2010年3月8日月曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(45(20100308)

 今日(7日)はまた冬の寒さが戻った。とは言え気温は7℃ぐらいであるから寒冷地に比べれば暖かい。このところ晴天の日が少なく、たまに4月上旬の暖かさとなる日があるが、周期的にシベリヤ高気圧がやってきて寒く曇天や小雨の日が多い。

 玄関の靴入れの戸棚の上に置いてある60cmの水槽に種類の違う金魚を2匹飼っている。初めは3cmぐらいのそれぞれ種類の違う、皆フナの仲間のような小さな金魚たちであった。初め3匹いたが一昨年1匹が死んで2匹となった。それがますます大きくなり60cmの水槽では窮屈そうである。水もすぐ汚れてしまう。エアを入れ酸欠にならぬようにし、水工作という簡易フィルターを入れているが2、3週間に一度は水槽の清掃が必要である。金魚はどのくらい生きるのか知らないが、彼らの寿命が尽きるまでよく面倒を見てやって後は飼わないことにしている。もうわれわれも齢だから・・。

 居間には60cmの水槽に熱帯魚などを飼っている。こちらの方も手入れが必要である。家の中にこのような生き物を飼っていると癒されるのであるが世話が面倒である。世話のため結構時間も費やしている。しかしこれも熱帯魚たちが皆寿命を終えるまでよく面倒をみてやろうと思っている。そのあとはもう飼わないことにしている。もう齢だから・・。

 男はこれまで「老人が老母を介護する」ためちょくちょく田舎に帰っている。その期間が1週間程度ならまだよいが、それ以上だと金魚も熱帯魚たちも餓死してしまうだろう。女房も花や観葉植物が大好きで、最近まで家の内外に鉢植えが沢山あったが昨年行われたマンションの外壁修理のときかなり整理してしまった。男は老母(男の継母・女房の実母)の介護で田舎に帰るとき、特に夏など折角育てた花や観葉植物を枯らさないようにすることが大変である。ベランダの花壇に一杯咲いていた花の数が減ってしまい外から見たとき淋しくなってしまった。

 男は一層のこと田舎に引っ越したらどうかと、自分自身も否定的な考えながら提案してみたが、住処を変えるのは非常に億劫であると女房も言う。これまで何かと目新しいものに興味をもってそれに飛びついて来たが、結局分かったことは「愚直なまでに保守的であることが一番」ということである。

 そんなことを考えていたら日頃女房が懇意にしている近所の人から今日釣ってきたばかりのヒラメとサザエを4個頂き、別の近所の人から御主人が茨城に仕事で行って来たと酒のつまみにもなるちりめんと胡桃と胡麻と砂糖などを主原料にした甘い口当たりのおつまみとわかさぎの甘露煮のおみやげを頂いた。両方の御主人とは自分も親しくしている。愚直なまでに保守的に、この小さなコミュニティに居続ける方が幸せである。

 第二十二章は「地獄」である。釈尊は弟子たちに「来世」のことを説かれた。「来世」は在るのだと思う。子供のような心で「来世」が在ることを「信じる」ことが重要である。

306 いつわりを語る人、あるいは自分がしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人、―この両者は死後にひとしくなる、―来世では行いの下劣な業をもった人々なのであるから。

2010年3月7日日曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(44(20100307)

 何でも興味を持ち、「やってみよう」と意欲的な人はボケないという。道端の草花を見つけ花弁の数を数えたり、楽器を奏でたりする人など脳の活動が活発な人は、実直で几帳面な人よりボケないという。しかしそのように活発に活動してきた人がある時から突然時間を持て余すようになると痴呆になり易いらしい。一方終生芸術的な活動や文筆活動に親しんでいる人が痴呆になったという話は聞いたことがない。

 終生脳の活動を活発に保ち続け、適度な有酸素運動も続け、大腰筋の鍛錬を怠らず、腹式呼吸法で体温の向上に心がけ、薬指以外の爪を揉みも適宜行って副交感神経の活動を適度に保つようにする人は、そのようにしていない人に比べ終生良い人生を送ることができると思う。(爪もみ・腹式呼吸の要領関連記事:「201028日月曜日、ブッダ「真理のことば」を学ぶ(17(20100208)」)

 そのように終生元気で生きることができず病気や事故で命を落とす人が多い。その一方で腎臓などの臓器移植を受けて命を延ばしたいと願望している人が全国で12000人余りいるという。その人たちと臓器提供者とをつなぐドナーコーディネーターは全国でたった21人しかいないという。10人増員されるらしいが、コーディネーターの国家資格はない。

 福岡のある男性で自分の臓器提供を申し出ていた人がいた。健康であれば働き盛りであるその男性の両親は「息子が世の中に少しでも役立つようにしてやりたい。」と考え、息子の臓器提供に同意していた。その息子がいよいよ臨終間際になった夜中、待機していたコーディネーターと共に病院にかけつけた。両親がいま正に死んだ息子に面会することができたのは僅か5分間、直ちに腎臓摘出手術が行われ、1時間後に両親は題の上に横たわり白い布に包まれたその息子が運ばれてゆくのを見送った。コーディネーターはその両親の傍に寄り添い、ただひたすらその両親の気持ちを共有していた。提供された腎臓は、その腎臓の提供を待っている二人の男性に移植された。その移植手術は成功し、両親はその二人の男性に会うことも無く、ただその成功の報に接し、息子が世の中のためになったと信じた。しかし、その両親が生きている間、超多忙なそのコーディネーターに会うことは極めて少なく、自分たちより先に逝った最愛の息子のことを忘れられないでいる。

