2010年8月13日金曜日

仏教と科学の接点を考える(続き) (20100813)


幹細胞を利用して、豚で人間の肝臓を造ることが試みられている。既に種の違うラットの体内でマウスの肝臓を造ることは成功している。近い将来、その手法は実際に人間に適用されるようになることは間違いない。クローン人間を造ることも、老化で衰えた皮膚を若い皮膚に造り変えることも可能である。細胞のアポトーシスを抑制する物質が発見され、動物実験で成功すれば、人間の寿命が延びることになる。

このようにして人造人間が簡単にできるようになる時代は、そう遠くない時期に到来するだろう。価値観が違う国々がある世界で、倫理上の問題を共通的に解決することは非常に困難であると思われる。

そのような近未来社会において、仏教はどのような役割を果たし得るだろうか?これは、非常に重いテーマである。しかし、そのような近未来社会においても、人々の生老病死の四苦、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五取蘊苦(四苦と怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦の三つ、合計七つの苦を概括した苦のこと)の合計八苦、つまり四苦八苦は解消されない。医療技術が発達し、一時的な幸せを感じても、それが永久に続くものではない。

仏教の役割は依然として残る。すべての人々が「前世」とか「あの世」を肯定的に考えるようになれば、人々は幸せになり、この世は平和になる。そのためには、科学がそれらの存在を証明できるようになる必要がある。

前述‘人造人間’について男のブログの記事を読んだ人からご意見を頂いた。第一点は、総合体である丸ごとの人間はまさしく科学(分ける学)の成果の寄せ集めでは総合体にたどりつかない、ということである。第二点は、科学が「前世」とか「あの世」の存在を証明できるとは思えない、ということである。

男もそう思っている。遺伝子的には、約半数ほどのアメリカ人の性格がわれわれ日本人と異なっているようであり、アメリカ人は新しいことに挑戦するという好奇心が旺盛な人々が多く、わらわれ日本人は殆どが内気であるという。その遺伝子というのはDRD4遺伝子というのだそうで、その繰り返し回数の比較においてアメリカ人は約半数が7回、日本人は殆どが4回というのである。

そのアメリカ人ならば、ブッダ(釈尊)が繰り返し語っている「過去世」とか「未来世」について、科学的に究明しようと考えるかもしれない。多分、実際に究明しようとしている科学者もいるかもしれない。

ただし、釈尊ご自身は、そのようなものが「ある」とか「ない」とか議論することは、禁じておられる。禁じておられながらもご自身はそのことを語っておられる。例えば、『感興のことば』(中村元著『ブッダの真理のことば感興のことば』(岩波文庫)では、第1章の26に「この世においては、過去にいた者どもでも、未来にあらわれる者どもでも、一切の生き者は身体を捨てて逝くであろう。智ある人は、一切を捨て去ることを知って、真理に安住して、清らかな行いをなすべきである。」と語っておられる。

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