2012年8月15日水曜日


オスプレイは本当に危険な飛行機か?(20120815)

沖縄県知事初め沖縄のアメリカ軍基地をかかえる各市長たちはこぞってオスプレイの危険性を強調している。陰でほくそ笑んでいるのはわざわざ沖縄にやってきて反日的活動を行っている左翼活動家たちと沖縄の新聞各社及びシナ(中国)である。

左翼活動家たちと必死に戦っているジャーナリストの仲村 氏は、多くの沖縄県民はそういった左翼活動家たちとは一線を画した冷静な反応を示していると言っている。大手のマスコミはそういった冷静な分析をしようとせず、最近はロンドンオリンピック一点張りである。公共放送NHKまでもが、311の大地震と巨大津波による未曾有の大災害からの復興のことを一切触れずオリンピック一色の過熱報道ぶりである。

元航空幕僚長・田母神敏雄氏は自らの公式ブログでこう言っている。「空を飛んでいるものは、いつかは落ちる可能性がある。絶対に落ちない飛行機などこの世に存在しない。しかし結論から言ってこれまでのCH46などに比べれば、十分な安全確率は確保されているといってよいであろう。米軍においても安全については十分に検討され、オスプレイについても一定の事故確率以下の安全が達成できると見込まれるので使われることになったのである。米軍は危ない飛行機に兵士を無理やり搭乗させているわけではないのだ。

私たちが航空自衛隊で新しい戦闘機などを取得する場合、100機の体制を造るときには、墜落して失われる機体を計算し、あらかじめその機数を100機に上乗せして取得している。これを航空自衛隊では減耗予備機と呼んでいる。新機種が10万時間当たり2機墜落するという計算上の数値があって、その機種を40年間で合計100万時間飛ばすとすると、20機の機体が事故で失われるということになる。航空自衛隊では100機の飛行機に20機の減耗予備機を上乗せしてあらかじめ120機の戦闘機を取得するのである。

マスコミの報道を見ていると沖縄県民全員がオスプレイの配備に反対しているような印象を受けるが、現実にはそうではない。私の沖縄勤務6年の実感として反対している人は少数である。左翼とマスコミがこれを煽っているだけである」として、オスプレイの安全性を冷静に判断すべきであると主張している。

 氏はまた「沖縄には今、中国の脅威が迫っている。こんなときにオスプレイが危険だと騒ぐことは中国に利するだけである。我が国は今なおアメリカに国を守ってもらわなければ国の守りを果たせない。本来は自分の国は自分で守るべきであり、我が国も一歩ずつその方向に足を踏み出すべきであることは論を待たないが、残念ながら現状ではアメリカに守ってもらうしか手がないのだと言っている。

 日本国民は、マスコミの情緒的報道姿勢や左翼の宣伝に決して惑わされてはならない。

2012年8月14日火曜日


竹島(韓国が勝手に「独島」と命名)の歴史的真実(20120814)

 韓国初代大統領李承晩は、国際法を無視して公海上に勝手に李承晩ラインを引きそのラインの内側(韓国側)に江戸時代以来日本固有の領土であった竹島(江戸時代は「松島」)を囲い込んだ。その後、下記の動画にあるように、日本の領土標識を撤去し、竹島周辺の海域に出漁した日本の漁船を拿捕し、日本の漁民を多数殺害し又は傷害を与えた。当時、朝鮮進駐軍という組織が日本国内で日本人に危害を加えるなどの事件が発生していていた。アメリカ軍はこの朝鮮進駐軍を取り締まり、日本国民を保護したことも起きていた。

 竹島は下記動画にもあるとおり、明らかに日本固有の領土である。それを韓国政府は自国民は元より国際社会に対して「独島は韓国領である」と宣伝し、そのことを歌詞にした歌を幼稚園児に合唱させるなどして愛国教育の重要な材料にしている。世界に向けて日本海を「東海」と呼ばせる大々的なキャンペーンを行ったが、それは成功しなかったようである。

従軍慰安婦については、千田 夏光(せんだ かこう)という日本のノンフィクション作家が小説『従軍慰安婦 正編』を書き、その中で事実でないことも事実であるかのように書いたことが問題の発端である。「従軍慰安婦」という言葉が一人歩きし、旧日本軍は朝鮮人女性を強制的に連行してもいないのに強制連行して前線の兵士にセックスを提供する「慰安婦」として徴用したという話が作られて韓国国内及び海外に広がってしまった。時の内閣総理大臣・村山富市や衆議院議長・河野洋平は、歴史的事実を十分に確かめもせず韓国に公式的に謝罪してしまったことがこの問題を一層複雑にしてしまった。韓国政府は日本大使館の前に従軍慰安婦像を建てた。韓国政府は在米韓国系アメリカ人の政治家などを動員し、アメリカの公立学校の教科書にもこの従軍慰安婦のことを記載させる働きかけを積極的に行っている。

韓国政府が国際社会に向かって事実でないことを事実のように発表し、大々的なキャンペーンを行っていることは決して韓国自身の利益にはならないであろう。日本政府は今回李明博韓国大統領が自分自身の保身・人気挽回のため竹島を訪問したことを強く非難し、国際司法裁判所に提訴すると言っている。韓国政府は従来の立場からそれを拒否している。それは韓国政府がこれまで嘘の上に嘘を上塗りし、日本国を貶め、日本国民を辱めてきた事実を世界に明らかにされたくないからである。しかし世界は韓国が国際ルールに明らかに違反していることを認識し始めている。一部の愛国的韓国人の感情的な言動は、却って韓国の評判を落としている。良識ある韓国人はこれまでの韓国政府の間違った愛国心教育を改めるように行動すべきである。日本人は韓国人が日本人のよき隣人になることを願望し、これまでのように辛抱強く、忍耐強く待つであろう。しかし、それにも限界がある。侍・日本人が堪忍袋の緒を切って腰の刀を抜くことになる前に、韓国人は変わって欲しい。そうなることを多くの日本人は切に願っている。

「韓国に竹島が強奪される決定的瞬間!」

「韓国に竹島を描いた古地図は存在するか: 日韓古地図の比較」

Do you know the reason why Dokdo is Not Korea Land?

2012年8月13日月曜日


「うちの母は40代のとき入れ歯だったわよ」(20120813)

 男は田舎に帰ればしばらく通えないと思い、スポーツセンターで汗を流した。自転車のペダルを踏んで行う運動用器具を使って有酸素運動をし、その他の器具で脚部や腕の筋肉や腹筋・背筋を鍛えている。男はかなり以前から右上腕の肩に近い方の筋肉を少し傷めているので、筋肉トレーニングではその部分に無理な負担はかけない程度に上半身の筋肉を鍛えるようにしている。

スポーツセンターからの帰りのバスの中で婦人たちがおしゃべりをしている。「うちの母は40代のとき入れ歯だったわよ」と誰かが話した言葉で会話が弾んでいる。男はそれを聞きながら我が女房も40代のときだったかどうか記憶はないが、前歯を悪くしたことを思い出した。子供への授乳でカルシウムを取られ歯がやられたに違いないと思っている。男が無知だったためそういうことが起きたのではないかと思っている。

男の歯はまだ全部健在である。歯科医にときどき診てもらいながら多分脆くなっている筈である自分の歯を死ぬまで大切にしたいと思っている。男の歯が丈夫なのは生まれつきのものかもしれないが、男が子どものころ、男の母親は男に卵の殻をすりつぶしたものを与えてくれていた。男はそのお蔭で自分の歯は丈夫なのだろうと思っている。

あの頃牛乳など中々手に入らなかった時代である。今の韓国の田舎の人里離れた僻地のようなところに住んでいたのでなおさらであった。戦後引き揚げてきて農村に住んだ時期があったが、そこでも牛乳などなかった。終戦の翌年、母親が乳がんで別府の病院に入院していたとき、まだ10歳だった男と8歳だった男の弟の二人が、入院中の母親に言われて市内の牛乳を作っている工場まで牛乳を貰いに行ったことがあった。あのとき多分代金を払ったという記憶はない。二人で空き瓶を持って行って突然「牛乳を下さい」と工場の人に言ったら、なにか文句を言われながら牛乳を貰って病院に戻った記憶がある。

男の母親は子供たちの成長のためにはカルシウムが必要であるが、それが足りていないと思っていたのであろう。男の母親はその年の暮れ、まだ幼かった妹や乳呑み児を含め、4人の子供たちを遺して他界した。33歳であった。さぞ悲しく、思い残すことが多かったに違いない。死ぬときはいつものように「お兄ちゃん起こしておくれ」と言い、起こしてやるとその時に限ってがんが転移しているこぶだらけの背中をさすっておくれとは言わず、「東に向けておくれ」と言い、「お仏壇からお線香を取って来ておくれ、お父さんを呼んできておくれ」と言った。相当苦痛であったに違いないが、母親は男にその苦しみの様子を少しも見せなかった。まるで侍が切腹するとき平然として腹を斬るのと同じような態度であった。男の母親は、さすがは幕末の熊本藩士御舟奉行〇〇〇〇の孫娘・長女であった。

2012年8月12日日曜日


一日一事・一回一事(20120812)

 年寄りは「若い者には負けぬ」と幾ら頑張っても、往年の時にくらべ知力・体力・気力が低下していることは免れない。かつて一日に多事をこなし、一回の動作で多くのことを行うことができていても、齢を取るとそれが出来なくなる。できなくなるどころか、失敗も起きる。年寄りは一日に一つの事、一回に一つの事を時間がかかっても失敗なく確実に行うようにした方が良い。

 男が子どもの頃、父親から「お母さんは仕事の手順が良い。一めぐりして来る間に幾つかの仕事を片付けて来る」と言っていた。そのような母親の息子であるから、男も一度に複数の事を行う能力があった。物事の軽重を素早く判断して同時に複数のことを概ね要領よく行うことができていた。ところが齢をとってくるとそういう気忙しいやり方が億劫になってきた。話す言葉もゆっくり、行うことも慌てず焦らずゆっくり、結果出来なかったことを悔やまず、弁解せず、動画のスローモーションのような時間の過ごし方をするようになった、というよりはなるべくそのようにしており、またそのようにしたいと願望するようになった。

 男の母親は33歳で逝ってしまった。男は10歳の時母親と死に別れて以来このかた自分の母親の想い出を胸に生きてきて早自分も棺桶が近くなった年齢に達した。よく思うことは、もし自分の母親が生きていたら今どんな母親であろうか、ということである。新幹線の到着を待っている新横浜のホームの待合室の向き合に年の頃55歳くらいと思われる母親とその娘らしい30歳ぐらいの女性が何やら楽しそうに語り合っている。男は女房の耳もとに口を寄せ「あの親子も30年経ったら寝たきり介護を受けている婆さんと口うるさい娘になっているかもしれないね」とささやいたら、女房は何も言わず笑っていた。そのとき男は自分の母親が生きていたらどんな婆さんになっているだろうかとふと思っていた。男は息子で母親のいう事にいちいち腹をたてながらも一生懸命介護の世話をしているのかもしれない。自分を産んで育ててくれた母親の下の世話もしているいかもしれない。

 男は博多に向かう新幹線の列車の中で暇つぶしに座席に備え付けられている雑誌『WEDGE』と『ひととき』を読んでいたが、それらをひととおり読み終えた。パソコンを取り出しこれを書いている。隣で女房はイヤフォンを耳にあてて音楽を聴いている。このようなリラックスした快適な旅ができるのも今の母が多少痴呆が進んでいるが老人施設で元気に楽しく暮らしてくれているからである。『WEDGE』に“「認知症の人を地域で」厚労省が本腰」と題する記事が載っている。幸い今の母は精神病院に入入院させなければならないような状態ではない。母が入居している施設は地域密着型で長年住み慣れた町の住民だけが入居できる施設で、スタッフも地縁・血縁の地元の人たちである。

 男と女房がこうしてお盆休みの期間、親の介護の為田舎に帰っている。入れ違いに息子の一人は海外出張から帰国し、久しぶりに家族と一緒にお盆休みの期間を過ごす。建築の設計で日ごろ超多忙なもう一人の息子もお盆休みで家族サービスに努める。男は秋になれば息子たちと個別に何処か赤ちょうちんの店で一杯やりながら、これまでの人生のことについて先ずは息子たちから話を聞き、次に男が息子たちに伝えておきたいことなどを話すという段取りで、できれば2日間かけてじっくり語り合う機会を作ろうと思っている。

 『WEDGE』に『図解「養生訓」』が紹介されている。その紹介記事の一文に「脳の快楽におぼれるな」とある。この本は是非読んでみたいと思う。男が新幹線の列車の中でこのようにブログの記事を書いているのは「脳の快楽」なのだろう。「脳の快楽」におぼれないためには「一日一事・一回一事」を守ることが重要ではないかと思っている。

2012年8月11日土曜日


お盆の帰省(20120811)

