2011年6月19日日曜日

女房のパソコン (20110619)

 人は他者を愛するとき、家族など自分に身近な者しかよく愛することはできない。キリスト教や仏教の聖者でも自分を慕ってくる者にしか愛を与えることはできなかった。ただ、聖者は普遍的な最も正しい愛について語り、迷える人々を導いたから、その教えは普遍的な宗教になった。ゴータマ・ブッダと後に称されるようになった王子は、妃や子を捨てて出家し、後にその妃や王子はブッダの弟子になったが、その時ブッダは既にブッダであった。イエス・キリストは聖母マリヤの処女懐胎により人の子となったから、もともと神の子であった。マリヤは初めからイエスに教えを受ける立場であった。

 先日自民党総裁谷垣氏の奥様が他界された。谷垣氏を見舞った民主党の岡田幹事長に対して、谷垣氏は「奥さんを大事にして下さい」と言ったという。一般に公的な男は公的な仕事に熱情を傾ける一方で、愛妻と共に過ごす時間が無いことを悩み、愛妻に十分な愛を与えることができていない状況に悩み、愛妻が自分に尽くしてくれていることに十分報いることができていないことを悩むと思う。

 男はもともと心正しくない人間であったから、つい最近の年齢なるまで女房に悪いことをしてきた。悔やむことありそのことを女房に言い、「お前はよい子供を産み、よく育てた。そればかりではなくこの俺まで変えてくれた。よく尽くしてくれた、ありがとう」と言っている。男が自分の罪を思うほどには女房はちっとも罪とは思っていないようであるが、男は女房に対して罪の償いをせねばならぬと思い、実際にそのとおりにしている。

 かくして男も自分の人生を完成させるように日々生き、女房も自然とそのようになっている。ゴータマ・ブッダやイエス・キリストのような聖者ではない普通の人間は、自分の人生の完成は自分一人ではできないものである。長年連れ添う夫婦がお互いに影響し合いお互いに自分の人生を完成するようにしなければ、到底「よい人生だった」と最期のとき頬笑むことはできないだろうと思う。人生とは自分の霊的な完成の道であると男は思う。

 そういう思いがあって、男は女房のために非常な熱情を傾けて、女房のIT環境を整備してやった。もともと女房は目の前に100万円積まれても、自分がその気にならなければ難しいことには決して取り組まない性分である。たまたま千葉に住む女房の親友が最近息子に教えられてパソコン学級に通いITおたくのようになったことに刺激され、女房はやっとパソコンを本気で学ぶ気持ちになった。

 女房は何年か前、男がインストールした「特打」というソフトでキーボード・タッチの練習などはしていた。男は女房のために手ごろなパソコンを用意してやっていた。しかし女房はこれまで本気でパソコンを学びたいという気にはなれずにいた。ところが自分の親友がパソコンを自由に使えるようになりそうだと知って、自分も本気になった。

 男は一日がかりで女房が最も簡単に素早くグーグルのページを開くことが出来るようにし、「お気に入り」にグーの路線検索のアイコンを一つだけ入れ、女房が花を見る行楽先の情報を簡単に得られるようにしてやった。これも男は自分の罪の償いのつもりでいる。

0 件のコメント: