2009年10月4日日曜日

放送大学のテレビ放送番組で学ぶ(20091004)

 男はこの10月から放送大学の講座「日本の古代」をテレビで視聴して学び始めた。その動機はヤマト王朝が樹立される前、「倭」と呼ばれる日本の古代王朝の国があり、それが畿内地方ではなく北九州(筑紫)にあったとする説を唱えている書物『日本列島の大王たち』(古田武彦著、朝日文庫)を読んで、古代王権のことをもっと知りたいと思ったからである。この著者は天皇家はもともと九州の王朝の分家であって、『日本書紀』に書かれている天皇の事跡には、九州の王朝、つまり本家の事跡も分家である畿内の天皇の事跡のように書いていると主張している。

 この著者は、北九州にあった倭国は朝鮮半島南部に領土をもっていて、隣国の百済とともに軍隊を北進させ、新羅、高句麗に侵入し、撃退された。好太王(広開土王)碑にはそのことが書かれていて、戦後の歴史家が主張するようにそのことは旧日本軍の参謀が碑を故意に改鼠したものではない歴史的事実であるという。

 確かに『日本書紀』や『続日本紀』などは、当時の政権が政治を行う立場から書いたものである。男の遠い先祖である退官時にせいぜい五位になることしかできなかった下級官人のことや、一般民衆のことはそれらの歴史書には書かれていない。

 放送大学の講座のテレビ放送は、1講座15回分を1回45分間で区切って毎週放送される。ラジオで放送される講座もある。放送大学大学院の講座もテレビとラジオで放送されている。勉強する気さえあれば、放送大学の講座で自分が知りたいことを学ぶことができる。

 男は定年になる3年前放送大学を卒業し、「人間の探究/哲学」専攻の「教養学士」号を得た。男の女房も引き続き放送大学に入学し、「生活と福祉」を専攻して卒業し、引き続き「発達と教育」を専攻してこれも卒業している。女房は引き続き放送大学の学生として勉強を続けている。男の知人の中には放送大学の全コースを卒業したご高齢の方もいる。卒業生の中には専攻得論(いわゆる卒業論文)を本にして出版した方も多数いる。その中には日露大海戦の前哨戦ともいうべき史実を深く研究した論文があり、男はその論文と出版された本をその方から頂いている。

 男は「スピノザの自然観と現代の自然観の連関」という題で大論文(?)を書いたが、この作業は、自分自身の人生観・世界観を確立する上で非常に有意義なものであった。男は今でもときどきスピノザの哲学書のページをめくることがある。

 男はスピノザの哲学書の英語版を2冊持っている。これはアメリカ人の夫との間の不和で日本に帰ってきたある女性からプレゼントされたものである。男が現役のころ会社から技術研修のためアメリカに派遣されていた。その当時19歳の大学生だった二男がやってきて男のアパートに滞在中、単独でアメリカ東部に旅した。男は二男の旅行を支援するため、そのころヴァージニアに住んでいたアメリカ海軍の友人ご夫妻に電話を入れ、二男をそのお宅に宿泊させて頂いた。その頃その友人ご夫妻とよく交際していた日本人の女性がいた。彼女はアメリカ人と結婚していた。その彼女が日本に帰っているとき彼女から電話があり、男は彼女を会うことになり、本はその時頂いたものである。男はその後彼女から一、二度音信があったが、その後連絡は途絶えたままになっている。

 男はスピノザの哲学を現代の自然観につないでもっと研究してみたいと思う。それとは別に日本の古代のことももっと知りたいと思う。(関連ブログ「古代筑紫(九州)の大王の話~戦後の歴史教育を憂える~(20090909)」、「高麗に遊ぶ(20090926)」)