2010年6月11日金曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(83) (20100611)

千葉に住む竹馬の友Sから送ってきた『愚の力』(大谷光真著、文春新書)を読んで、男はいつも思っている「あの世」のことや「前世」のことについて一層確信を深めた。「愚者になる」ということと「愚者である」ということとは大きな違いがある。「愚者になる」ということについて大谷氏は龍谷大学の石田慶和氏の言葉を引用して、「端的に言えば、絶対者=阿弥陀如来の願いに出遭えないと愚者の自覚に至らない、他者との比較において愚かであるとか賢いとかいう問題ではなく、自己一人の問題として存在自体が問われるあり方である」と説明しておられる。

男は現代人が科学的合理主義に毒されてなかなか愚者の自覚に至らない状況を見て、逆に科学の知見を深めることによって「あの世」「前世」の存在を証明することができないかと考え、放送大学に籍をおいて先ずは分子生物学などの学問を初め、Biglobeブログ『現代の自然観と仏教』を開設し、自分がそのテーマについて思索したことを公開しながら日々を送って行こうと考えた。男は純粋に「あの世」や「前世」の存在を信じている。男が日常経験する「不思議なこと」を、男は「それはたまたま偶然に起きたことではなく、起きるべくして起きた必然的な現象である」と信じている。

飛行機の中で『古代豪族の謎』(新人物文庫)を読んだ。蘇我氏のことについて松尾 光氏が執筆している。彼は、蘇我氏は武内宿禰を伝説的な祖とするがそれは正しくなく、蘇我氏の姓は「臣」であるので渡来系とはみなしがたい、蘇我氏は稲目のとき宣化天皇(535- 539年)、欽明天皇(539- 571年)2代にわたり政治的手腕を買われて大臣に任命された、その‘大臣’という呼称は役職名ではなく‘近臣’‘重臣’という意味である、と言っている。

蘇我氏宗家は大臣になった稲目の子・馬子も大臣となり、父にならって効率的で安定的な経済政策を進めた。そして政敵を倒して政治の実権を握り、さらに自ら擁立した崇峻天皇(587- 592年)と対立してその天皇を葬り去り、自分の姪欽明天皇の血を引く女子を推古天皇(592- 628年)に立てた。馬子の子・蝦夷も大臣になったが天皇を無視する行動をとり、蘇我氏傍系の石川氏からも敵視されるようになった。蝦夷の子・入鹿も大臣となり、父同様に時代を先取りする開明性はあったが私利私欲的な行動をとり、自分の従兄弟にあたる古人大兄皇子を擁立したいために罪もない山背大兄皇子を力づくで討ち滅ぼす一方で聖徳太子に温情を示すような行動・それも下心あっての行動をとった。

蘇我氏宗家のそのような政治的行動は廷臣たちの反感を買い、ついに中大兄皇子・のちの天智天皇から誅殺されて宗家は滅びた。しかし男はその蘇我氏宗家の思いは何10世代の後も途絶えることはなくその時々の「この世」に現れては消え、現れては消えたのではないかと思う。今の「この世」は誰かの「前世」の「あの世」の姿である。男は小沢一郎氏の行動を見るときつい古代に政治的実権を握り、天皇を軽視した蘇我氏とダブらせてしまう。

30 (自分に)ひとしい、あるいはひとしくない生れ、生存をつくり出す諸の形成力を聖者は捨て去った。

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