2009年10月16日金曜日

「義務教育が危ない」、バラの写真をテレビで映していたとき見た番組(20091016)

 今日(12日)男は女房に誘われて深大寺植物公園にバラの花を観に行った。それぞれ別のデジカメを使って撮った写真の善し悪しを比べることと昨年其処に行ったとき立ち寄った蕎麦屋に行って蕎麦を食うこと、そして併せて良く歩いて運動をすることが目的であった。

 幸いお天気も良く、それぞれ沢山写真を撮った。蕎麦も美味かった。その蕎麦屋は公園から深大寺門を出て左手に行くとすぐ近くに「雀のお宿」と看板が出ている店である。中に入った所の右手にちょっとした小屋があって、去年は其処が空いていたのでその中で蕎麦を食ったが今回は先客が居て其処は利用できなかった。その代わり靴を脱いで縁側に上がったコーナーのテーブルで座椅子に座り足を投げ出してゆったりした気分でひと時をすごした。初めに何を食べるか注文して、それぞれ趣のある場所で空いている席を利用する方式である。女房はざるを男は胡麻だれをそれぞれ注文したが、美味しかった。

 歩いた距離は約9000歩であった。女房は毎日朝晩新式の血圧計で自分の血圧を測り平均値を記録している。血圧計は平均値が出せるようになっている。記録簿には夜入浴後測っている体重や体脂肪値と一日の歩数も併せて記録している。最近男も女房が以前使っていて腕が締め付けられるため嫌がっていた血圧計を使って朝晩自分の血圧を測っているが朝は135/69位、夜は119/64位である。勿論15位高いこともある。女房も男も今晩は高かった。血圧は低気圧が近づくと高くなるらしい。男の血圧は普通であるが、女房は中血圧である。

 いつものようにテレビにカメラを接続して今日撮ってきた写真を見た。今日は男が撮った写真が断然よく撮れていた。男は今回は花一輪だけを良く撮ることに集中した。女房の方は景色の方に集中した。写真の美しさから言えば花一輪だけを撮った方が綺麗であった。景色の方は桜花、柳、池、小屋などを入れた遠景を撮るならば美しく撮れるが、花だけを撮る場合テーマがはっきりせず単調なものになってしまうようである。

 テレビに今日撮った写真を出して見ていて入力切り替えのためテレビにしたとき丁度「義務教育が危ない」という番組が放送されていたので、それを見ることにした。テレビには一部の貧しい家庭の子供たちが朝ご飯を食べずに学校に来たり、夕ご飯も食べずに過ごしたり、学校給食だけで一日を過ごしたり、習字の時間に使う筆や硯などの道具を買うお金がなく我慢していたり、熱があるのにお金がかかるから医者にも行けず学校に来たりしている状況、母親が子供に我慢させていることを悲しんで涙を流しながら訴えている状況が映し出されていた。女房は「可哀そうに」とぽつりと言った。男はこの豊かな日本の片隅でそのような状況を放置してきた旧政権に対し腹が立ってきた。

 官僚の天下り先に14兆円もの金を使いながら一方で小学校6年間で僅か58万ほどしかかからない諸費用さえも考慮しなかった旧政権は、一体どこを向いて政治をして来たのかと怒りを覚える。男は現政権が国の安全についてしっかりとした考え方をしてくれさえすれば、後は政官業の癒着の解消のため大ナタを振るうことには大賛成である。

 ただ、国の経営は優秀な官僚があってこそ可能である。優秀な官僚を確保するためには例えばキャリア官僚は「第1種特別国家公務員」とし、第2種は軍人(現行憲法下では自衛官)など、以下必要に応じ第3種等を決め、キャリア官僚たちが国のために良い仕事をし、成果を上げる限り生涯にわたり非常に高いステイタスが保障されるような仕組みにすべきであると思う。そうすれば天下りはさせずにすむと思うし、させてはならないと思う。

2009年10月15日木曜日

絶好の好機!オリンピック開催、広島・長崎の立候補(20091015)

 オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞することになりアメリカの共和党は「辞退しろ!」と叫んでいるという。共和党は日本の自民党と同じで個人主義、富をもたらす企業家優遇主義である。武器商人たちも優遇され、アメリカの富のためイラク戦争も起こした党である。一方民主党はアメリカ一国主義から国際協調路線を尊重し、弱者にも眼差しを向けている党である。その党のトップである大統領がまだ実績もないのにその理念ゆえにノーベル平和賞を受賞することになった。その大きな理由は彼の理念である核兵器の無い世界の実現を目指すことある。

 かつて彼の国から原子爆弾を投下され、何十万人と言う犠牲者を出した広島と長崎は好機到来とばかりに2020年のオリンピック開催地立候補を共同で宣言した。男はそれはとても素晴らしいことであると思う。

 東京は先の2016年オリンピック開催地の競争に敗れた。敗れたからと言って2020年再立候補が良いかどうかは時の情勢による。オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞することにならなければ東京は十分再立候補の理由があった。しかし情勢は変わった。

 日本は世界で唯一の被爆国である。広島と長崎は核兵器が無い世界を目指す運動の象徴である。恒久平和を願う日本は国を挙げてその立候補を応援すべきである。この世界に戦争が絶えない以上、わが国が強い武力を保有することは必要であるが、一方で世界で唯一の被爆国として、世界をリードして恒久平和運動を起こすことは大きな意味がある。わが国の民主党政権はこれを好機ととらえ、日本中の若者を引き付ける広島・長崎オリンピック誘致運動を大々的に打ち上げたらよいと思う。自民党も同じような趣旨で運動を起こしたら良いと思う。今の若者たちには自分たちの未来に対する希望が無いのだ。自分たちの未来に核とか環境とか暗いイメージしか無いのだ。原子力発電もCO2削減のため必要であるが、東海村における10年前の事故のようにマイナスイメージを拭いきれない。

 世界で唯一の被爆国が強い防衛力を背景に強い平和運動を起こせば世界は動く。肝心なのは強い防衛力である。これなしには世界は動かない。そのことをしかと国民に認識させるように政府は動かなければならない。政府を動かすのは政党である。その政党が天下国家のことよりも地方のこと、経済のことばかりに執心するようであれば日本の未来は暗い。今まで自民党政権は若者に夢を持たせる目標を見つけあぐねていた。今回広島・長崎が立候補することになったのは自民党にとっても絶好の機会であると考えなければならない。

 果たして、一介の市井の老人の言うことに彼らは耳を傾けてくれるだろうか。決して耳を傾けたりはしないだろう。世の中は結局なるようにしかならないのだろう。悲しいことだ。しかし男はこの思いをブログに遺しておこう。毎日が休日の男にとって、またあの世がそう遠い将来でない男にとって、世の中に向かって発言しておくことだけは、たとえそれが自己満足だけに終わることになったとしても、世の中のために何かしているという満足感はあるのだ。たまに、あるいは殆どまいにちかもしれないが、男の子供たちもこの親父のぼやきを聞いてくれているかもしれないのだ。

2009年10月14日水曜日

地球は青いオアシス(20091014)

 男のパソコンのスクリーンセイバーはJAXANHKが提携して作った月探査衛星かぐやが月周回上から撮った映像である。月の地表線上からわれわれの地球が昇ってくる情景は非常に感動的である。

