2009年6月14日日曜日


家庭菜園(20090614

男はベランダで育てているナスにくっついている小さな緑色した虫を退治しながら思った。指先で潰したりピンセットの先に挟んで潰したりして、しょっちゅうこの虫を除去している。この虫は新芽の柔らかなところや、葉っぱの裏などに隠れている。放っておくと折角楽しみながら育てているナスが虫に食われて枯れてしまう。
実は男は子供のころ田舎暮らしをしていた。夏の暑い日遊びから帰って来て腹がすいていたときに家の裏の竹藪の傍にあった畑におばあちゃんが植えていたナスのまだ小さいものをもぎ取って、手のひらでつるつるとこすって生のまま食べたことがよくあった。終戦後間もないあの頃おばちゃんが農薬を使っていたかどうか全く記憶にはないが、このような小さな虫などいなかったように思う。
ベランダで野菜を育てるようにしたのは初めてである。そのため女房は沢山あった花壇を少し整理してスペースを作った。取りあえずナス1株、小玉トマト1株、細ネギ2株、オオバ2株をそれぞれ別のプランターなどに植えた。すでにネギやオオバは時々味噌汁や和え物などに添えられている。サラダ菜の種も蒔いたところうじゃうじゃ生えてきたので、間引きしてそれも同様に頂いている。
男は女房と一緒に2、3か月に一度ぐらい九州の田舎にひとり暮らししている老母を看るため帰省していて、老母の楽しみのため庭に沢山の花やキュウリ、ゴーヤ、トマト、ナス、ネギなどを少し植えている。男はそのような経験から、ときどき田舎暮らしに憧れることがある。女房も男と同じ郷里ではあるが、女房は「横浜のほうが良い」という。かつて東京や大阪に住んでいたことがある故郷の男の友人は「おまえは田舎に別荘を持っているようなものではないか」という。住めば何処も都、誰も良いところ取りはできない。
さて、男が駆虫にやっきになっているナスも緑色したダニみたいな虫も、みな自ら存続しようとする力を持っている。自己保存力を持っている。それは遺伝子に書き込まれた情報によってそのような力が自然に備わっているのだ。
男がこのブログを書いている目的は最初に書いたように、一つの‘遺伝子的なもの’を男の子々孫々に遺すためである。ナスや虫の生物学的遺伝子に対して、男のそれは‘文化的遺伝子’のようなものである。男はそのような‘文化的遺伝子’を遺すことができない家系は栄えないと固く信じている。
結婚も昔は見合い結婚が主であった。男の女房は17歳のときわが家に養女となって来た。女房は幼児の頃以降一緒に暮らしていなかったが、今の母、男にとってステップマザーの実の子である。親父が「おまえは将来あれと一緒になれ」と言って男の女房になったのである。男は見合い結婚は一般的に良い生物学的遺伝子とともに良い‘文化的遺伝子’を子孫に伝えると考えている。恋愛結婚では親子間のコミュニケーションが非常に良好であった家同士の場合、子供は一般的に親にどこか似たところがあるような相手を連れてくるようである。
男は息子の結婚式の挨拶の時「人生とは松尾芭蕉が言っているように、子供が親になり、その子供がまた親になることであります」と言ったことを思い出した。

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