 今年もお盆の時期になった。男と女房は田舎に帰る準備に忙しい。新幹線の切符は既に取ってある。二人とももう齢なので道中の荷はなるべく軽くしておきたいと着替えの衣類や土産物など宅急便で送ることにした。田舎なので翌々日の配達となる。今日夕刻7時まで宅急便の会社の出先事業所まで荷物を持ち込めば本日の扱いとなる。その事業所は男の家の近くにあり、自転車に積んで運べばよい。もし雨天ならば追加料金を払えば事業者が自宅まで受け取りにきてくれる。

 田舎には1週間滞在する予定である。お盆3日間は今老人施設に入居中の婆さんを日帰りで連れて帰って一緒に夕食のテーブルを囲むことにしている。婆さんは長年独り暮らししていた家に帰ることを楽しみにしている。連れて帰れば必ず「ああ、やっぱり我が家は良い」という。しかしアルツハイマーを患っているので夜は施設の自分の部屋で休ませることにしている。本人もその方を望んでいる。

 婆さんが自分で希望して施設に入居してくれたので、男も女房も気が楽でざる。以前は田舎に帰るたびいろいろ気苦労が多かった。婆さんは長年世話になっていた医師から「103歳まで生きる」と言われていたが老人施設に入居して一層元気になり、毎日「ご飯が美味しい、皆といろいろ話をしていて8時半になったから自分の部屋に帰ろうと言って今帰って来たところ。毎日楽しい、いつもすみません、有難うございます」と、こちらから毎晩のように電話を入れるのだがそのたび口癖のようにそう言ってくれる。施設のスタッフの話によると婆さんと同年の友達は毎日同じような話を語り合っているらしい。

 男が婆さんに「K先生が104歳まで大丈夫だと言っていたよ」と言うと、笑いながら「子供に先に死なれたら困る」と言う。独り暮らしのときは「誰も来ない、電話も来ない」と言っていたが、今では話し相手がいて電話をしても自分の部屋にいないことが多い。婆さんの部屋の備え付けのロッカーに女房がこれまで毎年「老人の日」と「誕生日」に服や下着など婆さんが気に入りそうなものを探し回って買い求め送ってやっていたものが下げられている。ところが婆さんはそのロッカーに自分のものが入っていることを認識できず「前この部屋に入っていた人が置いて行ったみたい」と慰問に訪ねてきた婆さんの妹に言ったという。その施設はこの4月完成したばかりの新築で、婆さんが第一号入居者である。

その妹は「何を馬鹿なことを言うのかえ、これはまM子(女房)が贈ってきたものじゃがえ」と叱ったそうである。ところがそのことを忘れていて、先日も妹のK子が帰ったときも同じことを言ったという。女房は「今度帰ったときロッカーの扉に〇〇〇(婆さんの名前)を大きな字で書いた紙を貼って、衣類にも名前を付けておこう」と言っている。

2012年8月10日金曜日


欲無ければ(20120810)

 良寛の作に「意(こころ)に可なり」という詩がある。「欲無ければ一切足り、求むるあれば万事窮す」という句がこの詩の最初に出てくる。欲望は向上のため必要であるが、ほどほどが良い。欲望が全く無ければ進歩も期待できない。しかし自分の欲望の達成のために他人を傷つけることがあれば、後になって必ず良くないことが自分にふりかかるであろう。因果応報である。結局、幸せは自分の身近なところにあり、自分が置かれた現状に満足しながらも自分の境遇を改善するため正しい心をもって一生懸命努力することが重要である。心が正しくなければ一時的に向上があり満足したとしても、決して永くは続かないだろう。

 ところが世の中には、因果応報を考えず、あるいはそのような因果応報はあり得ないと確信して悪事を働き、他者を傷つけ或いは殺害する人が出て来る。悪人がいなければ善人が善人であると区別できないわけであるが、人類が如何に進歩しても人間の欲望のために悪事は決して無くならないであろう。

 ある人が「この世の中には天使と悪魔がいる。天使も悪魔も人間の背後で人間を支配しているのだ」と言ったことがある。ごく限られた一部の人たちが巨万の富を手にするため殺人兵器を開発し、売り、その販路を広げるためあの手この手の策略を練り、実行している。その兵器の買う人もいろいろな理由でその兵器を買う。兵器を開発し、売る人も、その兵器を買う人も皆それぞれ生き残るためである。巨万の富を手に入れたいがために悪事に使われるものを開発する人も、それを売る人も、巨万の富を手にしなければその世界では生き残れないと考えるからである。生き残ろうとする世界が違うのである。

 世界中の人びとが良寛さんのようなればこの地球上は平和になるかと言えば、決してそのようにはならないだろう。裕福な人たちがいるから良寛さんのような人が目立つのである。良寛さんが理想的かと問われれば必ずしもそうではない。富と貧、聖と俗、善と悪というふうに相対的な観方をしなければ良寛さんを絶対的に良い人だとは評価できない。

 ただ一つ言えることがある。他者を殺害し、あるいは他者に傷害を負わせ、他者を脅しあるは他者に暴言を吐き、他者をだまして金品を手に入れあるいは他者の物を盗むなどという行為は決して正しい行為ではない。泥棒にも一分の魂というが、そういう行為にもそれなりの理由や言い訳はある。弁護士はその理由をもってその行為を正当化するため努力するが、それも弁護により収入など何か得るものがあるからである。弁護士がそのような収入など何か得るもののために活動するのは決して正しい行為ではない。ただ、弁護士が弁護するその対象の人が冤罪にならないようにするため、徹底的に調べようとすることは正義の行為である。そのような弁護士は富を得るため働いているわけではないからである。

2012年8月9日木曜日


感慨(20120809)

 息子の嫁からメールで幼稚園児の孫息子の写真を送って来た。その幼稚園はきちんとした理念で運営されていて、保護者に園児たちの様子をホームページに掲載された写真アルバムで見ることができるようになっている。送られてきた写真はその幼稚園で二泊三日のキャンプに行ったときの写真の中の一枚のほか、キャンプに出かける前に幼稚園で嫁が撮った写真である。孫息子の親友二人と一緒に写っている。男はその写真をみて、「逞しくなったな。わしの子供の頃とどことなく似ているところがある」と思った。血がつながっている直系の孫であることを証明するように耳や目や鼻の部分が自分の子供の頃と似ている。

 その幼稚園のホームページにその二泊三日のキャンプの様子が写っている写真が時系列で沢山掲載されている。園児たちはとても楽しそうに過ごしている様子が判る。この齢になると一層そう思うのかもしれないが、園児たちは皆とても可愛い。どうかこのまますくすく成長して、皆良い人生を歩んで欲しいと思わずにはいられない。