 その息子は両親の心の中で生き続けている。あの世で微笑んでいる。仏壇の前でその両親と息子は語り合っている。「世の中のために役立ったのだ」と。

304 善き人々は遠くにいても輝く、雪を頂く高山のように。
善からぬ人々は近くにいても見えない、夜陰に放たれた矢のように。

最愛の息子があの世に逝ってしまった後そう遠い年月でない時に両親も逝く。独りで。
305 ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、わが身をととのえて、林のなかでひとり楽しめ。

2010年3月6日土曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(43(20100306)

 埼玉の蕨で両親が5歳児を虐待し死なせた。新藤正美(47歳、無職)・早苗(37歳)が次男に十分な食事も与えていなかった。近所の主婦の話によれば子供が敬語で「水を下さい」と訴えたとき母親がすごい剣幕で「お前にやる水なんかない!」と怒鳴りつけ、ペットボトルで子供を叩く音も聞こえ警察に届けたという。児童相談所が調査に乗り出していたが虐待の実情は確認できなかったという。

 この夫婦は次男が生れたとき路上生活をしており、一時期その次男は2歳まで児童相談所に保護されていたということである。虐待の容疑で逮捕されたときその夫婦は、「逮捕されるようなことはしていなかった。」と白を切ったという。

 最も大きな問題は、児童相談所の対応である。犯人が「自分は犯人です。」と言う筈がない。事は子供の命に関わることである。児童相談所はその夫婦の言うことを信用せずあらゆる方法で虐待の事実をつかむ努力をすべきであった。場合によっては親権を無視してでもその児童を強制的に引き取ることをすべきであった。これは、児童相談所所長ら幹部の保身が招いた不幸である。そういう役人は直ちに左遷されるべきである。子供の命を守るために社会のシステムを変えて行かなければならない。人権が前面に出ると一番大事なことがおろそかにされることがある。この日本では都市化が進み、人口の大半が都市に住むようになり、隣人のことに関心を持たない人たちが増えてしまった。日本人が昔から培っていた助け合いの気風が薄れてしまった。先日「いじめられていた」という遺書を残して自殺した子供がいたが、学校におけるいじめの根本原因はその辺りにあると思う。

 政治活動に走る教員、竹島は韓国の領土であると教える教員、国旗や国歌を大事に思わない教員、そのような教員の組織である日教組は解体されなければならない。集票のためなら、自分の権力基盤を固めるためなら何でもしようと考える小沢氏らも批判されなければならない。民主党は自民党でできなかったことを一生懸命やろうとしているが、何が最も正しい行動なのか、思考なのか、見方なのか考える必要がある。さもないと7月の参院選では敗北を喫するだろう。矛盾はいずれ必ずはじけるものである。

 件の夫婦は自分たちの子供(=他人)を虐待して快楽を得ていた。政治家が自分権勢維持のためにとる行動も自分の快楽のためである。ブッダ「真理のことば」第二十一章「さまざまなこと」を学ぶ。

291 他人を苦しめることによって自分の快楽を求める人は、怨みの絆(きずな)にまつわられて、怨みから免れることができない。

292 なすべきことを、なおざりにし、なすべからざることをなす、遊びたわむれ放逸なる者どもには、汚れが増す。

293 常に身体(の本性)を思いつづけて、為すべからざることを為さず、為すべきことを常に為して、心がけて、みずから気をつけて人々には、もろもろの汚れがなくなる。

2010年3月5日金曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(42(20100305)

 放送大学から合格通知書が届いた。教養学部(自然と理解コース)、全科履修生、学士入学、東京世田谷学習センター所属である。科目登録は分子生物学(‘09)と生物界の変遷(’06)の2科目である。学費は入学料22,000円、授業料22,000円となっている。このコースは理科系なので高度な数学の素養も必要であるが、そのうち古い書物を取りだして思いだしながら復習することにする。無理しない程度にマイペースで勉強できるところがこの大学の素晴らしいところである。女房は何年か前「社会と経済」に学士入学し、勉強中である。今後は夫婦そろって同じ大学で勉学に励むことになる。

 昨日は陶芸センターでスパゲッティでもカレーライスでもお惣菜入れでも使える楕円形の食器を4個創った。使った粘土は鉄分が含まれる赤土3kgである。来週はこれに蚊帳をかぶせて白化粧し乾燥させた後素焼きに出す。素焼きが出来上がれば器の底の部分にスペーターを塗って其処に釉薬がかからないようしてMIXの釉薬をかける。その後白系の釉薬で太い筆で線条に描き模様をつけ、本焼きに出す。どんなものが出来上がるかは、焼き上がってからの楽しみである。

 放送大学での勉強と陶芸と詩吟とこの随筆と、結構忙しいが充実した日々である。このような日々を送ることができるのは大変幸せなことである。この幸せは自分一人の力だけでは決して得られない。時空を超えた過去からの贈り物もある。夫婦、家族、父母、先生、友人など、それも時空を超えた過去から現在に至るネットワークによるものもある。自分はそのような全体の非可視・可視の総合的なネットワークの球体の中心にあり、時空の動きと共にその球体も動いている。

 心が貧しい間はそのような観念を持ち得ない。幸せを求めてもがき、苦しむ。幸せそうな人を羨む。羨むだけではなく、その幸せを妬み、奪い取ろうとする。しかし、決して幸せは得られない。物事に執着せず、吾只足りることを知って自分自身の心の向上を目指してひたすら努力した方が幸せであると思う。しかしそのことに気付かない。誰も教えてくれない。学ぶ能力もない。それは誰の責任でもない。自分自身の責任である。

