2012年2月5日日曜日


日本に自衛隊がいてよかった(続き)(20120205)

“おそらく最も早かったはずだ。

「これは大きいぞ!」。陸上自衛隊霞目駐屯地に所在する東北方面航空隊の操縦士は、すさまじい揺れに襲われたその瞬間に庁舎を飛び出した。

震度5弱以上の地震が起きた場合、即座に情報収集に出ることになっていたのだ。立っていられない程だったが、まだ揺れている中でエンジンを回しエプロン(駐機場)のUH-1に乗り込んだ。管制と緊迫したやりとりを交わして素早く離陸。時刻は1501だった。

雪が降り始め、視界が悪い。しかし、映像伝送(ヘリ映像)は極めて重要な任務だ。地上の様子を詳細に伝えなければならない。眼下には、卒業式が行われている学校だろうか、沢山の車が校庭に見える。

急いで車で帰ろうとする親子連れの姿に「わが妻と子はどうしているだろうか」と一瞬、頭をよぎったが、津波を継げる無線にハッとした。海に目をやると、不気味に潮が引き、向こうから大きな波濤がぐんぐん近づいてくる。

「津波です! ものすごい津波です!」。われ知らず絶叫に近い声でその状況を伝えていた。波は瞬く間に家屋も車ものみ込んでいった。

その時、救難活動のためさまざまな航空機が東北に向かっていた。「松島基地も仙台空港も使えないらしい。とにかく霞目をめざせ!」。自衛隊だけなく、民間、警察、消防のヘリなどが飛来する。その数は平時の10倍に及んだ。

「小学校の屋上に子供たちがいる!」。雪は降り続け、日は落ちてくる。あたりは停電で真っ暗闇となったが、懸命に手を振っている所にヘリが接近。ホバリングしながらホイストで降下する救助を何度も何度も繰り返した。夜通し飛び続け、日の出までに169人を救出した。

管制ではひっきりなしに指示を出し続けるので声はガラガラになっていた。救助した人は、避難所が決まるまで駐屯地に運び込んだ。

給油も、通常は民間機に対してはできないが今回は認められ、エンジンを止めずに補給する「ホットリフューエル」を絶え間なく行った。

食糧は全て被災者に配り、自分たちはそれから毎日カンパンでしのいだ。ずぶぬれになった人に私服のジャージーを差し出す隊員もいた。相手がどうしてほしいのか常に考えている。整備など後方隊員のスピリッツが生きた。

使命感を持って飛び続ける者、それを支える者、彼らのホットリフューエルは被災者も救ったのだ。”

日ごろの訓練の成果がこのように非常時に発揮される。訓練ができていない政治家や官僚たちは国民を危険にさらし続けた。

福島第一原発事故は明らかに民主党政権による人災だ! 議事録も作っていなかったとは何たることだ! 外国人参政権・夫婦別称などとんでもないと男は怒っておる。