2011年6月10日金曜日

巨大津波の被災者のことに思う(20110610)

 巨大津波で両親を失った60歳代のある男性は、毎日のように遺骨安置所や遺留品保管場所を巡り、また流されて跡形もなくなっている自分たちが住んでいた場所を訪ねながら、何としてでもその両親の形見を探し出そうとしている。

保管されている遺骨の壺にはただ番号がふってあるだけである。多分その壺の中には番号とともに発見された場所などより詳しい情報が書き込まれたものが、簡単には取り出せないようにして保管されているのだろうと思う。もしそうでないと、何かの事情により保管されている遺骨と、書きこまれた情報とがばらばらになってしまったときその遺骨と遺族の関係を特定することが一層困難になってしまうだろう。

その男性は自分のDNA情報を警察に提供済みである。遺骨のDNA情報と遺族の関係を特定するまで3カ月ぐらいかかるそうである。DNAの鑑定作業は全国の警察に分散して行っているが、それでもそれくらい日数がかかるそうである。その男性は「父母はとても仲がよかった、早く父母の骨を探し出して一緒の墓に入れてやりたい、最後の望みはDNAだけです」と涙ぐみながら語っていた。かつて同じ屋根の下で家族そろって楽しく暮らしていた日々が巨大津波により一瞬のうちに失われてしまった。その男性は心が折れてしまいそうな毎日を送りながら、DNAの鑑定結果に一縷の望みを託している。

被災地にはその男性のような人々、男性に限らず女性や子供や親が沢山いる。悲しみが一杯ある。テレビカメラの前では笑顔を見せていても何かの拍子に一瞬顔を雲らせる。皆心に深い傷を負いながらじっと耐えて日々を送っているのである。

何故そのような苦しみや悲しみを持つ人々がいるのだろうか?仏典には「仏はいろいろな方便で人々を教え導く」というような趣旨のことが書かれている。その仏典とは妙法蓮華経というお経や、勝鬘師子吼一乗大方便方広経というお経である。(参考、『新訳仏教聖典』大法輪閣版)

仏典によれば、そのような苦しみや悲しみの渦中にある人々にも仏の救いがある。その教えに気付き、その教えを学ぼうと志す人々は救われる。事実、被災された非常に多くの方々は、意識的にせよ無意識的にせよ既にその教えに気付いておられると思う。だからテレビカメラの前で笑顔を見せるのだと思う。

仏典にはそのような苦しみや悲しみがその人の前世の行いによるが、そのように一方的に決めてはならないし、かといってそれを否定してはならない、というような趣旨のことが書かれている。一方、後の世における現象は、前世において出家者に供養することを好み他者を妬まずという行いをしたかどうかによるというような趣旨のことも書かれている。

仏典によれば、あらゆる苦も楽も不苦も不楽も全て因縁によって生ずるのである。その因縁とは何かというと、無明と愛によって老死があり、憂い、悲しみ、苦しみ、悩み、悶えが生ずるというものである。それは増一阿含経というお経に書かれている。(参考、同上)

 仏教は人々が幸せになる道を教えている。男はこの道について今後考え続けたいと思う。

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