 男は親を乳がんで失っている。父親はまだ70歳であったが白血病で他界している。女房も3歳のとき父親を糖尿病で失っている。4歳の時以来母親とは別居の暮らしをしている。それは不幸と言えば不幸である。しかし仏はいろいろな方便を用いて導いて下さっている。物事にはプラスのことばかりではない。マイナスのこともある。人生は良いところ取りをしたくてもそのようにはできないようになっている。マイナスもまた取りようによってはプラスである。それがひとびとを仏の導く方便である。

289 心ある人はこの道理を知って、戒律をまもり、すみやかにニルヴァーナに至る道を  清くせよ。

2010年3月4日木曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(41(20100304)

 朝食後NHKBS放送を見た。番組で岡山県の倉敷の大原美術館のことが紹介されていた。この美術館を建てた倉敷紡績創業家当主・大原孫三郎と画家・小島虎次郎の話に感動した。いつか是非、吉備の国岡山を訪れ、この美術館を訪ね、モネの「睡蓮」を初め名画の数々を見たいと思う。

 同じ岡山県出身の児島虎次郎は一歳年上の大原家当主・大原孫三郎の支援を受けて現在の東京芸術大学を卒業し、ベルギーに渡り、明治42年(1909年)ベルギーのゲント美術アカデミーに入学、明治45年(1912年)には同校を首席で卒業し、大正元年となった同年11月に帰国している。大原孫三郎と児島虎次郎の親交は虎次郎が昭和4年に45歳で没するまで続いた。孫三郎は虎次郎について「君の如く真面目に熱心に尽くしてくれた人はいない。」と言っている。彼が描いた「和服を着たベルギーの少女」という作品が大原美術館の入り口に掲げられているという。この絵はパリの画壇で入賞したものであるという。

 明治時代の吉備の国の二人の男の真心の交友に感動している。この二人によってこの日本には世界にない名画の数々が集められて、今日われわれに感動を与えてくれている。その中の一つ「聖母受胎」はフランス政府が買い戻したがっている名画である。是非一度吉備の国の倉敷を訪れてみたいと思う。

 吉備の国は、昔、神武天皇が東征の折、神武天皇一行を支援した国である。神武天皇の東征について古事記に書かれていることを分かりやすく解説すれば、以下のとおりである。即ち神武天皇は宮崎を出て北上し、大分の宇佐を経て福岡県の遠賀郡芦屋に1年間滞在し、広島に7年間滞在し、岡山に8年間滞在し、その地で水軍の協力を得て大阪に入り、その地で戦闘し兄の五瀬命が戦死している。そこで今度は紀伊半島を回る海路で、熊野経由で奈良盆地に入っている。奈良盆地は戦闘と婚姻関係で平定された。(関連記事:20091112日木曜日「日本人の起源とヤマト王権(その5(20091112)」参照。)

 人間の歴史は集団同士の闘争の歴史でもある。神武天皇は奈良盆地で土地の女性と婚姻関係をもち、多くの子孫を残した。男として女に対する欲望なしには子孫を残すことはできないであろう。イエスキリストは処女マリヤから生れたとされているが、それは宗教として信じるしかない。生物学的には処女懐胎などあり得ないと思う。

 ブッダの次のことばは、キリスト教の聖書にある「みだらな思いで女を見る者はだれでも、すでに心の中でその女を犯したのである。」ということばに通じるものがある。生身の男であれば、時と場合と状況と対象の女性にもよるが、目の前に現れた女の容姿を評価せずに、ただ中性の物体のように見ることはできないであろう。例えば男女同じ稽古衣を着て合気道の稽古をしているときはお互い中性である。その時以外はお互い男と女である。

284 たとい僅かであろうとも、男の女に対する欲望が断たれないあいだは、その男の心は束縛されている。乳を吸う子牛が母牛を恋い慕うように。

2010年3月3日水曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(40(20100303)

 朝食後NHKの「この人とトキメキ」という番組を観た。二胡奏者チェンミン(陳敏)さんが出演していた。彼女は今29歳、二胡奏者であるお父様・陳龍章さんがチェンミンの演奏指導のためにいろいろアドバイスしてきたノートが紹介された。この親にしてこの子あり、22歳のとき来日し、アルバイトをしながら共立女子大を卒業し、日本語を流暢に話す。

 チェンミンさんによれば、二胡の音を共鳴させる琴筒の部分を丹田に当て自分の身体全体も共鳴させるようにして弾くのだという。そのため満腹状態では良い音が出ないという。番組では父娘の共演もあった。その演奏は素晴らしかった。谷村新司氏は彼女を絶賛していた。女房は「いいわね、異国で親子でこうやってNHKに出て、夢が叶って。」という。

 彼女は中国で教えられていた日本のことと、実際に見聞きする日本のことの落差が余りにも大きいいため、日本のことをよく知りたいと思ったのだそうである。彼女は長江中流域の蘇州の生れである。日本人の起源のことを思えば、彼女と我々日本人とは何千年の昔には血が繋がっていたであろう。(関連記事:2009117日土曜日「日本人の起源とヤマト王権(その1)(20091107)」、20091123日月曜日「縄文人、渡来系弥生人、日本人(20091123)」参照)

 蘇州近辺は漢詩に多くの地名が出て来る。いつか一度は中国を訪れてみたいと思っていたが、これまでいろいろ学んできたことをこの目でみるため、一度長江流域の史跡を訪れてみたいと強く思うようになった。その地域への旅行を真剣に考えてみようと思う。

