2009年7月20日月曜日

現在、過去、未来の三世の因縁(20090720)

 今の時代は、何もかもテンポが速く推移し、人々は忙しく働き、人として本当の幸せを得るためどうすればよいのか考える暇もないほどである。男が子供のころはお寺で法会という催しがあり、男の祖母は近所の人たちとお寺に集まり、坊さんの話を聞くのを楽しみにしていたようである。今の時代、お坊さんは葬式の時お経をあげたあと、集まった人々に法話を語るが、聞いている人たちは「生臭坊主が何を言うか」というぐらいしか思っていず、折角の法話は何の役にもたっていないのではないだろうか。お坊さんが「皆いずれ白骨になる」と説いても皆、それは先刻承知のことぐらいにしか思っていない。

 今の時代、知っていなければならないこと、出来ることが当たり前のことが余りにも多すぎるのかもしれない。家庭の電気製品の知識、車の知識、パソコンを使う技術、車を運転する技術、政治や社会の情報等々数え上げればきりがない。

 たまに旅行してお寺や神社を訪れた時は、お賽銭を上げて手をあわせて何かを願ってお参りし、お正月には初詣して一年の初めに新たな気分になる。自分は確実にあの世に向かっていると思いながらも、自分の死はずっと先で、人の死は他人事のようである。

 男はこういう時代になったからこそ、今から2500年前にお釈迦さまが説かれたこと、2000年前にイエスキリストが説かれたこと、古の聖人が説かれたことを、せめて月に一回ぐらいは学ぶことを義務化するような社会的習慣があっても良いのではないかと思う。ただ、イスラム原理主義的な社会はよくない。彼らが世俗主義と非難するかもしれない ‘多様性’をキーワードにした、そのような文化がこの社会にあっても良いのではないかと思う。

 男は昔買った書物『新訳仏教聖典』(大法輪閣版)のページをめくり、関心がある個所に付箋をつけながら○○経、△△経の違いやそれぞれ説いているところについて調べ、その中の幾つかの注釈を試みた。この注釈は完璧ではないが、あまり外れてはいないだろう。

 聖徳太子が尊ばれた勝鬘経にはハシノク王と王妃・マーリー夫人(ぶにん)は娘・ショウマン夫人(ぶにん)に仏の功徳をほめたたえることが書かれている手紙を送ったところ、ショウマン夫人は「仏の言葉は世に並び無いと聞いていますので、私も仏にお仕えしたい」と言ったという。その仏は、今光明最勝王経によれば、仏には化身、応身、法身の三身あり、化身は仏が人々を救おうとするために仮に人の世に現れて人々の状況に応じ、いろいろな方便をもって身を現わして法を説く仏の形であり、応身は仏が仏への道を求める人々のために方便など一切使わず法を説く仏であり、法身はこの世のあるがままの原理とその原理を知る智慧とが一体となった法そのものであるという。男は自分が気づいていないのに仏の方便として存在し、他者に仏への道を仏が何か教えているのだと理解した

 大無量寿経によれば、王妃・マーリーが世尊(お釈迦様)に、ブスで貧しい女や、ブスだが金持ちの女や美人だが貧乏な女や、美人で金持ちの女などいろいろな女がいる理由を問うたら、世尊はそれは前世の行いが原因であり、今世の行いの結果が来世の生まれ方につながると答えておられる。一方で増一阿含経では、人がこの世で経験する苦楽や不苦楽もすべて前生の業だと言い張ることなど一方的な主張は間違っていると教えておられる。

 男は、苦楽や不苦楽の受け止め方はその人それぞれであり、煩悩の我欲があれば楽が苦になることもあるので、世尊はそう教えておられると理解した。この世が如何に合理的であろうと、人智を超えた過去世、現世、来世の因縁はあるのだと男は確信している。