2012年1月3日火曜日


『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(7)(20120103)
 
 “而して厳たる普遍性に基づいて変化極まりなく展開していうのが天であり、命であり、運命である。その中に太陽があるが如く、花があるが如く、我があるのであります。
 だから自分、我というものは一つの天であり、命であり、一つの数である。だから我自体はその本源にたてば、寸時も固定することのない変化已まざるもので、我をよく徹見(てっけん)すれば、所に応じ時に随(したが)っていくらでも自分を易(か)えていくことが出来る。

 だから自ら限定し自ら停滞するくらい、非易的、非自然的、非虚無的なことはない。俺はこれくらいの人間であるなどと考えるのは自ら限定するもの、自ら知らざるものであって、かりにも天を知り、易を学べば自分というものは無限の造化である。創造変化である。如何様(いかよう)にでもなるものであるということを、単なる頭ではなくて身体で、生命で全精神でこれを把握する必要がある。それでなければ易を学ぶ資格はない。

 ところが大抵の人間は、非常に早く俺はこういう人間だろ自ら限定してしまう。それではいけないんで、生ける限りは自己を修め、自己を延ばし、自己を変化していかねばならぬ。

 その意味から敬慕(けいぼ)されている人に、『論語』に出てくる伯玉(きょはくぎょく)という人がある。孔子は彼を賛美して「行年五十にして四十九年の非を知る」と言っていると言っている。

 四十にして惑わずといいますが、人間四十位になると生理的にも精神的にも、賢は賢なり、愚は愚なりにだいたい固まってしまう。つぶしがきかなくなってしまう。そして俺は先ずこんなものだとアキラメテしまう。・・(後略)・・”

 “伯玉 中国・春秋時代の衛の大夫。孔子と同時代の人で、論語の憲問篇からは親しい交流があったことがうかがえる。また衛霊公篇においては「君子なるかな伯玉。邦に道あれば則ち巻きて之を懐にすべし」と言って尊敬の念を表している。”(以上、『安岡正篤 易経講座』より引用。)

 自分がもう齢だからと消極的になるとその年齢がさほど齢でもないのにその人は若年にして既に年寄りである。逆に年寄りが若い人のような気持ちでいるとその人は老年であっても若年のようである。サムエルウルマンという人がそういう詩を作って有名になった。

 幾ら齢をとってもその考え方において若者のように柔軟であり、素直であり、謙虚であることは重要である。

  しかし齢をとれば齢相応に学問ができていなければならないと思う。生涯学問をし続ければ人生幾らでも新たな展開があるのだということを易経は教えているのだと思う。街角の書店にはノウハウ本が氾濫しているがそんな本を読むよりは先人の教えのエッセンスである仏教や易経関係の本を読むほうが人生の時間の無駄がないのではないだろうか?
                                   (続く)