2012年2月17日金曜日


参議院の抜本改革について(20120216)

 大阪維新の会代表橋下大阪市長は「船中八策」の第八「憲法改正」の中で、「首相公選」と「廃止を視野に参議院の抜本改革」を掲げている。これには多くの異論が出ている。
 
まず「参議院の廃止を視野」という言葉が良くない。参議院は戦前「貴族院」であった。貴族院の構成は、皇族議員、華族議員、公爵侯爵議員、伯爵子爵男爵議員、勅選議員・帝国学士会会員議員・多額納税者議員・朝鮮勅選議員・台湾勅選議員から成っていた。それぞれ定員が定められていた。勅選議員とは内閣の輔弼(ほひつ)により天皇が任命した議員のことである。皇族といえども軍人は貴族院議員にはなれなかった。このように貴族院議員には、ある意味で「良識ある人たち」が選ばれていた。

 貴族院議員には有権者による直接選挙ではなく、一定の良識ある人たちが爵位により、或いは国家に勲労ある、または学識ある人たちを内閣が輔弼して天皇が直接任命することにより、或いは学識経験者・多額納税者など一定の基準を満たす人たちが選ばれていた。
 
今の参議院議員は有権者の直接選挙によって選ばれている。定任期制を除けば本質的に衆議院議員と変わらない。戦前の貴族院のことにつて知らない一般国民は、現在の二院制がアメリカの上院・下院と同じようなものであると思い何等不思議さを感じていない。

だから橋下氏のように「参議院廃止を視野」というセンセーショナルな言葉を使って人々を驚かすような言葉が飛び出したり、民主党の前原氏のように参議院廃止で一院制を主張する人が現れたりする。橋下氏も前原氏も根本的に間違っている。

 参議院は廃止するのではなく、参議院議員の選出方法を改善すべきである。その改善方法とは、有権者の直接選挙ではなく、参議院議員は文字通り「参議」のため党派の別なく、言うなれば“「中庸」で「賢い」人たち”が選ばれるような仕組みにすべきである。費用と時間がかかるが健全な二院制となるようにすべきである。これこそが易経でいう「折衷」である。現状で良いとする人たちが「陰」、橋下氏や前原氏らが「陽」とすれば、どちらか一方に偏るのは決して正しい方向ではない。

 その仕組みとは、「参議院議員を選出する人」を有権者の直接選挙で選ぶ仕組みにすることである。先ずその「参議院議員を選出する人」の候補者になるべき資格を定める。次に、思想信条に関係なく一定の学識経験者・社会的貢献者・スポーツ功労者・芸術芸能功労者・科学技術功労者などで一定の基準を満たしていて「参議院議員を選出する人」に立候補した人、及び立候補しなくても各界から推薦された人、並びに各種褒章・勲章などを受けた人や首相閣僚経験者などの中から内閣が一定の基準で選んだ人たちが、参議院議員を一定の基準、一定の割合で選ぶのである。この一定の基準・一定の人数割合が重要である。

 そのようにして選ばれた人たちが、参議院議員を選出するのである。このようにすれば、参議院は正しく「良識の府」になるであろう。衆議院から上がってきた法律案について各種委員会などで議論し、賛成か反対を議決し、反対の議決の場合、その理由を国民に示す。最終判断は衆議院による再審議と議決によるもとすればよい。

 なお、「首相公選制」という言葉も良くない。これも「折衷」すべきである。その方向は上述改革された二院制により、現行通り首相が指名されれば良い。そもそも首相のリーダーシップは「首相個人の理念と資質」及び「議会の制度」により決まるものである。参議院を廃止し一院制にしたからとて、首相がリーダーシップを発揮できるものではない。

 まして、地方自治体のような「二元代表」になれば、国家は危険にさらされること必至である。ヒットラーのよう首相が現れたどうするか。橋下氏にはよく考えて貰いたい。

2012年2月16日木曜日


橋下氏の「船中八策」について(20120216)

 大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長は、坂本龍馬が長崎から京都に向かう船中に国家構想・幕政返上・議会開設・憲法制定など八か条の書を起草したことにちなんで、「船中八策」を発表した。このことについて賛否両論がある。橋下氏を快く思わない人たちはこの八策に対して感情的な反発をしている人たちもいる。

 人が問題を「発見」し、それを問題として「認識」する上で障害となる三つの壁・関所のようなものがある。それは
    感情の壁・関所
    知識の壁・関所
    文化の壁・関所
である。これらの壁・関所があると、其処にある「問題」も発見できないし、現に問題があるのにそれを「認識」することができないものである。

橋下氏の言動の表面だけを見、或いは橋下氏の過去の経歴だけを見、或いはもし仮に橋下氏の生い立ちに反感を持ったりすると、すでに「感情の壁・関所」を越えられないことになる。

 また、橋下氏のこれまでの主張に対して批判している著名な学識経験者の意見やマスコミにもてはやされている人の意見だけを聞いてその意見に納得し、他の学識経験者の意見に耳を傾けないでいると、すでに「知識の壁・関所」を越えられないことになる。

 また、もし仮に橋下氏が生まれ・育った環境や、大阪という風土柄などに反発心があるとして、その場の実際を知らず雰囲気も経験せずにいると、すでに「文化の壁・関所」を越えられないことになる。

 橋下氏は非常に荒削りだが、政界再編の起爆剤となるような八策を打ち出した。これには例えば国防軍創設、集団的自衛権の容認、女性宮家創設反対、外国人参政権反対、夫婦別称反対などの具体的なことについては一切触れられていない。

「憲法改正」は八策の第八に掲げられている大項目であるが、憲法の内容をどのようにするのかについては首相公選制と廃止を含む参議院の抜本改革しか掲げていない。一番肝心な憲法第9条の改正や皇統維持のことについて触れていない。

橋下氏は先ず「総論」について自分たちの主張に対し賛同しない人たちとは連係しないと公言した。「各論」はこの「総論」に対して賛同する人たちの大きな塊ができた段階で、橋下氏が大勢を判断して大同小異の結論を導くつもりなのだろう。

 しかしこの八策に掲げる「総論」の中で重要な踏絵になる項目が幾つかある。それらは道州制、教育委員会制度の廃止を含む抜本的改革、年金は積立方式にして富裕層に対しては掛け捨て方式を導入すること、混合診療解禁による医療への市場原理導入、TPPへの参加、国民総背番号制、日米豪での戦略的軍備再配置、首相公選制、廃止を視野に参議院の抜本改革などである。

 橋下氏が「自主独立の軍事力を持たない限り日米同盟を基軸にする」と八策に明記したことについては、憲法を改正して国防軍を創設し、集団的自衛権を容認するという現実的な方向を示したと受け止めることもできる。

 ともかく橋下氏の出現は日本国に一条の光が差し込んできたようなものである。その光がさらに明るく輝くものにするのか、その光が次第に細く消えてしまうようにするのかについては、日本国民の選択と知恵次第である。

