2010年3月4日木曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(41(20100304)

 朝食後NHKBS放送を見た。番組で岡山県の倉敷の大原美術館のことが紹介されていた。この美術館を建てた倉敷紡績創業家当主・大原孫三郎と画家・小島虎次郎の話に感動した。いつか是非、吉備の国岡山を訪れ、この美術館を訪ね、モネの「睡蓮」を初め名画の数々を見たいと思う。

 同じ岡山県出身の児島虎次郎は一歳年上の大原家当主・大原孫三郎の支援を受けて現在の東京芸術大学を卒業し、ベルギーに渡り、明治42年(1909年)ベルギーのゲント美術アカデミーに入学、明治45年(1912年)には同校を首席で卒業し、大正元年となった同年11月に帰国している。大原孫三郎と児島虎次郎の親交は虎次郎が昭和4年に45歳で没するまで続いた。孫三郎は虎次郎について「君の如く真面目に熱心に尽くしてくれた人はいない。」と言っている。彼が描いた「和服を着たベルギーの少女」という作品が大原美術館の入り口に掲げられているという。この絵はパリの画壇で入賞したものであるという。

 明治時代の吉備の国の二人の男の真心の交友に感動している。この二人によってこの日本には世界にない名画の数々が集められて、今日われわれに感動を与えてくれている。その中の一つ「聖母受胎」はフランス政府が買い戻したがっている名画である。是非一度吉備の国の倉敷を訪れてみたいと思う。

 吉備の国は、昔、神武天皇が東征の折、神武天皇一行を支援した国である。神武天皇の東征について古事記に書かれていることを分かりやすく解説すれば、以下のとおりである。即ち神武天皇は宮崎を出て北上し、大分の宇佐を経て福岡県の遠賀郡芦屋に1年間滞在し、広島に7年間滞在し、岡山に8年間滞在し、その地で水軍の協力を得て大阪に入り、その地で戦闘し兄の五瀬命が戦死している。そこで今度は紀伊半島を回る海路で、熊野経由で奈良盆地に入っている。奈良盆地は戦闘と婚姻関係で平定された。(関連記事:20091112日木曜日「日本人の起源とヤマト王権(その5(20091112)」参照。)

 人間の歴史は集団同士の闘争の歴史でもある。神武天皇は奈良盆地で土地の女性と婚姻関係をもち、多くの子孫を残した。男として女に対する欲望なしには子孫を残すことはできないであろう。イエスキリストは処女マリヤから生れたとされているが、それは宗教として信じるしかない。生物学的には処女懐胎などあり得ないと思う。

 ブッダの次のことばは、キリスト教の聖書にある「みだらな思いで女を見る者はだれでも、すでに心の中でその女を犯したのである。」ということばに通じるものがある。生身の男であれば、時と場合と状況と対象の女性にもよるが、目の前に現れた女の容姿を評価せずに、ただ中性の物体のように見ることはできないであろう。例えば男女同じ稽古衣を着て合気道の稽古をしているときはお互い中性である。その時以外はお互い男と女である。

284 たとい僅かであろうとも、男の女に対する欲望が断たれないあいだは、その男の心は束縛されている。乳を吸う子牛が母牛を恋い慕うように。