2012年7月31日火曜日


発声に艶・響きがなくなった(20120731)

 男は3年前の3月以来、インターネットに自分の吟詠を投稿して公開している。初めは自分の下手な吟詠を公開することを躊躇したが、回を重ねるうちに図々しくなって、気にならなくなった。誰が聞いてくれているか個人名は全く分からないがアクセス解析で訪問者の数やページヴューの件数などが判る仕組みになっている。吟詠については何処の国からのアクセスがあるのかは判らないが、詩吟は基本的に音楽の範疇であるので、多分外国からのアクセスも結構多いのではないかと思う。

 男はこのところ自分の吟詠の発声について悩み始めた。自分の声を聴いてみて声に艶や響きが感じられなくなってきていることに気付いた。加齢のせいもあるかと思うが、努力が足りないとも思う。艶のある響きのある若々しい声が加齢とともに徐々に低下することはやむを得ない。しかし、年寄りの枯れた声なりに、味がある詠い方ができるはずである。諦めてしまうのはまだ早い。

 男は毎朝起床前、自分の体の各部分、普段あまり使われていなさそうな部分のストレッチを行っている。背筋・腹筋も鍛えている。週に2、3回はスポーツセンターに通い、腕や脚の筋肉のトレーニングも行っている。スポーツセンターには自転車に乗っている感覚でペダルを踏んで20分間の有酸素運動も行うことができる装置がある。男はそういう運動だけではなく、必要な栄養も摂取し、持久力も高めている。スポーツ選手が試合に向けて調整するように、いろいろ工夫している。

 自分で自分自身に何か課題を課し、毎日・毎月継続するということは重要であると実感する。正に継続は力なりである。自分の発声に艶や響きが感じられなくなったということは、自分の工夫・努力が足りない為である。発声法について工夫の余地は十分ある。これまであまり気に懸けていなかったが、科学的な発声法について研究しなければならぬ。

 何事も同じであるが、自分が行っていることを自分で第三者的に観る方法について、ひと工夫が必要である。頭は使わなければならぬ。不摂生は慎まなければならぬ。かくしても時間の経過とともに、自分の身体の各部の機能は徐々に劣化してゆく。自分に残されている時間は限りがある。やるべき物事に優先順位をつけ、今日一日でおこなうべきことをきちんと行う。それでもやり残しが必ず生じて、人はこの世を去るものである。

 男は、インターネットを利用し、自分自身を観察しつつ社会に関わりを持っていることができていることに喜びを感じている。自分の声に艶や響きがなくなってきたことを自覚できたは、インターネットを利用するその仕方に独特なものがあるからである。