台湾の方々から贈られた短歌・俳句(20110621)
読売新聞に『耐える被災者へ贈る120首』と題して台湾・高雄市の義守大学応用日本語学科が年1回出している短歌・俳句の雑誌が、東日本大震災の被災者らを励ます短歌の特集を組んだ。500部を発行し、宮城、岩手県などに200部送るという記事が出ていた。以下、その記事を引用する。
“台湾には、日本統治時代に日本語教育を受けた人や日本語を学ぶ学生を中心に、短歌・俳句の愛好者は多い。特集には「台湾歌壇」のメンバーら62人の120首が掲載され、同歌壇の蔡焜燦代表は「国難の地震と津波に襲はるる祖国護れと若人励ます」を寄せた。”
その他以下の歌が記事として出ている。かっこ(“”)を外して読みやすいようにし、以下にそのまま引用する。
未曾有なる 大震災に 見舞はれど 秩序乱れぬ 大和の民ぞ
天災に 負けず わが愛友よ 涙も見せず 鬼神をば泣かす
原子炉の 修理に赴く 男の子らの 「後を頼む」に 涙止まらず
福島の 身を顧みず 原発に 去りし技師には 妻もあるらん
大正生まれ 昭和育ちの 我ならば 日本大災難に こころのしずむ
上の「大正生まれ・・」と詠う歌は、日本語世代の方が作られたものである。義守大の担当者は「頑張れという気持ちがこもったものばかり。心の支えになれば」と話しているという。今に生きる日本人の一人として大変嬉しいことである。
台湾ということで男は友人・秋山代治郎氏のことを思い出した。氏は現在90歳であるが大変お元気である。氏は放送大学の卒業研究論文を『歴史記述における‘虚構と真実’―知られざる仁川沖海戦と日露戦争への道程―』という本にして出版した。氏は同大学大学院における修士論文をもとに、学術書『近代日本と日露戦争』という本も書いている。
その秋山氏は1921年仁川府(現在の韓国仁川広域市中区)に生まれ、後に台北帝国大学を卒業し、学徒出陣し、日本の敗戦により1945年から3年間ソ連邦エラプカに抑留されていたという経歴がある。秋山氏は仁川の生まれ、台北帝大卒業、ソ連抑留の体験をもとに仁川と日露戦争の関連を研究し、2冊の本も書いて出版されたのである。
男も小学校2年生の1学期まで朝鮮慶尚北道で過ごした。戦後生まれの世代は日本の惨めな敗戦とアメリカ軍の駐留と復興と国連加盟を経て今日に至る平和・繁栄のことしか知らない。アメリカの政策により日本人の精神構造を根底から変える試みがなされた。東京裁判はその絶好の手段だった。その結果、戦前の日本人は悪いことをしたと教え込まれた。
そのような世代が日本の指導者になり、好機とばかり尖閣沖の中国漁船衝突事件、北方領土へのロシア首相らの訪問、韓国による竹島固定化の動きなどが起きた。中国は弾道ミサイルによる嘉手納・普天間を対象とした先制攻撃戦略を立てた。中国は13億人の自国民を養うためなりふり構わぬ行動をとろうとして、南シナ海でも活発な行動をしている。
この国が今在る意味を、上記台湾から贈られた短歌を機に改めて思い直す必要がある。
0 件のコメント:
コメントを投稿