 宇宙飛行士若田光一さんが地球のことを「青いオアシス」と評した。宇宙パイロットは皆一旦宇宙に出てみると人生観・世界観が変わると言う。男はこのスクリーンセイバーを全世界の人々に無償で提供されればこの地球上から争い事が少しでも無くなるのではないかと思う。国連で議題に取り上げて、国連の資金で地球上のすべての人々にこの映像が見られるようにしたら、それはとても素晴らしいことだと思う。誰かドンキホーテみたいになる政治家が出て、そのような一見馬鹿げたようなことを発案し、実現のための行動を起こしてくれないものかと思う。もしそのようなプロジェクトができたなら、男は自分の年も顧みず、自分のできる協力を惜しまないつもりである。

 愛、人類への愛を標榜し、そのような行動を起こす人が現れれば、日本の非常に多くの若い人たちが我も我もと協力を申し出るのではないかと思う。そこには大きな夢と希望がある。この世の中は争いが絶えず、血を流しあっているが、人々は心の内ではそれを望んでいない。勿論、金儲けを企む奴らは武器を作りそれを売って、紛争を誘発させて金を儲けようとするだろう。そういう奴らは必ず地獄に落ち、次に生れて来る時には必ず家畜以下の世界に生れてくるのだ。

 現実世界は争いが絶えない。聖徳太子一族は争いを望まず自ら命を断つ道を選ばれた。世の中にはもし戦争に巻き込まれ、自らの命が脅かされても、平和運動に徹するのだという強い信念を持って行動している人もいる。一方で、ただ単に自己実現のため、自分が信奉するイデオロギーのため平和運動を行っている輩は多い。そいつらは虫けらどもである。

 世の中には暴力を高めて争いを起こす人たちが居る。そのような暴力には暴力で対抗するしかない。それが現実である。夢窓国師は『夢中問答集』の中で武将・足利直義との問答のなかでその現実に触れている。やむを得ず暴力で対抗せざるを得ず、それを実行しても仏に近づく行いを怠ることがないように説いている。ただやみくもに武を振るうことはできるだけ慎まなければならないが、武を振るうことをなしではこの世の中に悪ははびこる。武は必要なのだ。このことを似非平和主義者らは見ようとしない。

 そのように武を忌み嫌う者が国防を司る役所のトップに立つとどうであろうか。某大臣は国の命令で給油活動を行っていることが役にたっていないというような趣旨のことを着任式の壇上で語り、整列して大臣の訓話を聞く人たちの顔をこわばらせたという。武と仏道の両方が分からないと部下から軽蔑を買うだけでそのような役所のトップは務まらないと男は思う。

2009年10月13日火曜日

世の中のために何ができるか(20091013)

男はこのごろ時々考える。「自分は世の中のために何ができるか」と。今朝日曜日の番組で東京都墨田区界隈の散策で職人たちの仕事ぶりを紹介していた。箸造りの職人はお客さんから頼まれた箸の修理をしていた。男は「あんな折れた箸を修理して短くなってしまったものでも愛着があるんだね」と言ったら女房は「人それぞれよ」という。男は「俺なんか箸はプラスチック製でもいいんだ。実用的でありさえればね。」と言った。

男は勿論伝統的な美しいものにも関心がある。結構ものごとにこだわる方である。しかし粗野と言えば粗野、例えば立派な和風邸宅で立派な庭園、立派な客室、伝統芸術の香り高い置物や飾り物などなど、そういったものを所有していて、他人に誇りたいとは思わない。もともとそのようなところに育ってきたわけでもないせいかもしれないが、男は実用的で品質が良くて質素なものが好きである。余計な飾りは不要と思っている。伝統的な美しいものは、展覧会などで見るだけで十分だと思っている。

昔男が現役のころ、ある役員で男と年が殆ど変わらない人のお宅にコントラクトブリッジを楽しむため訪れたことがある。コントラクトブリッジは四人でお互い向かい側の人とペアになって楽しむカードのゲームである。その方が「これは江戸時代の古い湯のみです」と一個の湯の茶碗を見せてくれたことがある。男はそのとき「へえ、Sさんはそんなものに興味があるんだ」と思ったが、自分がそんなものを集めたいとも、まして来訪者に見せて自慢したいとも思わなかった。それこそ人それぞれである。

朝見たテレビ番組で90歳をこえる老婦人が金細工を業として働いている様子が映し出されていた。その婦人は「人はさびしい、さびしいとよく言うが私はちっともさびしくない」という。その仕事は亡き夫とともにしていた家業であった。その婦人は今でも現役で働いて世のために役立っている。男にはそのような業はない。毎日が休日のようなものである。なにかボランティア活動をすることもできるが、そのため煩わしいことに関わるのはご免である。せいぜいユニセフやUNHCR(国連難民支援活動)に貧者の一灯を捧げるとか、街頭で赤い羽根募金活動をしている子供たちを見帰ると僅かばかりの寄付をする程度である。

男はかつて地域で災害ボランティア組織を立ち上げることに中心になって関わったことがある。そのとき実際にある災害訓練会場で台上にたち指揮・案内をしたこともある。またその関連で、ある駅前で仲間とともに地震災害の街頭募金活動をしたこともある。70の声を聞くようになって、論語の、70にして己の欲するところに従い、則を超えないようにするため、地位も名誉も金も要らない、と宣言して社会的諸関係を断つようにした。

なにか組織に入れば必ず煩わしさが伴う。自分の時間も制限される。世の中にはそれでも一生懸命活動し、金も使い、○○会長とか名誉職に就き、○○賞を受賞してその額縁を仏間に飾り、大金を寄付して記念碑にその名前を刻み、或いは自分の銅像を建てて自慢する人がいる。男はそういう人もこの世の中には必要であると思う。そういう人たちがいないと世のなかは良くならない。そう人たちには社会的な栄誉が与えられて然るべきである。

男は年からしてもはや遁世の境遇である。それが男の定めである。その代わり男と女房の子たちは、男が為し得なかったことを次々為している。人の世は一代限りではなく、ずっとずっと続くものである。男はその子、その子の子供たち、その子供の子供たちに遺してゆくべきことを遺そうとしている。それが今の男の役割であると自覚している。

2009年10月12日月曜日

戦争体験のない世代(20091012)

 阿川弘之氏は昭和18年に海軍少尉に任官し軍令部勤務をしている時、中国語が多少できたということで対中国諜報担当部門に配属され、翌年中尉に昇任した後中国にあった部隊に転勤となり、福岡の雁の巣飛行場から軍用機で上海に赴任したという。その阿川氏は福岡まで汽車で向かう途中、「自分も二度と帰って来ることができないかもしれないけれど、両親が果たしていつまで元気でいることができるだろうか」という想いで両親に別れを告げるため郷里の広島に立ち寄り、一晩だけ家に滞在したという。

 阿川氏は旧制広島高等学校時代テキストとして使っていた新潮文庫版の万葉集一冊をリュックに入れて中国に渡ったという。広島に新型爆弾(原爆)が落ちたという情報に接し、両親は駄目だっただろうと思っていたが、終戦後両親は奇跡的に生きていたことを知ったという。自宅には多くの蔵書があったが原爆で全て失い、万葉集一冊だけが残ったという。

