2011年6月11日土曜日

竹馬の友から贈られた今昔写真帖(20110611)

 小学校時代からの竹馬の友I君から『O市今昔写真帖』という分厚い本が筆者に贈られてきた。I君は郷土の歴史研究会のメンバーであることもあって、その写真帖の編集のため自分が撮った写真を提供したという。しかし実際にはI君の写真は採用されなかった。提供した写真も返却されなかった。その本はそのお詫びとしてI君に2冊贈られたものの一つである。I君は自分のものは1万何某かのお金を払って買い、お詫びとして贈られた2冊を男とTちゃんというもう一人の竹馬の友に贈ったのである。

男が介護で帰省したときは機会を作ってI君とTちゃんに会っている。Tちゃんは同級生の女の子、といっても皆74の婆さんであるが、その子に声を掛け、男のために一緒に食事をする楽しみを作ってくれている。幾つになっても竹馬の友は良いものである。

 その写真帖をめくってみると子供時代のいろいろなことが思い出された。I君の採用されなかった写真の一つに、子供時代の見渡す限りの広い田園風景とそれが市街地に変貌してしまった現在の風景を対比させたものがある。I君はそれを手紙とともに写真に挟んで送ってきた。その写真を見ると、男の子供の頃の原風景が蘇ってくる。男は子供の頃、家で飼っていた牛に犂を引かせて手綱と鞭を上手く使って田圃を耕し、水を引き、掻きならして水田にし、稲の苗を植えて育て、田の草取りや水やり、ばったなどの虫払いをし、収穫をし、精米したその全ての工程に関わっていた。そのような風景は今では里山でしか見ることはできない。男の継母が独り暮らししているK町には、その風景が残っている。

ちなみにばったは手で捕って一升瓶に詰め、家に持ち帰って金属製の網に入れて火に炙り、赤く焼けたものをおやつにして食べていた。これはカルシウムとタンパク質が詰まっている栄養食であった。田圃に農薬を散布するようになって、ばったは居なくなった。それまでは無農薬でばったなどの害虫にとってツバメなど野鳥が外敵であった。夏には虫送りと称して大人が作った火をつけた松明を子供たちが手に持って田圃の周りを巡り、火に虫を飛びこませて虫を駆除していた。それは子供たちにとって楽しい行事であった。

 写真には男の女房が小学校時代の頃の制服姿も写っている。あの頃女房の同級生の多くは制服を着ていなかった。皆貧しくて親が買い与えなかったのだと思う。女房は比較的裕福な大家族の家で末娘のように可愛がられていたし、通っていた小学校でも常に優等生であったし、祖母が婦人会の会長をしてこともあって先生からも特別に可愛がられていた。

その親の世代の人たちが子供の頃や大人になった戦後の頃の姿もその写真帖に収められている。時の流れとともに人は老い、やがて死んでゆく。その写真に収められている写真の人の多くは既に故人となっていると思う。男も齢既に74、あの頃から60年経った。I君ら竹馬の友だち皆いい爺さんになった。Tちゃんは自分が物忘れになったのではないかと心配し、わざわざ精神病院に行って相談したという。後で分かったのであるが最初の挨拶の時から会話を通じてチェックされ、診断結果は「異状なし」であったという。

人は皆老いる。寿命前に病気で死ぬ人も多い。人生とはそういうものである。

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