2011年8月10日水曜日

数学に夢中になっている人たちが増えたようであるが・・(20110810)

 受験勉強時代に数学が嫌いになった人たちが今数学に夢中になっているようである。オイラーの公式、自然対数eのθ乗はマイナス1(-1)であることを、市販のテキストにより70日間かけて理解したサラリーマンがいる。

私も数学には興味がある。若いころテーラーの公式とかデデキント自然数論とかを勉強したことがあった。数学者たちが願い年月をかけて研究し辿り着いた定理や公理・公式を、現代の我々が今、そのような定理・公理・公式を得るまでの過程を、ある意味で「数学の遊び」として楽しんでいる。その過程はなかなか容易ではないので、市販のその種の本を指導コーチとして、ある意味で修行をするようなものであるという。そのような「数学の遊び」で結果を得るまでの過程で、「発想の転換」が無ければ結果が得られないという。

起きた問題を解決するための思考法について、様々な本が売られている。問題を解決する一つの方法は、「似たような事例」を参考にすることである。また、「押してダメなら引いてみよ」という諺どおり、「逆転の発想」も必要である。

私はこれまで中国が第一列島線、第2列島線という線を引き、その中に「核心的利益」を見ていることについて、日露戦争のことを取り上げ、「自己保存」というキーワードで我々日本人は中国の行動に対処する方法を考えてきた。「似たような事例」を参考にしたり、「逆転の発想」をすることにより、我々が日ごろ気づいていない、あるいは気づいているが深く考えていない「問題を発見」することもできる。

受験勉強は「問題を解く」力を身に付けることである。一方、必要なのは、「問題を発見」する力を身に付けることである。中国が海軍力を増強していることは、日本にとって重大な問題である。我々はその「問題を解決」する方法を見つけ出さなくてはならない。そのためには、「なぜその問題が起きたか」ということを知る必要がある。

私は「似たような事例」として、野生動物たちの行動を取り上げた。野生動物たちがなぜそのような行動をするのか考えた。辿り着いた結論は、野生動物たちがそれぞれ「生存を持続」させようとしているということである。スピノザはそれを「自己保存の努力」と指摘し、それは「ものの現実的な本質(rei actualis essential)」と言った。そしてスピノザはそのことを数学的な定理や公理の形で説明している。

一市井の無学な私のこのような視点を誰も注目しないだろう。私はそれはそれでよいと思っている。物事は時間の経過とともに矛盾をその中孕む。その矛盾は時間の経過とともにいずれは解決される。歴史はその繰り返しである。私の視点はその矛盾の中の小さな一つを捉えているに過ぎない。私はそのような視点にとどまって、ただ単に自己満足しているだけである。ただ、私がこうして書いて公開していることは、いずれの世にか私の子孫の目に留まるだろう。それが私の「自存」の仕方である。

いろいろしたいことは山ほどあるが、時間が足りない。かといってストレスを貯めてまであれもしよう、これもしようとは思わない。マイペース、半分もできればよいのである。

0 件のコメント: