2012年2月6日月曜日



国家と国民は別ものである(20120206))

 国家も生き物、国民一人ひとりも生き物、団体も会社も、家庭も家族も親族もみなそれぞれがひとつの生き物である。

 それぞれの生き物は生き残るために行動する。気持ちがいい方向に、快感やよい刺激が得られる方向に向かって行動する。それぞれは経験し学んで文化や習慣をもち、その文化や習慣を守ろうとして行動する。気持ちがよくないことを避け、不快なことを避け、悪い刺激を避け、そしてそれらを避けるために、また文化や習慣を守るために闘争する。

 普段「家」というものを意識していなくても、斎場で「〇〇家式場」と書いてあるのを見て人は「家」を意識する。結婚式で「〇〇家」「□□家」と書いてあるのを見て「家」を意識する。国も同じである。オリンピックで競技者を応援するとき「国家」を意識する。

 国と国同士、仲が良い国もあれば、仲が悪い国もある。人にも「性格」があるように国家にも「性格」がある。〇〇家の子供と□□家の子供同士仲良しであってもその親同士が仲良くしているわけではない。「家」を前面に出すと対立することもある。

 国同士も同じである。それぞれの国の民の一部同士はお互い心を通じ合わせていても、国同士となると戦火を交えることが起きる。ボスニア・ヘルツェコビナ紛争では昨日まで仲が良かった隣人同士がある日突然敵味方に分かれ、血を血で洗う悲惨な戦争になった。国土が広く漢族が大部分を占めるが多数の人種が住んでいる中国人と日本人はお互い心を通わせ合っていても、中国という国家が前面に出ると、日本は「日本国」という国家を前面に出して対抗しなければならない。このように、国民と国家は別ものであり、それぞれ気持ちがいい方向、快感やよい刺激が得られる方向に向かって行動する。

 中国が核心的利益と称して尖閣列島の領有権を主張するのは、もし尖閣列島をいろいろ理由をあげつらって、策謀を巡らしとどめに武力を行使して尖閣列島を占領すれば、中国という「国家」にとって良い刺激が得られ、快感を覚え、その後はさらに沖縄列島・八重山列島・奄美列島へと領有の目標を移すことができるからである。そのような行動に批判的な一部の中国国民であっても一旦革新的利益確保の目的が達成されれば、従前の心情とは別の心情を持つだろう。それでいて日本人と仲良く心を通じ合わせることだろう。

 もともと天皇が日本国家の家長のようなイメージであり、「世界は一家」「人類は同胞(はらから)」と思う日本人は、国家によって教育され、意識させられないと「国家」の観念を無くしたかのように見えるのだ。日本は大東亜解放戦争に負けてその観念が一挙に失われたが、東日本大震災のような災害が起きると「絆」を意識し、天皇以下日本人皆が一家族のようになる。それが日本人なのである。

 今、日本人は戦争で失った観念を取戻し、意識する絶好の状況にある。このチャンスに憲法を改正し、国防軍を創建し、戦勝国アメリカによって廃止された教育勅語を復活させ、旧宮家を復活させなければならない。

 左翼組織はそうはさせまいと、最終的には日本の国体の解体を目指して、先ずは外国人参政権付与、夫婦別称制度化を推し進めようとしている。左翼に反対する言辞を取り上げ人権侵害だときめつけることができるように目論んでいる。このことを警戒すべきである。