 素直になって問題の発見や認識を邪魔する三つの壁・関所を取り払い、問題を見つけ出してそれを認識し、発見され認識された問題を正しい方向へと解決に導くのは日本国民の総意の現れ方次第である。そのためには、決して一部の論者やマスコミなどに影響されてはならない。

2012年2月15日水曜日


橋下氏が主張する「地方分権」について考える(20120215)

 一部の左翼的政治家や左翼的団体などが、「地域主権」とか「中央主権」とかいう語を用い、国民を彼らの側に誘導しようとしているが、本来「主権」とは「国家の統治権」を意味する語である。「地方主権」や「地域主権」という言葉には日本の国体を崩壊させようとする企みが隠されているかもしれない。

さらにその企みのもっと奥に隠れているものがあるかもしれない。天皇を家長あるいは日本中の家々の宗家として考えてもよいような国、「日本一家」のような国、その意味で「国家≒国民」のような日本は、日本のような国ではない隣国と生存競争の最中にある。日本人の多くはそのような「国家」としての生存競争はないと思い呑気に構えているが、中国や韓国・北朝鮮のそれぞれの「国家」は日本という「国家」と敵対と協調の感情を抱いている。それが尖閣や東シナ海ガス田や竹島や従軍慰安婦などの問題に表れている。中国や韓国・北朝鮮のそれぞれの「国家」を動かしている‘あるもの’が、上述「日本の国体を崩壊させようとする企みが隠されているかもしれない、さらにその企みのもっと奥に隠れているものがあるかもしれない」ものである。

その「奥に隠れている」ものは、日本国内のあらゆるところにワナやトリックを仕掛け、国家観・歴史観の乏しい政治家や学者や企業経営者やマスコミ関係者らを巧妙に取り込み、知らず知らずのうちに日本の国体を解体する方向に誘導しているに違いない。

これに対抗するような防諜・謀略の秘密組織が日本にあるだろうか?自虐史観に捉われ平和ボケしている人々、特に各界で指導的立場にある戦後生まれの世代の人たちには、そのような秘密組織を作るという発想さえもないであろう。だが、「国家」が生き残るためには「蛇の道は蛇」という発想も必要である。人間は他者のことを思いやる優しい心を身に付けているが、その人間の集合体である「国家」というものは利己的で欲深い。他の「国家」に対して個々の人間のような優しさは持ってはいない。故に日本国としても諜報・謀略に対抗する組織を持っておく必要があるのである。

大阪市長橋下徹氏の大阪維新の会は「地方分権」を主張し、大阪都構想を掲げている。国からの地方交付税や補助金・交付金は地方自治体の運用資金の7割ほどを占めている。この数字だけを見ればアメリカやドイツなどと同じのようである。この7割の部分には、国の行政を地方が肩代わりするという部分もある。アメリカの場合、州兵を維持する費用は連邦政府が負担している。橋下氏は地方独自で得ている資金がたとえ3割であっても、地方への権限移譲を大幅に増やすよう主張しているのであろう。

彼は教育行政の分野にまで踏み込んで地方の独自性を確立しようとしている。国が国家観・歴史観をしっかり前面に立てた政治を行っていないから、ある地方自治体では在日外国人の要求を容れて日本人に対しては逆差別となるような予算の執行をしたり、在日韓国・北朝鮮人の要求を容れた条例を制定したりしている。

橋下氏がどういう国家観・歴史観をもって地方分権を主張しているのか、ことは国体を危険にさらすような方向になりかねないものでもあるので、よく注視しなければならない。橋下氏は百も承知かもしれないが、彼には上述、近隣諸国家の「奥に隠れているもの」に対して十分警戒してもらいたいと思う。

2012年2月14日火曜日


中国や韓国が反日思想をそれぞれの国民に教え続けるとどうなるか (20120214)

 人の脳には自分が見たことを「不快」と感じる部分と、「快」と感じる部分があるという。ある実験である人Aさんが次の状況を見た。その状況とはAさんの顔見知りでないBさんが同じくAさんの顔見知りでないCさんに対して肉体的・精神的な苦痛を与えている状況である。その時Aさんの脳の「不快」と感じる部分が反応を示した。Aさんはそのようなことを見たくないと思ったのである。

 次にBさんはAさんに「Cさんはかくかくしかじかの悪いことをしたのだよ」と言って聞かせた。その上でBさんは再びCさんに精神的・肉体的苦痛を与えた。すると今度はAさんの脳の「快」と感じる部分が反応を示したという。AさんはCさんが苦しめられている状況をみて「当然の報いだ、いい気味だ」と思ったのである。

 中国は日本人(総評)が金を出し日本人建築家が設計した南京大虐殺記念館(中国での呼称は「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」)を中国国民の愛国教育のため利用し、1970年以降勝手に「尖閣列島は元々中国領である」と宣言して国民に教え込んでいる。

韓国も勝手に引いた李承晩ライン内に竹島を入れ、古地図まで改ざんして「竹島は韓国領である」と幼稚園児にも唱歌で歌わせている。それだけでなく、「日韓併合は日本の武力によって強制的に行われたものだ」とか、「従軍慰安婦は日本軍によって強制されたものだ」とか、「日本海はもともと韓国が東海と言ってきたものを日本が勝手に名付けたものである」とか、「剣道・茶道・華道などももともと韓国がオリジナルである」とか、「日本の律令国家は韓国人によって成し遂げられたものである」とか、「古代日本語は古代韓国語と同じであった」とか、さまざまなことを言って国際的に宣伝している。

 それに対してこれまで日本政府は強硬に抗議し、反論してこなかっただけでなく、自虐史観に捉われてしまった大物政治家たちが「日本は悪いことをした」とわざわざ謝罪までした。中国も韓国も「そうだろう、日本軍は悪いことをしたのだ、貴方たち日本人が悪いわけではない」と言ってにんまり笑っている。

 上記Aさんは中国国民であり韓国国民である。Bさんは中国国家の指導層であり、韓国国家の指導層である。日本国・日本人はCさんのようなものである。

 大多数の中国国民や大多数の韓国国民の脳には日本国・日本人に対する反感をもつことによって「快」の反応が現れているに違いない。それが時に激しい集団的反日行動に現れる。日系企業の建物に被害を与えたり、日本国旗を踏みつけたりする。

 このような中国国民や韓国国民の行動に対して、日本の政治家や学識者やマスコミ記者らは、「それはそれぞれの国の政府に対する抗議行動を‘反日’行動で代弁しているのだ」と「理解」を示している。全く馬鹿げたことである。

 国家と国民の関係を略式で示せば、日本の場合は「国家≒国民」である。それに対して中国や韓国の場合は「国家≠国民」である。何故なら、日本は万世一系の天皇が家長または日本中の家の宗家のような「日本一家」の国のようであるのに対して、中国は「共産党‘王朝’」と「人民」とを区別して国であるし、韓国の場合は大統領の選出過程はアメリカと大違いで、敢えて言えば韓国大統領は選挙で選ばれた学級委員長のようなもの国であるからである。韓国大統領はアメリカのように国民統合のシンボルにはなり得ない。

付言すれば、アメリカの大統領選挙はある意味で宗教的でさえある。アメリ国民統合の一大イベントである。アメリカ国旗である星条旗と、国歌の題名である「星条旗」、それに行進曲「星条旗よ永遠なれ」、またアーリントン墓地と国民祝日メモリアルデイなど、アメリカの場合は多民族国家を統合する非常に良いシステムがある。これは単一民族と言われる日本の場合と「国民統合」のシステムは違うが、中国や韓国には全くないものである。

中国や韓国は、自国民を反日に駆り立てることによってしか「国民統合」の方法がない。つまり「反日」指導により自国民の脳に「快」を反応させることしか国民をまとめる方法がない。このことに日本人は気付くべきである。

2012年2月13日月曜日


橋下氏が唱える首相公選について (20120213)

 首相公選についてはかつて大勲位中曽根元首相が唱えたことがあった。橋下氏が中曽根氏と同じ考え方の下に首相公選論を唱えているのかどうかは分からない。しかしもし橋下氏が彼に言う「独裁者」的首相を意識して首相公選論を唱えているのであれば、それは甚だ危険な考え方であると言わざるを得ない。

地方自治体では、アメリカの大統領と議会議員のように建前上首長と議会の議員はそれぞれその自治体における直接選挙によって選ばれている代表である。同じ代表である首長と議会とは行政をめぐって対立することがある。橋下氏は同じことを国のレベルで考えているようである。もしそのようになると中曽根氏のときもそうであったように、国の元首は天皇以外に公選で選ばれた首相も元首となり得るという議論が出てくる可能性がある。

其処が一番大きな問題である。これは神武天皇以来男系皇統を守ってきた日本の国体の根幹にかかわる大問題である。影響力のある人物が首相のリーダーシップを強化するためであるという理由をあげて首相公選を唱えれば、中国や韓国は日本国内の反日勢力と呼応してその動きに乗り、日本人の精神構造をゆがめ日本の国体を変えてしまおうとする動きに出るだろう。

易経的に観れば、議院内閣制を堅持すべしとする勢力を「陰」とすれば、首相公選制を唱える勢力は「陽」である。この「折衷」は、日本の国体を断固堅持しつつ、首相のリーダーシップを強化する方策以外にない。

首相公選制は決して陰陽の折衷ではない。中曽根氏もそうであったが橋下氏も間違っている。首相公選は絶対間違っている。首相公選論が出てくる背景には今の問題はねじれ国会と民主党内事情がある。この根本原因は国会議員を選出した有権者たちの国家意識にあった。反日活動家や左翼思想を持つ政治家が多数いる民主党を選んだのは有権者である。有権者は民主党政権を選んでその失敗に気付いた。もう二度とこのような失敗はしないだろう。ゆえに「政治の制度」が首相のリーダーシップに影響があるのではない。

 勿論、ねじれ国会と民主党内事情だけが問題の全てではない。首相になった人物の「理念や資質」もリーダーシップ大きな要素である。故に「政治の制度」と「首相の理念と資質」、この二つがしっかり機能すれば、首相のリーダーシップは十分発揮される筈である。「首相の理念と資質」という点では中曽根氏は旧日本軍の将校であったので非常に優れたものがあったと思う。

ただ、彼は首相在任中特攻隊員の御霊が祀られている靖国神社に参拝しなかったし、キッシンジャー氏から電話があったとかで、小沢氏の要請を容れて中国の習近平氏を天皇に会うように(本来は「謁見」「拝謁」であるが、中国側メディアの写真では習氏が天皇に頭を下げていない写真を出しているという)取り計らったという。羽毛田宮内庁長官も古川氏や園部氏らとグループになって女系天皇を推進しているから、羽毛田氏も「慣例に従って」とポーズを示して、初めは小沢氏の要求を蹴ったが元々受け入れる腹であったに違いない。そういう諸状況から中曽根氏の信念には疑問符が付く。

 いずれにせよ最早有権者は経験学習をし、同じ失敗は二度としないだろう。故に橋下氏が安易な考えで首相公選を唱えるならば、彼には顔を洗って猛勉強し、出直して欲しいと思う。しかし彼が本気で首相公選すべしと主張し、そして外国人参政権・夫婦別称・女性宮家創設・人権侵害救助諸法案に反対しないのならば、彼と組もうとする石原都知事らもこの国の役には立たないだろう。

 そうであれば、残念であるがこの日本の再生のための折角の機会も「天」「地」「人」と「時」が味方せず、この日本国は衰退に向けた下降線をたどり続けることになるだろう。問題を発見できない関所として「知識の関所」「感情の関所」「文化の関所」の三つがある。これら三つ関所が、時の「運」を遠ざけるのかもしれぬ。

2012年2月12日日曜日


大阪維新の会代表橋下徹氏に聞かねばならぬことがある (20120212)

 橋下氏はTPPへの参加や日米同盟を基軸とした外交を次期衆院選の公約として掲げる意向を明らかにしたという。彼は安保政策については、「日本は自主防衛力を持たない。(米国に)頼らざるを得ないのが現実だ」と述べたという。

 そこまではわれわれも全く異論はない。次に問題にするのは、外国人参政権と夫婦別称についてである。多くの日本人はこれに対して否定的であると思う。しかし、民主党は元より公明党もこれについて党内事情があるのか肯定的である。橋下氏も地元に多数の在日韓国・北朝鮮人が住んでいる事情があるのかこの問題に対して肯定であると言われる。

一昨日、『国家の「敵」について考える』と題して、外国人参政権・夫婦別称・人権侵害救済・女性宮家創設などの諸法案は、中国や韓国の深慮遠謀にうかうか乗ってしまうものであり、表向き尤もらしい理由をあげつらって国民を誘導している一部の政治家どもは、次の①愚かで浅はかなのか、②勉強が足りず信念が固まっていないのか、或いは③反国家的思想家なのかの何れかであると述べた。橋下氏には、是非其処のところをよく勉強し、熟慮し、決して公約には掲げないで貰いたいと思う。

国家と国民とは、ある意味で別の「生き物」のようなものである。それぞれの「生き物」は自ら存在し、存続しようとする「意思」がある。国家は国民がその自存力のため国家に対して反逆しないように政治を行なおうとする。これも国家の自存のためである。

日本のように国民統合の象徴として万世一系の天皇がましまし、政治家を民主的に選出してこれに委ね、もし政治家が国民の期待を裏切るような場合は、その政治家を別の人に交替させる制度がある国なら、日本国家と日本国民はある意味で「家長である天皇と同じ屋根の下に暮らす家族」の集合体のようなものである。日本人は普段その意味をあまり考えず、中国や韓国も日本と変わらないと思い込んでいる。中国や韓国が日本に対し「頬笑み」を送れば、日本人は、中国人も韓国人も同じ東洋人であり、漢字文化圏の中で歴史・文化を共有しているという親近感を抱く。

