2015年4月30日木曜日

20150430安倍首相のアメリカ上下院合同会議における演説に思う。


アメリカ議会の上下両院合同会議における安倍首相の45分間の英語による演説は実に素晴らしかった。演説中standing ovation 13回に及んだ。

この安倍首相の演説に対し、日本国内誌では朝日と日経の二社が見出しに「謝罪」や「お詫び」の言葉が無かったとことを掲げた。一方、中国や韓国はいつものように反発した。

歴史認識に関し、日本は中国や韓国と同じ立場に立つ必要は全くない。日本は彼らに対し100回謝罪し、100回お詫びの言葉を述べても、彼らは日本に対する批判の手を緩めることは絶対ないだろう。一方、このたびの演説によって、アメリカと日本の間では歴史認識の問題は完全に解消したと思われる。

日本はアメリカと非常に強固な同盟関係を築いている。政道において日本はアメリカに対し折中を行ってきて、この度アメリカ上下院合同会議における安倍首相の演説をもってその折中を完了させる目途をつけた。安岡正篤先生の『易経講座』には、“単に歩み寄りなんていうものは居中であって折中ではない。易は中庸である。中庸は複雑な現実に処して勇敢に折中していくことである。これくらい難しいことはないので、孔子も中庸の中で「爵録(しゃくろく)を辞するよりも白刃(はくじん)(ふ)むよりも、天下国家を均(ひとし)うするよりも中庸は難しい」と説いている。”と書かれている。日本は中国・韓国両国に対して安倍首相の演説にあるように“Later on, from the 1980’s we saw the rise of the Republic Korea, Taiwan, the ASEAN countries and before long China as well. This time, Japan too devotedly poured in capital and technologies to support their growths. (下って1980年以降、韓国が、台湾が、ASEAN(東南アジア諸国連合)諸国が、やがて中国が勃興します。今度は日本も資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。)”

日本は中国・韓国に対して折中の途次にあるが、その道はなかなか険しいものがある。国家観が乏しい政治家や商人たちは日本が中国・韓国と居中する、つまりお互い歩み寄ることを求めている。それは日本が中国・韓国の歴史認識を共有せよと言わんばかりである。

正しい商道とは歩み寄りのために絶対譲ってはならないものを譲り渡して行うことではない。正しい商道とは絶対譲ってはならないものは決して譲ることなく、お互い利益があることについて契約して共に利益を得ることである。その相手(中国・韓国)とは仲良く出来なくても共通の利益となることは沢山ある。日本は無理してまで中国・韓国と仲良くする必要は全くない。ただ、お互い国民同士の交流は大いにやる必要はある。正しい商道を突き進むうちに日本と中国・韓国との間でやがて中庸が得られるようになることだろう。

2015年4月13日月曜日

20150413国家は一つの生物種である (終章) ―― 戦争ができる国とは? ――


安全保障政策を巡って「日本を戦争ができる国にしようとしている」と一部で反政府キャンペーンが行われている。戦争ができる国は戦争に巻き込まれるのだろうか?日本はアメリカと強固な同盟関係を結んでいるから戦争に引き込まれるのだろうか?

 戦争ができる国は戦争に巻き込まれることはない。戦争ができる国に対して敵は戦争を仕掛けることを躊躇する。その状況は野生動物の世界と似ている。国家は本質的に野生動物と似たところがある。野生動物は生存し・子孫を残し・種を維持しようとする。国家も似たようなものである。国家として生き残り・人口を適正に維持し・国体を維持しようとする。

 国家を構成する人間の本質は何なのか?

 人間は生まれつき悪の根を持っている。
人間の社会から悪は決して無くならない。
 人間は死後の報いを恐れて善の行いもするし悪の行いもする。

 人間は自分が信じる神に喜ばれると信じて他の人を殺すことがある。
人間は自暴自棄になったとき他の人を殺すことがある。
 人間は自分が行う結果を想像できないとき他の人を殺すことがある。
 人間は自分が愛する者や愛する対象のため殺し合いをすることがある。
 人間は自ら生き残ろうとして他の人を殺すことがある。
人間は他の人を殺すとき自分を納得させる何かの理由を作る。

 人間は自分の力量や品格では到底かなわないようなその人を尊敬する。
 人間は自分の欲求や理想を満たす人のファンになろうとする。
 人間は孤独に耐えられず誰かと親密な関係になろうとする。
 人間は他の人に認められたくて善いことも悪いこともする。

 人間は他の人に認められたくて他の人を脅したり自分を大きく見せたりする。
人間は他の人を自分より下に置いて差別したがる。

国家も人間と同じようなものである。
行政単位も人間と同じようなものである。
宗教団体も人間と同じようなものである。
武装集団も人間と同じようなものである。
テロリストの集団も人間と同じようなものである。
カルトの宗教集団も人間と同じようなものである。

戦争ができる国とは戦争をする国のことなのか?
戦争ができる国とは戦争に巻き込まれる国のことなのか?
戦争ができる国は国民同士互いに心が通じ合う国から好かれるだろう。
戦争ができる国は警戒をされるが一方で敬意も表されるだろう。

戦争ができる国とは直ちに強力な武器を保有することができる国のことである。
戦争ができる国とは自国がそういう国であることを自ら語る国のことである。

強い国とは敵国を知り自国を知って戦争の準備を怠らない国のことである。
強い国とは強い国を知っている国のことである。
強い国は価値観を共有できない国とは決して同盟関係・共同体関係を結ばない。
強い国は共通の利益があるときだけそういう国と契約して利益を分け合う。

野生動物は生き残るため自分の力を懸命に誇示しようとする。
自分の力や真実を正当に表現することができる人は尊敬される。
自国のあらゆる面の実力を表現しなければ他国はその実力を理解できない。

