2010年8月14日土曜日

仏教と科学の接点を考える(続き) (20100814)


人は、どんなに幸せを求めて何かを行っても、結局は四苦八苦の「苦」から逃れることはできない。仮令、科学の力で愛する人の命を救ったとしても、その「苦」はつきまとう。ならば、どうすればよいのかということを釈尊は説いておられる。結局、究極の幸せは、釈尊の教えを学び、釈尊に一歩でも近づくように日々努力し、ものごとに、特に欲望からくるものごとにとらわれないように、「吾只足りることを知って」、執着を断ち、今を一生懸命に生き、死ぬ時は一生懸命に死ぬのが一番ではないか、と思う。

あの世でどうなるかを「信じる」こともせず、できず、この世で悪行を重ねる輩は、古の昔から減らない。もし、その悪行をその人にさせる根本原因が遺伝子にあるとすれば、この世の中では、善い行いも増えるだろうが、悪い行いも増えるのではなかろうか?何故なら現代社会では交通機関や情報通信が高度に発達し、人々の交流も増え、かつて婚姻関係は狭い地域内に集中していたであろうが、今ではその人の出自や親せきの状況など無関係に全国的に拡大してきている。そうすると良い遺伝子も悪い遺伝子も全国的に拡散する。そうするとごく普通の家庭で、家族の中に非常に優れた人も現れるが、非常に劣った人も現れる可能性がある。

人の性格や行動が遺伝子によるものであるかどうかは、学問的には、いまのところなんとなくそのようであるという程度のことであろうかと思う。しかし、哲学は、直感に基づき思索を深めるものである。楽しみながらあれこれ思索し、そのことを公に発表し、意見を頂く。そのようにして日々が過ぎ、わが肉体は何れの日にか土に還る。

ところで、人の言動はその人自身が決して気づかない奥底の心理、無意識によって左右される。ひとの集団の言動もそのような無意識の集合によるものである。

ユングの「集合的無意識」については、あくまで概念であり、実体として証明されているものではない。しかしそう遠くない将来、ヒトが生きてゆく社会環境やそのヒトの暮らし向きなどの影響により発動する原因となる遺伝子が次々見つかるようになれば、その概念は実体として証明されるようになるであろう。既に、MAOA(モノアミン酸化酵素A)というタンパク質を作る遺伝子の異常が、ヒトの攻撃的性格の原因となることがオランダの家系の調査で分かってきている。(引用:『Newton「知しりたい!遺伝のしくみ」』)

仏教では、ユングの心理学を先取りしたような説が、ユングよりも2千年以上も昔に仏教の哲理として確立し、今日まで伝えられてきている。

10日、日韓併合について首相談話が出された。その談話は日本人大多数の集合的無意識を代表するものではない。一方、菅総理があのような談話を出しても韓国民の日本人に対する集合的無意識がそう簡単に変わるものではない。

先般、日韓両国で双方の意識について世論考査が行われた。日本人の65%が韓国に好意を持っているのに対して、韓国人は27%の人しか日本に好意を持っていない。その状態は今後も変わらないだろう。韓国は竹島を占領し続けるだろう。DNAがそうさせるのである。

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