 男は女房と一緒に録画していたNHK「日めくり万葉集」をプレイバックして観た。その中に選者が阿川弘之氏の次の歌が紹介されていて、阿川氏がその歌への思いを語っていた。
 
 父母(ちちはは)が 殿(との)の後(しりへ)の ももよ草(ぐさ)
      百代(ももよ)いでませ 我(わ)が来(きた)るまで 

 これは巻二十・四三二六番の歌で遠江国の防人 壬生部足国(みぶべのたるくに)という人が残した歌である。その意味は、「父と母とが住む屋敷の裏手に生える百代草。その名のように長寿でいらしてください。私が戻るその日まで。」というものである。(NHKテキスト『日めくり万葉集vol.10』より引用)

 男は終戦時9歳の小学校2年生だったし、朝鮮にいたので空襲の経験もない。軍事教練の経験もなく、防空壕への避難訓練はしたことがあったが戦争体験は全くない。まして今の若い人たちは親の子供時代のことは知らず、平和で豊かな家庭環境で育ってきた人が多い。戦地に行く途中「これが今生の別れとなるかもしれない」という思いで親に一目会うという気持ちは想像できても実感はできない。この平和はいつまでも続くと思っている。

 しかしこの地球上から一切の戦争がなくなる日がやってくるのはまだまだ遠い未来である。日本はかつて大東亜共栄圏を目指した。今日本はアジア共同体を目指して行動を起こしている。その構想の中に中国は入っているが北朝鮮は入っていない。中国が友愛の精神で輪の中にはいってくれれば日本にとって好ましいが、もし覇権を目指しているなら危険である。北朝鮮が核兵器への野望を捨てるまで戦争の危険は解消されない。

 この度アメリカのオバマ大統領はノーベル平和賞を受賞することになった。彼は核兵器の廃絶や地球温暖化防止に向けて行動を起こしたことが評価された。この受賞がこの地球上から一切の戦争がなくなる日を目指す人類の歩みの第一歩になればよいと男は願う。

 しかし、日本の平和が脅かされる危険は無くなっていない。日本は他国を攻撃する兵器は一切持たず、ハリネズミのような武装で専ら防衛する能力を十分高めておかなければならない。孫子の兵法にもあるように「百年兵を養うのは、たった一日の戦いに備えるため」である。そのことを決して怠ってはならない。そのようなセンスを全ての政党は共有するようにしてもらいたい。国の行く末を憂える男はそう願っている。

2009年10月11日日曜日

高齢社会のネットワークの密度を高める実験(20091011)

 ある有名な大学がある地域で壮大な実験をするという。それは高齢者の生きがい・高齢者と子供たちとの触れ合い・介護や家庭菜園などを複合的に組み合わせたシステムを構築しようとするものである。男は自分がいずれ老人施設のお世話になる可能性があるのでこのプロジェクトには大きな関心がある。

 老人施設では家庭菜園用の農地を提供する農家と連携して、老人施設のお年寄りたちが家庭菜園を楽しむことができるようにする。一方で保育園や学童保育所などと連携してお年寄りたちが子供たちと触れ合うことができるようにする。地域の中学校や高等学校と連携して、総合教育・社会教育の一環として生徒たちがお年寄りと共に過ごす時間を設ける。

 キーワードは価値を共有するネットワークである。脳細胞でもそうであるが、分子レベルでも高密度なネットワークが形成されると知的レベルの高い仕事ができるようになる。地域社会の中でもそれぞれ小さな社会的単位の間のネットワークが高密度になるようにすればその地域で高度な文化が形成されるはずである。要はそのネットワークの形成を促す要素が必要である。大学はそのような要素を提供することができる機関である。

 大学の教員たちが社会の様々な部分におけるシステムに目を向け、その中に潜む問題を見つけ出し、社会的な知能レベルを高めるネットワークの形成に向けて何か仕事をするようになれば、世の中は変わると思う。近頃、若い人たちは与えられた問題を短時間で正確に解く能力は身につけているが、自ら問題を発見し、その発見した問題を説明し、その問題の共有者を増やし、一緒になって問題を解決するという能力に欠けていると言われている。先ず、大学の教員たちが率先してそのような状況を打破して行くべきである。上に掲げた某大学の社会的実験は教員たちがその問題を認識して行動を起こしたので、行わるようになったのであろう。男は全国各地の大学が競ってそのような試みをしたら良いと思う。

 男は老人施設に入る時先ず考えるのは、その終の棲家でインターネットに自由にアクセスできるように各室にブロードバンドが引かれていること、そして家庭菜園ができること、近くに森や川があり散策を楽しめることである。

 次に優先するのは自由でできるだけ一律性がないことである。集団生活であるから多少の一律性はやむを得ない。しかし施設の理念として‘多様性’をキーワードにいろいろ考慮されており、職員たちもよく訓練されていることが男にとって重要である。

 男が家事訪問など在宅介護のヘルパーを派遣するあるNPOの理事長をしていたとき、自らの訓練のため2級ホームヘルパーの研修を受けたことがある。そのときある有料老人ホームで研修を受けた。その施設は入居料も高いが入居者の自由度も高かった。自由に外出する人も居れば、自分で食事することもできない人や痴呆のため自由を拘束佐荒れている人もいた。入居者の半数以上は車いすを使っていた。

 その施設は非常に良い施設ではあったが食事は職員の合図で一斉に行われていた。健常者に見えるグループのすぐそばのテーブルで職員が食事の介助をしていた。男はホールは食事時にはせめてパーティションでグループを隔てるようにすべきではないかと思った。部屋は入居料によって違い二部屋続きのところもあったが、各個室で非常にコンパクトでも良いからシャワーができるようになっておればなお良いのにと思った。入居料が安くてしかも男と女房の要求を満たすことができるような老人ホームはあるだろうか。

2009年10月10日土曜日

玄米1、発芽玄米1、白米1、水3.5のご飯(20091009)