悪に満ちた世界の中でそういう国だけが生き残ることができるだろう。

 心ある政治家よ! 官僚よ! 武士の心を持て! 
 良い日本を作り、次世代に良い日本を残すことは、
 先の戦争で没したすべての人々に対する義務である。


2015年2月21日土曜日

20150221国家は一つの生物種である (23) ―― セルフアイデンティティ ――

  
 子供はその父親と母親から半分ずつの遺伝情報を受け継ぐ。ヒトのゲノムの染色体は性染色体を含め24本あるが、性染色体を一つに数えてその組み合わせ数を考えると、子供は父親と母親からそれぞれ223 = 8,388,608通りの組み合わせの中から遺伝情報を受け継ぐ。したがって合計(223)2 = 8,388,608×8,388,608 = 70,368,744,177,664通りの組み合わせの中から遺伝情報を両親から受け継ぐ。このため親子・兄弟・姉妹、互いに似たところもあり、似ていないところも生じる。

 一方、一組の男女が二人の子供をもうけるとして、一世代を25年とすると、100年で24人、1000年で2401兆人の子孫ができることになる。実際はこれよりずっと少ない人口であるので、上記の70,368,744,177,664通りの遺伝情報は日本人の間で、或は日本人の親から生まれた子供は無数の先祖の遺伝情報の何かを受け継いでいることになる。その人の容貌・形質・知能・性格・遺伝病などの遺伝情報は完全に混じり合ったものになっている。

 ヒトのDNAはつなぎ合わせるとおよそ1mにもなる。ヒトを含め有性生殖を行う生物にはその細胞内に2セット分のゲノム情報があるので、ヒトのDNAの長さはおよそ2mにもなる。これが細胞の核の中に折りたたまれて収められている。ヒトの細胞の数は60兆個であると言われている。その一つ一つに同じDNAがあり、皆同じ構造になっている。

各細胞たちは老化や損傷により新しい細胞に入れ替わる。新しい細胞は細胞の分裂により生じる。ヒトの細胞は人工培養の場合約20時間の周期で分裂する。細胞の寿命は骨など最も長いもので数年から10数年、赤血球は120日とまちまちである。

ヒトのゲノムの塩基対の数は約30億である。そのうちタンパク質をコードする遺伝子の数は25,000である。細胞の分裂のときに遺伝子の重複とか転座が起きて突然変異が生じる。ヒトの場合年間3個程度の突然変異が起きていると言われている。突然変異した遺伝情報がグループの中で定着した場合、進化と言われる。ヒトも他の真核生物も日々進化している。ただヒトがヒトを超える新たな生物種(超ヒト)に自然的に進化することはないだろう。以上述べたことは生物学などの知見を参考にして書いたものである。

 ヒトは国家を構成し、共通の言語・文化・伝統の中で暮らしている。60兆個の細胞から成るヒトは国家の「細胞」のようなものである。高度に発達した国家とそうでない国家の間には進化の程度・内容に差が生じるに違いない。日本には縄文人・渡来系弥生人・渡来帰化人の混血である日本人と、特に近代以降日本人と結婚し日本に帰化した外国人や、外国籍の人で日本人との間に子供をもうけた人がいて、日本人は単一民族のように見えるが本質的に雑種である。それゆえ日本人の容貌・形質・性格などは非常に多様性に富んでいる。これが日本人の創造性を一層高め、日本という国家が環境や状況に対する適応力をますます優れたものにしている源になっていると考えられる。但しそれは源泉であって川の本流ではない。川の本流は何によって作られるのか、また何によって護られるのか。

 人間にとってセルフアイデンティティが重要であるように、国家にとってもそれは大変重要である。日本国民は天皇がいるので一つにまとまっている。それも神武天皇以来男系の皇統が守られてきたからこそ日本人はひとつにまとまっているである。統合の中心が重要である。それはある意味で宗教的なものである。アメリカの場合は大統領選出のプロセス・星条旗・アーリントン墓地などがそれに相当している。

一部の人たちにより夫婦別称や女系天皇を容認させようとする動きがある。これは結局男系の皇統を崩す動きにつながるものである。このことに気付いていない人は多い。男系の皇統を絶対崩してはならない。彼らは戦後の家庭教育・学校教育・社会教育の中で、日本の古代史・近現代史や仏教・神道や伝統・文化や萬葉集など古典について十分学習していない人たちではないだろうかと思われる。

 天皇・日章旗・国歌、そして軍隊(自衛隊)特に海軍(海上自衛隊)の旗である旭日旗は、日本人としての出自がどうであれ、日本人が日本人であるということを意識することができるシンボルである。靖国神社・全国の護国神社は祖国日本のため戦って命を落とした人々と今を生きる人々との魂の交流の場である。日本を貶めたいと思う人たちにとってそれらは気に入らないものであろうが、日本人ならそれらを断固守るようにしなければならない。さもないとこの日本国の存続は次第に難しくなってゆくに違いないと思う。つまり川の流れは千路に乱れ、どれが本流なのか分別ができなくなってしまうということである。

2015年2月1日日曜日

20150201国家は一つの生物種である(22) ―― 超個体の意識・無意識 ――


 国家は動物に例えれば蟻や蜂などのような昆虫の個々が集まってあたかも一つの個体を形成して超個体となっているようなものである。蟻や蜂などでなくても動物たちは個々の種ごと群れを成してそれなりに社会を形成している。人間の集団である国家は個々の人間が集まって高度な社会を形成した超個体である。「国」を名乗る武装集団や一つの国家の中で活動する武装集団も同様に人間の組織的集団であるからそれぞれ超個体である。

 人間と動物との根本的な違いは意識である。意識には自分が自覚している意識と、自分が自覚できない無意識の二つがある。無意識にもその深さの程度によって階層がある。自分が意識して自分の身体に覚え込ませたものは最も浅い無意識である。武道・茶道・華道・芸道などは先ず先生から教えられたことを元にその道を理解し、次にその理解したことが自然にできるように鍛錬を重ねれば、自分はいちいち意識しなくても自然に自分の身体が動くようになる。つまりその段階で意識は無意識になる。しかしそれは意識の段階では浅い。

 人を殺してみたいという衝動に駆られる人が少なからず存在していて時々事件が起きている。人はなぜ他人を殺すのか?ある19歳の女子大学生が「人を殺したい」と常々思っていてその機会をうかがっていた。その女子学生は自分の部屋に一つの斧を隠し持っていた。その女子学生の前にある老女が現れた。その老女は彼女に宗教の勧誘をしようとしていた。その女子学生と老女は一つの部屋で二人きりになった。女子学生はその老女を殺害した。

 戦場で敵を殺害せざるを得ない場合を別として、一般に殺人者は自分が殺す相手に対して共感する心を持ち合わせていない。つまり無意識の衝動が彼または彼女に殺人の行為を引き起こさせる。その衝動は何処からもたらされるのだろうか?自分自身の中にそのような殺人という指令を発する部分があるのだろうか?或は自分自身の外にそのような指令を発する何かがあるのだろうか?人の行動のほとんど多くは無意識的である。身に迫る危険を反射的に回避する機能は人間を含むすべての生物に備わっている。いわゆる「イスラム国」で二人の日本人が殺害された。その時二人は自分の身を護ろうとしたに違いない。


国家のレベルで考えた場合、国家の‘無意識’は国家自身が持っているもののほか、国家の外からその国家をあたかも透明無臭のガスのようになって覆っているものもあるのではないだろうか?日本は「神代(の昔)より言霊の幸(さき)わう国、皇神(すめらかみ)の厳(いつく)しき国」(万葉集巻五・894番)と言い伝えられてきた国である。日本人は自らの在り様を問い直さなければならない。日本人は自らの歴史・文化・伝統を大事にしなければならない。自らをよく知るということはよく生きるということである。国家も同じである。日本は戦後失ったものの中から本来あるべき良いものを取り戻さなければならない。

2015年1月20日火曜日

20150119国家は一つの生物種である(21) ―― 日本人殺害予告報道に思う ――


 我々の脳は外からの有害な刺激に対して我々自身の意識よりも先に反応し、必要な指令を発して我々の身体を防御しようとする。そのような無意識的防御システムとは別に、我々は自分自身の頭脳を働かせて意識的な防御システムを作り上げている。

 我々人間が作り上げている国家にも無意識的な防御システムと意識的な防御システムがある。無意識的な防御システムは政府の指示なしに勝手に作動しているものがある。括弧(“”)で示す次の記事は産経新聞インターネット版から引用したものである。アメリカ議会におけるこのような動きはそのような無意識的な動きなのか、或はアメリカ政府が議会に対して暗に意図的(意識的)に働きかけている結果起きていることなのか?

日本から見れば議会も政府も同じで、「アメリカは日本に対して不愉快なことをしている」ということなる。そのような日本人の気持ちはアメリカ人にはなかなか伝わらない。日本の政府は日本への理解を得るためアメリカの政府と議会に対して最も巧みな説明と最も強い情報発信を積極的に行うべきである。「政府は何をやっているのだ」といういら立ちを禁じ得ない。

 “【ワシントン=加納宏幸】米議会調査局は今月、日米関係に関する報告書を発表し、戦後70年に絡む安倍晋三首相の言動が日本と近隣諸国の関係を左右すると指摘した。しかし、報告書は首相を「強烈なナショナリスト(国粋主義者)」「歴史修正主義的」と決めつけ、名前が明らかでない「評論家」の意見を記述の根拠とするなど、歴史認識をめぐる項目については問題点も少なくない。

 13日に公表された報告書は、戦後70年の首相談話を扱った項目で慰安婦問題に言及。「複数の評論家」の主張として「安倍政権は日本が強制的に女性を性奴隷にしたとする、広く行き渡った理解を変えようとしている」として、慰安婦が性奴隷であり、「強制連行」されたとの説に沿って記述されている。”

 いわゆる「イスラム国」に日本人二人が拘束され、殺害されそうになっている。拘束された理由として「イスラム国」が言っていることは、“日本がアメリカに加担して2億ドルの資金を出したため、自分たちが苦しみを受けている”という趣旨のことである。

 もし日本が軍事的に強大な国であり、日本の防衛をアメリカに全く依存しない国であり、日本が国際協調も必要とせず独自に平和と繁栄を達成できる国であるとするならば、日本はテロに苦しめられている人々への人道支援のため全く独自に行動しただろうか?

 アメリカといえども自分の国だけで自国の平和と繁栄を達成することはできないだろう。アメリカは日本との同盟を望んでいるのであるならば、アメリカの‘頭脳’であるアメリカ政府は上記報道記事にあるような議会の勝手な動きを抑える責任がある筈である。


 戦後平和を謳歌してきた日本も目覚めなければならない。一市井の無学の孤老がぼやくのではなく、日本の未来に直接責任がある現役の日本人に行動を起こしてもらわなければならぬ。さもないと日本の未来の平和と繁栄を願いつつ戦陣に散っていった方々に対して大変申し訳なかろう。

2015年1月15日木曜日

20150115国家は一つの生物種である(20) ―― パラオ(ペリリュー島)で起きたことを思いつつ日本国家の進化につて考える ――


 左欄「YouTubeより」の最初にリンクを貼っていた『親日国パラオと日本の関係を知って!』という題の動画は、一般社団法人日本レコード協会 から著作権侵害の申し立てがあったため削除された旨表示あり、再生できなくなっていた。多分その動画の製作者が使用した音楽について著作権の侵害があったのだろうと推測するが大変残念なことである。

 そこで同じ内容の別の動画がないか探してみたら新たなものが見つかった。これも再生回数が非常に多い。その動画の題名は『日の丸とパラオの国旗の由来』である。そこでこれを左欄にリンクを貼ることにした。またこれが削除とならないことを願う。

