2009年10月8日木曜日

中秋の名月、コスモスの丘(20091008)

 最近秋雨前線が停滞し週日はお天気が悪い。その上台風18号もやってきそうである。先週末、土曜日は丁度中秋の名月の日で男も女房も楽しみにしていたが、あいにくお月さまはちょっとしかお顔を見せてはくれず、殆ど曇り空であった。それでも近くの古い農家の建物と屋敷が市の公園になっているところがあって、そこではその日筝曲や尺八の演奏会が行われ、庭先に並べられてある腰かけの台に座って観賞できるようになっている。男と女房は、ちょっと時間が遅くなったが散歩のつもりでそこに出かけた。

 入口で協力金100円を払って中に入った。もう演奏会は終わっていたので、右手の蔵の前を通って竹藪の方に行った。毎年のことであるが、今年もボランティアが竹藪の中のあちこちに、竹筒の中にキャンドルを灯していて、大変幻想的な風景である。暗闇の中で男の前を歩いているカップルが、その雰囲気に酔って目の前でしっかり抱き合ってディープキスをしている。近頃電車の中でも人前を憚らずキスをするカップルを見かけることがある。暗闇の中のことでもあるし、別に気にもならず、その脇をすり抜けて前に行く。

 竹藪の中のキャンドルは青竹を斜めに切ってその中に置かれている。かぐや姫が居そうな気持にある。かぐや姫と言えば、日本の衛星・かぐやは月を周回しながら月の地表の写真を撮り続け、遠くに月の地平線から昇ってくる青い地球の姿も撮った。その映像は男のパソコンのスクリーンセイバーになっている。

 竹藪の中の幻想的な写真を何枚か撮った後、蔵の横のススキがライトに映えて美しいのでこれも写真に収めた。この旧家は屋敷が広く、母屋の他に別棟があり、その二つの建物の間から裏の山への道がある。昼見るのと違って、夜見る風景も面白いので写真に撮った。

 家に帰ってきて早速撮った写真の観賞会を行った。テレビの画面に映し出して、同じ場所を男が撮った写真と、別のカメラで女房が撮った写真を比べて見る。結局、カメラのせいではなく、女房の腕が良くて竹藪の中の幻想的な写真1枚を2Lサイズに印刷して部屋の壁に飾ることにした。

 翌日は晴れの予報である。女房は昭和記念公園のコスモスはこの時期を逃すと駄目であると言う。二人は朝早く起きて、それぞれカメラを持ち、おにぎりやチョコレートなど少しの菓子をバッグに詰めて出かけた。出がけに近所の懇意にしているご夫婦に出会い、男がリュックを背負っているのを見て「どこに行かれるのですか?」と問われる。男は「女房のカバン持ちですよ」と言ったら笑う。昭和記念公園内の広々としたコスモスの丘には人が小さく見える遠方まで一面にコスモスの花が咲き乱れていた。望遠レンズを使ったりして沢山の写真を撮った。女房も一眼レフのカメラに慣れて来た。

 行きも帰りも列車やバスの接続はすこぶる良く、車内は混んでいたが楽に座席に座れることができた。昭和記念公園に着くと今日は入場料が無料であるという。何もかも運がよい。男はこの世の中に‘偶然’というものはなく、見方を変えれば‘偶然’と思っていたことはもしかかしたら‘必然’ではないかと思う。つまり‘偶然’は、自分には見えないある力が作用した結果ではないかと思う。いやそうではない。運命は変えられる、と主張する人は多いだろう。たしかに自分の努力で変えることができる運命というものはあると思う。しかし、自分の力ではどうすることもできない運命もあるのだと思う。夢窓国師は『夢中問答集』の中で初めから終わりまで今生と前世、今生と次生のことを繰り返し説いている。今に時代の人々はいろいろな知識が有りすぎて素直になれないのだ。人は生かされている。男はそのことを実感している。(関連記事「前世、今生、来世(20091001)
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