 その地域の人々に対して旧日本軍が多大な苦しみを与えた。その戦争の惨禍を記念し後世に遺そうと鄧小平氏が上海に「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀館」を建てた。それは一般には「南京大虐殺記念館」と呼ばれているものである。社民党の前身である日本社会党の田辺誠という人物が総評から3000万円の金を得てその建設資金としたものである。中国はこれを反日教育の場にしている。戦争だから無法なことが実際に起こったのは間違いないが、事実が曲げられ、誇張され、宣伝されている。

 チェンミンさんが語ってくれた「落差」はそのようなところにあると思う。チェンミンさんは日中のかけはしになっている。嬉しいことだ。(関連記事:2009129日水曜日「普天間基地問題(20091209)」参照。)

 チェンミンさんはお父様と女優であるお母様の指導がとても良かったのだと思う。22歳で来日し、努力し、今や二胡奏者として世界に羽ばたこうとしている。モンゴルやグルジアやロシアなどからやってきて日本の相撲力士になった方々もそうであるが、皆、若い時に一生懸命頑張ってきて今日がある。オリムピックで活躍した選手たちも同様である。親や学校の先生や先輩などの指導が良く、本人も努力したから今日がある。

ブッダ「真理のことば」第二十章(つづき)
280 起きるべき時に起きないで、若くて力があるのに怠りなまけていて、意志も思考も薄弱で、怠惰でものうい人は、明らかな智慧によって道を見出すことがない。

2010年3月2日火曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(39(20100302)

 ヴァンクーヴァーオリムピックでは日本は女子選手が輝いた。浅田真央選手は個人フィギュアで銀メダル、パシュートでは小平・田端・穂積ティームがトップと100分の2秒差で銀メダル、その他の選手らも頑張って入賞した。男子選手もスピードスケートやフィギュアスケートで銀と銅メダルを獲得したが女子選手が特に輝いていた。最年少の中学生高木選手はパシュートの補欠として共に頑張り、次のソチに向けて非常に良い経験をした。

 ゴルフでは全米女子オープンで宮里藍選手が二度目の優勝を果たした。自殺者が32千人を超えるという暗さが漂う世の中、女性が輝いていることは嬉しい。朝食を取りながら今朝(2日)のNHKの「生活ほっと地域限定ご当地コスメ美肌アップ賢い美容術人気化粧水」という長ったらしい名称の番組を観ていたら、女性たちがスタディオで、また四国など地方で柚子やお茶などを利用した美容術を紹介していた。画面に登場した老婦人も主婦も独身と思われる女性たちも皆明るく生き生きと輝いていた。

 昔、天照大神が天の岩屋戸(アメノイワヤト)に籠ったとき世界が暗くなった。皆心配していろいろ打開策を講じたが、そのとき天宇受賣命(アメノウズメノミコト)が神がかりしてストリップを演じたら居合わせた神々が皆笑い、天照大神があやしく思って天の岩屋戸を初め少し開き、いろいろ問答の後、戸を全部開いて外に出て来た。そうしたら世界がパアっと明るくなったという話が『古事記』に書かれている。

 女性たちが元気でないと世の中は暗い。今朝たまたま見たNHKの番組を見てつくづくそう思った。女房が帯状疱疹でここ1ヵ月近く苦しんでいたがようやく治ってきて一層そう思う。男は本来外向的である。原始時代、男は狩りをし戦闘をし家族・一族を守っていた。男が女のようになるのは良くない。男はあくまで男らしくなくてはならない。しかし、女が明るく元気でないと男は男らしくなれないのだ。

 女は現実主義者であるから哲学や宗教などにはあまり関心がない。今から約2500年前仏の教えを説いたのはシャーキャ族の王子であられたお方である。今から約2000年前神の教えを説いたのはユダヤの王家の末裔・イエスキリストである。

 そのシャーキャ(釈迦)族の出身の聖者・釈尊のことば、ブッダ「真理のことば」第二十章を続ける。仏教は、誰でも修行すればブッダになれるという教えである。

277 「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
278 「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
279 「一切の事物は我(われ)ならざるものである」(諸法非我)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

2010年3月1日月曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(38(20100301)

 ブッダ「真理のことば」第二十章は「道」という題である。これを通読すると、われわれ世俗の、もうあの世に近くなっているまで座禅すらしたこともないような凡人にとって、仏道の修行はとてつもなく難しいことのように思える。例えば、下の273番目に釈尊は「情欲を離れることが最も優れている。」と言っておられるし、後で示す284番目には「たとい僅かであろうとも、男の女に対する欲望が断たれないあいだは、その男の心は束縛されている。」と言っておられる。

 釈尊のように若い時に王宮での幸せな生活を断ち、妻子と別れ、修行に励んだお方が悟りを開いてそのようにおっしゃっておられる。しかしわれわれ凡夫にはとてもそのようなことはできない。齢をとっても男は女に対する情欲を断つことはできず、女もまた然りであろう。「然りであろう」というのは、自分は老女でないので分からないのだ。しかし宇野千代というお方だったか、彼女は老女になっても恋をしたという。この世に生を享けて暮らしている間は、普通の人なら法律に触れるような罪は絶対に犯さないことはできるだろうが、自制している内なる心の中に巣食う情欲・情念の火まで消しさることはできないと思う。もしできる人が居れば、その人は‘聖人’に近いと思う。

