2009年6月20日土曜日


三世両重の因果(20090620

 年老いた親はけちけち生活し、お金を貯めている。その老いた親が死んだら、子供はその貯められたお金を遺産として受け取る。老いた親は働き蜂のようなものである。そのようなことをこの間テレビか何かで聞いたことがある。働き蜂とはよく言ったものである。

 男も男の女房もそのような働き蜂ではない。西郷南洲が「児孫のため美田を遺さず」と言ったが、そのとおり二人の息子たちに財産を遺すつもりは全くない。第一息子たちに遺すほど財産はない。いずれ近い将来、自分たちの終の棲家とする介護付き有料老人ホームに入居するため、残っている少しばかりの財産を使わなければならない。

 息子たちはすでに自らの人生を力強く生き抜く力を親から与えられている。それが財産である。親子関係で投資という用語を使うならば、親は借金をしてまで子供に投資した。その投資が利益を生み、今の親子関係がある。そのような財産がなくあの世に行く日も遠い先ではない親たちはけちけちしてお金をため、子供に金の力を示して権力をふるい、子供が自分たちを看るのは当たり前であると思っている。そして老いた親といずれ親を看ることになる子供の間で無駄な緊張関係を作っている。馬鹿げたことである。

 今年の正月、男と女房は息子の一人からお年玉をもらった。文字通り「はい、お年玉」と言って渡された。年寄りは子供である。そのお年玉で男と女房は二人で京都に旅行した。この春にはもう一人の息子が自分で運転する車で、その家族とともに二人を伊勢・志摩・鳥羽方面の旅行に連れて行った。親は孫たちの誕生日やクリスマスのプレゼントや、お年玉入学・進学祝いなどに多少のお金をかけている。息子たちは親に旅行などの楽しみをプレゼントしている。

 男が還暦のときには息子たちがそれぞれ家族を連れて軽井沢に集まり、皆で祝ってくれた。古希のときには飛鳥・奈良の旅行をプレゼントしてくれた。男の女房が還暦のときには息子たちはそれぞれ家族を残して、実の親子4人だけの水入らずの青森方面3泊4日の長距離ドライブ旅行に連れて行ってくれた。息子たちはそのとき4日間も家を空けたのである。男はそれぞれの嫁たちもよく出来ていると感心したものである。

 そのような親子関係、嫁姑関係は、男の女房の資質によって作られ保たれている。男はそのような女房に深く感謝している。また男にそのような女房や息子たちにはそのような嫁たちを娶せた目には見えない力、縁というものに男は感謝し、合掌している。

 男は若いころ読んだ仏教関係の書物に書いてある「縁」とか「三世」という語が大変大事であると思っている。その書物には「三世両重の因果」というちょっと難しそうな言葉が出てくる。しかしよく読むと、それは難しいことではないことがわかる。

 人はそれぞれ両親の「縁」と「行」でこの世に生れるが、生まれる前母親の胎内や生まれ出た後成長する過程でいろいろ「識」り、五感や諸能力を働かせて成長し、成長し生きている間に喜怒哀楽し、行為し、経験し、子孫を残して死んでゆく存在であるから、人は過去・現在・未来の三世に生きている存在である。そのように男は理解している。

 今この時を一生懸命に生き、やがて寿命が尽きれば一所懸命死ねばよい。男も女房もそう思いながら今、日々刻々を送っている。