 女房が「お父さんも最近齢を取ったね」という。その理由は男自身物事を忘れないように整理しすぎて、整理した先について先入観にとらわれているためよく勘違いをしているからである。今日も男の寝室の20年以上使っているエアコンを取り明ける工事があったが、その古いエアコンを処分するため必要な書類を何処かにしまいこんでしまっていて、慌てて探したがその時はみつからなかった。作業員はその書類がないと古いエアコンを引き取ることができない。仕方なしに車に積み込んであった古いエアコンを運び込みバルコニーの空きスペースに戻して貰った。その余分の作業のために汗を流してもらったので女房は恐縮して、二人の作業員に千葉の親戚から送られてきたピーナッツ・サブレを一袋ずつ持たせて帰らせた。

その後一度探した場所をもう一度調べてみたらその書類が出て来た。家電量販店とエアコン取り付け会社とは別会社である。女房は男がエアコンを買った家電量販店に電話を入れ、再びその古いエアコンを引き取ってもらうように手配した。引き取りは夕刻になるとの話だったが件の作業員何処かで遅い昼食をとっていたのか、1時間もしないうちにやってきて再びその古いエアコンを運び出してくれた。この猛暑のなか大変ご苦労なことである。女房はその作業員たちを気の毒に思い、たまたまその日近所から頂いた旅行のみやげの漬物・たまり漬けを二人の作業員に一袋ずつ持たせて帰らせた。

その時二人がそれぞれ所帯を持っていることを聞いて、二人が喜ぶ様子を見て男にそのことを話した。男も「あの二人は家族のため一生懸命働いているのだ、いいことをしたね」と女房に話した。そう話しながら男は自分の息子たちも一生懸命働いているのだと思った。

2012年8月8日水曜日


論客副島隆彦・石平両氏の対談に思う(20120808)

 書店で目に止まったのが『副島隆彦・石平 中国崩壊か繁栄か!?』という本である。途中まで読んだがこの本はシナ(中国)と日本の関係を考える上で参考になる。選挙のとき無党派層の多くは文筆の力もなく物言わぬ一般大衆である。男もその一人である。男はこの日本の政治がこの本の著者のような論客の発言によって変わるとは思えない。日本の政治はこの本のような論客の考えを聞いて、自分で判断して選挙で一票を入れる無党派層の人々によって変わるだろう。その時の判断基準はこの国が、また自分自身や自分の家族・親族・友人らが生き残るためどういう選択がベストであるかという直観的な判断である。前の総選挙ではそれまで自民党を応援していたにもかかわらず自民党の奢りにお灸をすえてやろうと考えた人たちが、「自分が一票入れても多分民主党は政権与党にはならないだろう」と思いながら民主党に投票した。いま、その人たちは「民主党では駄目だ、この国は危うくなる」考えている。かといって自民党も旧態依然とした体質は変わっていないと考えている。そういう中、大阪維新の会がこの日本の政治に新しい風を巻き起こしている。

 3.11巨大津波・大震災・原発事故は、日本が生き残るための反省材料を提供してくれた。日本人は軍(自衛隊)の必要性・重要性を自覚した。日本人の美徳を自覚した。そういう中、隣国が尖閣,海域侵犯や従軍慰安婦像設置などで反日的行動に出たため、日本人は団結心を高めた。天皇がいるとうことの重要性を認識した。こういう意味で3.11巨大津波・大震災・原発事故は天佑である。目には見えない力が働いているということを人々は感じ取っている。大東亜解放戦争(アメリカの言う「太平洋戦争」)で命を失った310万人という人々の霊魂が、今を生きる日本人に何か目には見えない作用を及ぼしていると感じる人々は多いだろう。3.11巨大津波・大震災・原発事故で命を失った非常に多くの方々や未だ避難生活を余儀なくされている非常に多くの人びとの集合的無意識のような大きな力を感じ取っている人々は多いだろう。折り目節目に人々が合掌し祈りをささげるのは、その目には見えない作用に対する畏れの気持ちから発しているものであると男は確信している。

 完読してはいないが、上記本の対談者の一方は親中派であり他方は反中派のようである。将来世界は東洋の雄・シナ(中国)と西洋の雄・アメリカが互いに覇権を争い合うようになるだろう。双方とも人種的には混血・多民族集合体である。日本は両者の狭間にある。日本がどっちつかずの状態であれば日本は決して生き残れないであろう。そういう状態に至る前に日本は生き残るため、かつて日本国内に66個の国々があったように、アメリカという名前でくくる大集合の国の中に天皇がいる日本国が存在するような形を選ぶだろう。歴史が示しているように、シナ(中国)民族は中華思想のもと、他民族との混血の奨励や迫害と虐殺を手段として、非常に長い年月をかけて、他の民族をシナ(中国)民族の言語・文化の中に同化させて行こうとしている。それは日本人が最も嫌うことである。

2012年8月7日火曜日


日韓和解への道(20120807)

 呉 善花 という人が書いた本『韓国併合への道』に次の一節がある。“現在の韓国では、日本に対する硬直した姿勢は徐々に変化しつつあるとはいえ、先に述べたように、いまだ併合をもたらした自らの側の要因への徹底的な解明への動きがはじまってはいない。それは韓国がいまなお、「李朝の亡霊の呪縛」から完全に脱することができていないことを物語っている。韓国が自らの側の問題解明に着手し、さらに反日思想を乗り超え、小中華主義の残存を切り捨てたうえで、日本統治時代についての徹底的な分析に着手したときは、韓国にようやく「李朝の亡霊の呪縛」から脱出したといえる状況が生まれるだろう。私がいうのもおこがましいが、日本はそうした方向へと韓国が歩むことに期待すべきであり、その方向にしか正しい意味での日韓の和解はないことを知るべきだろう”と。

 呉 氏のこの言葉に日韓関係和解への道が示されている。日本人自身が戦後教育のせいで自虐史観から脱していなければ、この言葉のとおりにはならないだろう。先ずは、日本の政治家や官僚たちが呉 氏のこの本を熟読し、さらに日清・日露開戦に至った経緯及び大東亜解放戦争(アメリカが言う「太平洋戦争」・世界史で書かれる「第二次世界大戦」)について学び、日本の将兵が何故命を捧げてその戦争を戦ったのかということについて理解し、日本人の立つべき位置を明確に認識して貰わなければならない。その上で日本人は忍耐強く韓国民の変化を待ちつつ、わが国に対する行動や姿勢で誤っている部分については冷静に、礼儀正しく、かつしっかりと正してゆくことである。黙認は絶対間違っている。

