2010年3月8日月曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(45(20100308)

 今日(7日)はまた冬の寒さが戻った。とは言え気温は7℃ぐらいであるから寒冷地に比べれば暖かい。このところ晴天の日が少なく、たまに4月上旬の暖かさとなる日があるが、周期的にシベリヤ高気圧がやってきて寒く曇天や小雨の日が多い。

 玄関の靴入れの戸棚の上に置いてある60cmの水槽に種類の違う金魚を2匹飼っている。初めは3cmぐらいのそれぞれ種類の違う、皆フナの仲間のような小さな金魚たちであった。初め3匹いたが一昨年1匹が死んで2匹となった。それがますます大きくなり60cmの水槽では窮屈そうである。水もすぐ汚れてしまう。エアを入れ酸欠にならぬようにし、水工作という簡易フィルターを入れているが2、3週間に一度は水槽の清掃が必要である。金魚はどのくらい生きるのか知らないが、彼らの寿命が尽きるまでよく面倒を見てやって後は飼わないことにしている。もうわれわれも齢だから・・。

 居間には60cmの水槽に熱帯魚などを飼っている。こちらの方も手入れが必要である。家の中にこのような生き物を飼っていると癒されるのであるが世話が面倒である。世話のため結構時間も費やしている。しかしこれも熱帯魚たちが皆寿命を終えるまでよく面倒をみてやろうと思っている。そのあとはもう飼わないことにしている。もう齢だから・・。

 男はこれまで「老人が老母を介護する」ためちょくちょく田舎に帰っている。その期間が1週間程度ならまだよいが、それ以上だと金魚も熱帯魚たちも餓死してしまうだろう。女房も花や観葉植物が大好きで、最近まで家の内外に鉢植えが沢山あったが昨年行われたマンションの外壁修理のときかなり整理してしまった。男は老母(男の継母・女房の実母)の介護で田舎に帰るとき、特に夏など折角育てた花や観葉植物を枯らさないようにすることが大変である。ベランダの花壇に一杯咲いていた花の数が減ってしまい外から見たとき淋しくなってしまった。

 男は一層のこと田舎に引っ越したらどうかと、自分自身も否定的な考えながら提案してみたが、住処を変えるのは非常に億劫であると女房も言う。これまで何かと目新しいものに興味をもってそれに飛びついて来たが、結局分かったことは「愚直なまでに保守的であることが一番」ということである。

 そんなことを考えていたら日頃女房が懇意にしている近所の人から今日釣ってきたばかりのヒラメとサザエを4個頂き、別の近所の人から御主人が茨城に仕事で行って来たと酒のつまみにもなるちりめんと胡桃と胡麻と砂糖などを主原料にした甘い口当たりのおつまみとわかさぎの甘露煮のおみやげを頂いた。両方の御主人とは自分も親しくしている。愚直なまでに保守的に、この小さなコミュニティに居続ける方が幸せである。

 第二十二章は「地獄」である。釈尊は弟子たちに「来世」のことを説かれた。「来世」は在るのだと思う。子供のような心で「来世」が在ることを「信じる」ことが重要である。

306 いつわりを語る人、あるいは自分がしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人、―この両者は死後にひとしくなる、―来世では行いの下劣な業をもった人々なのであるから。