 人生を長く生きて来た凡夫は、自制している内なる心の中に巣食う情欲・情念の火を無理に消しさることせずに、あるがままに一生懸命に生き、死ぬ時は一生懸命に死ぬように心がけ、藤原道長のように阿弥陀如来の来迎を信じて安らかに生涯を閉じればよいと思う。

 一番大事なことは、自分が棺桶に片足を突っ込むとき、「良い人生だった」と笑顔を見せるような生き方をすることだと思う。自分の人生の目標を見いだせないでもがき苦しんでいる若い人たちが多いが、国として、社会として、この自分自身としても、彼らになにか手助けがでいないものかと思う。スポーツの振興、武道の奨励、子どもたちの遊び場の増設、10代の一時期、自衛隊、警察、消防、海上保安庁などの訓練施設での宿泊訓練、ボーイスカウト、ガールスカウト活動の奨励など国家予算をかけて行うと良いと思う。

 昔は皆貧しく、情報量も少なく、自力で生きて行くことが当たり前のような部分はあったと思うが、今の時代、豊か過ぎて、特に都会では華やかで皆幸せそうに見えて、自分一人だけが取り残されているように思うのかもしれない。しかし、その内実、皆淋しくて誰かに寄り添わないと不安で仕様がないのかもしれない。いくら釈尊が「自分を洲とし、自分を拠りどころとし、他を拠りどころとするな」とおっしゃっても、そのようにできないのが普通一般の人々の状況なのである。

273 もろもろの道のうちでは<八つの部分よりなる正しい道>が最もすぐれている。もろもろの真理のうちでは<四つの句>(=四諦(たい))が最もすぐれている。もろもろの徳のうちでは<情欲を離れること>が最もすぐれている。人々のうちでは<眼(まなこ)>ある人>(=ブッダ)が最もすぐれている。

2010年2月28日日曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(37(20100228)

どういう人物が働きかけたのかどうか分からないが、国連人権委員会が高等学校の教科書代無償化について朝鮮学校を除外する動きに対して懸念を示した。鳩山総理は朝鮮学校でどのような教育が行われているのか不透明であるし、北朝鮮による拉致問題が未解決な状況下、除外する方向であるという趣旨の発言をしていたが、その後トーンダウンした。
この問題は一部の勢力の言うなりになって解決してはならないと思う。先ず朝鮮学校でどのような教育が行われているのか殆どの日本国民は知らされていない。学校では反日教育が行われているという話を聞いたことがある。朝鮮総連の幹部は北朝鮮の政府高官との間で緊密な連絡を取り合っていると言われている。
国交がない国の民がこの日本国内で自由気ままな活動をすることを許し、人権という美名のもとにこの民に日本の参政権を与えようとする動きがある。勿論人権を尊重することは非常に重要である。しかし権利には義務を伴うのである。権利だけを認め、義務について寛容であることがあってはならない。朝鮮学校における教科書の無償化は、その学校で行われている授業内容を100%公開するという義務が果たされるならば、権利として当然認められるべきである。先ずは義務を果たして貰いたいと思う。

政権や与党の実力者は先ず謙虚であって欲しいと思う。一部の実力者がその他の衆を束ね、わが思いのままに行動をすると、必ず禍根を残す。実力がない故に声を発さない衆の者の内なる声を聞かず、進んで憎まれ役をしている者がいる。彼は‘声を発さない衆の者’の影に怯え、公的なボディーガードに護られている。
一般国民はそのような政権や与党がこの国を支配していることに言いようのない不安を感じている。それでもこれまでよりはましだと思って固唾をのみながら彼らを見守っている。よく考えてみれば、これは異常な状況である。もしここに新たな政党が誕生し、行動を起こしたならば、一般国民の期待は一挙にその新たな政党の方に向けられるだろう。

次のことばは、聖者に関するブッダのことばである。政権や与党の実力者は勿論聖者ではない。しかし、聖者のようにあって欲しいと思う。もし聖者のようにあれば、一般国民の言いようのない不安感は払しょくされ、この政権と与党に対して歓喜の声を上がるだろう。

268269 ただ沈黙しているからとて、愚かに迷い無智なる人が<聖者>なのではない。秤を手にもっているように、いみじきものを取りもろもろの悪を除く賢者こそ<聖者>なのである。かれはそのゆえに聖者なのである。この世にあって善悪の両者を(秤にかけてはかるように)よく考える人こそ<聖者>とよばれる。

ここで「賢者」について、「ブッダ「真理のことば」を学ぶ(35(20100226)」参照。

2010年2月27日土曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(36(20100227)

 今日(25日)のNHKテレビの福祉ネットで「沖縄戦遺骨収集で再起をめざす路上生活者」という番組を観た。あるNPOが昨年沖縄県に働き掛けて50人ほどの路上生活者を集めて65年前の沖縄戦で戦って死亡した兵士たちの遺骨を収集する事業を行い、路上生活者たちが生きる希望と勇気を得た話題を、鈴木さんと照屋さんの二人の路上生活者にスポットを当てて取材された番組である。観ていて大変感動した。

 現場はなにか建設工事が行われる場所らしいが、沖縄戦で日本軍の司令部があった場所の近くだという。路上生活者たちは2ヶ月間の遺骨収集作業で20万円の報酬を得、戦いで死んだ兵士たちの遺骨に向き合って前向きに生きて行く元気を取り戻していった。

 鈴木さんは作業現場での人間関係がうまく行かなかったため途中で辞めたが、170体あまり集まった遺骨の慰霊行事には参加した。人間関係がうまく行かなかった原因は過去のトラウマにより人間不信に陥ってしまって元に戻れなかったためである。照屋さんの方は長男をフォークリフトによる事故で失い、それがもとで二男と生れたばかりの三男がいたのに勤めていた運送会社を退職し、家族と別れ、路上生活に陥ってしまった。照屋さんは遺骨収集で得たお金で4年前別れた息子たちにクリスマスプレゼントを買い、2万円の現金を添えて知人に託し、別れた妻子のもとに届けた。愛知県の自動車部品関係の工場に就職も決まり、人生の再出発を果たした。照屋さんは頭蓋骨に銃創の跡が残る遺骨に対面して、この兵士は生きて帰り会いたい家族がいたのに会えなくなったことをわが身に照らして考え、生き方を変えたのである。このNPOはとても素晴らしい活動をしていると感じた。

第十九章「道を実践する人」つづき。

261 誠あり、徳あり、慈しみがあって、傷(そこな)わず、つつしみがあり、みずからととのえ、汚れを除き、気をつけている人こそ「長老」と呼ばれる。

 件のNPOの代表たちは正しく「長老」のようであった。遺骨収集作業に従事した50人ほどの路上生活者の中には70代の人もいる。代表たちは彼らに誠実に向き合い、生きる希望を与え、宿泊場所を与え、励まし、威張らず、皆が喜ぶこと様子をみて喜んでいる。本当に偉い人たちである。おそらく50代か60代前半の方であろう。彼らが自分にできないことを行っているので、本当に尊敬する。

 もうひとつ感じたことは、戦後65年も経つのに沖縄では未だに戦争の傷跡を引きずっているという現実である。このNHKのドキュメンタリーには作為はないであろう。このような現実をもっと多く日本人は知るべきである。若い人たちに教えるべきである。一票の格差がどうのこうのと話題になっているが、人口が集中している東京、横浜、名古屋、大阪など大都市に住む人々は、自分も含めてあまり地方のことは知らない。世論を左右する論客たちは皆都会人なのである。身をもって地方のことを知っているわけではないのだ。

2010年2月26日金曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(35(20100226)

 豊田リコール問題で豊田社長がアメリカの議会で証言台に立った。問題発生の責任を率直に認め、謝罪し、今後の取り組みへの決意を誠実に述べたことは良かった。しかし自分自身が副社長のときブレーキ不具合に関する情報を知らなかったと言い、改善に向けての社内体制等については言及しなかった。このことについて一部の議員から批判が出ている。

 豊田社長は公聴会のあとアメリカの社員たちの前で「私はひとりではない。素晴らしい仲間たちがいる」と涙ながらスピーチした。件の問題は創業家の豊田氏が社長に就任後表面化したものであるが、このように問題が大きくなる前ある役員は「ブレーキシステムには問題がない」と言う趣旨のことを述べていた。豊田氏はアメリカの議会で会社の役員たちの責任に一切触れなかったがそのことが一部の議員が不満に思っていることかもしれない。彼が役員たちの責任に触れないまでも、「一切の責任は自分にある」と言えば、そのような議員たちの不満を少しでもそらすことが出来たのかもしれない。

 ところで昨日載せたことば258番の詩に出て来る「賢者」とは訳注によれば、何でもかんでも知っている物知り博士という意味ではなく、人生の真理を体得している人という意味であるとのことであり、「智者」も同義であるとのことである。

 「体得」は『広辞苑』によれば「十分会得して自分のものにすること。」とある。そして「会得」とは「意味をよく理解して自分のものにすること。」とある。技を身につける場合何でもそうであるが、先ず「会得」し、同じことを繰り返し鍛錬して、初めて「体得」できる。

 野球のイチロー選手など卓越したスポーツ選手は、技を体得しているから自然に合理的に身体が反応するのである。「・・・ありたい。」という願望の段階ではまだ体得まで至っていないのである。オリンピックでマスコミはファンの期待をこめて、まだ体得まで至っていない選手に対しても過大な期待をかけてテレビで放映し新聞誌上で書きたてる。しかし自分の実力を一番良く知っているのは当の選手たち本人である。

259 多くを説くからとて、それゆえにかれが道を実践している人なのではない。たとい教えを聞くことが少なくても、身をもって真理を見る人、怠って道からはずれることの無い人、かれこそ道を実践している人である。

 生後の教育が重要であることは間違いないが、生後の教育だけではどうにもならないものがあると感じる。「身をもって真理を見」「道からはずれることが無い」人は、その素質を生まれながらにして持っている人だと思う。創業家の豊田社長は「顧客第一」と述べた。技術的見解よりも、実際に車を運転している顧客の身になって物事を考え、問題を処理するため骨身を削る努力をする。これがすんなりとできる人はその資質の7割ぐらいを生まれながらにして持っているのだと思う。人物を見分けるには直感が重要であると思う。

2010年2月25日木曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(34)(20100225)

 今日23日の読売新聞夕刊に日本テレビ文化部記者・「donna」キャスター鈴木美潮という方による国母選手の服装に関する記事があった。これを見た男が次の感想を持った。このブログの記事を彼女が見ることはないであろうがなにかのために書きとめておこう、とその男は思った。

 男は思う。これは彼女が入社時の自分の装飾について問われた経験がバックにあって、国母選手の服装について批判するのはおかしいという立場である。「ユニフォームとしてのスーツを渡されたら、自分なりに着こなしてました。五輪を軽視していたわけではない。」という部分は男も「今時の若者の気持ちだろう」と理解できる。しかし「選手団が全員髪の毛を七三分けにして銀行員のようにスーツを着て登場してきたら、それはそれで嫌な気持ちになると、私は思う」という部分は、どうもおかしい。彼女は多少感情的に書いている。和魂洋才・中庸・礼儀などは時代が移り変わろうと日本人の美徳として大事にていかなければならぬ。洋服を着ようとワインを飲むと、日本人は日本人なのだ。彼女があのような記事を平気で書くのは、男’たちの世代の罪である。その罪名は、若い人たちに対してちゃんと教育してこなかったという「教えざるの罪」である。

