、天・命・数・運とか陰陽とかが分からんようでは、易をやってもなんにもならないわけであります。”
(以上、『安岡正篤 易経講座』より引用。)

 同じ一生を送るのによい配偶者に恵まれ、基本的には夫が「陽」、妻が「陰」であるが、時に物の考え方・見かた・感じ方など精神面で互いに陰陽入れ替わり、その夫婦を取巻く外部の状況に対処する。そのようにして互いに相手を尊重しあい、理解しあい、助けあう。そのようにすれば夫婦円満、家庭が平和で万福の幸せがもたらされるであろう。

 しかしそのような理想・願望のような、生涯波風一つ立たず、安寧に幸せに過ごす夫婦もあれば、伴侶を病死・事故死等で失うという夫婦(であった)人もある。3.11大災害では夫や妻や親や子供を津波で失った家族もある。今このとき生きていても明日は白骨となるかもしれない。この世は誠に不条理である。物事を一面的、一方向だけから見ない人は「なぜ自分だけが」と悲嘆にくれ、心も折れてしまうだろう。

 もし、ものごとを多面的にあらゆる方向から見るならば、そしてさらに過去から未来へという時間の流れも一緒に見るならば、また別の、それまで気づかなかったことが見えてくるに違いない。易経は、天・命・数・運・陰陽で物事を見よと教えているのだと思う。
                                  (続く)