2011年8月28日日曜日

日本人は何故大陸人を警戒するのか(20110828)

 日本人と中国・韓国・北朝鮮人とは、遺伝子が違う。日本が古来大陸側の民と交流しながらも大陸側の国に対して警戒心を持って来たのは何故か? 私は、それは動物の世界と同様、「種」の違いによるものであると思っている。

 日本は天智天皇の時代663年、今の韓国のソウルの近くの河口付近で海側からやって来た中国(当時の「唐」)の軍艦170隻、陸からは百済に攻め入った新羅の大軍に挟み撃ちに遭い、大敗を喫した。寛仁3年(1019年)には、ツングース系の女真族(満洲民族)と見られる海賊が壱岐・対馬を襲い、更に筑前に侵攻している。刀伊の入寇(来寇)である。

秀吉はポルトガル・スペインが日本の武士集団を誘って中国に入植を企んだことを知り、逆に朝鮮に出兵している。これは日本を守るためであった。(関連:このブログ「20101017日日曜日 秀吉の朝鮮出兵(20101017)~同(20101019)」)

インターネット上では日本人に特有の遺伝子について情報があふれている。その一つに「Y染色体の世界的分布と拡散経路」というページがある。そこに書かれていることに次の一節がある。日本人と大陸人の「種」の違いが明らかである。(“”でそのまま引用する。)

 “D2系統の移動ルートは、[北アフリカ→中東 →中央アジア→華北→朝鮮半島→西九州]と推定される。しかしベンガル湾東部のアンダマン諸島に別のD祖形が認められ、南ルートから東ユーラシアに広がった可能性もある、という。

 .日本列島にはD2系統の、チベットにはD1,D3系統の“特異的な集積”が見られるが、いまでもユーラシア東部に低頻度ながらD系統が広く分布していることは、かっては東ユーラシア全体に分布していたD系統が、その後進出してきたO系統によって圧迫され、チベットと日本列島以外では少数派になってしまったと、推測される。

 .DE系統の最近共通祖先年代が38,300年、D系統のそれが13,000年とすれば、D2系統が日本列島へ移動してきたのは、旧石器時代ではなく新石器時代(13,000年前)以降の可能性が高い。(筆者注:縄文時代草創期前後から以後に、この日本列島に大規模な集団の流入があったというような文化的な痕跡は残されていない。)

 .新石器時代には朝鮮半島と日本列島に共通の文化や漁労民の文化の存在があるが、この民はD2系統のヒト集団であった可能性が高い。

 西九州における縄文系(=D2系統ヒト集団)の高度集積は、弥生時代になってもこの地域で、縄文系の形質をもつ人々が見られたことにつながる。

 ウィルス疫学の日沼頼夫が指摘した、HTLV-Iウィルスキャリアが西九州で比較的多いことは、この地が、D2系統の移動ルートで、今でもここに高頻度に蓄積していることによって、整合性を持って説明できる。

 その後、朝鮮半島には大規模のO2b系統、O3系統のヒト集団が流入したため、D2系統は絶滅寸前まで追いやられた。その結果、朝鮮半島では、HTLV-Iウィルスキャリアもほとんど消滅した。”

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