 さて、ブッダ「真理のことば」第十九章は「道を実践する人」である。

 鏡に映った自分の横顔をみると、このまま白木綿の着物を着、その上に薄墨の衣をかけ、足に脚絆をつけ草鞋を履いて杖でも持てば出家の修行者のように見えるかもしれない。四国八十八か所を数カ月かけて巡ったあるお方が、「分かったことは、持ち物も何も要らないということです。」と語ってくれたことがある。今の男は段々そのような心境になりつつある。男は吾只足りるを知り、良寛の作詩『意(こころ)に可なり』の中にある「欲なければ一切足り、求むるあれば万事窮す」を口ずさむ。

 男が折角そういう心境になったかと思うと、今度は煩悩の芽がむらむらと起きる。優しい気持ちになっているかと思うと、ときに激しい怒りの言葉を口にする。そして夜になり、途中トイレに起きたりして7時間ばかり床の中に居て、朝になるとまた一日が始まる。西行の作詩『至善』の中にある「一日を一生として」可もなく不可もなく、平穏な、幸福な毎日を送っている。かくして月日を重ね、老いてゆき、「あの世」に近づいている。

256 あらあらしく事がらを処理するからとて、公正な人ではない。賢明であって、義と不義との両者を見きわめる人。
257 粗暴になることなく、きまりにしたがって、公正なしかたで他人を導く人は、正義を守る人であり、道を実践する人であり、聡明な人であるといわれる。
258 多く説くからとて、そのゆえにかれが賢者なのではない。こころおだやかに、怨むことなく、恐れることのない人、かれこそ<賢者>と呼ばれる。

2010年2月24日水曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(33(20100224)

 第十八章「汚れ」は235番目から255番目までの詩があるが、次の二つの詩を取り上げて次の章に移ることにする。

252 他人の過失は見やすいけれども、自己の過失は見がたい。ひとは他人の過失を籾殻(もみがら)のように吹き散らす。しかし自分の過失は、隠してしまう。狡猾な賭博師が不利な骰(さい)の目をかくしてしまうように。
253 他人の過失を探し求め、常に怒りたける人は、煩悩の汚れが増大する。かれは煩悩の汚れの消滅から遠く隔たっている。

 男の手元に『NHK市民大学ラジオ「釈迦とその弟子」』のテキストがある。これは、19881月から再放送されたもので、10回まである。全部聴いたかどうか記憶には残っていないが、以来折に触れこのテキストを取りだしては読んできた。このテキストにはブッダ(=お釈迦さま、釈尊)の若き日から入滅までのことが書かれている。講師は駒澤大学教授奈良泰明である。このテキストを読むと約2500年前の釈尊のことが目に浮かぶようである。
勿論それは空想にすぎない。実際に自分がそのとき釈尊のお傍にいたわけではないのだから。しかし人は意識をそのような遠い過去までさかのぼらせることができるし、逆に遠い未来に自分の意識を働かせることもできる。この自分の肉体は時間の経過とともに徐々に朽ちてゆくのであるが、自分の魂はその意味で永遠である。

 テレビを見ていたら関東のある田舎で、婦人たちが餅を作っていた。この餅の始めは江戸時代にあった飢饉を乗り越えるため、皆が力を合わせて手元にあった食材を活かした餅を飢えをしのぐ食べ物として作ったものである。ある婦人は「これを次の世代が受け継いでもらうようにしたい」と言っていた。ある伝統的なものを次世代に引き継いでもらうことは、やがてこの世から消えて行く者としての生きがいである。人はそのようにして自分が前の世代から受け継いだものを守り、次の世代に引き継いでもらうように努力する。その行為は独りではできない。誰か協力者がいたり、仲間がいたり、社会的な仕組みがあったりする。組織でもそれは同じである。単独の組織だけでは継続できない。

 たまたま見たテレビ番組で航空自衛隊の二人の若い少尉(と言いたいが、‘若い三等空尉’)が戦闘機パイロットに育ってゆく状況が放映されていた。二人は共に25歳、一人は防衛大学校出、もう一人は操縦学生出身である。二人は厳しい訓練と試験を経てようやく、家族が見守る式典で航空団司令からウイングマークを胸につけて貰っていた。次は実戦航空団に配属されF15-DJのパイロットになる訓練を受け、実戦配置に就くのである。

 素晴らしい人生を歩むため煩悩は避けられない。しかし、その中にあって正しい生き方を心がけ人生を全うすることはできる。上の詩にあるような「他人の過失」を見つける暇があったなら、その時間を惜しんで自己の実現のために努力する方が幸せである。

2010年2月23日火曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(32(20100223)

242 不品行は婦女の汚(けが)れである。もの惜しみは、恵みを与える人の汚れである。悪事は、この世においてもかの世においても(つねに)汚れである。
243 この汚(けが)れよりもさらに甚だしい汚れがある。無明(むみょう)こそ最大の汚れである。修業僧らよ、この汚れを捨てて、汚れなき者となれ。

