2009年6月13日土曜日


矛盾(20090613

cQmC12GR_-=ww?sKjcQmC12GR テレビや新聞で毎日のように事件が報道されている。散歩すると落書きやポイ捨てのゴミが目につく。ときどき散歩やジョギングの路上に犬の糞が放置されたままになっている。国民のおそらく0コンマ何パーセントかの者がそのような不心得なことを繰り返しているのだと男は推定する。しかし、男は昔のような正義感を今は持っていない。その理由は、そのような人間もこの社会には必要であると思っているからである。

 この世は悪人が居なければ善人も引き立たない。マナーの悪い人がいなければマナーが良い人が引き立たない。しかし、悪人が多くなれば善人はその社会から減ってしまう。マナーが悪い人が多くなればマナーがよい人はその社会から減ってしまう。一方、善人ばかりの社会やマナーの良い人ばかりの社会はきっと.息苦しい社会であるに違いない。
 
 国を一個の人間のような存在だと仮定すると、国際社会には国際平和を乱すような国が存在している。そこで国際連合という枠組みの中でそのような国にどう向き合うのか話し合って、長い時間をかけて各国が共同歩調をとる取り決めをしている。

 矛盾とは何だろう。悪人やマナーの悪い人や、国際社会での問題国などは、その数があるレベル以下であると、あまり矛盾は表面化しないが、その数が一定の許容レベルを超えると一挙に問題化する。そうするとその矛盾を無くそうという動きが高まり、時間をかけて収まるところに収まる。

 日本郵政の問題では結局鳩山総務大臣が辞任した。それで日本郵政をめぐる矛盾は無くなったのだろうか。多分矛盾はくすぶり続け、何かのきっかけで一挙に政治問題になる可能性は十分ある。結局政界再編成まで行き、矛盾は収まってゆくのかどうか。

 北朝鮮では自国内の矛盾が大きくなり、暴走して結局自滅し、その矛盾は収まることになるのか、あるいは日本や韓国や中国など周辺国が特に大きな負担や犠牲を強いられる結果となってその矛盾が収まることになるのか、時間の経過とともに複雑な状況は増大する一方である。

 矛盾は常に存在し、複雑な状況は常に大きくなってゆく。それが世の中であり、世界である。どこかの宗教団体や、政党のように理念や理想を唱えるだけでは矛盾をうまく許容できるレベルまで抑えることはできない。世論の動向だけを気にして矛盾に対処するのが必ずしも正しいとは思えない。賢い人たちの知恵を集め、その知恵で逆に世論をリードしてゆく政治の方が結果的にうまく矛盾を許容レベル以下に抑え込むことができるのではないか。問題はその賢い人たちを集めようとする人たちの人間としての器量の大きさである。人は自分の器量以上の人を測ることはできない。

 この日本の社会で何か欠けているとすれば、国民の総意による政権交代であり、国民の総意による指導者が国を指導してゆく政治的な仕組みである。議院内閣制が本当に優れた政治的仕組みであるのかどうか、考えなおす時期にきているのではないか。首相は国民の直接選挙により選ばれる仕組みの方が良いのではないか。ただし、その選挙の仕組みはアメリカのように中間選挙を経て行われるようにしたほうが良いだろう。

 男はそのようなことをつらつら考えながらジャックダニエルをちびりちびり味わっていた。