日中韓三国の間で、経済や文化の交流を盛んにし、国民同士がお互い心を通わせる状態を作り出すことは大変良いことである。日本人は「人類皆兄弟」「世界は一家」と思い、憲法前文に「平和を願う諸国民の公正と信義に信頼して」と掲げて恒久平和を願っている。国民同士はお互い仲良くありたいと願っている。しかし、其処が中国や韓国のそれぞれの「国家」としての思うつぼである。日本という「国家」は「諸国家の公正と信義」に信頼したいと考えるが、日本以外の「国家」は「利己的」である。このことは刑死せざるを得なかった東条英機元首相に遺言に「国家から欲心を除くということは不可能である」と書かれているとおりである。

中国や韓国の「国家」は、日本のように「天皇を家長とし同じ屋根の下に暮らす家族」の集合体の部分のような日本人をだますことは簡単であると考えているに違いない。中国や韓国の「国家」は、なんとしてでも日本の恰も「国家=国民」のような麗しい国の存在が目障りであるに違いない。中国や韓国にとって日本という「国家=国民」が前に立ちはだかっているため、自分たちの思うようにできないことが多い。其処が、中国や韓国の「国家」としてのしゃくの種であるに違いない。

橋下氏には、中国や韓国・北朝鮮の国家と国民とは、日本の場合と違って「別の存在」であると認識して、決して外国人参政権・夫婦別称・人権侵害救済・女性宮家創設などの諸法案には賛成しないで頂きたいと思う。

現在、日本への帰化は簡単すぎるほど簡単である。これでは反日的な思想をもっていることを隠して日本に帰化し、日本人として内部から反日的活動をしようと企む人でも日本人になることができる。

橋下氏には、外国人が日本国籍を取得する場合の条件や儀式について法律を定める意思をもってもらいたいと思う。ここでいう儀式とは、一案として日本の国旗の片隅を片手に握り、日本の国歌「君が代」を立会人と共に斉唱し、日本人としての責任と義務を果たすことを約束する宣誓書に自筆で署名することである。「君が代」は決して「天皇の御代」のことではない。天皇は古来「おおきみ」と呼ばれてきた。「君が代」の「君」は神代の昔から八百万の神々がまします瑞穂の国日本に住む人々一般のことである。

在日韓国・北朝鮮・中国人らに言いたい。もし日本に永住したいなら、是非日本国籍を取得し、日本人としての責任と義務を果たして欲しい。さもなければそれぞれの国に帰って欲しい。「良いところ取り」をし、日本の精神文化をゆがめるような行動には絶対しないで欲しい。そのような反日的な言動を為す外国人に対しては、日本人はこれ以上看過することはできない。

2012年2月11日土曜日


日本は情報格差がない社会になるだろう(20120211)

 男は今日一日中女房のiPadとつきあい、午後からは夜までわしの携帯端末スマートフォンで撮った写真をノートパソコンに取り込むため四苦八苦した。男のスマートフォンは富士通製で、ノートパソコンも富士通製である。同じ富士通製でF-Linkというソフトを使えばスマートフォンで撮った写真はパソコンに取り込めるようなっている。

 ところが、この富士通製のスマートフォンには簡単な取扱い説明書しか付いていず、充電用のアダプターは別売である。男はこれまで最近閉店したYデンキをよく利用していて女房のiPadもわしのスマートフォンもそのYデンキで買ったものだが、その店には電源アダプターの純正品はなく他の業者が製造した安物しか売っていなかった。スマートフォンの保護カバーも売っていなかった。その店はそのとき近日中に閉店するような雰囲気は全く感じられなかった。だからそこには純正の電源アダプターや保護カバーなどは売っていなかったのだ。お客を馬鹿にするには程があると男は思っている。

男は結局スマートフォンの保護カバーは別の量販店Bカメラまで買いに行って、画面の保護シールも其処の店の店員に綺麗に貼ってもらった。電源アダプターはauショップで買い求めた。男はもう金輪際Yデンキでは絶対物は買わぬことにした。

それはさておき、スマートフォンとノートパソコンをつなぐ方法について四苦八苦したおかげで、男のこの面での能力は格段に向上した。auの電波が届くところであれば日本中何処にいてもスマートフォンをルーターとしてパソコンをインターネットにつなぐことができる。男のブログも簡単にひらくことができて結構高速である。

このパソコンには本来無線LANの機能が付いているのであるが、どういうわけかそれが作動していなかった。結局富士通のカスタマーサポートセンターに電話を入れて其処のアドバイスを受けてもともとこのパソコンにインストールされている無線LANのソフトを働かせるように設定を変え、やっとそのソフトを使えるようにできたのであった。

男や女房のような高齢者で家庭用個人用情報端末を使いこなせる人は少ない。若い人でもそう簡単には使いこなせないだろう。ひまがあり、関心があり、経済的に余裕がある人だけが家庭用個人用情報端末を使うので、情報格差が生じる。しかしそれを「格差」と言うかどうかは主観的なものである。情報端末に無関心な人は、それが無くても別に生活上の不便は感じないだろう。

しかし情報端末を繋ぐネットワークの密度が濃くなるということは、人体に張り巡らされている神経網の密度が濃くなるようなものである。今の子供たちは学校でパソコンに親しんでいるが、彼らが大人になったとき日本の社会は大きく変わる可能性がある。

2012年2月10日金曜日

国家の「敵」について考える(201202010)


アメリカはつよいう過去の歴史を見ると自国民を犠牲にしながら他国を占領していった国である。「メイン号を忘れるな!」「アラモ砦を忘れるな!」「真珠湾を忘れるな!」「9.11を忘れるな!」。 日本海軍による真珠湾攻撃は暗号を解読され、攻撃するように仕組まれた。空母は湾外に避難していた。犠牲になったアメリカ将兵こそ哀れである。

アメリカは西ローマ帝国の末裔のような国であり、ロシアは東ローマ帝国の末裔のような国である。日本は歴史をたどれば国内で同じ日本人同士が富をめぐって争ってきて、最終的に天皇のもとにまとまった。世界に日本のような、ある意味で天皇を家長とした家族のような国は存在しない。

世界の諸国は富を得るため争い続けブロック化している。世界が最終的には日本のような国になればよいが、決してそうはゆかないだろう。世界には天皇のような道徳的象徴はいない。17世紀オランダのユダヤ人哲学者スピノザが言ったように、万物は「自存」力をもち、「自存」のため行動している。「国家」も同じまた同じである。結局は生き残る力の強い国だけが生き残り、争いに勝った国が「正義」を演出できるのである。

日本が生き残るためには、たとえ「昨日の敵、今の敵」であってもその「敵」と組まざるを得ない。組むからには応分の負担もやむを得ない。冷徹に「ギヴ・アンド・テイク」である。問題は、どの「敵」と組むかということである。

