2010年8月19日木曜日

地縁・血縁 (20100819)


男はこのたび自分が子供の頃過ごした土地に昔から住んでいる親戚の家々を尋ね、子供のころ可愛がってくれた3人の叔母たちの墓参りなどをした。初盆だった従兄の家も訪れ、その従兄の親族たちにも会った。実に半世紀近い歳月を経て、従兄弟たちの家々に上がり、仏壇に向かって合掌し、長年の不義理を詫び、一族の行く末を見守ってくれるよう祈った。男は一族の未来の幸せのため、また今生の幸せのため、自分が中心となって先祖の地に地縁・血縁関係を再構築しなければならないと改めて強くそう思った。

一人の従弟からは男の先祖が祀られている土地の地域の地図(タウンマップ)を貰った。その地図はその地域の企業群がスポンサーとなった昭和50年ごろ作成されたものである。その地図は男が子供の頃は見渡す限り一面田園風景であった地域が住宅地に変わった後の様子が良く分かる。その地図には個々の家とその持ち主の名字が書かれている。男が子供のころ住んだ屋敷は結構広かったことが分かる。そこには他界した叔父の一族が住んでいて、男の先祖の祭祀を行ってくれている。しかしその従弟二人には男子の子供がいない。

初盆であった従兄の家にはお参りしたあと大事にしていたパナマ帽子を忘れて宿に帰っていた。その晩、竹馬の友一人が男と是非一献酌み交わしたいということで、街中のちょっとした料亭で9時近くまでいろいろ語り合った。その友を家まで送るついでにタクシーを走らせ従兄の家を再訪した。

夜9時を過ぎていたが、従兄の家の仏間と座敷を連ねたところに従兄の親族が大勢集まっていてにぎやかに飲食していた。男は昼初盆にお参りしたあとその家を去る時、何か後ろ髪を引かれる思いがあったが、帽子を忘れたのはそのためかとも思う。他界した叔母が男の手を引きとめたのだと思う。

男は仏壇に手を合わせ、並みいる親族の皆さんに初対面の挨拶をし、少しだけ飲食しながら語り合った。昼会えなかった従妹が来ていた。従兄とともに三人一緒に写真に写った。男のデジカメのシャッターを押してくれたのは従兄の息子の一人である。その息子はビルマで戦死した父親の写真によく似ている。

その写真を小さくしたものが靖国神社を鳥瞰した大写しの写真の中にもはめ込まれている。軍帽をかぶり正装し、勲章を二つ胸につけた立派な姿である。従兄の父親は陸軍伍長だった。35歳で戦死している。従兄がまだ子供のときであった。叔母は何度も靖国神社に参っている。この3ヶ月前96歳で没し、今あの世で夫に会うことができ、ようやく夫との平和な暮らしを取り戻すことができていることだろう。

炎暑の最中、方々の親族の家を回り、非常に密度の濃い帰省旅行を終えてわが家に帰りつた翌日、子供のころ会った記憶がない従弟から初めて電話があった。その従弟は男のもう一人の叔父の息子である。男がわが家の由緒書を書きあげ手紙を添えてその従弟に送っていた。その従弟は自分の先祖を祀ろうと墓所を移し終え、仏壇の購入を準備していた13日にそれが届き、なにか不思議な縁を感じると、大変喜んでくれている。男も嬉しくなった。

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