2012年2月12日日曜日


大阪維新の会代表橋下徹氏に聞かねばならぬことがある (20120212)

 橋下氏はTPPへの参加や日米同盟を基軸とした外交を次期衆院選の公約として掲げる意向を明らかにしたという。彼は安保政策については、「日本は自主防衛力を持たない。(米国に)頼らざるを得ないのが現実だ」と述べたという。

 そこまではわれわれも全く異論はない。次に問題にするのは、外国人参政権と夫婦別称についてである。多くの日本人はこれに対して否定的であると思う。しかし、民主党は元より公明党もこれについて党内事情があるのか肯定的である。橋下氏も地元に多数の在日韓国・北朝鮮人が住んでいる事情があるのかこの問題に対して肯定であると言われる。

一昨日、『国家の「敵」について考える』と題して、外国人参政権・夫婦別称・人権侵害救済・女性宮家創設などの諸法案は、中国や韓国の深慮遠謀にうかうか乗ってしまうものであり、表向き尤もらしい理由をあげつらって国民を誘導している一部の政治家どもは、次の①愚かで浅はかなのか、②勉強が足りず信念が固まっていないのか、或いは③反国家的思想家なのかの何れかであると述べた。橋下氏には、是非其処のところをよく勉強し、熟慮し、決して公約には掲げないで貰いたいと思う。

国家と国民とは、ある意味で別の「生き物」のようなものである。それぞれの「生き物」は自ら存在し、存続しようとする「意思」がある。国家は国民がその自存力のため国家に対して反逆しないように政治を行なおうとする。これも国家の自存のためである。

日本のように国民統合の象徴として万世一系の天皇がましまし、政治家を民主的に選出してこれに委ね、もし政治家が国民の期待を裏切るような場合は、その政治家を別の人に交替させる制度がある国なら、日本国家と日本国民はある意味で「家長である天皇と同じ屋根の下に暮らす家族」の集合体のようなものである。日本人は普段その意味をあまり考えず、中国や韓国も日本と変わらないと思い込んでいる。中国や韓国が日本に対し「頬笑み」を送れば、日本人は、中国人も韓国人も同じ東洋人であり、漢字文化圏の中で歴史・文化を共有しているという親近感を抱く。

日中韓三国の間で、経済や文化の交流を盛んにし、国民同士がお互い心を通わせる状態を作り出すことは大変良いことである。日本人は「人類皆兄弟」「世界は一家」と思い、憲法前文に「平和を願う諸国民の公正と信義に信頼して」と掲げて恒久平和を願っている。国民同士はお互い仲良くありたいと願っている。しかし、其処が中国や韓国のそれぞれの「国家」としての思うつぼである。日本という「国家」は「諸国家の公正と信義」に信頼したいと考えるが、日本以外の「国家」は「利己的」である。このことは刑死せざるを得なかった東条英機元首相に遺言に「国家から欲心を除くということは不可能である」と書かれているとおりである。

中国や韓国の「国家」は、日本のように「天皇を家長とし同じ屋根の下に暮らす家族」の集合体の部分のような日本人をだますことは簡単であると考えているに違いない。中国や韓国の「国家」は、なんとしてでも日本の恰も「国家=国民」のような麗しい国の存在が目障りであるに違いない。中国や韓国にとって日本という「国家=国民」が前に立ちはだかっているため、自分たちの思うようにできないことが多い。其処が、中国や韓国の「国家」としてのしゃくの種であるに違いない。

橋下氏には、中国や韓国・北朝鮮の国家と国民とは、日本の場合と違って「別の存在」であると認識して、決して外国人参政権・夫婦別称・人権侵害救済・女性宮家創設などの諸法案には賛成しないで頂きたいと思う。

現在、日本への帰化は簡単すぎるほど簡単である。これでは反日的な思想をもっていることを隠して日本に帰化し、日本人として内部から反日的活動をしようと企む人でも日本人になることができる。

橋下氏には、外国人が日本国籍を取得する場合の条件や儀式について法律を定める意思をもってもらいたいと思う。ここでいう儀式とは、一案として日本の国旗の片隅を片手に握り、日本の国歌「君が代」を立会人と共に斉唱し、日本人としての責任と義務を果たすことを約束する宣誓書に自筆で署名することである。「君が代」は決して「天皇の御代」のことではない。天皇は古来「おおきみ」と呼ばれてきた。「君が代」の「君」は神代の昔から八百万の神々がまします瑞穂の国日本に住む人々一般のことである。

在日韓国・北朝鮮・中国人らに言いたい。もし日本に永住したいなら、是非日本国籍を取得し、日本人としての責任と義務を果たして欲しい。さもなければそれぞれの国に帰って欲しい。「良いところ取り」をし、日本の精神文化をゆがめるような行動には絶対しないで欲しい。そのような反日的な言動を為す外国人に対しては、日本人はこれ以上看過することはできない。