昨日に引き続き第十八章「汚れ」である。上の243番目の詩に「無明」という言葉がある。これは、『仏教要語の基礎知識』(水野弘元著、春秋社)によると、「無知であって、四諦や縁起の道理を知らないこと。仏教の根本思想としての世界観や人生観に通じないこと。」であり、この反対は「正見」である。(「正見」について関連記事:「2010213日土曜日、ブッダ「真理のことば」を学ぶ(22(20100213)」)
四諦とは「①苦諦・・自覚なき苦脳の現実世界、②集諦・・現実世界の原因・理由、③滅諦・・自覚ある理想世界、④道諦・・理想世界の原因・理由」のことである。『般若心経』にある「無苦集滅道」はこの四諦も無いということである。
この「苦集滅道」を『仏教要語の基礎知識』には「人びとの精神的病気である苦脳をいやすことを例にとり、「・・凡夫の現実の状態・・病状」「・・現実の苦の原因・・病因」「・・自覚ある理想状態・・健康態」「・・理想への手段方法・・治病健康法」と説明している。これは一番わかりやすいと思う。
縁起とは「種々の条件によって現象が起こる起こり方の原理」とある。「現象は無常であり、常に生滅変化するものであるが、その変化は無軌道的なものでなく、一定の条件のもとでは一定の動きかたをするものであるとして、その動きの法則を縁起という。」とある。
日本語における「縁起」は仏教本来の意味の縁起が転訛したものであって、「縁起」という仏教本来の意味を理解していないと仏教という「人間の学」の入口がわからないと思う。
声を出して一心不乱に『般若心経』を唱えれば、自ずから自然に自分自身が宇宙の一部であるような気持ちになる。そういう中で自分自身は日常の暮らしや起居動作の中に何かの原因を作っている。しかも日常の言語動作を自分自身はいちいち細かく意識しながら行っているわけではなく、無意識のうちに言語動作していることのほうが圧倒的に多い。人はそれを習慣で行ったり、生まれつきの性格に起因するものであると言ったりするだろう。つまり、私は自分自身のことを判っているようで、実は判っていないのだ。判っている部分はごく限られた小さなもので、殆ど判っていないのだ。自分が無知であることを知る。
長崎県知事も町田市長も民主党が応援する候補が大差で敗れた。それでも小沢氏は「国民は(自分のことを)理解してくれる。」と言っている。「国民の目線」と言いながら実際の行動の結果は「国民の(自分自身気がつかない心のうち)の願いに外れるもの」になる。
政治家は「独善的」になり、「自分の理想」を、何が何でも実現させることに「生き甲斐」を感じる者であるのかもしれない。しかし「うちに孕んだ矛盾」はいずれはじける。

2010年2月22日月曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(31(20100222)

 日本人の起源について講演があって会場には入りきれないほどの聴講者が集まったという。テレビのニュース報道でインタヴューを受けた聴講者の一人が興奮気味に、「これまで我々日本人が方々から渡ってきたということを知らなかった」と話していた。日本人の祖先で東北以北に人々は北方から渡ってきている。またオーストラリアで発見されたキーロー人は日本人の祖先(縄文人)であるという。(関連記事:2009117日土曜日、「日本人の起源とヤマト王権(その1)(20091107)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2009/11/20091107-newton-5-4-1-4-dna-2000-6800.html

 バンクーバーオリンピックで高橋大輔が銅メダルを獲得した。女子カーリングはイギリスに114という大差で勝ち22敗となった。女子カーリングの選手たちは‘やまとなでしこ’たちである。男子選手たちは‘さむらい’である。そのように特徴づけられる若者たちの何千年も昔の遠い先祖は、あちこちからこの日本列島に辿りついた人々である。

 朗読の会に入っているある女性から、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の吟詠をテープに録音して欲しいと頼まれた。この吟詠は昔習ったことがあり、その女性にも一度教えたことがある。今改めて詩吟用の楽器を弾きながら吟じてみると、この齢まで年数を重ねた思いをこめて新たな気分で‘語り’として、思いをこめて吟じることが出来る。

 その詩の中で特に好きな部分は「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニイレズニ ヨクミキキシ ワカリ ソシテワスレズ」という部分である。この詩の吟詠を何度も繰り返して練習し、気分が乗り、良くできるようになったところでテープに録音し、依頼主のその女性にプレゼントする。詩吟を習いにきている人たちにも、その吟詠を聴いてもらうことが楽しみである。日本には独特の上品な文化がある。詩吟もその一つである。

 この日本列島に辿りついたわれわれの祖先は、混血し、年月を重ね、若者の‘さむらい’と‘やまとなでしこ’に、あるいは男子の着物と女子の着物に観ることができるような、上品な文化を築き上げてきた。日本の文化は世界的にみて特異である。浮沈空母のようなこの日本列島にも過去に何度か近隣の大国から攻め込まれたことがあったが、民族として滅びることもなくこれまで存続してきて、遠い昔から営々と今の日本を作ってきたのだ。メダルを取った選手が肩に掲げる白地に赤い日の丸の旗は、そのすべての象徴である。

 オリンピックで活躍する選手たちにテレビの前で声援を送っている老いた人たちはやがてその生涯を閉じる。選手たちもまた齢を重ねて行く。それが人生である。

第十八章「汚れ」を続ける。

237 汝の生涯は終りに近づいた。汝は、閻魔王の近くにおもむいた。汝には、みちすがら休らう宿もなく、旅の資糧(かて)もない。
238 だから、自己のよりどころをつくれ。すみやかに努めよ。賢明であれ。汚(けが)れをはらい、罪過(つみとが)がなければ、汝はもはや生と老いとに近づかないであろう。