 天皇・皇后両陛下はパラオにおける戦没者の慰霊のため、パラオにご訪問される予定である。パラオのペリリュー島では大日本帝国陸軍将兵11,000名中10,695人が戦死した。一方、アメリカ軍は戦死者1,794名・負傷者8,010名であった。(以上、Wikipediaより引用)

 ペリリュー島では日本軍は戦闘に先立ち全島民を疎開させていたので、その戦闘における島民の死者はゼロであった。動画にはドイツの植民地当時と思われる島民の様子と日本が統治して時期の島民の様子が映し出されている。日本による統治下、パラオ島民は日本国内におけると同様の平等で規律正しく礼儀正しい教育を受けていた。当時島民たちは日本軍人と共に戦うことを申し出たが、中川隊長は非常に厳しい口調でその申し出を拒否した。その隊長はペリリュー島を去る船上の島民たちに向かって笑顔で手を振っていた。

 ほとんど多くの日本人はパラオで何が起きたか知っていないだろう。戦後日本人は正しい歴史を教わっていない。自分たちの父祖たちがアジアで悪いことをしたと教え込まれてきた。しかし事実は全く違う。今の若い人たちは自分たちの祖父たち・曽祖父たちがなぜ自分の命を懸けて戦ったのかということを正しく学ぶ必要がある。もちろん、祖母・曾祖母たちも自分の夫や子どもを戦場に送り、失った。その例えようもない深い悲しみについてもよく学ぶ必要がある。今日、この麗しい日本があるのは、今の若い人たちの祖父母・曾祖母たちの犠牲のお蔭なのである。

 戦後日本は平和を守り、繁栄するためひたすら頑張ってきた。日本は中国や韓国との関係について必死に努力してきた。何度も謝罪し、莫大な資金も提供した。それにもかかわらず日本と韓国・中国との関係は少しも改善されない。それどころか悪化するばかりである。

 この状況を改善するため、まず日本人自身が日本の近現代史について正しく学ぶ必要がある。近現代史を学ぶにあたっては、一般国民に知らされていない、或は一般国民が知ることをためらうような真実のことも知る必要がある。そのような客観的・積極的かつ冷静な学習態度が日本人の自覚を確かなものにし、今生じている隣国との関係の問題を解消させる強烈な力となる筈である。日本人が左翼の識者の言動にも右翼の識者の言動にも惑わされることなく、マスメディアの扇動にも踊らされることなく、正しい自覚に目覚めたとき、日本はさらに‘進化’してゆくに違いない。それこそが生命体としての日本国家が環境に適応しながら自ら存続してゆくことである。

 日本軍でもアメリカ軍でもそれぞれ兵士たちは自分の死が後の世の平和と繁栄をもたらすことを願望しつつ死んでいった。国家という‘生命体’の中で兵士たちはその‘細胞’のようなものである。戦闘で破損した肉も流された血も細胞でできている多細胞体である。国家は細胞の集合の超集合体である。国家の‘頭脳’も‘意識’も国民個々の人の頭脳と意識の超集合体である。

 意識は頭脳の働きを殆ど支配することができない。頭脳はその支配する生命体の自己保存のため勝手に様々な指令を発する。自己保存に意識が関与する割合は少なく、殆ど無意識に自己保存が行われる。同様に国家の‘意識’も国家の‘頭脳’の働きを殆ど支配することはできない。その‘意識’は何によって生じているのか?‘無意識’は何処に在るのか?「国家は生命体である」ということが㈱日本教文社から出版された谷口雅春著『占領憲法下の日本』という本の中に書かれている。我々は自分の意識で把握できることの限界を自覚し、未知の‘何か’に対して謙虚であることが必要であると思う。(関連:ブログのラベル「占領憲法下の日本」
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/search/label/%E5%8D%A0%E9%A0%98%E6%86%B2%E6%B3%95%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC  )

2015年1月13日火曜日

20150113国家は一つの生物種である(19) ――いわゆる従軍慰安婦問題――


 平成27年(2015年)113日付け産経ニュース(インターネット版)に『中国にとって日本はもはや「大国」ではなくなったのか』と題して以下の記事があった。“中国にとって日本とは何かという問いは、日本にとって中国とは何かという問いと同様、きわめて重要なものである。戦後70年となる今年、私は日中関係の改善を願うが、あまり楽観的にはなれない。(フジサンケイビジネスアイ 元滋賀県立大学教授・荒井利明)”

前回『20150107国家は一つの生物種である(18) ―― 国家の進化と多様化――』でも取り上げたが、文化人類学者文化人類学者・船曳建夫氏は読売新聞1月6日付け記事で「日本人論」について“西洋の側ではないが、さりとてアジアにも戻れない。何処にも仲間がいない孤立感を裏返して、肯定するようになったのでなないか」と分析する”と述べている。

フランスの連続銃撃テロ事件の犠牲者を追悼する大行進がフランス全土で370万人に達した。このパリ大行進にはオランド仏大統領・メルケル独首相・キャメロン英首相・レンツイ伊首相・ネタニヤフイスラエル首相・ケイタマリ大統領・アッパスパレスチナ自治区政府議長らも腕を組んで歩いた。近年の欧州の特殊な事情がそのような連帯感を生んだ。日本はG8のメンバーではあるが、ほとんど多くの日本人は日本と欧州の間でそのような直接的な連帯の必要性を感じていない。しかしもしこの日本国内でそのようなテロの危険性が高まれば話は全く別である。

韓国の朴槿恵(パククネ)大統領は12日行われた新年の記者会見で安倍首相との会談について、“日本との新しい関係を模索する。一歩前進できる首脳会談にしなければならないが困難がある。元慰安婦のおばさんたちが生存している間にうまく解決することが重要だ”と述べた。

これに対して菅官房長官は“隣国の首脳が会うのに前提をつけるべきではない。いわゆる従軍慰安婦問題については政治的、外交的問題にすべきでないという考えを韓国側に粘り強く伝えていきたい”と述べた。一方、岸田外相は“首脳同士の意思疎通は重視されなければいけない”と述べ、首脳会談の実現に向けて努力する姿勢を示した。その上で、いわゆる従軍慰安婦問題については“安倍首相も心が痛むという思いをたびたび表明している。21世紀は女性の人権をはじめ人権侵害のない世紀にしなければならない”と述べた。

日本はいわゆる元従軍慰安婦に対して小泉首相(当時)は手紙を出し、“政府と国民が協力して進めている「女性のためのアジア平和国民基金」を通じ、元従軍慰安婦の方々へのわが国の国民的な償いが行われるに際し、私の気持ちを表明させていただきます。いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます”と書いて日本人の気持ちを伝えている。日本は従来から一貫して韓国に対して誠実に対応して来ている。

日本は韓国による竹島の不法占拠や中国による尖閣諸島への不当な干渉があるにも拘わらず、韓国や中国に対してひたすら誠実に、日本と中国・韓国との間の関係改善のための努力を傾注して来ている。それにもかかわらず状況は少しも改善されていない。

日本は大東亜戦争(戦勝国アメリカによって「太平洋戦争」と呼称変更)中、東京大空襲で10万人もの人々が一挙に死んだことや原爆投下で何十万人も死んだにも拘わらず、「あれは大変な災難だったと」自らを慰め、ひたすら平和への道を歩んできた。

日本はひたすら忍耐・辛抱・努力を惜しまず、礼儀正しく、懸命に平和を保とうとしている。それは、「‘生物種’としての日本国家」が自らの存続のため、環境に適応して行こうとする過程である。もし他に適応の道が無ければ、日本は今でも常に起きている突然変異の中から、環境に適応するため有利な‘遺伝子’を選び、飛躍的な進化を遂げることになるかもしれない。

生物はそれぞれ孤立している。生物は同じ種同士仲間になるが、自らの存続のため仲間を殺すこともある。異なる種同士では自存のため共生する以外は個々に孤立し、敵対している。‘生物種’としての日本も同様である。


日本と隣国・同盟国との関係を気にする日本の学識者・マスコミの記者・一般大衆の気持ちは分かる。しかし少なくとも日本の志ある政治家や中央官庁の官僚たちには、「‘生物種’としての国家」同士の対立と協調についてしっかりとした考え方を持ってもらいたいものである。明治の軍人・政治家・官僚たちは日本の自存・自衛のため今何を為すべきか、ということを良く心得ていたと思う。

2015年1月7日水曜日

20150107国家は一つの生物種である(18) ―― 国家の進化と多様化――


 生物はその進化の過程において自然淘汰によって進化してきたのではないということである。遺伝子に突然変異が起きたときその突然変異が環境への適応に有利な遺伝子である場合、代々世代を重ねる間にその遺伝子が集団の間に次第に広がり、環境に適応した新たな種が誕生する。しかし突然変異のほとんど多くは環境への適応に有利な遺伝子でもなく、不利な遺伝子でもない中立な遺伝子への変異であると言われる。突然変異した遺伝子の中でごく稀に環境への適合に有利な遺伝子が出現し、それが生き残って世代を重ねる間に増えて行った場合に、新たに進化した種が誕生する。そのようにして生物は進化し多様化する。パン酵母も稲も鳥も魚も猛獣も人類も進化・多様化の過程で分岐して行ったものである。人類を含め生物は皆同根である。

人間の遺伝子には年間3個の突然変異が起きている。20万年前、今世界に拡散している人類が誕生して以来、人類はそれぞれの環境で進化し続けていて今日の多様な人種の構成になっている。それでも人種間における遺伝子の違いは1%も無いという。

突然変異は細胞分裂時の遺伝子複製の過程で遺伝子の混成(シャフリング)が起きるため生じるという。我々の体の細胞の中で頻繁に起きているこのような現象を国家のレベルで考えてみたい。

国家において国民は細胞のようなものである。世代を重ねるうちにその細胞の中の遺伝子はシャフリングされてゆく。日本人は縄文人を基層集団にした多様な人種の混血である。しかし日本は神武天皇以来2675年の間万世一系の天皇を戴き、長い年月を重ね、皆同胞であり親族のような単一民族の国家である。人々は「互いに助け合った方が得であって、他人を押しのけても、結局は損になると骨身にしみている(文化人類学者・船曳建夫氏寄稿の読売新聞1月6日付け記事より引用)」。

日本には極端な貧富の差はない。日本の過去の歴史をみても為政者が人々を苦しめて自分たちだけが富をかき集めるというようなことは無かった。仁徳天皇(313年〜399年)は群臣に詔(みことのり)して「高台に登って遠くを望んだが家々に煙が上がっていない。これは百姓たちが貧しいためであろう。向う三年間はことごとく課税をやめ、百姓たちを苦しみから救え」という趣旨のことを言われた(参考:岩波文庫『日本書記(二)』)。後世の権力者たちは仁徳天皇の徳政を手本にしてきた。

『安岡正篤 易経講座』で安岡正篤先生は「陰なくして陽はない、陽なくして陰はない。陰と陽とはまったく相対的なものであって、その相対に即して対立している。・・(中略)・・陰陽の調和が大事なんで、本当に調和すれば中の力が強くなる」と言っておられる。この「中」の精神こそ、日本という国家が進化する過程で獲得したものである。日本は先の戦争でアメリカに降参し、「中」を得て新たな環境に適応することができた。天皇はその「中」の精神の象徴であらせられる。

日本という国家はそれぞれ進化してきた多数の国家群の中の一つとして独自に進化しているが、様々な圧力に屈して「中」の精神を忘れるようなことが決してあってはならない。

民主党のある有力政治家が堂々と第一番の理念として「夫婦別称」を掲げた。これは結局のところ「女系天皇」への道を開くものである。このこといついては論理よりも直感が重要である。ただし問題についての理解不足もあるので議論は尽くす必要がある。

