2011年8月6日土曜日

人間の幸せと国の「自存」(20110806)

ブッダとは悟った人のことである。人間に生まれブッダになられたのは、お釈迦様ただおひとりだけである。しかし、お釈迦様が予言されたように、何千年か後の世に、お釈迦様のようなお方が現れ、この地球上から人殺しの争いは無くなることだろう。

その時は、一神教の神、つまりユダヤ教の・キリスト教・イスラム教の信者たちが信じる共通の神ヤハウエが、実は17世紀の哲学者・スピノザが説いたように、大自然そのものであるということを、信者たちが理解したときであろう。

ヤハウエは天地を創造した神であり、人格を持っている神である。その神が予言者キリストによって「許しと祝福を与える神・ゴッド」となり、後に予言者マホメットによって「命令する神・アッラー」になっている。キリスト教とイスラム教のルーツであるユダヤ教の神は「人々に試練を強いる神・アドナイ」である。アドナイは日本語で「主」と訳されている。従いキリスト教でも神の事を「主」と呼んでいる。

 一神教各宗教を信じる人々の中から新たな「予言者」が現れて、17世紀のスピノザが説いたように「宇宙大自然イクオール神」(汎神論)と、人々に分かるように説き始めた時、この地球上で人間同士の殺し合いはなくなって行くだろう。その時はこれから何世紀後だろうか?何十世紀後だろうか?それまでは兵士たちは命を懸けて敵と戦わねばならぬ。

 仏教には、「天地創造者」はいない。あるのは、「縁」だけである。「縁」によって人はこの世に生きている。その「縁」は何十万年の太古にさかのぼる。辿り着く先は、地球の誕生、宇宙の誕生の瞬間である。

 人間には動物にない高い知能があり、「想像」する能力がある。その「想像」力のお蔭で人間は自分の先祖のことを「想像」し、今生きていることを先祖に感謝する気持ちが起き、自分が年老い、やがて朽ち果て土となったあとまで、自分の子孫の幸せを願う気持ちを持つことができる。特攻隊で散った方々は純粋にそういう気持ちであった。

 人間は、自分に起きた出来事がたまたま「偶然」なのか、起きるべくして起きた「必然」なのか、それぞれの考え方で判断する。謙虚な人は現代文明の非常に進んだ科学によっても解き明かされない不思議な現象を「必然」だと思い、傲慢な人は「偶然」だとあらゆる理屈を並べて主張する。

 人が幸せな人生を送るためには、謙虚な気持ちで神仏に感謝しながら生きた方が良い。ブッダが説いたように行った結果は、その行いの中身によって現れる。「因果応報」である。人を殺め、人を陥れ、人を不幸にするものに現象上の幸せは絶対にない。今起きた自分の不幸は、自分にはわからない宇宙の時の流れの中で、自分がこの世に生まれる前の因縁によるものであると受け止めれば、今、自分が「この世」と「あの世」で幸せであるため、何をしなければならないか分かる。分からなければ僧侶に教えを乞えばよい。古の賢人の言葉に耳を傾ければよい。「一日の学問は千載の宝、一書の恩徳は万玉に勝る」(夢窓疎石)」である。日本国の「自存・自衛」も、そういう観点で図って行かねばならないと思う。

0 件のコメント: