2010年2月28日日曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(37(20100228)

どういう人物が働きかけたのかどうか分からないが、国連人権委員会が高等学校の教科書代無償化について朝鮮学校を除外する動きに対して懸念を示した。鳩山総理は朝鮮学校でどのような教育が行われているのか不透明であるし、北朝鮮による拉致問題が未解決な状況下、除外する方向であるという趣旨の発言をしていたが、その後トーンダウンした。
この問題は一部の勢力の言うなりになって解決してはならないと思う。先ず朝鮮学校でどのような教育が行われているのか殆どの日本国民は知らされていない。学校では反日教育が行われているという話を聞いたことがある。朝鮮総連の幹部は北朝鮮の政府高官との間で緊密な連絡を取り合っていると言われている。
国交がない国の民がこの日本国内で自由気ままな活動をすることを許し、人権という美名のもとにこの民に日本の参政権を与えようとする動きがある。勿論人権を尊重することは非常に重要である。しかし権利には義務を伴うのである。権利だけを認め、義務について寛容であることがあってはならない。朝鮮学校における教科書の無償化は、その学校で行われている授業内容を100%公開するという義務が果たされるならば、権利として当然認められるべきである。先ずは義務を果たして貰いたいと思う。

政権や与党の実力者は先ず謙虚であって欲しいと思う。一部の実力者がその他の衆を束ね、わが思いのままに行動をすると、必ず禍根を残す。実力がない故に声を発さない衆の者の内なる声を聞かず、進んで憎まれ役をしている者がいる。彼は‘声を発さない衆の者’の影に怯え、公的なボディーガードに護られている。
一般国民はそのような政権や与党がこの国を支配していることに言いようのない不安を感じている。それでもこれまでよりはましだと思って固唾をのみながら彼らを見守っている。よく考えてみれば、これは異常な状況である。もしここに新たな政党が誕生し、行動を起こしたならば、一般国民の期待は一挙にその新たな政党の方に向けられるだろう。

次のことばは、聖者に関するブッダのことばである。政権や与党の実力者は勿論聖者ではない。しかし、聖者のようにあって欲しいと思う。もし聖者のようにあれば、一般国民の言いようのない不安感は払しょくされ、この政権と与党に対して歓喜の声を上がるだろう。

268269 ただ沈黙しているからとて、愚かに迷い無智なる人が<聖者>なのではない。秤を手にもっているように、いみじきものを取りもろもろの悪を除く賢者こそ<聖者>なのである。かれはそのゆえに聖者なのである。この世にあって善悪の両者を(秤にかけてはかるように)よく考える人こそ<聖者>とよばれる。

ここで「賢者」について、「ブッダ「真理のことば」を学ぶ(35(20100226)」参照。

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