2012年2月17日金曜日


参議院の抜本改革について(20120216)

 大阪維新の会代表橋下大阪市長は「船中八策」の第八「憲法改正」の中で、「首相公選」と「廃止を視野に参議院の抜本改革」を掲げている。これには多くの異論が出ている。
 
まず「参議院の廃止を視野」という言葉が良くない。参議院は戦前「貴族院」であった。貴族院の構成は、皇族議員、華族議員、公爵侯爵議員、伯爵子爵男爵議員、勅選議員・帝国学士会会員議員・多額納税者議員・朝鮮勅選議員・台湾勅選議員から成っていた。それぞれ定員が定められていた。勅選議員とは内閣の輔弼(ほひつ)により天皇が任命した議員のことである。皇族といえども軍人は貴族院議員にはなれなかった。このように貴族院議員には、ある意味で「良識ある人たち」が選ばれていた。

 貴族院議員には有権者による直接選挙ではなく、一定の良識ある人たちが爵位により、或いは国家に勲労ある、または学識ある人たちを内閣が輔弼して天皇が直接任命することにより、或いは学識経験者・多額納税者など一定の基準を満たす人たちが選ばれていた。
 
今の参議院議員は有権者の直接選挙によって選ばれている。定任期制を除けば本質的に衆議院議員と変わらない。戦前の貴族院のことにつて知らない一般国民は、現在の二院制がアメリカの上院・下院と同じようなものであると思い何等不思議さを感じていない。

だから橋下氏のように「参議院廃止を視野」というセンセーショナルな言葉を使って人々を驚かすような言葉が飛び出したり、民主党の前原氏のように参議院廃止で一院制を主張する人が現れたりする。橋下氏も前原氏も根本的に間違っている。

 参議院は廃止するのではなく、参議院議員の選出方法を改善すべきである。その改善方法とは、有権者の直接選挙ではなく、参議院議員は文字通り「参議」のため党派の別なく、言うなれば“「中庸」で「賢い」人たち”が選ばれるような仕組みにすべきである。費用と時間がかかるが健全な二院制となるようにすべきである。これこそが易経でいう「折衷」である。現状で良いとする人たちが「陰」、橋下氏や前原氏らが「陽」とすれば、どちらか一方に偏るのは決して正しい方向ではない。

 その仕組みとは、「参議院議員を選出する人」を有権者の直接選挙で選ぶ仕組みにすることである。先ずその「参議院議員を選出する人」の候補者になるべき資格を定める。次に、思想信条に関係なく一定の学識経験者・社会的貢献者・スポーツ功労者・芸術芸能功労者・科学技術功労者などで一定の基準を満たしていて「参議院議員を選出する人」に立候補した人、及び立候補しなくても各界から推薦された人、並びに各種褒章・勲章などを受けた人や首相閣僚経験者などの中から内閣が一定の基準で選んだ人たちが、参議院議員を一定の基準、一定の割合で選ぶのである。この一定の基準・一定の人数割合が重要である。

 そのようにして選ばれた人たちが、参議院議員を選出するのである。このようにすれば、参議院は正しく「良識の府」になるであろう。衆議院から上がってきた法律案について各種委員会などで議論し、賛成か反対を議決し、反対の議決の場合、その理由を国民に示す。最終判断は衆議院による再審議と議決によるもとすればよい。

 なお、「首相公選制」という言葉も良くない。これも「折衷」すべきである。その方向は上述改革された二院制により、現行通り首相が指名されれば良い。そもそも首相のリーダーシップは「首相個人の理念と資質」及び「議会の制度」により決まるものである。参議院を廃止し一院制にしたからとて、首相がリーダーシップを発揮できるものではない。

 まして、地方自治体のような「二元代表」になれば、国家は危険にさらされること必至である。ヒットラーのよう首相が現れたどうするか。橋下氏にはよく考えて貰いたい。