2012年2月3日金曜日


日本に自衛隊がいてよかった(20120203)

 表題は桜林美佐という方が書いた本の名前である。男はこの間散歩がてらに書店に立ち寄った時、この本が目に止まったのでちょっと立ち読みし、記念にと思って買い求めた。この本の副題は「自衛隊の東日本大震災」である。

 “「自分が行きます!」
  すべての隊員が口を揃えた。福島第一原発に放水をするため、陸上自衛隊のヘリコプター「CH-47」が出動することになった時のことだ。
「任せろ、これくらい大したことはないさ」
「今、無理しなくてどうする」
被爆覚悟の作戦にもかかわらず、そんな声があちこちから聞こえてくる。

同原発では、314日に3号機で放水作業中に水素爆発が起き、4名のけが人も出た。その中には中央特殊武器防護隊長もいた。事故に遭った隊員は後送されるのが通常だが、隊長は下がることを強く拒んだという。

「あの、温和なアイツがそんなことを……」
同期の幹部自衛官が絶句した。とてもそんな無理をするタイプに見えなかったが、何が彼にそう言わせたのだろうか。

原発への放水作業だけではない。被災現場での救援でも厳しい状況は同様だ。氷点下の気温の中での作業を続けるが、燃料を使うわけにはいかないと、暖をとることもない。持っていた隊員用の携帯糧食を、迷うことなく被災者に渡す隊員ばかりだという。

空腹の中で作業を終え、ドロドロになった戦闘服を脱ぎ、翌日またその同じ服を着て出ていく。それは「昨日の記憶を背負いながら行く」ことでもある。

目をつむると、目の当たりにした遺体残像が浮かんでくる。それは阪神・淡路大震災の時も同じだった。

当時、若かった隊員が、現在は曹長などリーダーなっており、その経験からか、誰が命令したわけでもないのに、夜は5~6人の作業部隊が車座になるのだという。

つらかった光景、ひどく悲しかったことなど、黙々と作業をし続けたその日の全てのことを声にして吐きだし、そして泣く。やがて、明日も任務を精一杯やろうと誓い合って、一日を終えるのである。

東北の隊員は、全国から派遣されている部隊を気遣い、申し訳ないという気持ちと、自分たちは、一層頑張らねばならないという思いがある。しかし、彼らは被災者でもある。家族や肉親を失っていたり、今なお、愛する人が行方不明になっている隊員も多い。
遺体を発見した時に「自分の家族では……」という思いが頭をよぎっても、任務に私情は挟めない。”
3.11大震災で活動した自衛官・警察官・消防官の代表がスペイン皇太子から表彰を受けた。民主党政権下ではそのようなことはない。勿論、ボランティア活動をした人たちへの表彰もない。そして政治家たしは口では天下国家のことを言いながら、裏では一部の議員たちを除いて、自分の襟の議員バッジを守ることに汲々としている国会議員たちばかりだ。