歴史上中継ぎの天皇として「女性天皇」は何度も存在した。それは中継ぎであるからY染色体遺伝子の継承は途絶えることはなかった。しかし「女系天皇」を是とするようになればミトコンドリア遺伝子の継承となり万世一系ではなくなってしまう。日本の「中」の精神は見失われてしまうだろう。日本という国家の進化はそこで止まってしまうに違いない。
(関連:①『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(18)(20120114)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2012/01/1820120114.html 

②古代、記録に残っている渡来人の数(20120701)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2012/07/20120701-m7a-d2-5000-2500-20120505-1000.html 

聖武天皇(17)「皇統・皇室を守ることこそ日本国内外の平和につながる」(20120601)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2012/06/20120601-270-310-1-8670-781-806-539-571.html  )



 

2015年1月3日土曜日

20150103国家は一つの生物種である(17)――環境への適応(わが日本の場合) ―

 元アメリカ国務長官ヘンリー・キシンジャー氏は「アメリカが日本を作り直したのではない。日本自身が自らの伝統的な価値観の中で新たな状況と国際秩序に適応したのだ」と語った。27億年前に真核生物が現れて以来生物は「あらたな状況と秩序への適応」しつつ進化してきた。国家も同様である。日本という国家の進化は天皇の存在なしには考えられない。

 日本人は縄文人と渡来系弥生人との混血種であるだけではなく、特に後漢滅亡前後に朝鮮半島から渡来してきた漢人や韓人との混血種でもある。戦後は特に朝鮮半島出身だった人たちや中国人・欧米人・アフリカ人・東南アジア人との混血も進行している。渡来系弥生人の故郷は長江中流域であった。彼らは中国人・韓国人の祖先ではない。

 多人種混血種のようなものである我々日本人の形質・気質は実に多様である。しかし日本人は皆親族同士のようなものである。強い種族が弱い種族を殲滅しようとしたり、種族同士が殺し合ったりするようなことはこの日本国内ではこれまで一度も起きたことはなかたし、今後も絶対起きることはない。古来天皇は日本人の心を一つにまとめる霊力を持っていて、常に日本人の和の中心に在らせられる。

日本はかつて欧米列強が武力でアジア・太平洋地域に植民地を作ったような行為はしなかったし、中国が盛んに主張しているような南京虐殺もしていなかった。また韓国が盛んに主張しているようないわゆる従軍慰安婦にするための強制連行もしていなかった。韓国が不法に占拠している竹島は江戸時代の昔から明らかに日本の領土であったし、尖閣諸島も日本が武力で勝手に奪い取ったものではない。北方領土は日本の領土である。

こういう状況に置かれている日本には天皇がいる。次の記事に古代の日本で渡来・帰化人たちがどのように日本人になっていったかということが書かれている。日本に天皇がいる限り、日本は常に環境に適合しつつ進化を続けるであろう。その推進力は脳の外にいて脳を支配している「ある存在」、それは広大無辺・自由自在・融通無碍で時間と空間を超越している「ある存在」、それは霊魂のような「ある集合的な意識」である。

(聖武天皇(17)「皇統・皇室を守ることこそ日本国内外の平和につながる」

2015年1月1日木曜日

20150101元日を迎えて思う。


 皇居において明日(2日)に恒例の一般参賀の行事が行われる。この行事は日本国民としてこの上なく喜ばしく誇りに思うべき行事である。

 古来天皇は即位されて崩御されるまでの間「この世」に在らせられる。このような精神世界を大半の日本人は無意識的に共有している。しかしその精神世界を学校で教えられることはない。戦後このような精神世界の存続を日本国のごく限られた一部のところが細々と繋いできているのが現状である。

 自分の意識は自分のものであるようであり、自分のものでも無いようである。自分の意識は自分の脳に碇をおろしているが一方で永遠の「何か」とつながっている。そう考えるのが正しいに違いないが科学的に証明されない限りそれは個人的主観であり客観性はない。ただ、日本人であるならば、天皇はそのご在位の間、「この世」に在らせられ、永遠の「何か」とつながっておられるのだと思うべきである。

 

2014年12月30日火曜日

20141230善男善女の「あの世」での有り様が分かってくるような気がする。


 自分は煩悩の身から抜け出すことは絶対にできない。自分は死ぬ時まで煩悩の身であり続け、煩悩の身から抜け出して高潔な身になりたいとも願わぬ。しかし自分は盗み・殺人・詐欺・暴力行為など人としての道に反するような行為は決してしないし、自分は好色だが浮気・不倫・性的犯罪などは絶対にしない。いうなれば自分は善男善女の類の男である。

 良寛の『意(こころ)に可(か)なり』という題の作詞に「欲無ければ一切足り、求むるあれあば万事窮す」という一節がある。京都のある寺の縁先の庭に「吾・只・足・知」の四つの文字を一つに組み合わせた彫った石が置かれている。「吾ただ足るを知る」と読む。きらびやかなものを身に着け「この時計は350万円したものだがその修理にン十万かかった」などと自慢したがる者は到底良寛の気持ちや京都の寺の庭石に彫られているような気持ちにはなれない。質素で無欲なことが身についている人は善男善女の中でも上等な人である。

 お釈迦様(ゴータマ・ブッダGotama Siddhattha)が布教を始めた初期に一般の人々に説いたと伝えられている『阿含経』(āgama)には輪廻転生のことが書かれている。それは王妃末利(マーリー)との問答である。ブッダは性格が悪く利欲に走り名声を求める人は後の世において醜く貧しい者として生まれると答えておられる。またブッダは弟子との問答で「この世は心に導かれ心に引きずられ、心の支配を受ける」と答えておられる。善男善女はあの世で人間界に生まれるがこの世での行い次第であの世での有り様が決まるのである。