 日本人は日本が島国であったお蔭でこれまで侵略されたこともなく過ごしてきた。一方大陸では民族同士の争いが絶えず、国々は興亡をくり返してきた。そういう中で軍事的に弱い国は強い国の庇護の下に入らざるを得なかった。韓国・北朝鮮人の心の深奥には日本人が容易に理解し得ない部分がある。それが韓国・北朝鮮の行動に現れる。その心の深奥を日本人は理解するように努めなければならない。

 そのためには日本人自身がまず自分たちのことをよく知り、自分たちの父祖たちが命を投げ出して戦わなければならなかったということの本質を知り、日本人としての誇りと強い精神とおおらかな気持ちをもって韓国・北朝鮮と向き合うことである。忍耐強く、時間をかけて、何世代にもわたるかも知れないが未来のある時期には、日本と韓国・北朝鮮はきっと親しい隣人になっていることだろう。そのとき朝鮮半島は統一されているかもしれないが、気長に、しかし自らは絶対に侵されない強さを保ちながら待ち続けることが必要である。先ずは日本自らが精神的にも軍事的にも強くなければ、この願望は決して成就しないであろう。日本が自ら存続すること、自存とはそういうことである。戦うのは最後の最後でよい。どうしても避けられなかったときにだけ、腰の刀を抜けばよいのである。

2012年8月6日月曜日


国家観とは(20120806)

 一口に「国家観」と言えば右よりのイメージに取られるかもしれない。事実「国家観」を叫ぶ人々を見るとそう取られているだろう。実際は違うのだが戦後教育を受けた日本人は明治維新前後の近現代史について正しく学んでいないし、310万人もの尊い命を失った大東亜解放戦争についても良く学んでいない。それゆえただ漠然と「日本は侵略戦争を行った」「アジア諸国に迷惑をかけた」と思っている人が多いだろう。

 国家観というものを哲学的に捉えなおす必要がある。国家とは何か、ということについて考え直す必要がある。国家と国民は哲学的にどう違うのか考えてみる必要がある。

 「国家は生き物である」と考えることが先ず必要である。国家は生き物である。人間と同様に頭脳あり、感覚器官あり、神経あり、血管あり、骨格あり、筋肉などが有る。政府・情報・通信・運輸・交通・軍隊・警察・消防などすべての組織をそれらに当てはめて考えることができる。個々の国民は国家という生き物の細胞のようなものである。

 細胞も生き物である。細胞が無ければ生き物の体の神経も血管もできない。動物や植物の細胞を微細に分解して調べると、その細胞は実に高度な機能の各部分を有機的に連結動作させている工場のようなものである。国家を一つの細胞として観れば、各国家が集まる国際組織というものも一つの生き物のように観ることができる。

 生物かどうか定義がはっきりしないがウイルスのような個物を含め、地球上のすべての生物はそれぞれ「生き残ろうとする力」を持っている。すべての個物は、この地球上に「存在し続けようとする力」を持っている。17世紀の哲学者・スピノザは、それを「自存力」、即ち「自己を維持する、もしくはその存在に固執する傾向」(Conatus se conservandi, in suo esse perseverandi)とした。

 国家は生き物と同じように「自存力」を持っているものである。国家をそのように捉えることが国家観を考えるうえで先ず必要である。国家と国民とは別物である。日本人は一般に情緒的に物事を考えがちであるから、個人的に接するシナ(中国)人や韓国人に親近感を抱く。それは非常に良いことであり重要なことである。しかし、一方でシナ(中国)や韓国も日本と同様に一個の生き物であるという観方をしっかりと持つべきである。

 国家を生き物と観るならば、例えばある国が他国の伝統や文化の起源が自分たちの国にあると世界に向けて宣伝・工作するような行為は、ある生き物が防御や食糧捕獲のため、つまり自存のため、他の生き物に成りすます行動に似ていることが分る。

2012年8月5日日曜日


厄介な隣国(20120805)

 東アジアで日中韓三国の間に非友好的な状態がある。この不安定な状態は解消されないものなのだろうか? それともお互いの国民同士、お互い知恵を出し合えば解消される道が開けるのだろうか? この三国のぞれぞれの国民の中に過激な、急進的な愛国者たちが存在していて、穏健な人たちの眉を曇らせている。

この三国のそれぞれの国家がそれぞれの国民に対して愛国心を鼓舞する教育を行うのは国家として当然の行為であるが、日本側からみて許容しがたい内容の愛国教育が行われていることや、日本を貶めるような工作が行われているに対しては、多くの日本国民はいら立ちを覚えている。物事はその中に含まれている矛盾が膨らんで、許容の範囲を超えるとその矛盾を解消しようとして爆発が起きるものである。もう限界に近いのではないか?

 北方領土や竹島や尖閣を含む南西諸島を含む日本の領土を結ぶ線は、シナ(中国)・韓国・ロシアにとっても国益を確保しようとする線である。日中韓露各国家同士、その線を最前線として睨み合っておいる。個々の国民同士は仲良くしたいと思っていても、国家同士は対立しあう。すべての生き物がそれぞれ生き残ろうとして努力し、進化しているように、国家も生き残ろうとして努力し、進化する。国家をそのように捉えるべきである。

 シナ(中国)はありもしない南京事件をさもあるように主張し、鄧小平国家主席時代に建設された南京虐殺記念館なるものを反日教育に利用している。それだけではない。シナ(中国)や台湾が尖閣列島(彼らの言う「魚釣島」)を確保するにためはまず沖縄を確保する必要があるというメッセージをシナ(中国)・台湾の国民に向けて発信している。

韓国は竹島を不法占拠した上、竹島は韓国領土であると幼稚園の時から教え込んでいる。さらに日本海を「東海」と言い、有りもしなかった強制連行による従軍慰安婦が行われたと宣伝し従軍慰安婦像を日本大使館前や世界各地に建て、アメリカの公立学校の教科書にこれらのことを記述させようとし、既にそのとおりに進んでいる。その上、剣道・茶道・華道など日本の伝統文化の起源が韓国にあるかのように宣伝しまくっている。

シナ(中国)や韓国のそれぞれの国家によるこれらの行為は、それぞれの国家としての生き残りを目指す行為である。しかし日本にとって迷惑この上もない行為である。

2012年8月4日土曜日

石巻日本赤十字病院(20120804)

 NHKテレビでドキュメンタリー映像を流していた。『果てしなき苦闘 巨大津波 医師たちの記録』という映像は大変感動的であった。それは3.11大震災巨大津波発生後二人の医師の行動を中心に記録した映像である。想定外の事態が発生し、未曾有の災害が発生したとき、被害を受けた人々の命をどう救うかということについて、この映像は大変参考になる映像である。これは、各自治体や医療機関等で公共に奉仕する役目を担っている人々に是非見て貰いたい映像である。下記“”部分はWikipediaより引用した記事である。

 “赤十字は、国の内外を問わず、戦争や大規模な事故や災害の際に敵味方区別なく中立機関として人道的支援を行う。組織的には「ジュネーヴ条約」とこれに基づく国内法によって、特殊な法人格と権限を与えられた団体である。主要任務は、①紛争や災害時における傷病者への救護活動、②戦争捕虜に対する人道的救援、③赤十字の基本原則や国際人道法の普及・促進、④平時における災害対策、医療保健、青少年の育成等の業務などである。 この理念を挙有する国際法の下に、「赤十字社」のほかにイスラム教国の「赤新月社」、イスラエルの「ダビデの赤盾社」、シナ(中国)の「中国紅十字会」などがある。

 日本赤十字社は、戦前は陸軍省、海軍省管轄の社団法人であった。戦後は厚生省管轄を経て現在は厚生労働省管轄の認可法人・特殊法人である。伝統的に皇室の援助が厚く、皇后を名誉総裁とし皇太子ほかの皇族を名誉副総裁とする組織である。”

 日本赤十字病院にはこのような背景があるから、非常災害時直ちに救援活動を行う体制が出来ていて、ある意味で軍隊のような即応・機動力を備えているようである。3.11巨大津波災害圧政直後から石巻赤十字病院はその組織力を発揮して被害の局限に貢献することができたことが上述NHKの映像で良く判る。行政は本来非常に保守・保身的な組織である。被災地が求めている食糧や水など直ちに届けることをしようとしない。行政はマニュアルと「公平」の原則を金科玉条のように重要視するから、災害弱者にとって頼りにならない。ところが、石巻赤十字病院は組織をあげて救援のニーズを調べ上げ、日本各地から派遣されてきた医療・看護スタッフを統率し、きめ細かくニーズに応えることができた。その内容には本来行政が行うべき食物・水・汚物処理・下水処理も含まれている。

それでもマンパワーや資材などが足りず命が尽きた被災者が多数発生した。その中には敗血症で亡くなった老人もいる。破傷風に感染した婦人はヘリコプターを手配して他県の医療機関で治療を受けさせ救われた。日本は災害が非常に多い国である。非常災害発生時はマニュアルにないことが起きる。何よりも実践経験を積んだ医師・看護師たちを多く養成すること、そして上記のような映像で学習することが重要である。

2012年8月3日金曜日


沖縄・尖閣・八重山各列島の防衛(20120803)

 中国は公式には「チャイナ(China)」であり、一人の日本人としてその「チャイナ(China)」のことをわざわざ「中華」の国の略称である「中国」と呼ぶのは癪にさわるからこのブログでは中国のことをわざわざ「シナ(中国)」と言っている。シナ(中国)人自身が自分の国を世界の中心の最も尊い国「中華の国」というのは、日本人が例えば日本という国名を旧称に戻し「大日本帝国」と呼ぶのと同様、それぞれの国の勝手である。「中国」という呼び名は1930年に日本が認めたらしいが、ロシア・ドイツ・フランス・オランダ等と同様、漢字を使わずカタカナで「シナ」と呼ぶようにすべきである。そのほうがすっきりする。シナ(中国)の一部の人々が、日本のことを未だに「倭」と呼び、「小日本」と言っているのに、日本人が礼儀をもってわざわざ「中国」と呼んでやる必要はない。そう思う日本人は少なくないであろう。

そのシナ(中国)は、人民日報で次の趣旨のことを言っているという。即ち「魚釣島(尖閣列島)を取り戻すには、元々シナ(中国)の領土であった沖縄列島を日本から奪い返すことが先である」と。日本の「領土」である尖閣で先ず「紛争」を起こし、「領土問題」を「外交問題」に変えて行こうとする戦略が垣間見える。島国で平和に暮らしてきた日本人はお人好しもいいところである。日本の外交・防衛力が試される時が来ている。

以下その事実をジャーナリスト仲村 氏のブログから下記にそのまま引用する。翻訳は仲村 氏がブログに掲載しているものである。日本政府はこの事実を掌握している筈である。ただ、この事実はマスコミも取り上げず、一般国民にも知らされていない。尖閣列島を巡って正に激しい情報戦が行われているという事実を日本国民は認識すべきである。

 日本は、沖縄及び尖閣の防衛ひいては日本の防衛のために日米同盟を一層強化し、オスプレイの配置を進め、また原子力発電施設を将来完全廃止することを目指して努力するにしても、何らかの方法で日本の核武装能力の維持強化を継続しなければならない。

 シナ(中国)民族は4000年の昔と同じ体内遺伝子(DNA)のままではなく、混血を重ねている。しかしそのシナ民族(多分その一部)は、4000年の昔から強化してきた「体外遺伝子」ともいうべき精神があって、日本を未だに「倭」とか「小日本」と陰で言うほど「中華思想」を絶対捨てない人たちがいるということを日本国民は認識すべきである。


(日本語訳 仲村覚)
日中間にある魚釣島ゲーム問題 既に燃え上がり膠着しているようです。まさに今、魚釣問題は解き難い難題となっています。それにもかかわらず、ある学者が魚釣島の非の打ち所のない解決案を提出しました。琉球はまさに釣魚島解決の突破口です。ただ、琉球群島の帰属を解決すれば、釣魚島問題は必ず解決します。

そして、琉球群島と釣魚島はいったいどんな関係があるのか。第一列島線の重要な要素の一部分として琉球が如何に日米とアジアの重要な位置に存在しているのか。中国は一旦琉球群島の帰属を主張すれば、それは必ず日米の反発を引き起こします。
中国はどのように琉球のこのカードに勝つべきなのか?