ここでいう「敵」とは、広義の「敵」である。「敵」には、①味方にできる「敵」、②味方にはできない「敵」、味方にも敵にもなれない「敵」、の三通りがある。そして自分の周りにはそのような「敵」がいるが「味方」は誰もいない。そういう意味での「敵」である。「競争・競合相手」である。言いかえれば自分の心を安らげることができない他者である。日本はアメリカと軍事的同盟関係にある。従いアメリカは日本の「敵」ではあるが同時に「味方」でもあるのである。

国家の軍をもたず核兵器も持たない今の日本の実力では、日本一国だけでは決して生きのこることはできない。そういう意味で日本が組むべき「敵」は欧米諸国しかない。もし日本が近隣の「敵」である中国や韓国・北朝鮮と組めば、結局それは日本の自滅になる。
その理由は、中国は尖閣列島を中国領土であると主張し、共産党綱領に沖縄列島などの占領を意図したことが書かれているからである。

韓国は竹島を不法占拠し、韓国民に対してのみならず国際社会に向けてそのプロパガンダを推進し、さらに日本固有の文化である茶道も華道も剣道までも韓国に起源があるなどと国際社会に向かって宣伝しているからである。

 女性宮家創設・外国人参政権・夫婦別称・人権侵害救済などは、将来日本から天皇を無くし、日本の国体が変わる危険な法案である。それらの法案は、日本が上記②の味方にはできない「敵」である中国や韓国の深慮遠謀にうかうか乗ってしまうことである。

表向き尤もらしい理由をあげつらい国民を誘導している一部の政治家どもは、①愚かで浅はかなのか、②勉強が足りず信念が固まっていないのか、或いは③反国家的思想家なのかの何れかである。

憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」などは、絵に描いたもちである。勿論、日本国民は、②味方にはできない「敵」の国である中国や韓国やロシアなどの国の民とは経済・文化・学術などの面で深く交わって行かなければならない。そのことと国家同士の敵味方関係とは別である。

2012年2月9日木曜日



日本を貶めたい、日本を陥れたい「集合的無意識」(20120209)

今の日本の現状を概観すると、結局は時間が流れ、矛盾が増大し、それが良い方向か、悪い方向かに爆裂することを待つしかないのか、それとも生化学の酵母や、化学の触媒のように、なにかそういったものを、誰かが立ち上がって作用させる、つまり、革命かクーデターによって、その結果の良し悪しは別として、何かそのようなことによって事態を変えるしかないのかという状況である。ただはっきりしていることは、何もしなければただ無為に時を過ごすだけだということである。

日本のこのような状態を、中国共産党「指導部」や韓国・北朝鮮の「指導部」は、またその背後にあるかもしれないロシア共産主義者の「指導部」は、ほくそえみながら見ているであろう。

ここでいう「指導部」とは、日本を貶めたい、日本を陥れたい「集合的無意識」を共有している中国や韓国・北朝鮮やロシアの政府の中枢組織ことである。そして「集合的無意識」とは、神代以来の悠久の歴史を持ち、万世一系の天皇がいる神の国・日本を滅亡させたいという無意識の集合のことである。

作家・三島由紀夫はこのことを最も伝えかったに違いない。彼の檄文と自決の理由は其処にあったと推察される。

 2011224日木曜日付のブログ『日々是支度』の『武士道(続)(20110224)』に出ているが、三島由紀夫は、自ら「武士」を演じ、日本人の精神の復興を願い、陸上自衛隊東部方面総監室で、益田総監の前で武士の作法に則り切腹し果てた。介錯をした人が三島の首を一刀のもと離すことができず、益田総監から叱声があったらしい。
(関連: http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2011/02/20110224-11-3-2-12-9.html )

 その彼が遺した檄文の一節にこうある。戦勝国アメリカによって魂を抜かれた世代の子として生まれ、愛国心教育は一切受けずに育ち、今日本の指導的立場にある人々に今一度この檄文を読んで貰いたい。

「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を汚してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった」。
我が国は、未だ彼が嘆いたような状況にある。嘆かわしいことである。

2012年2月8日水曜日


石原新党に期待する(続き)(20120208)

石原新党は、TPPに関してアメリカが日本に対してあまりにも無理なことを押し付けるようであれば、日本はアメリカと刺し違える位の気迫と覚悟で交渉に当たって欲しい。しかしTPPには日本の安全保障という側面を無視できない。

TPPによって日本が貿易面で不利に立たされるかどうか専門的なことや、日中・日韓FTAも日本の安全保障の面でどうなのかとう専門的なことは別において、鳩山氏・小沢氏、そして谷垣氏や加藤氏らが考えているような東アジア共同体は、日本の安全保障上絶対好ましいとは言えない。

日本は貿易量の規模は別にして、欧米としっかり連携すべきであり、決して中国や韓国と連携すべきではない。なぜなら日本とこれ等の国々とは歴史的にも密接ではあり、個々の国民同士では心を通わせ合うことができるが、国家対国家となると決して性格が合う仲の良い国々ではないからである。このような状態は今後何世紀も変わらないであろう。

従って、その側面を全く考えず、そして日本国内の立ち遅れの問題を考えもせず、ただTPPには反対、と叫ぶことに対しては大いに疑問がある。

われわれがホワイトハウス宛TPP反対の署名をしたのはあくまで「交渉力の弱そうな」日本政府への応援の為であった。旧政権・現政権でも日本人としての信念に欠ける、歴史観・国家観のない政治家たちがやっているから日本の交渉力が弱いのである。

 TPPでアメリカはあたかも「新ローマ帝国」の版図を拡大しようとするような意図があるように見える。日本はその軍門に屈するのか、屈せず日本の独立と安全を確保し得るのか、その瀬戸際にあると言える。

アメリカと一口に言っても、オバマアメリカ大統領を動かしている‘何か’黒幕が背後に居るように思える。世界は数人の、表には出ない「支配者」によって動かされているのだと感じられる。その黒幕とは何か?それは表に出ないからわからない。それを知った方が良いのか、知らない方が良いのかは一つの問題である。日本軍による真珠湾攻撃を誘導した時のアメリカ大統領ルーズベルトも、その‘何か’によって繰られていたのであろう。ケネディもその‘何か’によって殺されたのであろう。オカルト的であるが世界の歴史はそのように見える。

日本はその‘何か’を知らず、大東亜を白人から解放してやりたいという正義感で戦争に踏み切ったが、その戦争に負け、その‘何か’によって支配されているアメリカに降参した。降参したからアメリカの文化が一番だと評価し、アメリカに敬意を払い、それまで日本にあった良かったものまで全部捨ててしまった。中曽根元首相は、その降参した世代を代表者の一人であると言える。

日本は戦争に負けたため失ったものが余りにも大きかった。この失ったものを是非取り戻してくれるような新政権の誕生が期待される。


2012年2月7日火曜日


石原新党に期待する (20120207)

 韓国や中国にもよく出張するある商社マン曰く、「彼らはそれぞれの国内で徹底して反日教育を受けている。逆に日本では徹底して祖国に対する愛国心教育を受けていない。そういう状況下では、中国や韓国の日本に対する不愉快な行動に対して、日本国内でいろいろ言ってもどうしようもない。