 心は意識である。意識は感覚・感情・行動・記憶が統合されたものであり、人間だけが持っているものである。人の遺伝子はその人の形質・気質・性格・知能・運動能力などに影響を与えている。従って人の意識はその人の形質・気質・性格・知能・運動能力などに関係がある。故に人の意識はその人の遺伝子に深い関わりをもっているということができる。

人の意識に影響を及ぼす遺伝子の発現のメカニズムが何れ明らかになるに違いない。子は両親から遺伝子を半分ずつ受け継ぐ。その受け継ぐ遺伝情報は223乗という数の膨大な遺伝情報の中から選択される。その選択のメカニズムについてはその道の専門家でさえもまだ分かっていないことだろう。しかし親から子へ、子から孫へと代々遺伝してゆく過程において、意識は遺伝情報の選択に何かの作用を及ぼしているに違いない。


意識は時空を超越し、自由自在・広大無辺・融通無碍な概念である。意識について現代の科学では解明されていないし、永久に解明できないかもしれない。しかし意識の概念について深く思惟してゆくならば、ブッダが2500年ほど前に説かれた輪廻転生のことが次第に分ってくるような気がする。

2014年12月27日土曜日

20141227皇(すめらぎ)の降臨と崩御――日本民族の本質は何か?――


 古来天皇は祭祀を非常に大切にされ、祖先と神々への感謝と国民の幸せを願って祈りを捧げて来られた。皇太子が天皇に即位されると皇(すめらぎ)として降臨(天下り)する。そしてその生涯を終えられて崩御する(かむあがる)。皇族方も祭祀を大切にされている。

 今上天皇は81歳のお誕生日を迎えられた23日、皇居・宮殿で記者会見し、「300万人を超す人々の死を無にすることがないよう、常により良い日本をつくる努力を続けることが、残された私どもに課せられた義務であり、後に来る時代への責任であると思います」とのお気持ちを明らかにされた。

 われわれ日本国民は統合の象徴として天皇を戴いている。これは日本国民として大変幸せなことである。このような国は世界中どこを探しても見当たらない。しかし同じ日本国民であってもこのことに批判的な考え方をしている人も居る。そのような人たちに問いたい。「あなたは古事記を読みましたか?」「あなたは万葉集を読みましたか?」「あなたはご先祖を敬っていますか?」と。おそらく彼らは反権力意識が非常に強い人たちであろう。

 日本国民には非常に多様な価値観が混在している。日本国民は象徴として天皇を戴いているから外から見れば日本は単一民族国家のように見える。しかし日本人の遺伝子は非常に多様であるので、ある意味で日本人は多人種の集合である。遺伝子の多様性が多様な価値観を生んでいる。聖徳太子が作った十七条憲法の第一条に「以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。(和をもって貴しと為し、さからうことなきを宗とせよ。人皆党あり、またさとれる者は少なし。)」とあり、1410年の昔も今も日本国民の間に非常に多様な価値観が存在している状況は変わっていない。

 日本国民の間に非常に多様な価値観が存在していても、日本の国家の存亡にかかわるような事態が起きたとき、日本国民は団結して国家を守ろうとする。これは日本国民の遺伝子が非常に多様であっても、その形質・気質・性格等において多くの共通点があるからである。 何故そうなのかと言うと殆どの日本国民は遺伝情報の拡散・発現により、天皇・皇族とある意味で皆親族であるからである。内廷は日本の各家の宗家のようなものである。


ヒトと呼ばれる生物種である人間の染色体は23個の同じものが2つある。親から子へは両親の遺伝子の半分ずつ子に伝えられる。その遺伝情報は2の23乗個の染色体の中から選択的に子に伝えられる。さらに一世代25年とし一組の親に2人の子供がいるとすると1000年後に一組の親の子孫は2の40乗人、つまり1兆人できることになる。こう考えると日本国民が万世一系の天皇を戴いているということは大変幸せなことなのである。

2014年12月26日金曜日

20141226「あの世」は「この世」の続きである


 テレビのスイッチを入れたら「ゴンチチ(GonTITI)」のトークショーが放映されていた。このギターバンドの二人の出会いは全く偶然のことであった。しかしそれは決して偶然の出会いではない。「この世」に生きている立場で観るからそれは偶然のように見えるが、意識を遠い過去から遠い未来まで拡げて考えるとその二人は「この世」で出会うべくして出会ったのである。つまりこの出会いは決して偶然ではなく必然であったのである。

 通りを行き交う人々は皆遠い過去から連綿として続いている中のある人生を「この世」で生きているのである。人々は「この世」に生まれ、成長し、子孫を残し、老い、やがて死ぬ。その一生の間、ある人々の意識は良い方向に高まってゆき、ある人々の意識は悪い方向に向かってゆく。そしてそれぞれ一生を終えた後それぞれの意識はまた別の新たな生命に宿る。そのとき意識はそれにふさわしい生命に宿る。良い意識は良い生命に宿り、悪い意識は悪い生命に宿る。

 たとえある良い意識が「この世」で良い生命に宿ったとしても、その人がそのことを自覚せず悪い方向に活動すれば良い結果を得ることはできない。一方悪い意識が宿った生命であってもその人の努力次第でその意識は良い方向に高められる。人々は「この世」で煩悩に振り舞わされながらも皆一生懸命生きているのである。

 人々にそのような意識を持たせるある永遠の存在がある。キリスト教やイスラム教などではそれを神といい、仏教ではそれをブッダという。神とブッダの違いは何か?神は生命の創造主であると観る永遠の存在であり、ブッダは生命と共にあると観る永遠の存在である。何れにせよ人々は神またはブッダに生かされている。人々は煩悩の身で生きており、一方である永遠の存在によって生かされている。


 人は自分の意識でこの永遠の存在を捉えることができる。しかしその捉えたものを他人に分かってもらうように説明することは非常に難しい。それはほとんど不可能である。「この世」で煩悩に振り回されながらも自分の意識を少しでも良い方向に高めるように努力しつつ、自分がある永遠の存在に生かされていることを自覚して「この世」でその永遠の存在に期待されていると考えていることを実行する人は、「あの世」できっと良い生命に宿って「この世」にいるよりは幸せな一生を送ることだろう。