国防大学戦略研究所所長金一南少将は、
人民日報ウエブサイトのインタビューにて「魚釣島問題において中国側はもっと大きな範囲から着手すべき」「琉球群島主権問題において譲歩は不可能である。」「琉球群島は中国の属地である。日本は引き上げるべきである。」

香港メディアの報道によれば、香港の学者張東氏も言及もありました。「魚釣島問題解決において琉球は正真正銘の突破口である。」「日本からみれば、釣魚島を失うことは小事である。」「但し、琉球を失うことは大事 琉球の主権を主張します。」「釣魚島を解決するひとつの中国の策略に成ることができます。」「まず最初に、現在日本は中国と魚釣島の話で争うことを要求します。」

「その唯一の正当な理由は、」「釣魚島は琉球群島に属するという事です。」「但し、もしこの琉球群島本体そのものが奪われれば、」「その上、国際法上成り立たなくなります。」「このように、この釣魚島は完全に議論の余地がなくなります。」

2012年8月2日木曜日


オリンピックの柔道(20120802)

 日本の柔道がオリンピックの種目になって、日本選手は金メダル獲得がなかなか難しくなってきている。日本には「道」とつく文化が多数ある。華道・茶道・香道・剣道・柔道・弓道・合気道・空手道・居合道・吟道等いろいろな「道」がある。一部の韓国人が日本の剣道のオリジナルは韓国にあるなどと言って物議をかもしているが、韓国には日本にあるような精神性を尊ぶ「道」はない。精神性尊ぶ「道」は日本独自のものである。

 外務省が、国内外への広報・報道関係者への情報発信・文化の分野における国際交流による対日理解の増進に関する基本的な方針の企画・策定及び実施のため「広報文化外交戦略課 Public Diplomacy Strategy Division」を立ち上げた。この課の新設は、日本人の礼儀正しさや忍耐強さといった「日本的価値」の発信を強化することに狙いがあるという。

 柔道の試合をみていて歯がゆく思うのは、柔道が日本本来の柔道でなくなっているということである。第一、柔道は「スポーツ」なのか、という疑問がある。その点合気道には試合がないので心安らぐものがある。相撲もモンゴルやヨーロッパなどから来日して修行し力士になった人たちが、日本の文化・風習に則り相撲を取っている。彼らは日本語も良く話す。日本に帰化している人たちもいる。観客は彼らを日本人のように感じる。

 柔道がオリンピック種目になっているということは、日本の文化を世界に紹介するという意味において良いことである。しかし、日本の柔道はそれでよいのかという物足りなさを感じる。韓国のテコンドーも日本の空手を真似たものだという。テコンドーであれば国際試合も上手く行く。それが少林寺拳法や極真空手ではそれぞれ特殊な背景があり上手く行かないだろう。

 柔道が世界的にポピュラーになり、世界選手権大会やオリンピックの種目になっている以上、日本の柔道は「道」から徐々に遠ざかりつつあると感じる。一層のこと、この日本で定期的に「柔道世界大会」なるものを開催するようにしてはどうか。その柔道は本来の日本の柔道にするのである。勝ち負けは勿論あるが、精神性も大事にする。剣道も同様に日本で世界大会を定期的に開催するようにすればよい。もし韓国が「剣道」という名称を冠するような国際大会を考えたら嫌なので、「剣道」と名のつく国際大会を、先手を打って海外に情報発信すればよい。それは外務省新設の当該課の仕事である。日本人が日本の文化・伝統を守るということはそういうことなのである。その新設課は頑張って欲しい。

 世界中に広まっている合気道は、日本の精神文化の伝統がきちんと継承されている。そこには開祖植芝盛平翁に直に教えを受けた合気道師範たちの努力がある。

2012年8月1日水曜日


永遠の0(ゼロ)(20120801)

 男は表題の題名の本を9歳年長の親友K氏から頂いた。それは八女茶と一緒に送って来た。K氏は昨年春、最愛の奥様を亡くし、子供もなく九州で独り暮らしをしている。K氏はこの本を読んで感ずるところあり、何冊かまとめ買いをして男を含む友人たちに配ったのだという。男はK氏にお礼の電話を入れる前にその本を斜め読みしてその本の概略の内容を理解した。この本を題材にした映画が作られることになったという。この本の終わりに故児玉清氏が解説を寄稿している。

 ゼロは帝国海軍零式戦闘機・零戦のことである。ゼロ戦の名パイロットだった宮部久蔵は、妻子の為に絶対生きて帰ると宣言し、臆病者と非難されたが特攻隊にも志願せず、空戦で数々の戦果を挙げ、操縦訓練の教官になり、特務少尉に昇進し特攻機の直援任務につき、敵機の銃弾を受け愛機が穴だらけになりながらも生還した。その宮部少尉は広島・長崎に原爆が落とされた後、特攻隊に志願し、鹿屋飛行場から出撃し、帰らぬ人となった。26歳であった。その時一緒に出撃した部下の搭乗機のエンジンが故障し、宮部小隊長はその部下・早稲田大学出身の大石少尉に「引き返せ」と命じた。終戦後その大石少尉が宮部少尉の妻・松乃に会い、事の次第を話した。松乃は夫・宮部久蔵の生まれ変わりだと思うようになった大石元少尉と再婚した。

そのことから、遺児・姉の慶子と弟の健太郎の実の祖父がゼロ戦パイロットで終戦間際特攻隊で死んだ宮部久蔵であることを知ることになる。慶子と健太郎の祖母・松乃は戦後騙されてやくざの組長の妻になっていた。その組長も組員も何者かに襲われて死んだ。その殺人現場にいた松乃は不思議な体験をした。傍に幽霊のように立っていた見知らぬ若い男が血刀をぶら下げていて、松乃に金が入っている封筒を渡し「生きろ」と言ったという。松乃はそれも夫・宮部久蔵の生まれ変わりだと思った。慶子と健太郎は義理の祖父・大石元少尉の話を聞いて初めて自分たちの祖母の戦後の生きざまを知った。

この本には具体的な部隊での生活や戦闘場面等以外にそのようなことが書かれている。 男は後日改めてこの分厚い小説を初めからじっくり読もうと思っている。この本の初めの方に慶子と健太郎は、特攻がテロリストと同じだというようなことを語っている。ブッシュ元アメリカ大統領は、日本の特攻がイラクでの自爆テロと同じだというようなことを語ったことがあった。男はその話を知って強い憤りを感じたものである。大東亜解放戦争中の日本人は「一生懸命必死に生き」、そして避けられぬ死に臨み「一所懸命」死んでいったのである。「一生」懸命に生き、「一所」懸命に死んだ。アッラーの神に愛されるため喜んで死んでいったイラクの無差別自爆テロやニューヨークの9・11貿易センタービルテロなどと本質的に違う。日本はアメリカが日本に対して行ったような原爆投下とか東京など都市絨毯爆撃という無差別大量殺人を行っていない。この本を題材に作られるという映画がどんなメッセージを伝えるつもりなのか関心があるところである。
                                                   

2012年7月31日火曜日


発声に艶・響きがなくなった(20120731)

 男は3年前の3月以来、インターネットに自分の吟詠を投稿して公開している。初めは自分の下手な吟詠を公開することを躊躇したが、回を重ねるうちに図々しくなって、気にならなくなった。誰が聞いてくれているか個人名は全く分からないがアクセス解析で訪問者の数やページヴューの件数などが判る仕組みになっている。吟詠については何処の国からのアクセスがあるのかは判らないが、詩吟は基本的に音楽の範疇であるので、多分外国からのアクセスも結構多いのではないかと思う。

