2012年1月14日土曜日


『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(18)(20120114)

“陰陽は「相対」であり「相待」である。

 ”易はこの宇宙・人生を先ず全体的に捉えて、それが陰陽相対性の理法によって存立し、活動している。もちろん陰陽というものは後になって用いられた言葉で、戦国時代以前には剛・柔といった。それが戦国以後になってだんだん陰陽五行の説を生じ、これと合致して陰陽という言葉で専ら説かれるようになった。

 そこでもう少し陰陽の相対的関係を、相対は相対であると同時に相待であるということをお話しておきます。対が待であるということが、マルクス等の唯物弁証法・唯物史観と違うところであります。即ち階級闘争理論ではなくして、階級闘争と同時に階級協調で、すすんでは中(ちゅう)の理論である。矛盾的なるものを包含し、これを超越・発展せしめる働きを中という。易論は換言すれば中論であります。

 然(しか)らば、陰陽の性質・働きとはいかなるものか。非常に含蓄的・潜在的である極、あるいは中に即して活動し、分化し、発展していくものが陽である。これに即して、統一し含蓄する働きが陰である。陰なくして陽はない、陽なくして陰はない。陰と陽とはまったく相対的なものであって、その相対に即して対立している。

 もしこれが陽に過ぎれば、活動であるから疲労がある。発現であるから浮薄(ふはく)である。分化であるから分裂する。ますなす生命から遊離して、生命力が稀薄(きはく)になる。稀薄になって分散・破滅する。そしてまた、元の含蓄状態に帰入してしまう。それを統一することによって全体性というものが成り立ち、同時に永続性が維持される。この陰の働きによって、陽が相待って、初めて創造・進化が行われる。

 これがもし陰に偏すると統一性・含蓄性であるから、どうしても委縮(いしゅく)し、固定する。その結果は死滅することになる。

 陰でも陽でも偏すれば結論は同じこと。そこで陰陽の調和が大事なんで、本当に調和すれば中の力が強くなる。本当の意味の作用が健康に営まれる。

 我々の健康は生理における陰陽の調和である。人格の円満というのは、知性と感情の陰陽、あるいは才と徳の陰陽の調和である。立派な人間社会、幸福な家庭社会は、男女の陰陽の関係の調和である。”

 “唯物史観 マルクス主義の歴史観で経済活動や科学技術の発展と変化が人間の歴史を発展・前進させる原動力になるとする考え方。史的唯物論ともいう。”(以上、『安岡正篤 易経講座』より引用。)

 日本という国は、まさに陰陽調和した中(ちゅう)の国である。その中心に万世一系の天皇がいる。聖徳太子の十七条憲法の第一条の「和をもって貴しと為す」は、これを象徴している。

 国内にこの中をもたらすため戦国時代があった。東洋に中をもたらすため大東亜解放戦争があった。

 中をもたらす「折衷」のため、いま為さなければならぬことが起きつつある。第一列島線・奄美沖縄八重山に核心的利益をおいて行動する中国にどう対処するか、女系天皇を推進しようとする動きにどう対処するのか、いま「陽」の働きをもって「折衷」を目指し行動を起こさなければならぬ時が近づきつつある。  (続く)