2010年7月10日土曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(112) (20100710)

昨日(7日)午後遅く近くの川の周囲を散歩した。快晴で日差しは強いが割に爽やかである。川辺の茅が風に揺れている。名前は知らないが色とりどりの色々な花が風に揺れている。太陽が傾き影が長く伸びている。下の草地の広場で犬を連れた女性らが語り合っている。川面にボラが飛び跳ねている。男のように散歩を楽しんでいる者あり、軽いジョギングをしている者あり、皆それぞれリラックスしている。夕刻に近い午後の川辺の風景である。

男はこの風景を楽しみながら「人相」と「性格」や「知能」について、遺伝的なものや後天的なものとの関係について考え、それが子孫にどう伝わるのかなどあれこれ考えていた。そのうちに次の漢詩を小声で吟じていた。

そのようにして川辺を小1時間ほど歩いた。本当は自分も何か一つ詩を作る才能があれば良いのであるが、次の詩のような本当に素晴らしい詩は到底作ることはできない。その詩は高啓という人が作ったものである。『胡隠君を尋ぬ』と題する詩である。

   水を渡り 復(また)水を渡り

   花を看(み)還(また)花を看(み)る

   春風江上の路(みち)

   覚えず君が家に到(いた)る

というものである。

作者・高啓は明の時代(1369-1633年)(日本では室町時代から江戸初期)の詩人である。41歳のとき謀反の疑いの連座、一説には明の太祖の好色を風刺して太祖の怒りにふれた罪で腰折の刑に処せられている。残酷な処刑であった。

この詩は、春の暖かなある日、川の風景を眺めながら胡某という隠者を尋ねたときの作ったと言われる。まさしく男が今川の周りの路を歩きながら感じた風景のようである。

男は別に誰かを尋ねて歩いたわけではないが、自らなるべく隠遁の暮らしをし、何事にも関わらず自分の意の趣くままに日々を送ろうと思っているので、作者の気持ちと相通じるものを感じる。おのずから自分の顔をも穏やかな表情になっている。

人相と遺伝との関係はどうなのか、生後の人生の歩みの中で人相も変わるが、それが自分の遺伝子の中にどのように影響を与えるのか、人は何故生まれつき好運な人生を歩むことが約束されているような人がいる一方で、不幸な人生を歩むことを強いられているような人がいるのであろうか?人相には性格や知能や気質が表れていることは間違いない。性格や知能や気質などはすべて遺伝子に組み込まれている。同じDNAでも人によって発現の仕方が異なっている。人相はその人の「過去世」、つまり親やその親、そのまた親に遡る遺伝子の影響があることは間違いない。それがまた、その人の子孫に伝わるのである。つまり、「来世」に伝わるのである。4次元にいる人は自分の「前世」も「来世」も見えない。

34 この世は(変化して)異なったのとなる。この世の人々は迷いの生存に執着し、迷いの生存を楽しみ、つねに迷いの生存を喜び、迷いの生存からすっかり解脱することがない。

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