 男はこのところ自分の吟詠の発声について悩み始めた。自分の声を聴いてみて声に艶や響きが感じられなくなってきていることに気付いた。加齢のせいもあるかと思うが、努力が足りないとも思う。艶のある響きのある若々しい声が加齢とともに徐々に低下することはやむを得ない。しかし、年寄りの枯れた声なりに、味がある詠い方ができるはずである。諦めてしまうのはまだ早い。

 男は毎朝起床前、自分の体の各部分、普段あまり使われていなさそうな部分のストレッチを行っている。背筋・腹筋も鍛えている。週に2、3回はスポーツセンターに通い、腕や脚の筋肉のトレーニングも行っている。スポーツセンターには自転車に乗っている感覚でペダルを踏んで20分間の有酸素運動も行うことができる装置がある。男はそういう運動だけではなく、必要な栄養も摂取し、持久力も高めている。スポーツ選手が試合に向けて調整するように、いろいろ工夫している。

 自分で自分自身に何か課題を課し、毎日・毎月継続するということは重要であると実感する。正に継続は力なりである。自分の発声に艶や響きが感じられなくなったということは、自分の工夫・努力が足りない為である。発声法について工夫の余地は十分ある。これまであまり気に懸けていなかったが、科学的な発声法について研究しなければならぬ。

 何事も同じであるが、自分が行っていることを自分で第三者的に観る方法について、ひと工夫が必要である。頭は使わなければならぬ。不摂生は慎まなければならぬ。かくしても時間の経過とともに、自分の身体の各部の機能は徐々に劣化してゆく。自分に残されている時間は限りがある。やるべき物事に優先順位をつけ、今日一日でおこなうべきことをきちんと行う。それでもやり残しが必ず生じて、人はこの世を去るものである。

 男は、インターネットを利用し、自分自身を観察しつつ社会に関わりを持っていることができていることに喜びを感じている。自分の声に艶や響きがなくなってきたことを自覚できたは、インターネットを利用するその仕方に独特なものがあるからである。

2012年7月30日月曜日


シナ(中国)は何故日本に敵対するのか(20120730)

孔子75代目直系の子孫だという孔 という人が書いた本『中国人と中国系人』という本に次のことが書かれている。雲南省という項から“”で引用する。
“多民族の辺境稲作民 「少数民族の宝庫」といわれ、二十四以上の民族が住む。古代から近世にかけて、古タイ族の天地であった。この東アジアの稲作の祖ともいうべき人びとは、日本人に顔が似ているところから、日本人の先祖の一派ではないかという仮説もある。・・(中略)・・漢民族が人口の六十八・三パーセントを占め、残り三十一・七パーセントは少数民族。イ族、ペー族、タイ族、ハニ族などである。

雲南省が中国の版図にはいるのは、はるか後世の元の時代になってからで、漢民族の武力ではどうにもならなかったが、匈奴の末裔であるモンゴル帝国の手によって中国領になった。・・(中略)・・「漢倭奴国王」という金印が、日本の九州志賀島で発見されたが、蛇蛛をもつ金印で滇(てん)(雲南の古称)と倭は結ばれたことになる。

少数民族の天地雲南は、いまでこそ辺境秘境の地とされるが、往時は興亡をくり返した中国歴代の王朝にとって豊かな穀倉地帯であったとともに、通商における重要な拠点でもあった。”

(てん)王国と古代日本とは考古学遺跡の出土品から関係があったことが分ってきている。そのことは安田喜憲著『古代日本のルーツ 長江文明の謎』(青春出版社)に書かれている。(てん)王国は紀元前400年から紀元後100年くらいまで栄えていたが、漢民族の圧迫を受け、おそらく混血が進み、その王国の独自性がなくなったのであろう。今、雲南省で圧倒的多数を占める漢民族は古代の漢民族と混血した民族であろう。『中国人と中国系人』という本には、雲南省人の性格・身体的特徴・タイ族ペー族など少数民族の民族性のことなどが書かれている。

2800年から3000年前、気候の寒冷化の影響で、華北から狩猟・畑作の民であった漢族が南下してきて、長江流域で水稲農耕を行っていたY染色体O3亜型の集団が住む地域に侵略してきた。漢族の圧迫を受けたY染色体O亜型の集団はシナ(中国)南部やその南の山岳地帯、今の雲南省や台湾などに追いやられた。

その中でY染色体O2bの集団の一部は、山東半島を経由して朝鮮半島南部から九州に、或いは長江流域から直接九州に家族単位で移動し、先住の縄文人と混血していった 弥生時代、九州や西日本に水稲農耕技術を伝えたのは、このO2b型集団であった。彼らが渡来系弥生人であり、先住の圧倒的多数の縄文人と混血した人々が、いわゆる「倭人」である。倭人は九州・西日本に住んでいたが、朝鮮南部にも住んでいた。しかし朝鮮半島の人びとの遺伝子には殆どないミトコンドリア遺伝子M7aと、朝鮮半島の人びとには殆どないY染色体遺伝子D2及びC1が日本人にはある。

 日本人の祖先は縄文人と渡来系弥生人の混血である。長江流域から渡ってきた人々の中には当時の漢民族から圧迫を受けて雲南省の山間部に逃れた苗族を先祖の一派とする人々も混じっていた可能性がある。人種的に日本人は混血種であり、東アジアで特殊である。

 一口に「中国人」といっても古代のシナ(中国)人と、現代のシナ(中国)人とは同じではない。現代のシナ(中国)人は日本人同様、混血したことによりに多様な性格・身体的形質・能力などを持っている「隣人」である。ただ両国の間で根本的に違うのは、一方は興亡をくり返してきた王朝、現在でも「中国共産党王朝」とでも言うべき王朝の国であるのに対し、他方、日本には万世一系の天皇がいて、その天皇は古代を除いて実際の政治には関わらず政治は別の主体が行う国であるということである。

現在でも進行中であるが、シナ(中国)の歴代王朝は周辺の多民族の国々を初めは「自治領」にし、その領内に年数をかけて漢民族の人びとを入植させ、その「自治領」を次第に漢民族化してゆくという「文化」、それも「体外遺伝子」ともいうべき「文化」をもって行動している。その部分を日本は十分警戒しなければならない。「日出る国の天子、日没する国の天子に書を致す、恙なきや?」という国書を当時のシナ(中国)王朝に届けた日本は、聖徳太子の昔からシナ(中国)の王朝には決して屈しなかった国である。