日本政府が国際社かいに対して、中国・韓国が日本に対して間違ったことをしているという事実を、諸根拠資料を基に論理的に積極的に申し立てることが必要である」。全く同感である。

従軍慰安婦や竹島や尖閣のことで、フェイスブック仲間たちがボランティアで、数か国語に翻訳した動画などをつくり世界中に拡散したり、街頭で訴えたり、デモ活動を展開したりしている。

またTPP問題ではホワイトハウスあて署名活動をしたり、最近では韓国が日本海を東海と呼ばせたくてアメリカヴァージニア州公立学校の教科書に記載させようとロビー活動していることに対してフェイスブック仲間が猛烈に反対対運動を行い、アメリカ大使館などあてにインターネット上での署名活動を行った。

その甲斐あってか、TPP問題のうち医療保険の分野でアメリカの譲歩があった。また日本海を東海と併記するヴァージニア州法案は僅差で否決された。

韓国による反日的プロパガンダなどに対しては、本来日本国政府が前面に出て国際社会に訴えるべきことであるし、政府はわれわれの上記のようなボランティア活動に対しても応援すきでことである。

 石原新党について、次のことを是非実現させるようにして貰いたい。
先ず①憲法改正、②国防軍創建、③教育勅語復活、④旧宮家復活、⑤男系皇統断固維持、⑥日本領海・領土・領空・排他的経済水域断固防衛、⑥外国人参政権反対、⑦夫婦別称反対、⑧人権侵害救済機関設置反対、⑨従来の政権政党が掲げた内政事項で優先度の高い事項、⑩新党党首は4050代の若い人である事。

一方、大阪維新のかいの橋下氏は地方から日本を変えようと意気込んでいる。これは、易経の考え方に基づき、年寄りは自らが前面に立つのではなく、志ある若い人たちの意見に耳を傾け、若い人たちが実現したいと思っていることについて大局的な見地から協力し、年寄りの「陰」と若い人たちの「陽」が折衷して「中」となるように行動すべきである。

年寄りたちが「無欲」なることが無ければ、若い人たちの力を引き出すことはできないであろう。石原氏らがどういうように動くか注目される。石原氏・平沼氏らが「名誉」も「地位」も「金」も要らぬ年寄りでなければ、この日本国の再生はできない。亀井氏の行動はクエスチョンである。彼は自己利益をめざしているように見え、うさんくさい。
勿論、政治の世界はきれいごとだけではすまされない。しかし、無欲で誠実な人たちがリーダーシップを発揮しなければ、決して良い結果は生まないものである。


2012年2月6日月曜日



国家と国民は別ものである(20120206))

 国家も生き物、国民一人ひとりも生き物、団体も会社も、家庭も家族も親族もみなそれぞれがひとつの生き物である。

 それぞれの生き物は生き残るために行動する。気持ちがいい方向に、快感やよい刺激が得られる方向に向かって行動する。それぞれは経験し学んで文化や習慣をもち、その文化や習慣を守ろうとして行動する。気持ちがよくないことを避け、不快なことを避け、悪い刺激を避け、そしてそれらを避けるために、また文化や習慣を守るために闘争する。

 普段「家」というものを意識していなくても、斎場で「〇〇家式場」と書いてあるのを見て人は「家」を意識する。結婚式で「〇〇家」「□□家」と書いてあるのを見て「家」を意識する。国も同じである。オリンピックで競技者を応援するとき「国家」を意識する。

 国と国同士、仲が良い国もあれば、仲が悪い国もある。人にも「性格」があるように国家にも「性格」がある。〇〇家の子供と□□家の子供同士仲良しであってもその親同士が仲良くしているわけではない。「家」を前面に出すと対立することもある。

 国同士も同じである。それぞれの国の民の一部同士はお互い心を通じ合わせていても、国同士となると戦火を交えることが起きる。ボスニア・ヘルツェコビナ紛争では昨日まで仲が良かった隣人同士がある日突然敵味方に分かれ、血を血で洗う悲惨な戦争になった。国土が広く漢族が大部分を占めるが多数の人種が住んでいる中国人と日本人はお互い心を通わせ合っていても、中国という国家が前面に出ると、日本は「日本国」という国家を前面に出して対抗しなければならない。このように、国民と国家は別ものであり、それぞれ気持ちがいい方向、快感やよい刺激が得られる方向に向かって行動する。

 中国が核心的利益と称して尖閣列島の領有権を主張するのは、もし尖閣列島をいろいろ理由をあげつらって、策謀を巡らしとどめに武力を行使して尖閣列島を占領すれば、中国という「国家」にとって良い刺激が得られ、快感を覚え、その後はさらに沖縄列島・八重山列島・奄美列島へと領有の目標を移すことができるからである。そのような行動に批判的な一部の中国国民であっても一旦革新的利益確保の目的が達成されれば、従前の心情とは別の心情を持つだろう。それでいて日本人と仲良く心を通じ合わせることだろう。

 もともと天皇が日本国家の家長のようなイメージであり、「世界は一家」「人類は同胞(はらから)」と思う日本人は、国家によって教育され、意識させられないと「国家」の観念を無くしたかのように見えるのだ。日本は大東亜解放戦争に負けてその観念が一挙に失われたが、東日本大震災のような災害が起きると「絆」を意識し、天皇以下日本人皆が一家族のようになる。それが日本人なのである。

 今、日本人は戦争で失った観念を取戻し、意識する絶好の状況にある。このチャンスに憲法を改正し、国防軍を創建し、戦勝国アメリカによって廃止された教育勅語を復活させ、旧宮家を復活させなければならない。

 左翼組織はそうはさせまいと、最終的には日本の国体の解体を目指して、先ずは外国人参政権付与、夫婦別称制度化を推し進めようとしている。左翼に反対する言辞を取り上げ人権侵害だときめつけることができるように目論んでいる。このことを警戒すべきである。

2012年2月5日日曜日


日本に自衛隊がいてよかった(続き)(20120205)

“おそらく最も早かったはずだ。

「これは大きいぞ!」。陸上自衛隊霞目駐屯地に所在する東北方面航空隊の操縦士は、すさまじい揺れに襲われたその瞬間に庁舎を飛び出した。

震度5弱以上の地震が起きた場合、即座に情報収集に出ることになっていたのだ。立っていられない程だったが、まだ揺れている中でエンジンを回しエプロン(駐機場)のUH-1に乗り込んだ。管制と緊迫したやりとりを交わして素早く離陸。時刻は1501だった。

雪が降り始め、視界が悪い。しかし、映像伝送(ヘリ映像)は極めて重要な任務だ。地上の様子を詳細に伝えなければならない。眼下には、卒業式が行われている学校だろうか、沢山の車が校庭に見える。

急いで車で帰ろうとする親子連れの姿に「わが妻と子はどうしているだろうか」と一瞬、頭をよぎったが、津波を継げる無線にハッとした。海に目をやると、不気味に潮が引き、向こうから大きな波濤がぐんぐん近づいてくる。

「津波です! ものすごい津波です!」。われ知らず絶叫に近い声でその状況を伝えていた。波は瞬く間に家屋も車ものみ込んでいった。

その時、救難活動のためさまざまな航空機が東北に向かっていた。「松島基地も仙台空港も使えないらしい。とにかく霞目をめざせ!」。自衛隊だけなく、民間、警察、消防のヘリなどが飛来する。その数は平時の10倍に及んだ。

「小学校の屋上に子供たちがいる!」。雪は降り続け、日は落ちてくる。あたりは停電で真っ暗闇となったが、懸命に手を振っている所にヘリが接近。ホバリングしながらホイストで降下する救助を何度も何度も繰り返した。夜通し飛び続け、日の出までに169人を救出した。

管制ではひっきりなしに指示を出し続けるので声はガラガラになっていた。救助した人は、避難所が決まるまで駐屯地に運び込んだ。

給油も、通常は民間機に対してはできないが今回は認められ、エンジンを止めずに補給する「ホットリフューエル」を絶え間なく行った。

食糧は全て被災者に配り、自分たちはそれから毎日カンパンでしのいだ。ずぶぬれになった人に私服のジャージーを差し出す隊員もいた。相手がどうしてほしいのか常に考えている。整備など後方隊員のスピリッツが生きた。

使命感を持って飛び続ける者、それを支える者、彼らのホットリフューエルは被災者も救ったのだ。”

日ごろの訓練の成果がこのように非常時に発揮される。訓練ができていない政治家や官僚たちは国民を危険にさらし続けた。

福島第一原発事故は明らかに民主党政権による人災だ! 議事録も作っていなかったとは何たることだ! 外国人参政権・夫婦別称などとんでもないと男は怒っておる。

2012年2月4日土曜日


日本に自衛隊がいてよかった(続き)(20120204)
 
 菅元首相は自分が指揮して10万人の自衛官を現地に展開させたという趣旨のことを言って胸を張った。しかし、命令一下直ちにそのようなことができるわけがない。自衛隊は常に有事即応の体制をとっていて、大震災発生直後に直ちに行動に移していたからそのようなことができたのだ。また在日アメリカ軍が直ちに空母や艦艇を三陸沖に派遣し、自衛隊と協同作戦ができたのも、日ごろの日米共同訓練が積み重さねられていたからである

 “震災が起きた日から、多くの被災者を救うことになったのは、空からの救助だった。その主体となるはずだったのが、航空自衛隊松島基地に所在する松島救難隊である。

 しかし、救難ヘリUH-60Jなどが水没したため、1機たりとも飛び立つことができなかった。「今、すぐに向かわなければ間に合わない……」

 生存者を救出できるタイムリミットを考えると、ヘリさえあれば……。その思いで気は焦るばかりだった。

 自分たちの愛機が目の前で流され、壁に叩きつけられたショック、自家用車も押しつぶした津波の恐怖がまだまぶたに残っている。家族の安否さえ分からないままだ。

 しかし、彼らには「こんな時に飛べないなんて」「今まで何のために厳しい訓練を重ねてきたんだ」という、やりきれない思いしかなかった。そのとき、他基地から救難のヘリがたどり着いた。

 「来てくれた!」佐々野真救難隊長は隊員を集合させた。
 「家族が被災してない者、独身者、電話がつながった者を中心にクルーを編成する!」
 移動手段さえあれば、どこかの救難隊に臨時編入させることができると考えついたのだ。

 隊員たちがざわめいた。「隊長! 私も行かせてください」。
 隊長は胸が熱くなった。意気消沈している者などいなかった。「助けたい」という気持ちが何にも勝っていた。
 「われわれを乗せて行ってくれ!」救難物資輸送で基地に降りたCH-47(チヌーク)を引きとめた。このヘに便乗し、まずは救難団本部がある入間基地まで運んでもらおうという算段だ。突然の要請に司令部との調整は混乱した。

 「そんなニーズはあるのか?」と言われたが、必死の説得にそれ以上は問われなかった。他の救難ヘリは夜通し飛んでいるのだ。今、細かい手続きや説明をしている余裕はない。半ば力づくで80人の隊員のうち12人を向かわせた。12人の松島救難隊員は、入間からさらに百里基地まで移動し、翌朝から百里救難隊に臨時勤務する形で活動することになった。

 「よく来てくれた……」。彼らの姿を見て、百里基地では驚愕していたが、快く受け入れてくれた。「一緒に飛ばせてください! 燃料が続く限り」。それから不休の救出作戦が始まった。一方、」陸上自衛隊の航空部隊も壮絶な救出劇を繰り広げていた。”

2012年2月3日金曜日


日本に自衛隊がいてよかった(20120203)

 表題は桜林美佐という方が書いた本の名前である。男はこの間散歩がてらに書店に立ち寄った時、この本が目に止まったのでちょっと立ち読みし、記念にと思って買い求めた。この本の副題は「自衛隊の東日本大震災」である。

 “「自分が行きます!」
  すべての隊員が口を揃えた。福島第一原発に放水をするため、陸上自衛隊のヘリコプター「CH-47」が出動することになった時のことだ。
「任せろ、これくらい大したことはないさ」
「今、無理しなくてどうする」
被爆覚悟の作戦にもかかわらず、そんな声があちこちから聞こえてくる。

同原発では、314日に3号機で放水作業中に水素爆発が起き、4名のけが人も出た。その中には中央特殊武器防護隊長もいた。事故に遭った隊員は後送されるのが通常だが、隊長は下がることを強く拒んだという。

「あの、温和なアイツがそんなことを……」
同期の幹部自衛官が絶句した。とてもそんな無理をするタイプに見えなかったが、何が彼にそう言わせたのだろうか。

原発への放水作業だけではない。被災現場での救援でも厳しい状況は同様だ。氷点下の気温の中での作業を続けるが、燃料を使うわけにはいかないと、暖をとることもない。持っていた隊員用の携帯糧食を、迷うことなく被災者に渡す隊員ばかりだという。

空腹の中で作業を終え、ドロドロになった戦闘服を脱ぎ、翌日またその同じ服を着て出ていく。それは「昨日の記憶を背負いながら行く」ことでもある。

目をつむると、目の当たりにした遺体残像が浮かんでくる。それは阪神・淡路大震災の時も同じだった。

当時、若かった隊員が、現在は曹長などリーダーなっており、その経験からか、誰が命令したわけでもないのに、夜は5~6人の作業部隊が車座になるのだという。

つらかった光景、ひどく悲しかったことなど、黙々と作業をし続けたその日の全てのことを声にして吐きだし、そして泣く。やがて、明日も任務を精一杯やろうと誓い合って、一日を終えるのである。

