2010年8月17日火曜日

仏教と科学の接点を考える(続き) (20100817)


お釈迦様が今から約2500年前に説かれた「‘この世’の行いの良し悪しの結果が‘あの世’に現れる」という趣旨のことは、遺伝学的にも社会学的にも証明されると考える。しかし悪行を為したが子孫を遺さない者はどうか、という議論は当然あるであろう。

子孫を遺していない悪者でも彼の悪行の影響はその家族や親族や関係者に及ぶ。そのような影響を受けた家族や親族や関係者はその悪者のためこころ穏やかであることができない。このようにしてその悪者の「あの世」は遺伝学的な血縁関係の有無に拘わらず、彼の家族や親族や関係者の「この世」に現れるのである。

遺伝学的な血縁関係に無くても、社会的な関係がその悪者のとの間にあり、因果応報の関係を免れることはできない。この場合、その遺伝学的に血縁関係のない家族や親族や関係者は、自らが‘原因’を為して、その悪者の行為に大なり小なり加担している。この場合その遺伝学的に血縁関係のない家族や親族や関係者は、「この世」で彼の悪行に大なり小なり加担し、或いはその加担する原因となる要素をそれらの者の親や先祖の「この世」から遺伝情報として受け継いでいることが原因となって、その‘大なり小なりの加担’が生じ、それら家族や親族や関係者の「あの世」である今、こころの平安が奪われている。

このように「この世」と「あの世」は時系列的に「この世」から「あの世」に向かうが、それは遺伝学的なものや社会学的なものに関わっている。その関わりには全て「因縁」がある。凡夫はその因縁は予め避けようとしても自ら避けることはできないものである。故に日々修行し、執着を離れ、ニルヴァーナに近づくようにお釈迦様は説いておられるのである。仏教は、執着の原因が何であるか、その執着を離れるにはどうしたらよいかという真の理屈を教えるものである。

現代の科学は、遺伝について次のことを明らかにした。‘次のこと’と言っても学者でもない者がその全部を完璧にできるわけがない。故にこれはその中の針の先のようなごく限られた一部である。それについて以下のとおりである。(参考文献:『Newton別冊「知りたい!遺伝のしくみ」』)

例えば人の「自尊感情」とか「権威主義的伝統主義」という性格は遺伝によるものが約30%であり、残り70%はその本人の独自の環境の影響によるものである。その環境の中には勿論本人の家族や親族や関係者が大なり小なり影響を与える。

「開拓性」や「勤勉性」は50%が遺伝によるものである。「うつ傾向」は40%が遺伝によるものである。残りは本人の独自の環境によってその性格の現れ方が異なっている。このことは本人の家庭環境や社会環境が良ければその良い性格を大いに発揮できるようになるが、そうでない場合は折角その遺伝的要素が大きくても性格としては現れないことになることを意味する。われわれ日本人の開拓性に富む勤勉な国民気質は、生来のものである。

「同調性」については約35%、「うつ傾向」については約40%が遺伝による。しかしこれも本人の独自の環境次第でその性格の現れ方が異なってくる。

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