「あの世」の霊魂も「自存」を願望している (20110723)
私は「あの世」の霊魂も「自存」を願望していると思っている。先祖は生きている間、子子孫孫の繁栄を願って頑張っている。その代々の積み重ねが今日の姿である。先祖の時代にくらべ、今日は大いに繁栄していることは間違いない。そのような先祖の思いを無視するような行為は、決して良くないと思う。
靖国神社に祀られている方々も、例えば「このような思いは自分一人で十分だ」と思いながら死んでいっただろう。特攻隊員たちは自分が死ぬことによって愛する父母・兄弟・姉妹・妻子・恋人らを守ろうと思った。その思いが彼らの遺書に表れている。皆「あの世」でその思いが叶えられることを願望している。靖国神社に参拝しようとしないだけではなく、靖国神社や護国神社を否定する政治家たちは間違っている。「あの世」は今の世とは決して無関係ではないのだ。
昔、名のある家では血統の持続のため必ずしも長子ではなく能力のある者に家督を継がせ、父系の男の子がいない時には、父系の兄弟の子供を養子にして男系の家を代々守ってきた。そのような過程で、父系の血縁関係の家との交流が途絶え、つまり親戚付き合いをやめ、父系の血縁者が実際にはいるにもかかわらず家系が途絶えてしまう家がある。
私の場合もそうなりかけた家である。長子であった私の父親が跡を継がず、私の父親の末弟が跡を継いだ。しかしその二人の息子たちには息子が生まれず皆女の子ばかりである。女の子は嫁いで家を出てしまうか、男系の血縁のない家から婿養子をとって、血統はともかく家名だけは継ぐ。しかし、其処で先祖との間の血のつながりは途絶える。
私の父の墓と先祖の墓は、列車で2時間以上離れた場所に別々にある。父によって遺された系図はおよそ千年前のものである。私はそれを手掛かりにいろいろ調べ、わが家の名字の由来も「これに違いない」というところまで突き止めた。その遠い先祖の血を引く私はその両方を祀る責任がある。私は私の息子たちに、折に触れ先祖を敬い、先祖の祭祀を行うことの大切さを話しているが、2か所に分かれている祭祀の対象をどういう形で末代まで祀ってもらうか、いずれある時期に息子たちと話し合って決めなければならないと思っている。そうすることが、私の子子孫孫末代までそれぞれ幸せに人生を送ることになると思っている。
「あの世」の霊魂は「自存」を願っている。日本人の先祖たちも同じである。日本人は個人として自らの先祖を敬い、先祖を祀るとともに、国民として祖霊を敬い、これを祀ることをおろそかにしてはならないと思う。天皇は日本人のそのような考え方の中心におられる。この国に天皇がいることは日本人にとって大変有り難いことである。
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