東北の隊員は、全国から派遣されている部隊を気遣い、申し訳ないという気持ちと、自分たちは、一層頑張らねばならないという思いがある。しかし、彼らは被災者でもある。家族や肉親を失っていたり、今なお、愛する人が行方不明になっている隊員も多い。
遺体を発見した時に「自分の家族では……」という思いが頭をよぎっても、任務に私情は挟めない。”
3.11大震災で活動した自衛官・警察官・消防官の代表がスペイン皇太子から表彰を受けた。民主党政権下ではそのようなことはない。勿論、ボランティア活動をした人たちへの表彰もない。そして政治家たしは口では天下国家のことを言いながら、裏では一部の議員たちを除いて、自分の襟の議員バッジを守ることに汲々としている国会議員たちばかりだ。

2012年2月2日木曜日


過去と未来への責任感(20120202)

 表題は21日付読売新聞に投稿されている中曽根康弘元首相の記事のタイトルである。この投稿記事は一面と二面にわたる長文であるが、その中から特に次の部分を括弧(“”)で引用する。

  “首相に必要な条件とは、国を発展させる信念の強さ、過去の歴史と未来の国民への責任感だ。”
  “要するに、最近はサラリーマン的な首相が多い。”
  “菅氏はチャンスがあって首相になったが、その尻には市民主義の考えがくっついてくる。
  市民主義は「現在」の市民の幸福を図ることが中心で、そこに国の「過去」や「未来」はない。野田首相も、私から見れば歴史や伝統への関心が薄い。民主党政権の首相は歴史観が浅い。”
  “政治家には運、宿命がつきまとう。それを克服する力を持たなければならない。世の中を変え、未来に向かって進むという気迫が必須だ。”

 男は民主党歴代首相はそれぞれそれなりに一生懸命にやったのだと思う。かと言って男は彼らを擁護しているわけではない。鳩山元首相は首相にならなんとするとき非常に気持ちが高ぶっていて、「平成維新」だと言い、自民党から政権を奪った功績者として小沢元民主党代表を讃え「小沢さんは私たちを高みに引き揚げてくれた」と言った。毎月母親から1500万円もの小遣いをもらっていながら、秘書任せ・知らぬ存ぜぬで通した。小沢氏も衆目はあれは嘘で固めていると分かっていることを承知の上で、嘘から嘘を並べている。

 現今の日本の現状の種は自民党政権が蒔いたと言えるだろう。小沢チルドレンは小泉チルドオレンの二番煎じである。そしてこのような日本の政治状況を作った責任者は誰かというと、男はそれは今70代、80代になっている老人たちだと思っている。選挙違反で警察にしょっ引かれる者を出しながらも、ある意味では自分たちの「生きがい」「自己実現」のため地元候補者を応援し、応援した候補者が当選すれば上京し、議員バッジをつけた当人による多少の接待でご馳走になりながらそれを自慢話にする爺さん・婆さんたちがいた。

 マッカーサーが怨恨で東条英機元首相閣下らを絞首刑に処し、日本人の精神構造を根底から叩き壊すことに成功した。これに対し国際コミンテルンの方針に沿って左翼が便乗し、最終の目標を日本から天皇を無くし、日本国家を解体しようと目論んでいる。

 フェイスブック上では日本の現状とこれに対する自分たちの反対や抗議の活動について限界を感じたのかちょっと一休みしたいという人も出て来た。男もその一人である。馬鹿な、愚かな政治家たちに腹を立ててなんだかんだ言っても彼らには蚊にちょっと刺された程度だろう。それでも男が出しているブログへのアクセスは多い。疲れたときは一休みしながら、地道に愛国的行動を共にする仲間を増やし、日本の危機的状況を救わなければならぬ。その一方で、日本人の精神性を高めるための活動をしなければならぬ。

2012年2月1日水曜日


胃腸内視鏡検査 (20120201)

 男は7年前それまで大変長い年月お付き合いしていたジヌシと決別すべく、インターネットでJR新橋駅日比谷口すぐ近くのAいうクリニックを訪れた。その時男はそこでジヌシと決別できると思っていた。ところがそこは安孫子にあるT病院の出先機関であり、そこではジヌシとは決別できず安孫子のT病院に行くよう指示された。その病院はその方面では最も信頼性が高そうな病院であった。男は其処で手術を受け、執刀医のT先生が言ってくれたとおり男のQOLは格段に向上した。そのとき横行結腸にポリープがあり数週間おいてそのポリープを切除してもらった。以来ほとんど毎年その病院に行き、最近は同じ系列の柏駅近くの病院でも胃腸の内視鏡検査を受けてきた。

 しかし我が家から安孫子は元より柏にせよ結構距離があり時間を取られる。交通費もかかる。検査結果万一がんが見つかり入院しなければならなくなったとき、女房が可哀そうだ。ジヌシと別れる手術の時3、4日入院していたが、その間女房は毎日2時間かけて病院まで通ってきてくれていた。男が10数年前東京のJ大病院で前立腺がんの手術を受けて3週間ばかり入院していた間も、女房は毎日1時間半ぐらいかけて通ってきてくれていた。退院したときはまだ手術跡が痛むので女房と一緒に病院からタクシーを使って帰った。

そういうことがあってわが家のすぐ近くにあるかかりつけの内科医院のS先生に、何処か近くで内視鏡検査をしてくれる良い先生はいないものか相談したら、JR鶴見駅から徒歩10分もかからぬ所に開院しているK内科・胃腸科を紹介してくれた。これまで内視鏡検査のときは検査中意識がはっきりしていて緊張感があったが、ここでは看護師が「すこし眠くなる注射をしますね」といって注射してくれた。すると多少眠くなり、本当に眠ってしまった。目が覚めたら検査はすべて終わっていて、多少ふらふらしながら別室に案内され、ベッドに横たわり休憩するようになっていた。

これまでこのような経験はなかった。先生も看護師も大変親しみやすく、クライアントを非常にリラックススさせてくれる。検査結果全く異常なかった。ここを紹介してくれたS先生あて手紙と一緒に診断結果を渡され、とても良い気分で家路についた。朝8時半にこのT医院に着いて午後2時近くT医院を後にした。ここは良い。最高である。検査結果はこれまでと変わらず、胃に萎縮性胃炎と軽度の表層性胃炎あり、また逆流性食道炎もある。経過観察で毎年胃カメラ検査だけは欠かせない。これはもし食道がん・胃がんが発生すればごく初期に発見するためである。また今後はS内科で従来の胃薬を処方してもらうことになる。今度はその薬は継続的に服用することになる。勿論自分自身も摂生が必要である。

久しぶり快晴で良い気分で線路沿いに鶴見駅まで歩く。大本山總持寺前を通る。雲水たちが節分追儺式の豆を売っていたので一袋買ってやった。駅近くの西友デパートの一画にお総菜屋があり、そこでポテトサラダや牛肉・にんじん・ブロッコリー・じゃがいもなど一緒に煮たものやかき揚げ天ぷらとご飯を買い、其処で久しぶり空腹を満たし、店内で文明堂のカステラ1本買い、男が7年間初代理事長を務めたNPOAに顔を出した。久しぶり昔の仲間の女性たちに会いしばし旧交を温めた。帰り際「わしもここにお世話になるかもしれんよ」と言うと「それは会議をして決めます」と冗談が帰ってきた。