2011年8月4日木曜日

空母バンカーヒルと二人の神風(ケネディ著​)より (20110804)

表題は、YouTubeに投稿されていたものである。こブログの左側コラムにYouTubeで公開されている特攻に関する二つの映像をリンクした。

特攻隊員志願が「強制的」であったという人もいる。私はそのようなことはあったかもしれないが、そのときの心情を我々が知ることはできないと思っている。かつてアメリカのブッシュ元大統領が、日本の「特攻」とイラクやアフガニスタンなどでの「自爆テロ」と同じよう言ったことがあった。それならば、「東京に対するB-29による絨毯爆撃」や「広島・長崎」への原爆投下と、「虐殺」とはどう違うのだろうか?

先の戦争中、アメリカは日系人を「人種差別」してアメリカ市民権を持つ者も強制収容所に収容した。それは明らかに人権無視であり、アメリカの憲法違反であった。そのアメリカは「正義」の名のもと、中国が少数民族のチベット族やウイグル族などを迫害していることを非難している。人間は「恐怖心」「自存欲求」のため「悪魔」に支配される。

 喧嘩は両成敗という。喧嘩は所詮、どちらも「自存」の行動である。どちらが正しいというものではない。結局勝った方が正しいのである。ならば、喧嘩に負けないようにせねばならぬ。日本人は「武士道」という精神的な支えがあって、喧嘩に勝っても負けても「名」を残すことによって片や「現在」または「現世」において勝ち、片や「未来」または「来世」において勝つのである。結局どちらも勝つのである。

 国と国との関係においても同様である。日本は中国の攻勢に対して、「未来」・「来世」ではなく、「現在」・「現世」で勝たなければならない。そのためには中国の「動物的」な力、つまり武力に対して、「武士道」精神に基づく力、つまり「腰に差した氷刀」で身を守らねばならない。そのためには、精神を鍛え、武術・兵法を鍛え、相手に打ち勝つ強い刀を身につけていなければならない。

 幕末・明治から戦前まで、日本は、「自存・自衛」のため、必死で戦ったのだ。特攻隊員たちはこの国を護り、愛する父母や妻子や兄弟姉妹や恋人を護るため、自らの命を捧げて下さった。その精神の根底には香り高く美しい「武士道精神」があった。

今、南シナ海や東シナ海で脅威を与えている中国も、広大な国土に住む13億人の国民の「自存」のため行動していると思うのであるが、その「自存」は日本のそれとはまったく違ったものであって、日本のような「武士道」精神はなく、言うならば「動物的」な「自存」欲望に根差すものである。中国は隣人である日本に対して礼儀もなく、新幹線もアニメも超高度の日本の技術を手にいれ、勝手に真似し、「純国産」と平気で主張している。

 今、普天間問題があり、「琉球王国」のことが映画に取り上げられている沖縄で、今から667年前、九州の鹿屋や知覧から飛び立った特攻機がアメリカの航空母艦その他の艦に体当たり攻撃を行っていた。そのことについて私は、このブログ「特攻(20101029)」に書き、また関連記事「靖国神社と菅首相(20110409)」も書き公開している。

今、日本人は、靖国神社に祀られている2610柱の御霊に心から感謝すべきである。

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