わが家では昨日から玄米1、発芽玄米1、白米1、水3.5の割合で圧力釜で炊くご飯を試している。その前は白米2、発芽玄米1、水3.25の割合で試していた。いずれの場合も甘みがあって非常に美味い。良く噛んで食べなければならないのでご飯の量も少なくなり、噛むことによって脳への刺激が増え、発芽玄米に多く含まれていると言うGABAなどの栄養物質も多く摂取することができる。
男の家で急に玄米や発芽玄米に関心が深まったのは、最近電気釜を新しいものに取り換えたからである。もう20年近く使っていた電気釜の調子がおかしくなり、折角炊いたご飯がまだ暖かいうちにある種の臭いを発するようになったからである。そこで近くの電気製品量販店で象印の最新式の電気釜を購入した。男は製品の選択権を女房に持たせた。女房は各社の製品をいろいろ比較吟味し、結局ご飯がナノ分子の働きで一層美味しくなるというプラチナが使用されている最も高価なものを選んだ。これを買えばもうあの世に逝くまで使うことになるので奮発したのである。
女房は以前玄米ご飯が嫌いであった。過去に男が強引に要求して一、二度玄米ご飯にしたことがある。その時は圧力釜を使ったのであるが、なかなか美味しく炊けなかった。ところが今度の電気釜は非常に美味しく炊ける。その理由は高温と圧力にある。玄米だけなら左程でもないかもしれないが、発芽玄米を混ぜることによって甘みが増しとても美味しい。ご飯茶わんにすり切れ以下程度の少量のご飯を十分な量の野菜や魚介類などの料理と一緒に取れば栄養価も高く、カロリーも低く、生活習慣病の予防や治療に役立つ。
わが家がこのように玄米食になったのには一つの大きな理由がある。それは女房の高血圧である。上が150前後であるから中レベルの高血圧である。たまに180にもなることがある。特に先月に入ってから女房の血圧は高くなった。8月に91歳の独り暮らしの母が帯状疱疹で入院したため九州の田舎に帰ったが、9月初め横浜に戻って来て以来女房の血圧は高くなっていた。田舎に帰る以前は夜にスロージョギングなどして調子が良かったが、暫くそれも中止していた。いろいろなことが重なって血圧が上がっていたのである。
発芽玄米には高血圧への対処として有効な成分GABAが多く含まれているというので、男は近くのスーパーで発芽玄米を買ってきた。それはそのスーパーを経営する会社のオリジナル商品である。商品の袋には国産米が使用されていると明記されているので使ってみることにした。価格は白米に比べ高いが、新しい電気釜で炊いてみると意外に美味しかった。以来女房は玄米が好きになった。
インターネットで調べてみると、発芽玄米は玄米を約12日程度、摂氏32度前後の状態で水分を含ませ、1mmほどの芽が出た状態にしたものであるとのこと。市販のものは人工的に成長を止め保存性のために再乾燥等がされているので値段が高くなっているとのことである。家庭で発芽させる為の装置やその機能のある炊飯器も市販されているらしい。しかし自然乾燥の玄米は発芽するが市販の殆どの玄米は加熱乾燥されているので死んでいて発芽しない可能性があるとのこと。
男の家には女房の親せき筋からコシヒカリをよく送ってくれている。これは女房が親戚の叔父叔母たちになにかにつけ普段着る物やお菓子などを送っているのでそのお返しである。今度は人工乾燥しない玄米を少し送ってもらったらどうかと男は考えている。

2009年10月9日金曜日

「助けて!」と言えず、39歳男性の孤独死(20091009)

男は昨夜あるテレビ番組を見て胸が詰まる思いであった。青年期に母を亡くしていた39歳失職男性が、学生時代に親しくしてくれていた同級生の母親に「おばさんの作った牡丹餅をもう一度食べたい」と言った。その女性はそれを作り重箱に詰めてその男性に渡した。その男性の顔色がさえず、痩せていたのでその母親は心配して「少し痩せたようだが」と言ったら、その男性は「大丈夫です」と言ってにこりと笑顔を見せ、礼を言って帰って行った。それが最後だった。その男性はとうとう食べ物もなくなり、遺書一通を残して自ら命を断った。遺書にはそれまでその男性がどうしても言えなかった言葉「助けて」という文字が書かれていた。その母親は自分の息子と同じ年のその男性と別れた時のことを思い出すたびに、「あのときもう少し話をしてあげれば良かった」と悔やんで涙ぐむ。
その男性は九州のある弱電メーカーで派遣社員ではあったが福利厚生などは正社員並みに扱われ、気持ちの上ではそのメーカーの正社員のつもりで働いていた。しかし不況で失職し、遂に会社の寮を追われ、ホームレスとなってしまっていた。その男性は高校時代まで故郷のある離島で育った。成績は常にトップクラスで将来は故郷からそう遠くない北九州で暮らしたいと思っていた。その男性は今は亡き母が漁業協同組合で一生懸命働きながら仕送りしてくれた学資と、学業の合間に居酒屋のアルバイトをしながら稼いだ金で何とか大学を出た。しかし当時は就職氷河期、なかなか就職はできなかった。
そこでその男性はアルバイトをしながら専門学校で学び、技術を身につけ、ようやくある人材派遣会社に就職することができた。そしてその会社から北九州のある大手の弱電メーカーの工場に派遣され、そこで働くことができるようになった。勤務成績も良く派遣社員ながらその工場である工程の作業チームのリーダーを任された。交際している女性がいて、いずれ所帯を持つ希望を抱いていた。その矢先失職したのである。
その男性が失職する5年ほど前、若いながら会社の社長になり、億万長者になりマスコミにもてはやされる人たちがいた。彼らは勝ち組と言われていた。その一方で負け組になりたくないと頑張る人たちがいた。その男性もその一人である。世界的不況でそうなったとはいえ、失職したのは自分に能力が足りなかったからだとその男性は自分を責めた。他人には自分が落ちぶれた姿を見せたくはなかった。インターネットカフェや公園などで野宿はしていても、常に身だしなみには気を付けていた。故郷にもう親は居ないが故郷の親戚には自分が失職したことを内緒にしていた。そして毎日ハローワークに通い、職を探した。しかし定まった住所がないため面接にこぎつけても、いつも初回で不合格となった。それでもその男性は何とか就職しようと毎日頑張った。他人に「助けて欲しい」という気持ちがあるが、どうしてもそれを口に出すことができなかった。「助けて!」という悲痛な叫びを遺書の中に一言残しただけであった。
男と女房にもその男性と年よりは4歳前後年上だが世代的にはそう違わない二人の息子がいる。お陰さまで二人ともそれぞれ一流の企業の中堅幹部としてばりばり働いている。男と女房の息子たちはたまたま運が良かっただけだとは決して思わないが、同世代の子供を持つ親として、その男性のことは可哀そうでならない。「助けて!」と周囲に言えない文化があり、自分たちもその文化を肯定してきたのではないかと反省もする。これからは不況で失職した40歳前後の人たちのことをもっと思いやらなければならないと思う。

2009年10月8日木曜日

中秋の名月、コスモスの丘(20091008)

 最近秋雨前線が停滞し週日はお天気が悪い。その上台風18号もやってきそうである。先週末、土曜日は丁度中秋の名月の日で男も女房も楽しみにしていたが、あいにくお月さまはちょっとしかお顔を見せてはくれず、殆ど曇り空であった。それでも近くの古い農家の建物と屋敷が市の公園になっているところがあって、そこではその日筝曲や尺八の演奏会が行われ、庭先に並べられてある腰かけの台に座って観賞できるようになっている。男と女房は、ちょっと時間が遅くなったが散歩のつもりでそこに出かけた。

 入口で協力金100円を払って中に入った。もう演奏会は終わっていたので、右手の蔵の前を通って竹藪の方に行った。毎年のことであるが、今年もボランティアが竹藪の中のあちこちに、竹筒の中にキャンドルを灯していて、大変幻想的な風景である。暗闇の中で男の前を歩いているカップルが、その雰囲気に酔って目の前でしっかり抱き合ってディープキスをしている。近頃電車の中でも人前を憚らずキスをするカップルを見かけることがある。暗闇の中のことでもあるし、別に気にもならず、その脇をすり抜けて前に行く。

 竹藪の中のキャンドルは青竹を斜めに切ってその中に置かれている。かぐや姫が居そうな気持にある。かぐや姫と言えば、日本の衛星・かぐやは月を周回しながら月の地表の写真を撮り続け、遠くに月の地平線から昇ってくる青い地球の姿も撮った。その映像は男のパソコンのスクリーンセイバーになっている。

 竹藪の中の幻想的な写真を何枚か撮った後、蔵の横のススキがライトに映えて美しいのでこれも写真に収めた。この旧家は屋敷が広く、母屋の他に別棟があり、その二つの建物の間から裏の山への道がある。昼見るのと違って、夜見る風景も面白いので写真に撮った。

 家に帰ってきて早速撮った写真の観賞会を行った。テレビの画面に映し出して、同じ場所を男が撮った写真と、別のカメラで女房が撮った写真を比べて見る。結局、カメラのせいではなく、女房の腕が良くて竹藪の中の幻想的な写真1枚を2Lサイズに印刷して部屋の壁に飾ることにした。

 翌日は晴れの予報である。女房は昭和記念公園のコスモスはこの時期を逃すと駄目であると言う。二人は朝早く起きて、それぞれカメラを持ち、おにぎりやチョコレートなど少しの菓子をバッグに詰めて出かけた。出がけに近所の懇意にしているご夫婦に出会い、男がリュックを背負っているのを見て「どこに行かれるのですか?」と問われる。男は「女房のカバン持ちですよ」と言ったら笑う。昭和記念公園内の広々としたコスモスの丘には人が小さく見える遠方まで一面にコスモスの花が咲き乱れていた。望遠レンズを使ったりして沢山の写真を撮った。女房も一眼レフのカメラに慣れて来た。

 行きも帰りも列車やバスの接続はすこぶる良く、車内は混んでいたが楽に座席に座れることができた。昭和記念公園に着くと今日は入場料が無料であるという。何もかも運がよい。男はこの世の中に‘偶然’というものはなく、見方を変えれば‘偶然’と思っていたことはもしかかしたら‘必然’ではないかと思う。つまり‘偶然’は、自分には見えないある力が作用した結果ではないかと思う。いやそうではない。運命は変えられる、と主張する人は多いだろう。たしかに自分の努力で変えることができる運命というものはあると思う。しかし、自分の力ではどうすることもできない運命もあるのだと思う。夢窓国師は『夢中問答集』の中で初めから終わりまで今生と前世、今生と次生のことを繰り返し説いている。今に時代の人々はいろいろな知識が有りすぎて素直になれないのだ。人は生かされている。男はそのことを実感している。(関連記事「前世、今生、来世(20091001)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2009/10/20091001.html

2009年10月7日水曜日

子供たちが遊ぶところがない!(20091007)

 東京の足立区のある公園で子供たちが歓声を上げて遊ぶのがうるさいと、近くの住民が訴え出て、区はその公園で子供たちが遊ぶのを禁止する措置をとった。男は、行政側は声を大きくして文句を言ってくる人の意見を取り上げてそのような措置をとったのか、ならば逆に親たちは子供たちの遊ぶ権利を主張して逆に‘声を大にして’ 訴え出ればよいのだ、と思った。

 そこではもう何十年も続けて来た朝のラジオ体操の音もうるさがられているという。毎朝ラジオ体操をしている人たちはラジオ体操の音楽のボリュームを下げて秘かに続けているらしい。近頃都会では寛容さがなくなってきたと嘆く人たちがいる。

 一方で、あるお家の人は、窓の外のシャッターの表面を指差して、子供たちがボール遊びをしてそのボールがシャッターに当たり、何か所か凹みができているのを指差しながら、昔はこんあことはなかった、子供たちの遊ぶ声も楽しかった、しかし、今は逆に苦痛を覚えるようになった、という。原因は町内に集合住宅が何か所かできて、その住宅の子供たちが遊びに来ているが、ご近所とのつながりがなく、害だけが目立つことにある。

 ある町内では、わざわざスノーボード遊びができる場所を造り、その場所に各地からスノーボードを楽しむために人が集まる様子が放映された。町の人たちは初め、スノーボードに非常な不快感を持っていた。しかし、スノーボードを楽しむメンバーにリーダーが居て、根気よく町の人たちに理解を求め、ルールを決め、ルール違反を行えば、直ちにその場所が使用できなくなるというペナルティーの規則までつくり、それだけではなく、スノーボードのメンバーが町の人たちとその公園の清掃まで行っている。

 NHKのある番組で、第一線の科学者や哲学者が「人間(ヒト)とは」という定義をしたことが放映されていた。ある方は「ヒトとは、他者の中に自分を見たがる動物である」と定義した。ある方は「ヒトとは、心的世界を持ち、それを他者と共有する動物である」と定義した。ある方は「ヒトとは、深読みをする霊長類である。」と定義した。ある方は「ヒトとは、他者を通じて‘私’とは何か、を知る存在である。」と定義した。ある方は「ヒトとは、自分を訓練する存在である。」と定義した。ある方は「ヒトとは、相手が心を持っていると信じることができる生き物である。」と定義した。

 そう、ヒトは他者との関わりの中でしか生きて行けない存在なのだ。件の公園の騒音問題を‘騒音(そうおん)’ではなく、‘煩音(はんおん)’であると、NHKの番組である方が言っていた。行政に苦情を言ったり、裁判所に訴え出たりする前、誰かが動いてお互い話合うようにすれば良いのだ。行政も裁判所も、先ずその話し合いの仲介、橋渡しをすることが出来ない筈はない。そのような文化を導くことができる立場にあるのだから・・。

 近頃、金儲けに走る寺や生臭坊主がいる。大乗仏教は、人々を仏の世界に導く立場だ。それなのにその役割を果たしているとは言えない。檀家も減ってお寺の経営もままならない状況になってきたのは、彼らが真剣に仏教を広めようと努力しないからだ。中には仏教の仮面をかぶって政治運動にも手を出した団体もある。そのような風潮が広まってきたのは、僧侶たちが団結して立ち上がらないからだ。『夢中問答』(夢窓国師)には、「今生で気が付かずに自らの罪業のため、真の仏法の修行をすることがない。行いによって次生に人間界に生を受けるか、畜生界に生まれる。」というようなことが書かれている。男は、皆心を素直にして、仏教を学んで欲しいと思う。

2009年10月6日火曜日

バルコニーを片付ける(20091006)

5日からこのマンションの外壁等の修理が始まる。総戸数28、うち2戸は会社の寮であるこの小さなマンションの管理組合で、男は修繕委員長をしていて、先月行われた臨時総会まで男の家で11回ほど会議を開き、修理に向けた住民の合意形成に努めた。
このマンションの外壁等修理は1986年の初入居以来2度目である。概ね10年ごとにこの修理を行うことになっている。今回は前回行わなかった窓枠のシール交換も行われる。そのため住民は自分で網戸を取り外さなければならない。勿論自分でできない人には業者が手伝うことになっている。男はこの際網戸の網を新調するため、近くのホームセンターで透き通って見える黒い網を買ってきた。網の交換は簡単で、男は網を交換するための道具は持っている。田舎に帰ったとき男は仏間の縁側の網戸の網を透き通って見える網に交換し、仏間から親父が造った猫の額ほどの小さな庭園がよく見えるようにした経験がある。その庭には一応山水風に小さな池があり、親父が生前錦鯉など鯉を数匹飼っていた。
女房は修理工事が5日から始まるので、バルコニーから花壇を撤去することが気になっていて、早くからその作業をしていた。そのためか最近血圧が高くなっていて、昨日は近くの内科クリニックに相談に行った。血圧は朝が高く、ときに上が180にもなることがある。医師は降圧剤を処方し、今度から夜服用するように女房にアドバイスした。女房は昨日朝飲んで夜就寝前また飲むのが気になり、就寝前の服用は今日からしようと考えた。ところが今朝、バルコニーの花壇を片付ける話で急に血圧が上がってしまった。男は今日は自分が手伝って女房の不安感を早々に取り除いてやることにした。
これまで、女房はバルコニーを四季折々の花で飾っていた。花いじりが趣味で、毎週日曜日のNHKの「趣味の園芸」番組は欠かさず観ていた。今回外壁修理を機に、バルコニーから花壇を撤去してしまうことになった。その一つの理由は、男と女房は二人で田舎に帰り田舎に長く滞在することが起きる可能性があり、その間花壇に水やりができなくなるからである。そうなれば、居間に置いてある60cmの熱帯魚の水槽や玄関に置いてある45cmの金魚の水槽も処分しなければならなくなる。田舎で独り暮らしの91歳の母が今年は2回入院騒ぎを起こし、その都度男が田舎に飛んで帰った。それ以外に男と女房二人で盆正月を含め年に34回田舎に帰り1週間ぐらい滞在していた。今後母の状況次第で長く滞在するようなことがあれば、こちらでの生活を変えざるを得なくなるのだ。
もう一つの理由は「死支度」である。男も女房もその考え方は一致している。これまで折に触れその支度をしてきた。思い切って不要なものはどんどん処分してきた。後に遺される子たちに余計な迷惑はかけないためである。このマンションの外壁等の大修理はバルコニーをすっきりさせる良い機会である。このため女房の花をいじるという楽しみは限定されてくる。その代わり二人で散策や旅行をして花の写真を撮り、テレビに映し出し、良いものは現像して壁などに飾る。その楽しみを共有することで、花いじりの楽しみが少なくなることと相殺される。また田舎に帰れば、庭の脇で花を育てる楽しみもできる。
外壁大修理では7階建ての屋上まで足場が建設される。このマンションには防犯カメラを2か月前取り付けたが、足場ができると防犯上の問題も起きる。女房にそんな話をしたら、女房は「そんなことより保健とか遺言とかきちんとしておくことが先決だわよ。二人揃って帰省旅行中万一のことがあったときの準備のため。」と言う。男はそれもそうだと思った。

2009年10月5日月曜日

未来に希望と夢を!(20091005)

 この記事がアップロードされるのは数日後であるが今日はコペンハーゲンで2016年オリンピックの開催都市を決めるIOC総会が開かれた。男は日本のプレゼンテーションの様子をテレビで見て感動を覚えた。最初に15歳の体操選手である少女がスピーチした。投票権を持つIOC委員の前で演壇に立った鳩山総理も石原都知事もその他の方々も、皆上手な英語でスピーチを行っていた。かつて国際会議では日本人は英語を上手くしゃべれず、はにかんで日本語でしゃべっていた。今や、英語でしゃべることが当たり前になっている。

 男が感動したのは15歳の少女が地球環境の問題は未来の社会を担う世界中の子供たちの関心事であることを訴え、鳩山総理もその点を強調し、石原都知事もCGを含む映像をふんだんに映し出して未来への希望のため是非東京でオリンピックを開きたいと訴えたことである。15歳の少女をトップバッターに立たせることは今日のIOC総会まで秘密であったが、彼女のスピーチは特に良かった。

 大変残念なことに前評判どおりリオデジャネイロが当選した。オバマ大統領も乗り込んでシカゴをアッピールしたアメリカは初回で敗退した。男はトーキョーは次の2020年に再度挑戦したらよいと思う。それまでに目標にしていたCO2削減のためのあらゆる手立てを実現するようにしたら良いと思う。その過程で全世界に向けてその実現への取り組み状況をアナウンスし続けたら良いと思う。

 つまり2016年にトーキョーでオリンピック開催はできなかったが、若い人たちが都市のCO2削減という目標に向けて、その理想の実現に向けて力を発揮することができるようにしたらよいと思う。何事もマイナスはない。プラス面がある一方で必ずマイナス面があり、マイナス面がある一方で必ずプラス面がある。今回の敗退というマイナス面をプラス面に変えることが必ずできるのだ。そのような方向転換と人々の情熱を引き出すのは、統治者の仕事だ。その仕事ができる立場にある統治者・統治者側の力量が問われる。

 2016年トーキョーオリンピックに反対し続け、ネットを通じて反対運動をし続けていた人々のエネルギーの向く方向に上述のプラス面があるはずである。男はかつて合気道の稽古に励んでいた時期があった。男は合気道の技は十分身につけることなく合気道から遠ざかっているが、合気道の真髄というものを多少理解しているつもりである。それは無意識のうちに相手の‘気’の方向に逆らわず、自分が空間のどの位置に在っても無意識のうちに常に動きの中心にあって、相手の‘気’の動きに対して、自分の体の全て、指先に至るまで柔軟に円運動をすることにより、相手を倒すことだと思う。稽古に稽古を重ねれば、自然に体が動いてそのようなことができるようになるのだと思う。相手と自分の関係であらゆる局面で無意識のうちにプラス面、マイナス面渾然一体となった動きの中に、自分が生き残る道が在るのだと思う。トーキョーは今回のプレゼンテーションに向けて稽古に稽古を重ねて来た。未来への永遠の時間軸の上で、まだ決着がついたわけではないのだ。これから15歳の体操選手である少女がリオデジャネイロで活躍するころに向けて、大人たちは若い人々に夢と希望を与え続けなければならないのだ。

 男は世界中の100人ものIOC委員たちの前で、英語で堂々とスピーチした15歳の少女の未来に期待したいと思う。男は統治者・統治者側の人々に対し、常に不動の哲学観と信念を保ち続けて、頑張り続けて頂きたいと願っている。

2009年10月4日日曜日

放送大学のテレビ放送番組で学ぶ(20091004)

 男はこの10月から放送大学の講座「日本の古代」をテレビで視聴して学び始めた。その動機はヤマト王朝が樹立される前、「倭」と呼ばれる日本の古代王朝の国があり、それが畿内地方ではなく北九州(筑紫)にあったとする説を唱えている書物『日本列島の大王たち』(古田武彦著、朝日文庫)を読んで、古代王権のことをもっと知りたいと思ったからである。この著者は天皇家はもともと九州の王朝の分家であって、『日本書紀』に書かれている天皇の事跡には、九州の王朝、つまり本家の事跡も分家である畿内の天皇の事跡のように書いていると主張している。

 この著者は、北九州にあった倭国は朝鮮半島南部に領土をもっていて、隣国の百済とともに軍隊を北進させ、新羅、高句麗に侵入し、撃退された。好太王(広開土王)碑にはそのことが書かれていて、戦後の歴史家が主張するようにそのことは旧日本軍の参謀が碑を故意に改鼠したものではない歴史的事実であるという。

 確かに『日本書紀』や『続日本紀』などは、当時の政権が政治を行う立場から書いたものである。男の遠い先祖である退官時にせいぜい五位になることしかできなかった下級官人のことや、一般民衆のことはそれらの歴史書には書かれていない。

 放送大学の講座のテレビ放送は、1講座15回分を1回45分間で区切って毎週放送される。ラジオで放送される講座もある。放送大学大学院の講座もテレビとラジオで放送されている。勉強する気さえあれば、放送大学の講座で自分が知りたいことを学ぶことができる。

 男は定年になる3年前放送大学を卒業し、「人間の探究/哲学」専攻の「教養学士」号を得た。男の女房も引き続き放送大学に入学し、「生活と福祉」を専攻して卒業し、引き続き「発達と教育」を専攻してこれも卒業している。女房は引き続き放送大学の学生として勉強を続けている。男の知人の中には放送大学の全コースを卒業したご高齢の方もいる。卒業生の中には専攻得論(いわゆる卒業論文)を本にして出版した方も多数いる。その中には日露大海戦の前哨戦ともいうべき史実を深く研究した論文があり、男はその論文と出版された本をその方から頂いている。

 男は「スピノザの自然観と現代の自然観の連関」という題で大論文(?)を書いたが、この作業は、自分自身の人生観・世界観を確立する上で非常に有意義なものであった。男は今でもときどきスピノザの哲学書のページをめくることがある。

 男はスピノザの哲学書の英語版を2冊持っている。これはアメリカ人の夫との間の不和で日本に帰ってきたある女性からプレゼントされたものである。男が現役のころ会社から技術研修のためアメリカに派遣されていた。その当時19歳の大学生だった二男がやってきて男のアパートに滞在中、単独でアメリカ東部に旅した。男は二男の旅行を支援するため、そのころヴァージニアに住んでいたアメリカ海軍の友人ご夫妻に電話を入れ、二男をそのお宅に宿泊させて頂いた。その頃その友人ご夫妻とよく交際していた日本人の女性がいた。彼女はアメリカ人と結婚していた。その彼女が日本に帰っているとき彼女から電話があり、男は彼女を会うことになり、本はその時頂いたものである。男はその後彼女から一、二度音信があったが、その後連絡は途絶えたままになっている。

 男はスピノザの哲学を現代の自然観につないでもっと研究してみたいと思う。それとは別に日本の古代のことももっと知りたいと思う。(関連ブログ「古代筑紫(九州)の大王の話~戦後の歴史教育を憂える~(20090909)」、「高麗に遊ぶ(20090926)」)

2009年10月3日土曜日

663年朝鮮半島白村江の戦い(20091003)

 江戸時代の儒者・頼山陽が書いた『百済を復す』という詩がある。男は『日本書紀』などの歴史書をもとにその詩の講釈を試みた。それは、今を生きる日本人の多くがこの戦いのことを知らないであろうと思うからである。

 歴史は繰り返すと言うが平成21101日付の読売新聞一面大見出しに、「「友愛の海」囲い込み 尖閣に調査船 ガス田で平然と作業」と出ていた。男は若い世代の人たちはこのことについて無関心ではいられなくなっているのではないかと思っている。

 世界中の何処の国も自国の利益を求めて鎬を削り合っている。それは、あたかも野生の猛獣たちが獲物を求め、オスはメスを奪い合って争うが如くである。そこでは強いものだけが生き残るのである。ウイルスから猛獣まで、人間も自らの種の存続、すなわち「自己保存」を求めている。17世紀のオランダの汎神論哲学者スピノザは著書『エチカ』でそう述べている。それが自然の実態なのだ。人間も宇宙・自然に一部である。その法則からは逃れられない。

 下記に頼山陽の『百済を復す』の詩文と男の講釈を示す。船の数の表し方は、日本(当時‘倭’)の船は小型であったので歴史書では「隻」ではなく「艘」と書かれている。しかし男はこの講釈では敢えて「隻」と書いた。倭軍の船の数は当時の中国側の歴史書によるもので「千艘」は多分非常に多くの船という意味であったと思われる。

 ともかく今から1335年前の西暦663年、わが国はそれまで何百年もの間保持し続けていた朝鮮半島における権益を守ろうとして立ち上がったのだ。しかし当時の唐・新羅連合に大敗し、一切の権益を失ってしまった。その後唐との交流は何十年間も途絶えていた。遣唐使の交流は戦後処理が終わった669年以降33年ぶりのことであった。

 その間、唐と組んで朝鮮半島から日本軍を追い出した新羅は676年に唐軍も追い出し、朝鮮半島を統一した。それが古代のわが国と朝鮮半島との間の歴史である。現在、北朝鮮は朝鮮半島の統一を目標に、拉致、麻薬、ミサイルなどあらゆる手段を考え、行動している。中国もロシアもそういう状況の中、朝鮮半島における権益の確保を秘かに狙っている。

 明治時代、日本は朝鮮半島から中国(清王朝)やロシアを追い出し、半島全体に鉄道網、通信網、水力発電などのインフラの整備をし、教育制度を確立したが、敗戦により再び朝鮮半島から手を引いた。強固な日米同盟があるものの竹島は韓国に不法占領され、北朝鮮からは核ミサイルの脅しをかけられ、尖閣諸島は中国が公然と自国領であると主張してわが国の領海・領土への侵入を試みている。

 男は日本の政治家たちに歴史をよく勉強し、歴史から教訓を得て、しっかりした外交をして欲しいと思う。官僚たたきに遭っている外務官僚たちには、しっかりとした精神を持って欲しいと思う。それが、次世代に対する務めであると思う。


百済を復す         頼 山 陽

唐は百済を取らむと欲し    吾は百済を復せむと欲す
怕婦の男子是れ皇帝      佳賊将となりて呑噬を逞しうす
汝が兵食を資け汝が行を護る  奈すれぞ汝自ら万里の城を壊りしや
唐と吾と孰れか得失      忠義の孫子海を踏みて来り
長く王臣と為りて王室を護る


  頼山陽の作詞『百済を復す』 男の講釈   

わが国の第4次遣唐使(659661年)が唐に滞在中、
唐は皇帝が高宗で皇后が武則天のとき6603月、
唐の将軍・蘇定方は13万人の兵をもって黄海を渡り百済に向かった。
新羅の武烈王は自ら軍を率いてこれを出迎えた。
唐軍は仁川(インチョン)近くの錦江(クムカン)を遡り、
新羅軍とともに百済の都城を包囲した。

将軍・蘇定方は郎将・劉仁願に兵1万人を授けてその都城に留鎮させ、
新羅兵7千人をこれに副え、
百済による都城奪回に備えさせた。
ソウルは当時唐の都城があったところ。
クムカンは当時白村江があったところ。

高宗の寵愛厚かった武則天は前皇后を追い出し亡きものにさせ、
高宗に代わって政務を執り、
新羅の要請を容れて百済討伐の軍を派遣し、
後には自ら皇帝になったこわいお方。

昔はわが国と友好関係にあったのに
北の高句麗や隣の任那にちょっかいを出すようになった新羅は、
好機到来とばかりに百済に攻め込んできた。
折しも百済王・豊璋(ほうしょう)が
忠臣・鬼室福信(きしつふくしに)を処刑したことを知った新羅は、
さらに勢いづき猛然と百済に襲いかかって来た。

百済が滅びれば任那も危ない。
わが日本は未曾有の危機に直面している。
時の天皇・斉明天皇(665661年)は詔(みことのり)し、
駿河国(現在の静岡県の大井川の左岸で中部と北東部の地域)に命じて船を造らせ、
百済を救い新羅を討つ準備にとりかかった。

その天皇は崩御され皇太子・中大兄皇子が即位した。
天智天皇(661671年)は百済を救うため、
総勢42千人の官軍を組織させた。
官軍総司令官には安曇比邏夫連(あずみのひらぶのむらじ)。
新羅を経て幾度も唐を訪れたことがあり、
彼の地の情勢には詳しいと考えられたお方。

駿河国の廬原君臣(いおはらのきみおみ)率いる健児1万人余りがまず白村江に向かい、
近江国(滋賀県)の巨勢神前臣訳語(こぜのかむさきのおみをさ)ら率いる
残り本隊27千人余りは新羅討伐に向かった。

唐新羅連合軍総司令官・蘇定方は名将であるが、
不条理な百済侵攻なるがゆえ、
賊将呼ばわりしたくなるような格好のよい男。
そのお方が部下の勇猛な将校・劉仁軌に、
戦船170隻と兵を授けて白村江に陣烈させてた。
この前線指揮官・劉仁軌は縦横無尽に兵を動かし、
蘇定方の期待に応えた。

わが水軍が白村江に集結したとき、
陸上には新羅の軍が待ち構えており、
海上からは唐の水軍が現れた。
悲しわが健児らは白村江で挟み撃ちに遭った。

近江の朴市秦造田来津(えちのはたのみやっこたくつ)は天を仰いで誓い、
歯をくいしばって戦い、
10人の敵を倒して戦死した。
他の健児らみな同様に奮戦し、
彼の地に散って逝った。

天象気象地形敵情を見誤った用兵の悪さか、
わが戦船400隻は火の矢の猛攻で焼き尽くされ、
海面はわが健児たちの血で赤く染まり、
船を失い溺れ死ぬ者も多かった。

豊璋よそなたは王子であったとき、
王子・善光とともにやむなくわが国の人質になっていたよな。
わが国はそなたたちに毎日豊かな暮らしをさせ、
そなたには太安万侶一族で神武天皇の血をひく女性を娶せた。
わが国そなたたちを賓客並みに処遇していたよな。

そなたの忠臣・佐平鬼室福信、
佐平は百済の最高の官位でわが国の大臣に相当する官位。
その佐平鬼室福信の要請に応えてわが国は、
そなたに百済の王位を継がせるべく矢10万本など武器や糧食などの援助をし、
大将軍安曇比邏夫に戦船170隻を率いらせてそのたの海路を護り、
5千人余りを付けてその他の陸路を護り、
百済のそなたの本郷まで送ってあげたよな。

それなのに百済の国王となったそなたは、
なぜ自らそなたの忠臣・佐平鬼室福信を、
諸臣の妄言を容れて処刑してしまったのか。
新羅から恐れられていた佐平鬼室福信は、
そなたにとって万里の長城のようにそなたの力になってくれた人物だったのだぞ。

そなたがそれほど暗愚で無能な人物とは知らなかった。
わが水軍が唐新羅連合軍に敗れたとき、
そなたは僅かな従者とともに高麗に逃げ去った。
そなたは唐の前線指揮官・劉仁軌に「偽王子」と蔑まされたのだ。

わが国は百済を救うため、
総員4万千人余りの健児らと戦船千隻をもって、
わが兵力を大きく上回る唐新羅連合軍と戦った。
その戦いにわが官軍は大敗してしまった。
百済の王族や貴族とその家族らや、
一般庶民ら合わせて数千人が
次々と海を渡ってわが国に渡って来た。

敗戦直後に王族・佐平の余自信(よじしん)や
貴族・佐平の鬼室集斯(きしつしゅうし)らとその家族たち700人余りが
戦いに敗れたわが健児らと一緒に引き揚げてきた。

翌々年以降その他の一般庶民の男女400人余り、
2千人余りと次々に、
自分ら調達した船でわが国に渡って来た。

わが国に渡ってきたそなたの国の王族貴族たちは、
百済での冠位に相当するわが国の冠位が授けられ、
百済での位階に応じてわが国の姓(かばね)と
大刀などの褒章が下賜された。
そなたが処刑した佐平鬼室福信の近親者・鬼室集斯にも
相応の冠位が授けられた。

百済から引き揚げてきた王族や貴族たちは。
皆わが国の朝廷の一員となって都で暮らすことができた。
その他の民も近江国や東国(武蔵)に居住地や耕作の田が与えられ、
異国の日本で安心して暮らすことができた。

後年百済に駐屯していた唐軍が
新羅軍によって駆逐された時も、
2千人もの人々がわが国に逃れて来ようとした。
その中には百済に残って居た唐の官人と、
唐に協力していた百済の貴族及びそれらの家族のほか
百済の一般庶民が含まれていたらしい。

戦に負けたわが国は、
對馬と壱岐に防人と烽火(当時の通信設備)を増強し、
對馬には城も築き、
そこをわが国防衛の最前線の拠点とした。
首都(当時は奈良)防衛も強化して、
周囲の要地に城を築いた。

2千人の難民らは47隻の船で百済を脱出し、
新羅の南の島にたどり着き、
長らが集まり今後のことについて相談した。
「對馬や壱岐の防人たちは我ら船団を見たら驚いて、
必ず射撃してくるに違いない。」
難民たちは結局わが本土を踏むことはできなかった。

未曾有の国難の時期の皇太子であり、
天皇であられた天智天皇は
よく臣民を統率され、
朝廷官僚の力を高めることに尽力され、
内政外交をよく進められた。
その御代に朝廷で最も力を尽くした内大臣・中臣鎌足は、
天皇から「藤原」姓と大職冠を賜ったが、
百済救援失敗の責任を感じつつ6681056歳でこの世を去った。

唐と日本とではどちらが得をし、
どちらが損をしたであろうか。

白村江敗戦後最初にわが国にやってきた王族貴族とその家族らは、
数年後近江国に居住地を与えられて移り住んだ。
後年その地に佐平鬼室福信の近親者・鬼室集斯を祀る鬼室神社が建てられた。
その神社は今もその地・滋賀県蒲生郡日野町にあって韓国との友好の証となっている。

鬼室集斯は大学頭(大学寮の長官)としてわが朝廷の子弟の教育に貢献した。
許率母(こそちも)は五経(儒学の経典)に明るく、
大友皇子の賓客となった。
軍事や薬学や陰陽で貢献した人も多数いた。

そなたの忠臣であった将軍・達率(百済国の最高の官位・佐平に次ぐ官位)の
憶礼福留(おくらいふくるや)や四比福夫(しひふくぶ)は、
わが国防衛の拠点・大宰府周辺の築城などにその持てる技術力を提供した。
四比福夫は後の天皇から「椎野連(しいのむらじ)」の氏姓を賜った。

そなたとともにわが国に入侍していたそなたの近親の王子・善光は、
敗戦で百済に帰ることもできなくなって難波(大阪)の地に住居を与えられた。
善光の子孫は後に天皇から「百済王(くだらのこきし)」の姓を賜り、
陸奥守などの要職を歴任し、
従三位の公卿にまで列せられた。

近江国や東国に居住地を与えられた一般の民らは、
それぞれその地になじみ、
数世代のうちに多くの氏・名字に別れ、
特に戦国時代以降日本全国に広がっていった。

このようにして海を渡ってわが国にやってきた百済の人々は皆、
わが国の同胞になり、
今日世界に冠たるわが日本国をともに造ってきたのだ。