2010年3月1日月曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(38(20100301)

 ブッダ「真理のことば」第二十章は「道」という題である。これを通読すると、われわれ世俗の、もうあの世に近くなっているまで座禅すらしたこともないような凡人にとって、仏道の修行はとてつもなく難しいことのように思える。例えば、下の273番目に釈尊は「情欲を離れることが最も優れている。」と言っておられるし、後で示す284番目には「たとい僅かであろうとも、男の女に対する欲望が断たれないあいだは、その男の心は束縛されている。」と言っておられる。

 釈尊のように若い時に王宮での幸せな生活を断ち、妻子と別れ、修行に励んだお方が悟りを開いてそのようにおっしゃっておられる。しかしわれわれ凡夫にはとてもそのようなことはできない。齢をとっても男は女に対する情欲を断つことはできず、女もまた然りであろう。「然りであろう」というのは、自分は老女でないので分からないのだ。しかし宇野千代というお方だったか、彼女は老女になっても恋をしたという。この世に生を享けて暮らしている間は、普通の人なら法律に触れるような罪は絶対に犯さないことはできるだろうが、自制している内なる心の中に巣食う情欲・情念の火まで消しさることはできないと思う。もしできる人が居れば、その人は‘聖人’に近いと思う。

 人生を長く生きて来た凡夫は、自制している内なる心の中に巣食う情欲・情念の火を無理に消しさることせずに、あるがままに一生懸命に生き、死ぬ時は一生懸命に死ぬように心がけ、藤原道長のように阿弥陀如来の来迎を信じて安らかに生涯を閉じればよいと思う。

 一番大事なことは、自分が棺桶に片足を突っ込むとき、「良い人生だった」と笑顔を見せるような生き方をすることだと思う。自分の人生の目標を見いだせないでもがき苦しんでいる若い人たちが多いが、国として、社会として、この自分自身としても、彼らになにか手助けがでいないものかと思う。スポーツの振興、武道の奨励、子どもたちの遊び場の増設、10代の一時期、自衛隊、警察、消防、海上保安庁などの訓練施設での宿泊訓練、ボーイスカウト、ガールスカウト活動の奨励など国家予算をかけて行うと良いと思う。

 昔は皆貧しく、情報量も少なく、自力で生きて行くことが当たり前のような部分はあったと思うが、今の時代、豊か過ぎて、特に都会では華やかで皆幸せそうに見えて、自分一人だけが取り残されているように思うのかもしれない。しかし、その内実、皆淋しくて誰かに寄り添わないと不安で仕様がないのかもしれない。いくら釈尊が「自分を洲とし、自分を拠りどころとし、他を拠りどころとするな」とおっしゃっても、そのようにできないのが普通一般の人々の状況なのである。

273 もろもろの道のうちでは<八つの部分よりなる正しい道>が最もすぐれている。もろもろの真理のうちでは<四つの句>(=四諦(たい))が最もすぐれている。もろもろの徳のうちでは<情欲を離れること>が最もすぐれている。人々のうちでは<眼(まなこ)>ある人>(=ブッダ)が最もすぐれている。