2014年12月18日木曜日

子供たちの桜 (20110513)

 表題の「子供たちの桜」は、歌手の森 昌子が被災地で、またNHKのスタジオで歌った歌の題名である。森 昌子はこの度の大震災で被災された方々を、自分にできることで何とか慰問したい、しかしかえってその方々の迷惑にならないかと毎日悶々としていたという。そのような時、息子さんに「きっと喜んでもらえる」と肩を押され、勇気を出して3か所の避難場所をまわり、懐かしい歌の数々を歌った。その代表的な一つがその歌である。

 森 昌子によれば、その歌を聴いてくれている同年輩かそれ以上のお母さんたちが、そっとハンカチで目を押さえていたのを見て、逆に自分が励まされたという。映像には、彼女が抱きかかえている赤ちゃんと一緒に写っている写真や、彼女と遊んで笑顔を見せている子供たちの写真が紹介されていた。その映像を、男は女房と一緒に観ていた。

 その歌の歌詞の最後に「忘れないで 忘れないで 咲いていることを」「死にたいときも 忘れないで 忘れないで 生まれたことだけは」という下りがある。聴いていてとても良い歌である。森 昌子の、清らかで優しく語りかえるような歌声がとても良い。

今度の巨大津波により親を失った子供が沢山いる。子供を失った親も沢山いる。夫と子供を失った母親もかなりいる。妻子を失った父親もかなりいる。商店を経営していたある男性は、巨大地震の発生直後、妻と二男に「逃げろ」と言い残して消防団員として詰め所に駆け付けた。小学校にいた長男は無事避難していた。ところが「逃げろ」と言い残してきた妻と二男は逃げ切れず、津波に飲み込まれて死んでしまった。森 昌子の「子供たちの桜」という歌の歌詞は、生き残った人たちへのメッセージである。

 この世の諸々の現象は無常である。桜の木も人間も時々刻々変化していて同じ状態が続くということは絶対ない。それでも桜の木は生きている限り毎年春に花を咲かせる。人間も生きている限りその花を見、或いはその桜の木に何かを感じ取ることができる。

 この世の諸々の現象のことを「諸行」という。仏陀の弟子は、この諸行が千変万化してゆく様を、たった四語の「諸行無常」という言葉で言い表した。諸行無常の中に人は何かの意味を読み取り、何かを学ぶことができる。その「何か」や「意味」は、人びとを迷いから導く仏陀の方便としての「何か」であり、「意味」である。

 人びとに避難を呼びかけ続け、大津波に飲み込まれて死んだある一人の若い女性は、子供のとき「人の役に立つことがしたい」という記事を文集に遺している。彼女は日ごろの心掛け通りに行動し、殉職した。彼女は、彼女の呼びかけで避難した人びとの記憶の中だけでなく、彼女のことを知った世界中の人々の心の中に生きている。彼女の母親は、そのことを知り、慰められ、打ちひしがれた気持から抜けだすことができ、生きる勇気を得ることができた。殉職した彼女のことは記録に書かれ、後世に伝えられてゆくことだろう。

 これまで平穏無事に生きてきた男は、女房に「俺はまだ完成させなければならないことが残っている。お前は俺より先に死んではならない」と言った。女房は「お父さんが死んだらすぐ私も死ぬのが一番良い」と応じた。しかしそのとおりになるという保証はない。

2014年12月16日火曜日

20141216国家は一つの生物種である(16)―― 動物の性格・人間の性格・国家の性格 ――


  性格は遺伝子の発現によるものである。凶暴な性格もおとなしい性格も遺伝子の発現によるものである。遺伝子を変えなければ性格を変えることはできない。しかし人間は教育・訓練・自己修養によりその行動を変えることはできる。凶暴で人を殺した者でもあっても、ある時から他者を思いやり、自らを犠牲にして他者を救うため行動するようになることがある。

 あらゆる動物は他の生物を食べて生きている。信仰上の理由から特定の生物を食べない人たちでも自分以外の他の生物を食べてなければ生きて行けない。あらゆる生物は遺伝子の発現により、その誕生時から生殖・存続・自己保存の動きをする。生物の頂点に立つ人間も同様である。

 人間はその遺伝子の99%を他の生物と共有しているが、残り1%の中に「意識」に関わる要素が込められている。「意識」は「霊魂」である。「意識」は時空を超越し、広大無辺、自由自在、融通無碍である。人間の行動の本質はその「意識」により、自分自身にとって何か価値があると考える物事、但しその善悪は問わない物事の存続・保存を願うところにある。

 人間の集合体である国家・社会・又はある目的を持っている集団はその構成員の「意識」の集合である「性格」を持っている。国家・社会・集団はそれぞれ「性格」を持っている。それゆえ国家・社会・集団は「生き物」と同じようなものである。それらは生物の頂点に立っている人間が作っているものであるから、場合によってはライオン・虎・狼などの猛獣よりも恐ろしいものもある。彼らはその国家・集団の戦士として武器を脅迫・殺害のため使う。

 国家の「性格」はその構成員に大きな変更がない限り変わらない。しかしその「行動」は国際社会からの圧力・その国家自身の自己啓発などによって変わることはあり得る。しかしそれは非常に困難なことである。

 国家は「生き物」である。国家は存続・自己保存のため生物の共生関係のような異なる国家同士で連合・連帯・同盟することもある。しかし国家の「性格」が合わないもの同士での連合・連帯・同盟は必ず破たんするだろう。EUは「性格」が合うもの同士の共同体である。


国家の存続・自己保存のため重要な要素は富である。たとえ「性格」が合わない国家同士であっても富を分かち合うため契約することは有意義である。日本は「性格」が合わない国と有意義な経済関係を結んでもその国との間でEUのような共同体を志向すべきではない。